病魔という悪の物語 ―チフスのメアリー (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687296

作品紹介・あらすじ

二〇世紀初め、毒を撤き散らす悪女として恐れられた患者の実話。エイズ、鳥インフルエンザなど、伝染病の恐怖におびえる現代人にも、多くの問いを投げかけている。

感想・レビュー・書評

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  • 今週の本棚:内田麻理香・評 『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』=金森修・著 - 毎日新聞
    https://mainichi.jp/articles/20200711/ddm/015/070/003000c

    筑摩書房 病魔という悪の物語 ─チフスのメアリー / 金森 修 著
    http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480687296/

  • コロナ禍の時に発売された理由がわかった。
    付箋をしながら読んだ本。
    これはかなりの勉強になりました。
    知らずに人に病気をうつしている……無症状のコロナ患者さんもいたよね。

  • 「チフスのメアリー」と呼ばれた女性をご存知だろうか。
    メアリー・マローン。1869年生まれ、アイルランド系移民。少女の頃にアメリカに移住し、大人になってからは賄い婦として働いた。料理はうまく、子供の面倒見もよかった。勤め先は何度か変わったが、雇い主からは総じて、よい評価を得ていた。
    だが、37歳の時、彼女の人生は急転する。1900年初頭、腸チフスが流行しており、死者もかなり出ていた。公衆衛生の専門家が腸チフス患者を複数出したある一家を調べていたところ、1人の賄い婦の関与が疑われた。その足取りをたどると、彼女が務めた先々でチフスの発生があったことが判明した。その賄い婦こそ、メアリー・マローンだった。
    メアリー自身はチフスの症状を示していなかった。健康状態は良好でありながら菌を身体に持ち続ける健康保菌者=無症候性キャリアだったのだ。
    ある日突然見知らぬ男が訪ねてきて、あなたは病気をばらまいているかもしれないから、糞尿のサンプルを渡せと言う。チフスに罹った覚えもなかった彼女は仰天した。専門家は何度も訪れたが、彼女は激しく抵抗し、格闘の果てに病院に収容されてしまう。排泄物を検査するとかなりの濃度の菌が検出され、メアリーは川に浮かぶ島の病院に隔離されてしまう。
    それから死を迎えるまで、実に30年もの間、数年を除き、彼女は隔離状態に置かれることになる。

    一度は解放されたものの、「今後は料理人として働かないこと」という条件付きだった。だが、数年後、彼女はやはり賄い婦として働いていて、感染源となってしまう。偽名を使っていたが、メアリーであることが露見し、彼女は再び収監される。その後は、自由の身になることはなかった。
    再び賄い婦となった経緯ははっきりしないが、長年生業としてきたもの以外の職で生計を立てることは難しかったのかもしれない。

    「チフスのメアリー」という呼称が使われたのは比較的早い段階からだったが、当初は彼女に同情的な見方も多かった。何せ、健康保菌者という概念がそれほど浸透していなかった時代である。彼女は病気を広めたかもしれないが、そこに悪意があったわけではない。
    だが、後年、彼女の存在は徐々に象徴化していく。周囲に病気や害悪を垂れ流すものとして。
    その死の直後よりも時が経つにつれ、50年代、60年代以降、その存在は創作に取り込まれ、都市伝説のようなものを生んでいく。はた目にはそれとわからず、社会に禍をもたらすもの、その1つの象徴となっていくのだ。

    当時、チフスを撒き散らしたのはもちろん、メアリー1人ではない。多くの症候性、無症候性患者がいたわけだが、実は、彼女ほど長く収監されたものは他にない。そこにはおそらく、いくつかの偶然があった。彼女が独身であったこと。移民であったこと。貧しい賄い婦であったこと。弁護士や恋人などの支援者が亡くなってしまったこと。弱い立場の彼女はいわば「歴史のふきだまり」にはまりこんでしまったのかもしれない。
    本書では、彼女の人生を丁寧に追っており、社会的背景も興味深い。

    ちくまプリマー新書は、ヤングアダルト層をターゲットにしたレーベルで、本書も非常にわかりやすく読みやすく書かれている。
    本書の発刊は2006年で、コロナ禍よりもずっと前のことだが、書かれている内容は現在の状況にも通じる部分があり、さまざま考えさせられる。

  • 近所の本屋さんの特集の中の一冊。
    ちくまプリマーだし気軽に読めそうと購入。

    「病気になった人も一人の人間なんだから、必要以上に責めちゃいけないよ」ということだけど、今のコロナ禍にずいぶん合致していて驚いた。14年前の本なのに。
    驚いたということは、少なくともメアリーがいた19世紀から、人の感情は大した変わっていないんだなぁ。国内外関わらず。

  • 新型コロナウイルスの感染が拡大し続けている昨今、無症状での保菌者(キャリア)がどこにいるかはわからず、不安に駆られることも多いと思います。
    特に、感染しながらも外出したり会食したりして(故意に)感染を拡大させていると考えられ、批判される人々も少なくありません。

