なぜ人と人は支え合うのか (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
4.29
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本棚登録 : 525
感想 : 52
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480683434

作品紹介・あらすじ

『こんな夜更けにバナナかよ』から15年、渡辺一史最新刊!



ほんとうに障害者はいなくなった方がいいですか?



今日、インターネット上に渦巻く次のような「問い」にあなたならどう答えますか?

「障害者って、生きてる価値はあるんでしょうか?」

「なんで税金を重くしてまで、障害者や老人を助けなくてはいけないのですか?」

「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間社会では弱者を救おうとするのですか?」



気鋭のノンフィクションライターが、豊富な取材経験をもとにキレイゴトではない「答え」を真摯に探究!
あらためて障害や福祉の意味を問い直す。



障害者について考えることは、健常者について考えることであり、同時に、自分自身について考えることでもある。2016年に相模原市で起きた障害者殺傷事件などを通して、人と社会、人と人のあり方を根底から見つめ直す。

感想・レビュー・書評

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  • 筆者の渡辺一史さんは、「こんな夜更けにバナナかよ」の作者である。「こんな夜更けにバナナかよ」は、筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんと、彼が亡くなるまで、彼の介護者として関わった多くのボランティアの物語だ。私は、つい先月に読み、大いに心を動かされた本だ。
    「こんな夜更けにバナナかよ」は2003年の発行。本書「なぜ人と人は支え合うのか」は、2018年の発行であり、"バナナ"から15年間が経過している。本書を書いた理由を、渡辺さんは、「それから15年の歳月が流れ、あらためて当時の体験を、もっと広い視野でとらえ返してみたいと思って取り組んだのが本書です。」という説明をしている。
    第1章は、神奈川県相模原市で起きた「やまゆり園障害者殺傷事件」を取り上げ、植松被告の主張を実際の障害者の例をひきながら、丁寧に考察している。
    第2章は、上記の鹿野さんおよび鹿野さんボランティアの人たちとの出会いを振り返っている。
    第3章では、「"障害者が生きやすい社会"は誰のトクか?」と題して、障害者福祉の進展の歴史をさかのぼっている。
    第4章では、障害者の表記の問題、「障害者」なのか「障がい者」なのか「障碍者」なのか、ということを、これも丁寧に検討している。
    第5章は、総括として「なぜ人と人は支え合うのか」ということについての渡辺さんの現時点での考えが述べられている。それは、支え合うことによって(というか、もう少しシンプルに触れ合うことによって)、人は、また、人と人との関係は変り得るし、成長し合えるからということだと理解した。

    渡辺さんは寡作の作家だ。
    私の知っている渡辺さんの著作は、「こんな夜更けにバナナかよ」の後は、「北の無人駅から」と本書「人と人はなぜ支え合うのか」だけである。"バナナ"が2003年の発行なので、約20年間に3冊である。書いておられるものを読むと、決して多作にはなれない作家ということは分かるが、もう少し書いて欲しいな。

  • 素晴らしい新書だった。いろんな人に配りたい。
    障害者の話?と倦厭している人にも「人間のコミュニケーションの話だよ」と強くすすめたい。

    福祉とか介護とかの話題には、なぜか偽善的な思い込みがつきまとう。しかし、なぜそう思うのか? なぜ私たちは(本音は)障害者を避けようとしてしまう、あるいは深く考えまいとしてしまうのか?
    著者はそんな「普通」の感覚にひとつひとつ向き合い、障害者のリアルを紹介していく。そして、「障害」は障害者自身にあると考えるのではなく、それを受け入れる能力のない社会にこそあるのかもしれない、という考え方があることを鮮やかに教えてくれる。

    「障害者は高齢社会の水先案内人」など、社会が障害者と向き合い制度を改善していくことのメリットも多く書かれている。
    具体的で豊富なエピソード、データに基づく客観的な意見など、とても建設的な内容となっているのも素晴らしい。そしてまさに「出会いによって人生が変わる」ことが描かれており、読み物としても大変胸が熱くなる本だった。

