奇跡を起こした村のはなし (ちくまプリマー新書 10)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (174ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687104

感想・レビュー・書評

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  • 新潟県にあった黒川村のお話。
    黒川村は2005年に中条町と合併して現在は胎内市となっている。
    黒川村には31歳で当選して以来、12期48年間村長を勤めた伊藤孝二郎という男がいた。
    高度経済成長期、都市化が進み農村が衰退していく中で、伊藤村長は、国から補助金を引っ張り、村に仕事を作り、観光客を呼び寄せ、村を守り抜いた。時代を知り、人情の機微に通じ、本質を見抜き、夢を描き、実行するその経営手腕は、簡単には真似できない卓越した能力である。
    しかし、その能力はおそらく天性のものではない。伊藤村長は、3時まで勉強して6時に起きるような、馬力の持ち主でもあった。
    かつては、中条町で天然ガスが発見されて大企業が進出し、潤っていくのを、羨望の眼差しで眺めていた。
    黒川村には雪しかない。では、スキー場を作ろう。全ては村役場職員の手作りのスキー場から始まった。
    時代も良かった。高度経済成長期で、観光客が集まった。補助金も引っ張れた。
    しかし、それを可能にしたのは、村長を筆頭にした試行錯誤の努力であった。なぜなら、同じ条件で同じようなことができずに衰退した村がたくさんあるからだ。
    したがって、本書は一人のカリスマ的村長がいれば、ここまでできるという成功例である。
    では、いまの時代はどうか。時代が違う。人々が求めているものが違う。その通りだが、伊藤村長が示したのは、どんな波も引き受けて、知恵を絞り、ビジョンを描き、実行することの大切さではなかったか。本気になって阿修羅のように戦えば、どんな状況でも活路が見出せる。その人間の可能性ではなかったか。

  • 新潟県黒川村のこと。
    戦後、高度成長期時代に男衆が出稼ぎに出ないでいられる村を目指し、災害にあっても復興するために村長を始めとする村人達がどのような努力をしたのか。
    村営で農業から畜産観光などいろんなことをやってたり、留学させたり。

    吸収合併をした結果、胎内市は今どうなっているのか気になるほどに面白い話だった。

  • 典型的な過疎の村、黒川村を生き長らえさせた話。
    というか、半ばはそれを牽引した伊藤孝二郎の話。
    この男、31歳から79歳までの間、村長職を半世紀近く12期も務めたというから驚きである。

    高度経済成長というと、未体験の身としては日本全国が盛り上がって気楽にどんどん発展していったという印象があるが、地方から見ると侵略を受けたということに他ならなかった、ということがよく分かる。
    絶対強者の侵略に、弱者はいかに殺されずに生き延びるか。
    もしかしたらこれは戦略書かもしれない。

    農業や出稼ぎじゃ持たないから、様々な施設を村で作って雇用や観光を生む。
    だが、それには金がいるから採算を考える、補助金を貰えるようなストーリーを作る。
    案外国の方にも味方はいるから、ちゃんと道理を通せば何とかなる(尤も、パイプ作りにも余念が無い)。

    本気で取り組めば出来るんだぞ、というのを体現している村であった。
    そう、過去形だ。

  • 20140810読了

  • 日本にも、こんな村があったんだと思わせてくれた1冊。同じ集中豪雨で同じ災害が起こらないように「改良復旧」させること、補助金制度を活用するための地道な努力やポイント、村役場の人たちの留学制度、これから中山間地域で取り組むべきモデルをやってみての経験知がたくさん詰まっている本だと思う。なぜ、先進的な取り組みをしている地域が国内にも外を見ればあるのに、困っている地域が出てきてしまうんだろう。もっと多くの人に知られていい地域だと思うし、奥多摩でも活かせそうなアイデアもありそうだと思いました。すでに村はなくなり胎内市となっているとのことだけど、一度、訪ねてみようかな。