    そういった、多数の感染者を生むキャリアとして初めて歴史に名を残したのが、腸チフスを広めたメアリ、「チフスのメアリー」でした。

    彼女は、社会の感染拡大を防ぐためとして、その半生を隔離されて過ごします。彼女以外にもキャリアと断定された患者もいましたが、彼女だけが「病原菌を垂れ流す悪魔」として非難され、隔離され続けたのです。
    そこには、自分よりも弱いものを見つけて安心しようとする人間や社会の心理が働いていた部分もありますし、センセーショナルな報道をつづけたメディアの責任もあると思います。

    「チフスのメアリー」として、もはや一般名詞のように使われている彼女ですが、彼女は悪意をもって感染を広めていたわけではないということも、その生涯をたどると見えてきます。
    邪悪な象徴とされた人であったとしても、感情や悲しみ、夢を抱えた一人の人間であった/あるということを忘れず、「一人の人間を大事にする」ことが、特に今のこの社会では必要なのだと感じます。

  • 非常に読みやすい一冊だった。
    無症状ながら、腸チフスのキャリアとして恐れられたメアリー。彼女を生涯のほとんどにわたり隔離したことは正しかったのか、を問いかけるノンフィクション。
    研究が進むより少しだけ早く、かつ有名になってしまったために、これほど隔離されてしまったメアリー。もう不運としかいいようが…。それで済ませてはいけないんだけど。でも調理にかかわる仕事についてはいけないと言われたのに、それ破っちゃダメだよ。
    いまの日本で広まってほしい一冊。

  • 「チフスのメアリー」が気になって読みました。

    1人の女性がある日、腸チフスのキャリアの可能性を告げられる。
    自覚症状はないので、女性は戸惑い、混乱する。
    検査への協力を拒否したことで、捕らえられ、長い時間を監禁された環境の中で暮らすことになり、そこで人生を終えることになる。

    公衆衛生の観点と、個人の自由という観点と。

    腸チフスのキャリアは彼女1人ではなかったのに、なぜ彼女だけが長期間監禁されることになったのか。

    そこにある社会的な背景。当時の、世間の眼差し。

    新型コロナの感染予防対策が求められる今、1人の人を「人」としてみることの大切さを改めて考えさせられました。


  • チフスのメアリーは無自覚の感染者。今回の新型コロナウイルスのことをあてはめて読んでしまう。この本では無自覚の感染者が決して悪ではないって言っている。ゼロ号患者についても色々かんがえさせられた。個人の自由をしばって隔離するなら補償が必要だってことも納得する。メアリーは普通の女の人だったと思うから。

  • 「チフスのメアリー」症例がステレオタイプ化されてゆく過程をていねいに追ったモノグラフ。今回のコロナウイルス禍をうけて再版されたようだが、たしかに、いま読む意義は大きい。内容はポイントを押さえ、深いが、プリマ—新書のフォームで平易かつ簡潔、コンパクトにまとめられている。

    二〇世紀初頭、アメリカ。移民のお手伝い女性メアリーが、チフスキャリアである可能性が判明し、自由を制限されて隔離される。当時の公衆衛生的状況もあいまって、キャリアであることがスティグマ化され、患者がひとりの個人であるという事実が消えてゆく。


    これをみてなんとなく思い出すのは、最近のラノベなどで見かける著名作家などを用いた歴史改変的なフィクションのアイデアである。ラノベに限らず、政治家などを戯画化・物語化する演出も同じだろう。実在の人物をキャラクター化して面白がる、エンタテインメントとして消費するというメカニズム。

    実在の人物が存在しているということが分かっていればよいが、通常、大衆はメディア上に現れたイメージをホンモノだと思い、好き勝手に消費してゆく。現実のその人物の生き方と、メディア上のイメージの乖離がおそらくは本書の一つのテーマになっている。

    物語化・ステレオタイプ化の誘惑は大きいし、特に大衆・マスメディア社会にとっては強力なルアー(疑似餌)であることが再認識される。

  • 2006年にひっそり初版がでていた作品がコロナ禍のいま読むべき本として緊急復刊。健康保菌者(無症候性キャリア)という存在が発見された百年前、公衆衛生学的に注目の的となって過酷な生涯を送ったあるアメリカ女性の実話を通して、個人の自由や尊厳と伝染病と闘う社会の福祉とのせめぎあいを考える。この本では一人の普通の女性が曲折を経て「病魔」「毒婦」というわかりやすい象徴となってしまった経緯を多方面から丁寧に検討しているが、医療/研究の進歩もさることながら、本人のもともとの属性や巡り合わせ、そして新聞のようなメディアがどうとらえ扱うかが、ひとの人生や社会における立ち位置に少なからず影響してしまうのだということを改めて理解でき、そうしたことを意識して自分の周囲やニュースに接することを促してくれる。
    腸チフス菌のような感染症への恐怖心(最終章ではエイズの例も)を抱えて生きざるをえない生き物としての本能と共同体がそれをどう受け止め制御していくかという一事例だったけれど、感染症に限ったことではないあらゆる「個人の想像の範囲から外れうる」多様な事情を抱えた人々とどうつきあっておりあっていくかというテーマだと思った。

    それにしても、14年前にこの本が出た頃は、なにをきっかけにこのテーマで出版することになったのだろう? 当時は余りそういうことに気が付かなかったけれど、狂牛病や鳥インフルエンザあたりをめぐって多少そういう懸念が生じていたのだろうか。

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2016年 『談 no.106』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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