人生はゲームなのだろうか? ――〈答えのなさそうな問題〉に答える哲学 (ちくまプリマー新書)
- 筑摩書房 (2022年2月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480684202
作品紹介・あらすじ
読書猿さん推薦! ルールも目的もはっきりしないこの「人生」を生き抜くために、思考の「根拠」や「理由」をひとつひとつ自分で掴みとる練習を始めよう。
感想・レビュー・書評
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哲学とはそもそも何か。
思想家の考え方を学び、分類するのが哲学ではない。哲学とは、自分で考え「続ける」ことなのだ。
その題材として、取り上げられているのが、「人生とはゲームか?」というものであり、本書では、そのテーマに対して、一冊まるごと取り組む、という意味で面白い。
では、「人生はゲームなのか」と問われたときに、まずは単語を分解しなければならない。
私たちは、普段、言葉を無意識のうちに使っているけれども、こうした命題に対しては、そもそもの定義が曖昧だと、それに対する答えというものは大きく変わってしまう。ゲームがいわゆる「テレビゲーム」なのか、それともスポーツで言うところの「ゲーム」なのか。
そうした、言葉の意味を捉え直してみるというプロセスから、それが正しいのかどうかを展開、判断していく。
今ここで書いたのは、哲学することの序盤であり、この本では深く深く丁寧に進められていく。
考えることは、非常に難しい。「ちゃんと考えました」というのは、実は何も考えてないのかもしれない。丁寧に捉えたつもりでも、掬い上げた両手からこぼれるものは多い。
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)』 の考え方に近いが、知っている「つもり」になっているものは自分が思っている以上に多いのかもしれない。
良いか悪いかは別として、意味を考えることもなく素通りできる、もしくはできてしまう毎日に、考える習慣を身につける。
そんなきっかけを持つための一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「人生はゲームか?」をテーマに、一冊を通して考察を重ねていく。哲学・倫理学を専門とする著者によるもので、大学の講義における学生とのやり取りが原型となっているようだ。約230ページで、体感的なボリュームとしては短い。若者にとっての読まれやすさを意識し、かなり砕けた語り口調で一貫している。哲学といっても著名な哲学者の名前や概念はほとんど登場しない。一つのテーマを通して、哲学の基本的な探求のアプローチを読み手に体験させることを旨としている。
タイトルにある問いかけへの回答そのものは、実は全4パートのうちのパート1の時点で、ゲームの重要な二つの定義とあわせて結論が導き出される。回答そのものも、本書を読むまでもなく想像がつく程度の至って普通なものといえる。しかし、そもそも答えだけを得ることにあまり意味がなく、その理由や過程を知ることこそが重要だとする、本書の大前提となる著者の方針があるため、ここから派生するパート2以降の考察にも大きな意義があるということになる。
本書では「人生はゲームか?」という問いを考えるために、「ゲームとは何か?」と「人生とは何か?」について様々な例を俎上にあげて考察を重ねていき、概ねそれぞれの問いに前半と後半が対応する形になる。前述の通り、結論そのものはパート1で提示されており、起承転結のストーリー的な展開ではなく、ひとつのテーマに対して円状に話題が拡がっていくようなイメージの構成となっている。また、各章末などに「練習問題」や「コラム」も挿入される。
全体を通しての感想としては、検討の対象となる例をいくつも提示しながらも、結局は似たような話に終始してしまうことが多く、相当に薄く引き伸ばして一冊の本に仕上げたという印象が否めない。いくら若者向けの入門的なコンセプトの新書とはいえ、少し度が過ぎているように感じる。もう一点、本書タイトルのような問いかけで、現代の若者を読者対象にしているとあれば、狭義のデジタル・ゲームがイメージされやすいことは想定のうえだと思うのだが(帯文からもそのことが窺える)、本書の定義する"ゲーム"はスポーツも含む広義であり、とくにデジタル・ゲームに特化した考察を期待した読み手に不満を抱かせるおそれがある。
巻末には本書のテーマやアプローチに関連のある図書についての読書案内が収められている。他の著書でもたびたび目にした、『ホモ・ルーデンス』と『遊びと人間』が気になる。 -
