- Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480687531
作品紹介・あらすじ
私たちは日々受け入れられない現実を、自分の心の形に合うように転換している。誰もが作り出し、必要としている物語を、言葉で表現していくことの喜びを伝える。
感想・レビュー・書評
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落ち込むことがあり、読んでいる本の内容が暗かったためこちらの本に切り替えた。
本、特に物語を読むことに
なんだかちょっと飽きているのか
または入り込めないほどに、何か
他にしなくてはならないことがあるような気持ちになり、本を読めない時期があった。
今がその時の状態に似ている。
そんな時が来たら読もうと思っていた。
小川さんの作品は読んだことがなく。
申し訳ないなと思いながらも読む。
作り話を読むこと、とはどんな意味があるのか…自分が現実から逃れようとする時の動きについて考える。
小川さんの創作の考え方は、ちょっと自分の行き詰まりのヒントになった。
でも、少しだけ書くと紹介している物語(本)は殆ど「ノンフィクション」だった。そのせいか今自分が読んでいるモノ、読んできたフィクションよりもやはりノンフィクションには勝てないのかなと感じてしまった。
思い出も少し綺麗になったフィクションと捉えたり、フィクションであれどテーマには普遍的な問題を現実から抽出していたりあるのだろうけれど…
でも今読むべきだった。
自分の物語に落とし込むことで、現実の辛さを少しだけ和らげる。無意識にやっていることを少し意識する。
ちょっとだけ楽になった。 -
作家、小川洋子さんが物語について語った講演の内容をまとめた本。三部構成で、第一部と第三部は市民向けの講演、第二部は大学で芸術活動に携わる学生向けの講演である。
ホロコースト文学を読み続けているという小川さんは「誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけている」と言う。たとえば大切な人が亡くなった時、「空から自分を見守ってくれている」と考えるのは、亡くなった哀しみを受け止めるための物語。反対に、ホロコーストで自分だけが助かったという罪悪感は、自分が「さまざまな犠牲の上に成り立つ、ほとんど奇跡と呼んでいい存在」だという物語を獲得するための苦悩である。
また、小川さんは、リスナーから物語を募集し、ラジオで朗読するという試みを本にまとめたポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』を例に挙げ、物語は現実の中にあり、作家はそれを意識的に言葉で表現しているだけだ、と述べる。
小川さんの著書に、テロに巻き込まれ人質となった観光客8人が、自分たちの中にある物語を朗読する『人質の朗読会』という小説があるが、『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』が執筆のきっかけになったのかもしれないな、と思った。
第二部では、小川さんが実際にどのようなプロセスを経て物語を描いているのかを語る。
作家志望の学生もいるからだろう、創作過程の説明はかなり具体的だ。
以前に読んだ上橋菜穂子さんの『物語ること、生きること』というエッセイで、上橋さんは、映像が目に浮かびそこから物語が生まれてくる、というようなことをおっしゃっていた。小川さんも同じタイプのようで、一枚の写真や人から聞いたエピソードなどから映像が頭に浮かび、その断片をつなぎ合わせて物語をつくっていくという。
意外だったのは、テーマは最初から存在していない、と断言していることだ。作家は書くテーマが最初にあり、情報収集をして物語を作っていくものだと思っていた。もちろん、小川さん自身の興味があって、物語を紡いでいく過程でそれらが影響することはあるのだろうが、テーマありきだとうまくいかないそうだ。
「作家自身が小細工したりこねくり回したりできる範囲は非常に狭いものでしかない。私はただ誰かが落としていった記憶のかけらを拾い集めて、その人が言葉にできなかったことを、たまたま自分に言葉という手段があったから小説にしただけ」だと小川さんは言う。
小川さんの物語に押しつけがましいところがないのはこういうことなのか、と腑に落ちた。
小川さんの物語に対する想いや原点がわかりやすい言葉で述べられた、ファンにはたまらない一冊。小川さんの小説をもっと読みたくなった。 -
ブクログの本棚に並ぶレビューを読んでいると、自分と同じような読後感をもったレビューに、そうそう!と感じたり、なるほど、そういう感覚もあるんだと感心してしまうものもありますね。
物語を作る視点と、読者としての立場から、本と人のかかわりについて述べられた、小川さんの3つの講演が収められています。
「小説を書いていくとき、このテーマについて書こうという始まり方はしない。一文でテーマを表せる物語なら書く価値はない」
