音楽が聞える: 詩人たちの楽興のとき

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480823625

作品紹介・あらすじ

詩人と音楽は相性がいい。その作品には通奏低音のように流れる音楽がある。幼少時から音楽を鍾愛してきた著者が作家の思いに耳を傾ける。

感想・レビュー・書評

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  • 萩原朔太郎、北原白秋、宮沢賢治、高村光太郎、尾崎喜八、串田孫一、高田博厚、片山敏彦、立原道造、中原中也たちの詩や随想のなかに音楽を聞き取ろうとするもの。音楽といえば、旋律・韻律・和声の3つの要素だが、文学では主に韻律が関わって来ると思うのだが、そう単純なものでもないらしい。最初の方では、とにかく詩に音楽を感じるということが述べてあるが、どうも踏み込みが足りないような気がする。あれっ、もうこの人については終わりなのって感じだ。それが串田孫一から急に様々な考察が始まる。どうも、串田孫一と中原中也について一番語りたかったようなのだ。
    ちょっと心に引っかかったところを書き出してみる。
    「楽しみに聞く、気楽に聞き流すときの受動性は、積極的で苛烈な音楽の創造活動とは、テンションの距りの大きさという点で、他のあらゆる分野以上のものがあり、そのことが逆に音楽を音楽たらしめている」
    「串田の随想の本体は、何の思想的メッセージも含まずに、ひたすら奏でられつづける音楽になったところにある」
    「精神を凝視する、内面に分け入ってその気をひしひしと感じとることはすでに音楽的なことであり、音楽に聞き入るというのに等しい」
    「理屈めかしていうと、音楽は言葉に内在しているのである。実は何にでも内在可能なのが音楽で、風景にも内在すれば、人間という生きものにも内在している」
    「言葉は本源のものに帰らなければならない。ものに到達したらそれは感動だ。ただそれは感じることによってしか証明できない。この本源のものに到達したという感動が、中也にあっては「いのちの声」となり、「歌」というものになった」
    「詩を読むということは、生命の過程に身をどっぷりと涵ことである。過程になりきることである。帰するところ、それは音楽の状態になるということを意味しているのではないか。音楽はそれを奏でているあいだ、それを聞いているあいだは、一瞬一瞬がすべて過程なのだから」
    リルケは「音楽は、ないものまであるようにみせるから」と言って警戒していたというのだが、確かに実際の音楽は受動的に聞く者に強制的に迫ってくるもののようにも思える。詩にあるのは音楽性であって、実際の音楽とは微妙に違うものなのかもしれないなどとも思う。

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著者プロフィール

1930-2019.文芸評論家、ドイツ文学者。主な著書に、『批評の精神』『神話の森の中で』『疾走するモーツァルト』『西行』など多数。受賞歴に、亀井勝一郎賞、芸術選奨文部大臣賞、読売文学賞など。

「2022年 『高橋英夫著作集 テオリア8 読書随想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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