  • 知的改革の走り

  • 勉強になりました。

  • 『奇跡を起こした村の話』
     この本では、黒川村という新潟県の北東部、山形県と接する山間に位置する村の、復旧から復興、発展、そしてゆるやかな衰退を示唆する物語について描かれている。この本から受け取った強いメッセージは「希望を捨てずに頑張ろう」だった。
     黒川村は毎年豪雪に見舞われ、土地に雇用が無く、町のところどころのインフラも壊れ、税金滞納者が続出し、農業ができなくなる冬には都市部に男が出稼ぎに行かなくては家族が食っていけなくなるような、経済的にも環境的にも厳しい状況が続く村であった。1955年、朝鮮特需によって国の貿易高が潤う中、黒川村の村長が病死し、伊藤孝二郎という農業専門高等学在学中に中国出兵を経験した男性が、31歳という若さで村長になることが決まった。ここからこの村の奇跡は始まる。
     まず村長は"共同、協同、協働"を理念に規模の大きな田園を村内に開発し、村の若者の雇用を生み出そうとする。そのころ畑は各農家が所有し、そこを継ぐのは長男が主であった。そのため長男以外の男児の雇用確保が大きな問題となっていたからだ。またその頃、農家が共同で一つの村で農業を行う、というスタイルも新しかった。さらに村長は1950年代に設立された農林省の外郭団体の研修制度を積極的に使用し、村の農業者を積極的に海外に派遣し、そこで学ばせ、村に戻ってきてから村の職員に起用し働かせるという手法を積極的に使用した。農業者を海外に派遣する目的は「知識の取得」よりもどちらかというと「精神的な成長」であった。そのほかにも農耕だけではなく牧畜を始めたり、山の木を切り倒し、簡易なリフトを役場の職員が作り小さなスキー場を開始したりと、村の中に様々なものが生まれ、村が少しずつ活気付いていく。
     そんな中、悲劇が村を襲う。四一水害と四二水害である。この2つの水害によって村は壊滅的なダメージを被る。村の数十人の人が亡くなったこの被害から、村は「前の村より良い状態」を目指し、復旧・復興に取り組む。この水害から物語りは加速する。その後も村長を中心に村の中に様々なものが創られていく。ニジマスの池や宿泊施設、レストラン、チーズやハムの製造所、手打ちそば処、ヨーグルト工場、ドイツの本格ビール園など。減反政策や海外からの輸入品、工業化による集団就職という名の若者の都市部への強奪が村を襲うが、村はそれらに対抗し様々な政策を実現していく。これらの政策は全て国の補助金や制度、全国規模のイベント誘致を村の職員が巧みに利用して資金を調達する。調達した資金は政策の実現に当てられるのだが、その担い手は村長によって海外に派遣され精神的に鍛えられた職員に無茶振りされる。職員は暗中模索で進めていく。政策は一つ一つが村にとって初めてなものばかりで、それぞれの政策で多くのトラブルが発生するが、任された職員は一つ一つ解決しながら、笑いながら前に進んでいく。
     海外に派遣された職員の一人に伊藤和彦という男性がいる。彼はこう述べる。「27歳なんて、ほかの自治他や企業では、また一人前に扱われていないじゃないですか。悪く言えば、ヒヨッコ扱いでしょ。だけど、この村では六億円、七億円を、ポンッとその27歳の2人に全部あずけて、『さぁ、あとはちゃんとやれよ』と任せちゃう。任されたほうも、何とか頑張って、やっちゃうんですよ。このへんが黒川村の強みなのかな、という気がする。」こういうところに小さな自治体の魅力はあると思う。このように村長が絵を描き、若い職員が大きな政策を任されていく。政策が形になるたびに雇用が生まれていく。そうやって伊藤村政は48年間続く。戦後最長の地方自治体政権である。
     この頃、他の自治体はどうなっていたか。『自治体クライシス』によれば、1980-1990は国がリゾート法を制定し、リゾート開発の補助金を自治体にばら撒き始めた。日本の経済成長を支えるための国の政策であった。各自治体は民間企業との合弁組織である第3セクターを用いてリゾート開発を進めたが、結局国の経済状況の悪化やリゾートの乱立、それに加え自治体という"破産"することができない組織という性質や損失補償契約という借金の一括返済が求められる金融機関との契約等により、各自治体の借金はどんどん大きくなっていっていた。北海道の夕張市や青森県の大鰐町などがその例だ。そのような中、黒川村は2002年になっても十分な観光客を確保していた。2003年ごろになると、日本全体の経済が冷え込み、観光客が1990年代の他の自治体と同じように、急激に減り始めたが、観光客が減少しても地産地消による町内の循環により他の自治体のように急激な衰退はしなかったようだ。この点も黒川村のすごいところだと感じた。
     しかし伊藤村長が亡くなった後、日本の経済状況の悪化はさらに激しくなり、若者の雇用形態も変化した。農業が衰退していく中で、ついに2005年、黒川村は他の村と合併し、胎内市になる。
     この本には自然災害や高度経済成長、経済状況の悪化、国内の雇用形態の変化の中を村役場の職員が二人三脚で必死に乗り切ろうとした生き様が記されていた。いくら頑張ってもできないことはあるが、諦めなければなんとか苦しい状況は乗り越えられる。そのようなことをこの本から教えてもらった。最後に伊藤村長の印象に残ったフレーズを載せる。


