一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》 (ちくまプリマー新書)
- 筑摩書房 (2020年2月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480683694
作品紹介・あらすじ
名画ながら謎の多い《聖マタイの召命》。この絵を様々な角度から丁寧に読み解いてみる。たった1枚の絵画からあふれて尽きぬ豊かなメッセージを受け取る。
感想・レビュー・書評
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芸術新潮(2020年8月号)を読んでカラヴァッジョの「マタイ問題」に興味を持ち、芋づる式に宮下規久朗氏の著書を今回2冊同時進行で読む。
本書はやはり価格上無理なのだろう、載っている絵画のほとんどがカラーではないので、この1冊だけではなく、やはりカラーの書籍も傍に必要。
また、ここへ至るまでの間に、やはり芸術新潮(2021年1月号)でキリスト教についての学びを挟んでおいて良かった。
(基本的なものだったけれども、そもそもその基本的なものを全く知らなかったので)
キリスト教やローマ神話やイコノロジーなるものについて少しは知っておかないと、ヨーロッパの絵画は理解できないし、逆に知っておけば絵画をより堪能できるのだなということを実感している今日この頃。
本書は非常に面白かった。
「マタイ問題」に関しては、諸説やその詳細を知らない段階でも、私は単純にマタイは左端の下を向いている男だと考える派。
髭の男の指先は「えっ?私ですか?」の指差しではなく、明らかに「こいつですか?」だと思うし、キリストの目線と指先も左端の男に向かっていると思う。
そして、私以上に全く何も知らない娘にも聞いてみた。
「この人がキリストで、右からやってきて、『そこのお前、来なさい』と呼び出しているんだけど、その相手はこの中の誰だと思う?」と。
娘もやはり左端の俯く男だと言う。
「(髭の)この人だって、指差してるし」と、そこも私と同じだった。
本書によると、著者は実は昔は髭の男派だったそうだし、イタリアでは当たり前のように髭の男がマタイだと思われていて「マタイ問題」すら無かったらしい。
しかし、本書で著者のわかりやすく詳しい説明により、他の絵も含めて、回心の寸前から次の瞬間何が起きるのかとか、光やら視線やら、本当に勉強になった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
題材になっとるのに誰がマタイなのか分からんの面白いでしょ。
こんだけ教えを読み取ってすごい作品ばっか描いてたのに本人はチンピラだったのどういう人生観だったんだろ。本人は召命は果たせたのかな。 -
723-M
閲覧新書 -
聖マタイの召命は、ローマに行ったら必ず観に行ってほしい絵です。教会の祭壇に向かって左手奥にあります。
初めて見たとき、胸を打たれて、暫く動けませんでした。
宮下さんの書かれた本を読みながら、またこの絵のことを思い出しています。
我が家には、ローマの教会で買ってきた、聖マタイの召命のポスターが、いつも壁に貼ってあります。
今回、この本を読んで、美術史から見ても、この絵は革新的な絵なのだということがわかりましたが、私はむしろ、著書のこの絵についての深い愛に、共感しました。
私自身、西洋美術が大好きで、好きな絵はたくさんあるのですが、この絵は生涯の一枚だと、信じています。
絵の中で、どの人物がマタイか、という問題があることを知り、逆に驚いています。
直感的に、左の若者以外、私の中ではありえなかったからです。
荒んだ心に射し込んだ一筋の光。
マタイが、自分が呼ばれたと確信し、迷わず立ち上がって、イエスについていく、その直前の場面です。
召命とは、と尋ねられたら。
この絵を見れば、この絵の中に、全てが込められていると、私は思います。
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分かりやすく書かれている。仕方ないが本文中引用の絵画はモノクロ小型なのでわかりにくい。都度、ネットで探して確認すべきだろう。
因みに私は昔からマタイは左の若者だと思って来た。 -
「聖マタイの召命」などカラヴァッジョの作品を深掘りしていく本。広く浅くの入門書よりも、こういう縦読みの本の方が面白いな。
16世期に宗教改革。プロテスタントは宗教美術も偶像崇拝であると否定。逆にカトリックは宗教美術を布教にも活用。新教国では教会や修道院の像や絵画が破壊され、教会や宮廷からの宗教画の依頼が激減。オランダでは資産階級の市民が絵画を愛好して積極的に収集し、彼らの好みに応じた肖像画・風俗画・風景画・静物画といった現実的で平易な世俗的ジャンルが人気を博す。
カラヴァッジョは光を描くのが上手。その流れを組むのがカラヴァッジェスキ。カラヴァッジョは光源を画には描かない。設置する場所の環境を巧妙に考えた。カラヴァッジェスキは画の中に描くことが多い。その方が薄暗いところでも効果を発揮する。