「物語は特別な才能を持った小説家の頭の中で、空想の世界でのみ形作られるものではなく、実際の世界、過去を生きた人々の姿を、丁寧に追いかけていく時に、物語が自分で自分の進んでいく方向を決める」
「実際に生きていく人々は、皆何らかの物語を持っている。生きていくことは自分の物語を作っていくことそのものである」、というのは亡くなられた河合隼雄さんと小川さんの対談、”生きるとは自分の物語を作ること” でも述べられていました。
自分の意思ではどうにも出来ない現実を、物語として再構築しながら心の中に落とし込んでいく、この作業は我々が生きていく営みそのもののようです。
読者として自分の心と納得のいく物語に触れることによって生まれる感動、本の世界に入り込み、疑似体験によるカタルシスの後、元の日常に戻っていく過程こそが読書そのもの。
まえがきに、小川さんの一文があります。
「もし、他の星から来た生物が、本を読んでいる人間を見たらどう思うだろう、と私は想像するときがあります。ときおり1枚紙をめくるだけで、そとからは何の変化も観察されない。でも、その時、人間の心がどれ程劇的に揺さぶられているか、それは目には見えません」
本を読んで深く心を揺さぶられることの意味を考え直しました。 -
著者の小説を書く姿勢が、
自分の楽曲を制作する姿勢と重なり、
楽曲とは、今以上に伸びやかに物語を描くことができるものなのだと気付く。
ここにはいつも音があり、物語がある。
ここにある音をその通りに記録し、
ここにある物語をそこから見つけ出す。
こうして書いていることも、
あなたが読んでくれていることも。 -
現代倫理の講義で紹介され、興味が湧いたので読みました。
物語のあり方を、とても丁寧な言葉で表してくれて、もっとたくさんの物語と触れ合おう、と思いました。 -
本書は小川洋子さんが3つの講演会でお話しされた内容をまとめたものです。
タイトルの通り、「物語とは何か?」ということが大きなテーマになっています。
人々の一番後ろを歩いていて、人々が知らないうちに落していったものやこぼれおちたものを、そっと拾い上げてそれらがこの世にあったのだという印を文字で刻む。
それが小説家だと、小川さんは仰っています。
1人1人の人間がそれぞれの物語を持っていて、小説家はじっと目をこらし、耳を澄まして、そんな小さな物語を掬いあげるのだと。
小川作品の持つ慎ましさや遠慮深さの背景を垣間見たような気持ちになりました。
先日読んだ小川さんと河合隼雄先生の対談集『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社)の内容とも相まって、じんわりと心に沁みてきました。 -
小説家、小川洋子さんの講演をまとめたもの。
物語の役割、作り方、幼少期の読書との出会いなどについて語られている。
人間は辛い現実に行き当たった時、その出来事に意味を見つけようとする。
例えば、悲しみの中には希望が、苦しみの中には成長の種がある。そう信じることで自分の心を癒す。それは、現実には無い物語を、自分で生み出しているということだ。多かれ少なかれ、誰しもがその力を使って生きている。
実は小説家は、それを掘り起こして、形にしている仕事に過ぎないのではないか…小川さんは謙虚に、そう語られている。
人間の、ありふれた心の動きに、物語は潜んでいる。
なんて面白くて温かい考え方なんだろうと思った。
暗い洞窟で、根気よく掘り続ける発掘家のイメージが沸く。私たちが日々取りこぼしている大事なものを、小説家は言葉に変えて、遺しておいてくれる。
語り手が時間をかけて見つけ出した宝物を、私たちは読むことで、享受することができる。
物語の代え難い魅力と、読書の素晴らしさを改めて感じた。 -
小川さんの他のエッセイなどで読んだエピソードも多くありましたが、それらが毎度宝物のように語られるのが飽きない理由なのかと思います。そうした見知ったエピソードを少し延長した先に、小川さんにとっての「書く」という行為がある、けしてひらめきで物語を進めるわけではないのだ、ということが伝わってきて、安心感を覚えました。 「死んだ人と会話するような気持ち」という章が個人的にタメになりました。
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小川洋子さんの作品をもう一度読みたいと(読み漁りたいと)思った。
『博士の愛した数式』を初めとして、著者がどのようなことをきっかけに物語を作り上げたのか、そのイメージの連なりのようなものが垣間見えて興味深い。
人は誰でも物語を持っていて、例えば困難な現実に直面した時に、それを無意識に自分の心の形に合うように現実を変形させている。
物語は誰にでもあり、作家は過去の中にある物語を発掘しているのであって言葉は後から追いかけてくるようなもの。
本書は物語ではないものの、なぜか心が落ち着いたし、きらきらとした憧れを感じた。