「人生はゲーム」というフレーズは、自分にとっては「スローなブギにしてくれ」が最も印象的かな。そしてなかなか印象的なフレーズだ。本当にそうなのかなという意味でも。
そんな積年のほわっとした疑問の答えを求めてこの本を読んでみた。何となく「人生はゲームなのだろうか」という命題について考えを巡らせていく感じかと思いきや、サクッと哲学的な理屈でわりと前半で「ゲームじゃない」ってことになっちゃう。ゲームの条件は「ルールやマニュアル」と「目的、終わり」という必須条件があるけど、人生はそれを満たさない……らしい。……というか、このへんあまりよくわからないまま読んでしまった気がする(読めたことになってないけど)。
そして、そもそも「人生はゲーム」だと思う人にとってはゲームだし、そう思わない人にとってはゲームじゃないんじゃないの。それでいいんじゃないのとも思った。
ちくまプリマー新書のテイストなのか、難し気なテーマをおしゃべりのようにへんなのりツッコミとか入れながら進んでいくのが何だか鼻についちゃう。先生だけが面白いと悦に入りながらスベってる授業を聞いてるみたい。 -
副題は「<答えのなさそうな問題>に答える哲学」。実は生まれて初めて読んだ「人生について考える本」。読書会で紹介された本ですが、面白く読めました。
本書はまず「人生はゲームか」という問題を読者に提示します。この問題を考えるためには「そもそもゲームとは何か」が問題になり、ゲームの中身を考えます。で、ゲームが成立するためには①ルールやマニュアル②目的や終わりという必須条件が必要。①は当てはまりそうだけど、人間が生まれたときから、何かのために生きるかが決められているとは思えないので、②は当てはまりそうにない。以上より「人生はゲームとはいえない」というのが結論。
上記結論は本書の5分の1のあたりで説明されますが、そんな単純なものではありません。例えば、人生には死という終わりがあるので②が当てはまるかもしれない。ゲームには遊びの要素、それとリセットできるが、人生にはあるのか?さらには料理や戦争はゲームなのか?
本書の目的は「テーマを決めて、自分たちで答えを出してみよう」というもの。230ページ以上の本書の中で「ああでもない、こうでもない」と色々な考え方が中途半端に披露されます。「そんなことは初めから知っている」というのは本当に知っていることにならないというのを気づかせてくれる本。楽しく読める哲学の本でした。 -
面白すぎて一気読みしてしまった。
「人生はゲームなのか?」という問いをうけて、「そもそもゲームとはなにか?」を考え、それをもとにしながら「人生はなにか?」を考える。
論証の手続きをひとつひとつ分かりやすく追って解説してくれているので、非常に読みやすかったです。
哲学は結論だけでなく、その根拠や前提、結論に至るプロセスに意義があると、改めて感じました。
人生はゲームなのだろうか? ――〈答えのなさそうな問題〉に答える哲学 (ちくまプリマー新書) https://amzn.asia/d/5HBOYe9 -
本書は「人生はゲームなのか」という問いからスタートする哲学実践の書でありながら、同時に、ゲームについての哲学的に論じた哲学書でもある。ちくまプリマ―新書であることもあり前者に焦点が当てられがちであるが、バーナード・スーツ『キリギリスの哲学:ゲームプレイと理想の人生』( https://amzn.to/3waLStV )に続く、日本語で読めるゲームについての哲学書としてこのような入門書が世に出たことの意味は大きい。
松永伸司(2020)『メディア・芸術マッピング ゲーム研究の手引きⅡ』( game_guidance.pdf )に示されているとおり、日本のゲーム研究は、プロダクトの生産と直接に結び付くような工学的なものが多く、人文学的な発想のゲーム研究は限られている。それゆえ、人文学的な発想でゲーム研究を行おうとする場合、欧米の「ゲーム・スタディーズ」の成果の邦訳を参照することになる。哲学的な研究であれば、バーナード・スーツ『キリギリスの哲学』か、イェスパー・ユール『ハーフリアル』(
https://www.newgamesorder.jp/games/half-real )ということになるだろう。いずれも、ゲーム開発者や工学をベースにしたゲーム研究者が読むにはそれなりにハードルがあり、そうであるがゆえに、哲学的な議論を共有しながら、教育や社会への応用について議論をしたり、具体的なプロダクトの開発、ゲームデザインの開発に結び付けた議論を行うことに限界があったのではないか、と思うところがある。
