- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480847126
作品紹介・あらすじ
ギリシア哲学において真理を語る者の役割は、どのような"問題"を構成していったのだろうか。真理に関して、カントの考古学、ニーチェの系譜学、ウィトゲンシュタインの「ゲーム」の理論をうけつぎながら、真理を語る=パレーシアという語が使われる状況を歴史的に分析・考察し、真理を語る主体と他者との関係から構成される問題に焦点を当てたフーコー最晩年の重要概念。
感想・レビュー・書評
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真理とディスクール―パレーシア講義
(和書)2012年06月10日 19:20
2002 筑摩書房 ミシェル フーコー, Michel Foucault, 中山 元
朝日新聞の日曜日の書評で柄谷行人さんが『ミシェル・フーコー講義集成13 真理の勇気 自己と他者の統治2』を紹介していました。それで近所の図書館へ探しに行ったけどなかっから、リクエストして帰ってきた。リクエストと言っても相互貸出のシステムで他から取り寄せを依頼したのです。
それでその本が届くまで参考になる本を探してみてこの本を読むことになった。パレーシア、パレーシアステースと真理に関わるもので非常に面白い。真理と関係ないところでパレーシアをする人も多い。僕の周りではそんな人ばかりだから、真理を語ることによる危険というものはよく解る。ドクサというものもあると思う。真理についての関係としてのパレーシアには相手のドクサ(思惑)をも知り得てしまうから、パレーシアは優れていると言える部分も興味を惹いた。
それで参考にもう一冊図書館で借りてきた。『ミシェル・フーコー講義集成12 自己と他者の統治 ─コレージュ・ド・フランス 講義1982-1983』というものを借りてきた。この本も読んでおくと良いかなと思った。シリーズだから当然か!なかなか良いシリーズだからこれら以外でも読んでみたいと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジュディス・バトラー経由で、晩年のフーコーの「主体性」という問題意識に到達する。
で、晩年のフーコーのアメリカの大学での連続レクチャーの講義録を読む。
こりゃ、一体どうしたことだ、と自分の目を疑うばかりの分かりやすく、親切な語り口。内容的にも、ギリシア、ローマ期における「自己の配慮」のテクノロジーに関するもので、最近、なぜかプラトンを断続的に読んでいた私には、へー、そういうことなのか、的な発見が多い。
それにしても、この仕事は、ギリシア語やラテン語の緻密な原典読解、しかもプラトンやギリシア悲劇、ストア派の哲学者などの名作はいうまでもなく、例によって、すごくマイナーな文献まで含めての読解に支えられている訳で、ギリシアとかラテンの玄人はだしの内容ではないだろうか。
という研究を、フーコーは「性の歴史」の第一巻の方法論が行き詰まってから、数年間でやったというわけで、その知的なパワーに圧倒される。 -
書かれた文章にせよ語られたコトバにせよ、その内容の正しさを決めるのは「何が語られたか」ではなく「誰がそれを語ったか」である。……幸か不幸か、それは世の常。そんな真理と権力との関係を論じた本。「オイディプス王」を代表とする、ギリシア悲劇をいくつか読んでいると話についていきやすい。