現代日本の小説 (ちくまプリマー新書 71)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687715

作品紹介・あらすじ

春樹&ばななが与えたインパクトと電子機器の進化によって、日本人の文学的感受性は劇的に変貌していった。小説は、日本語表現はどこに向かって進んでいるのか。

感想・レビュー・書評

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  •  1980年代から2000年にかけて「戦後」という社会が終わったということを巡って様々なことが言われてきましたが、「文学」、まあ「純文学」というべきかもしれませんが、その時代に、その世界で「終わった」ことと「始まった」ことを若いひとに伝えることが、いかに難しいかを実感させてくれた本です。
     村上春樹の登場、ばなな現象、Etc.その時代の文学とともに暮らしてきた人がどれくらいいるのか見当がつきませんが、暮らしてきた人間には、たぶん実感できることなのですが、たとえば、2000年以後に生まれた若い人たちにとって、それがどんな意味を持つのかという問い以前に、「無関心」がやってきてしまうといっていいでしょう。
     ぶっちゃけ、現在の高校生一般が、そんなことに関心を持つとは思えません。
     そうした事象を、近代以降、第二次大戦以後の「文学史的な常識」の地図の上において「変化」を伝えようとする著者の努力に拍手!ですね。
     「ああ、そうだったんだ」と感じるのは、いい年をした人たちばかりかもしれませんが、やはり必要な総括というべき仕事だと思いました。
     ブログにも感想を書きました。乞う、ご一読。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202109290000/

  • ばなな・春樹を軸とした、現代文学論。その2人のみならず、純文学の重要作家案内でもあるから、プリマー新書として、文学への誘い的役割も担える内容。

  • 2015.4.5市立図書館
    1987年の「ノルウェイの森」「キッチン」の登場から変わり始めた日本文学。口語化、文学のグローバリゼーション、文壇の終焉(?)と変容する創作システム、手書きからPC入力へ、ゲーム的リアリズムなど、2007年までの20年間をふりかえり、時代を画した作品と志ある作家の仕事を紹介する本。
    自分にとっては本格的に小説を読み出す高校生からの話とぴったり重なるので、あたらしい潮流の中で自分は育ってきたんだなぁと改めてわかった。

  • 勉強になりました。

  • 流行っているものは絶対にその時流に乗らないという主義でいるので、この本で取り上げられている作家は、実はほとんど読んでいない。
    この手の本を読めば、自分の好みかどうかぐらいは判断できるし、小説が「賞味期限のある消耗品」になってしまっているということもよくわかった。

  • 1987年、村上春樹の『ノルウェイの森』と吉本ばななの『キッチン』が登場して以降、そして電子機器のめざましい進化によって、日本人の文学的感受性は劇的に変貌していった。
    小説は、日本語表現はどこに向かって進んでいるのか。

    著者は10余年にわたって読売新聞の「文芸時評」に携わっており、また、かずかずの作家へのインタビューも重ねてきておられるとのこと。
    この本では、ここ20年の「小説」のめまぐるしい変化について、著者の経験に裏打ちされた説得力のある分析に沿ってまとめられています。
    春樹&ばななが登場したときのインパクトを知らない私としては(1987年当時4歳)、当時のエピソードはとても興味深く、読みながら身体の奥底から不思議な高揚感が湧き上がってきました。そうだったのか。そういう時代に生きてきたのか。
    本書で多くページが割かれているのは村上春樹についてですが、彼のことを作品でしか知らない私にとっては初めて知ることも多く、改めて再読してみようと思わず決意しました。
    村上春樹に限らず、小説の好き嫌いやよしあしの感じ方は人それぞれだろうけど、この本で著者が採り上げた作家たちは、みな共通して、小説を書くということに情熱を燃やし、それこそ命さえ捧げんばかりの姿勢で作品を生み出す方々ばかりでした。
    そしてその情熱の塊のような作品と真正面から対峙する批評家の方々。
    私は、その真摯な姿勢に感動したのです。なんという覚悟。この本を読んでいる間じゅう胸が躍るような心地だったのは、小説を書く人と小説を読む人の、小説を愛する心のあまりの大きさに終始心を打たれていたからです。
    そんな風に世に送り出された小説が持つ、大きなエネルギー。
    それが確かに息づいているのなら、村上春樹でも、よしもとばななでも、ケータイ小説でも、好き嫌いやよしあしにかかわらず、私は触れてみたい。
    というわけで、まずは村上春樹の再読から。

    現代小説の在り方はずいぶん変化しました。書店のレジに立っていても、それは常に思うことです。
    大きな波がうねり、寄せて、はじけて、たくさんの飛沫が舞い上がった、今小説とは、まるでその水のしずく一粒一粒ようです。
    すごく細分化されているし、刹那的で、あっというまに書店の棚からも出版社の在庫からも消えてしまう。
    だけど、それらがもしも本当に水のひとしずくであるならば、小さな一粒でも確かに小説家の魂を削った情熱の塊であるのなら、また海へかえり、新しい波になるでしょう。
    ファックスもパソコンもケータイもなかった時代には戻れないけれど、ファックスやパソコンやケータイがなかった時代が正解ではないと思います。うまい表現が見つからないけれど、昔はよかったとか、そういうことを言いたくない。
    昔と変わらず、書く人も読む人も小説を愛する気持ちを喪わないのならば、その大きなエネルギーは形を変えて生き続けると信じたいのです。(ファックスやパソコンやケータイがあると、そういう気持ちを持ち続けることが難しい、という側面はあるかもしれない)
    私も愛してゆきたい。

    「文学」へ惜しみない愛を注ぐ作家たちを見つめる著者こそ、「文学」を愛してやまない。
    それが言葉から行間から伝わってくる、良書だと思います。

  • [ 内容 ]
    春樹&ばななが与えたインパクトと電子機器の進化によって、日本人の文学的感受性は劇的に変貌していった。
    小説は、日本語表現はどこに向かって進んでいるのか。

    [ 目次 ]
    第1章 一九八七年、終わりの始まり(「ばなな伝説」の始まり 「サラダ記念日」と三島賞の創設 ほか)
    第2章 村上春樹のグローバリゼーション(『ねじまき鳥クロニクル』の文学的成功 小島信夫による村上作品の解読 ほか)
    第3章 変容する創作のシステム(芥川賞の歴史上最大の“事件” 二十歳の金原ひとみ、綿矢りさの受賞 ほか)
    第4章 パソコンから生まれる新感覚(昭和の終わりと平成の始まり 手書き原稿とファックスの登場 ほか)

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著者プロフィール

1959年宮崎県生まれ。1990年初頭から読売新聞記者として、大江健三郎氏へのインタビューや評論執筆を続ける。『大江健三郎 作家自身を語る』(2007年)の聞き手、構成を務めた。著書に『現代日本の小説』、『ひみつの王国 評伝石井桃子』(芸術選奨文部科学大臣賞、新田次郎文学賞)、『詩人なんて呼ばれて』(谷川俊太郎氏との共著)、『大江健三郎全小説全解説』など。2016年度日本記者クラブ賞受賞。

「2022年 『大江健三郎の「義」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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