本書が、ちくまプリマ―新書という、誰もが気軽に読める新書シリーズによって出版されたことで、たとえば「ゲームとは何か」というもっとも基本的な定義をめぐる問いを議論し、それをもとに「ゲーミファイ」とは何か、何を行うことなのかを考察していくことも可能になるし、「ゲームの現実世界への応用」について(単なる工学的な実現可能性を超えて)倫理的な議論を行っていくことも可能になるのではないか -
前準備の説明を終えた中盤あたりから面白くなってきます
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これまでの著者の作風と同様、「哲学を学ぶ」のではなく、自分たちで「哲学する」ために、「人生はゲームといえるか?」という命題について著者とともに考えていくという作品です。
一つずつ丁寧に思考を重ねていき、後半になるほど、人生について深い考察を展開していくことになります。
宗教、マネーゲーム、教育、恋愛なども考察対象に取り上げながら、それらと関連させて多角的に人生の本質に迫っていく流れは巧みです。
高校生や大学生には是非一度読んでほしいですし、生きていることに息苦しさや窮屈さを感じている社会人にも読んでみてほしいですね。 -
『人生はゲームなのだろうか?』
著者 平尾昌宏
ちくまプリマー新書 2022年
結論だけを知ってもしょうがないことがあると知ったのはいつからだろうか。学問を学んでいったり、仕事の実務を覚えていったり、または人として大切なことを会得していったり。そのような中で、結論や答えを教えてもらっても、納得できなかったり、納得はできても、ただの知識で終わり、そのままということもある。
いろんなことを知っていく中で、結論だけを知っても意味がない。過程をしることで改めて見えてくるものがある。そんなことを教えてくれるのが、本書である。
この本では、上記の通り、結論だけを知っても意味がない。それはこの本の副題「<答えのなさそうな問題>に答える哲学」が雄弁に物語っている。
この本は著者が1人で答えを導くような、そんな感じの本ではない。この本では、読者とともに考えるということを視野に入れている。テーマを決めて、自分たちで答えを出す。著者はそう書いている。もちろん、本という媒体上、限界はあるが、読んでみれば、「この本は確かに、結論だけを知ってもしょうがない」と思えるはずだ。
読者と考えていくとはどういうことなのか?ここで、本書のタイトルをみてみると『人生はゲームなのだろうか?』である。つまり、人生がゲームであるかどうかを読者と考えるということである。この本では考える過程を示し、それに読者が呼応するような形で、進んでいく。少し引用しよう。
ゲームとは何か。言い換えると、「ゲームの本質」と言ってもいいです。あるいは、「ゲームの概念」と呼ぶこともできます。「概念」というのは、英語だとコンセプト、ドイツ語だとペグリフと言いますが、これは両方とも「掴む」という意味の動詞からできた言葉です。ゲームならゲームってものを、どう捉えるか、どう掴まえるか、捕まえた内容が概念。
(中略)
だから、「ゲームが成り立つための必須の条件」を考える。こっちの方がやりやすいでしょう。
このような考え方を本書では採用し、この論を進めていくことで、人生がゲームであるのかどうか、はたまた人生以外でも、戦争や受験、宗教などの事柄がゲームであるかどうかを判断していく。
本書はいわゆる哲学的思考を身につけるための本である。このような本は幾百とあるが、この本が他の本と違うところは著者の親しみやすい文章と思考の根拠や理由をはっきりと示しながら尚且つそれを読者自身にも考えさせやすいように、著者自身の考えがわかりやすいようにしてあるところだと思う。
最後に、印象に残った箇所を引用する。
たぶんですけど、「もっと深く、もっと突っ込んで」という面を見ると、「やっぱり哲学って答えがないんだな」と思ってしまう人もいるだろうと思います。だけど、そうじゃなくて、例えば、「人生はゲームか」については一定の答えが出せたわけです。ただ、たとえ答えが出せたとしても、その上で、「もっと先まで、もっと広く」、あるいは、「もっと深く、もっと突っ込んで」っていうのも可能だってことです。それは「答えがない」というのとは全く違ってて、言うんだったら「哲学には終わりがない」と言った方がいい。区切り区切りで、一定の答えを出すことはできる。だけど、それをさらに広げたり、掘り下げることもできる。そう言う意味では、終わりがない、いつまでも続けられる(楽しい!)。