    "上に立つ者は、それにふさわしい義務を果たさなければならない。人よりも先に憂え、人よりも後で楽しむ者であるべきだ。"-伊藤孝二郎

  • 豪雪、大水害、過疎という苦境を乗り越え、農業と観光が
    一体化した元気な姿に生まれ変わった黒川村。小さな町や村
    が生き残るための知恵を教えてくれる一冊。

    かつて新潟県に黒川村という村があった。現在は、合併によ
    り消滅してしまったが、連続12期48年村長を勤めた、
    伊藤孝二郎の剛腕により、産業を起こし活性化したという。
    国や県から補助金を得て施設を作るということは、何処でも
    やっている。伊藤が違うのは、徹底的に本物にこだわったと
    ころである。

    ホテル、スキー場、農産物加工施設等は全て村営。役場職員
    を1年間、ヨーロッパに派遣し研修させる。人材育成に費用
    を惜しまない。
    本場に学んだ、ソーセージやヨーグルト、チーズ、ビールを
    作る。地元の農産物を使い地産地消する。余剰を村外に売る
    という考え方なので、需要が安定している。
    施設を相互にリンクさせることで相乗効果を高めるという。

    県内でも、とある村では、名物村長が、農林業で活性化させ
    るとして、指導力を発揮し、補助金を使い村の主要産業とし
    ていた。懐具合はわからないが、傍目には効果をあげている
    ようにみえる。
    となり村でも、補助金を使い施設を整備していたが、あまり
    効果を上げていないようにみえる。
    首長の力量が如実に表れるのが、怖いところである。

    本書は、公務員必読の一冊であろう。特に役場職員に読んで
    欲しい。
    本書を読んで、黒川村に行ってみたくなりました。

  • 新潟県の山間部にある黒川村(現、胎内市)が、貧困と過疎と豪雪や自然災害を乗り越えてきた歴史。寒村が高度経済成長に飲み込まれてしまう危機感を、様々なアイデアと行動力で乗り越え、観光と農業が両立した活力ある村に進化させた村長と職員たち一人一人の臨場感ある証言が綴られている。事業の企画、補助金(出資)の工面、人材の育成....本書を読むと、この村が一つの企業、しかも、とびきりベンチャーな企業に見えてくる。この成功譚は、バブルの幸運もあっただろうが、起業を目指す人には、参考になるだろう。残念ながら、起業した村長は世を去り、2代目CEOの下で、平成の大合併を迎えたようだが、この地の未来は興味深い。

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著者プロフィール

1948 年長野県生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学時代にベトナム反戦運動「ベ平連」に参加。1985 年の日本航空123 便墜落事故を取材した『墜落の夏 日航123 便事故全記録-』(新潮社)で第9 回講談社ノンフィクション賞を受賞。2017 ~ 2021 年まで日本ペンクラブ会長を務める。主な著書に『M/ 世界の、憂鬱な先端』( 文藝春秋) 、『奇跡を起こした村のはなし』( ちくま書房)、『散るアメリカ』( 中央公論社) ほか多数。

「2022年 『手塚マンガで学ぶ 憲法・環境・共生 全3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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