  • 福祉が芽生える瞬間とは、思わず誰かを支えたいと思って行動してしまう時のことだ。
    つまり福祉の定義は「誰かを支えようとした行動」と言い換えることができる。

    1章には2020年3月末に死刑判決を受けたやまゆり園事件の植松死刑囚の話が出てくる。
    意思疎通のできない人間は「人間」ではない。だから殺した、という植松死刑囚の主張はメディアでも連日取り上げられた。
    高い生産性を発揮する人間にこそ価値があるという近代資本主義の考え方に染まっていると、この主張にすぐさま反論することは難しいと思う。自分もそうだった。

    だが、この本を通じて、
    ・障碍者の存在理由は?
    ・なぜ障碍者に手を差し伸べるべきなのか?
    ・障碍者の存在が社会をよりよくした事実
    ・障害を通じて考える本当の「自立」とは
    ・他者を支えることで感じる生きがい
    ・サービスを仕組化(サービス提供者と対価を支払う人の関係)することによる当事者同士の思いやりや本音でのぶつかり合いの欠落
    ・多様性を認め、気が付かなかった価値を発見しようとする姿勢
    などと今まで考えてこなかったことを考えさせられた。

    良い本だった。

  • 「こんな夜更けにバナナかよ」の作者だとは知らずに手に取りました。そもそも前述の作品読んでいないのですが。
    「こんな夜更けにバナナかよ」のモデルになった男性は既にお亡くなりになっていますが、言いたいことを言い、したいことをするという強烈な人物であったそうです。
    介助される側が一方的に恐縮するのではない関係性というのは想像もしなかったし、想像できなかった自分はやはり介助される側は恐縮するべきと思っていたのかもしれません。
    読んでいると後ろめたい気持ちになってくる本でもあります。

    障害者の皆さんが戦って得た、介護、介助、バリアフリーを我々が高齢者になったときにもその恩恵を享受出来るという話には、まさにその通りだなあと思いました。
    わずか10数年前には駅で車いすを何人もの有志で運んでいましたね。危険だし、運ばれる方の精神的苦痛もありますし。今は小さな駅にもエレベータが必ずありますから、僕らも旅行に行くときには当然のように使います。本当にありがたいです。

    この本の中で「障害者は必要無いのか」という事を何度も何度も問いかけています。記憶に新しい、相模原のやまゆり園での大量殺人が日本中に投げかけた、障害者への意識というものを忘れないように自分の中に問いかけていく事が必要だと思います。
    僕の祖母もまた殆ど動けない障害者として長い年月を過ごしていました。しかし、友人も多く、進んで手助けしてくれる人も非常に多かったので、実り豊かな人生だったと思います。人に色々な事を分け与えていて、一方的に介護されるだけの人生ではなかったことは確かです。

  • 映画の『こんな夜更けにバナナかよ』の作者が書いた本。
    相模原の事件犯人に反論することも含めて、障害者の価値
    についても書かれてある評論。
    とても有意義な内容だと思います。常々私自信も
    障害者は、社会のリトマス試験紙というか、生きづらさに
    悩む人たちに対する対応は、社会全員に有意義な対応になり
    得ると思っています。
    こういう考えというか、感じ方ができる人や社会が
    作られていけば、本当にいいなあと思います。
    皆さんに読んでほしいと思います。

  • 筋ジストロフィーを患った重度の身体障害者と彼を支えるボランティアの生活を描いた『こんな夜更けにバナナかよ』で2003年にノンフィクション作家としてデビューした著者の3作目(20年弱に渡る活動の中で著者が3作しかないというのも凄いが、それは著者の過去2作がどれだけ凄い作品であるかということの証明でもある)。

    大泉洋の主演による2018年の映画化を受けて、改めて障害者について考えたいという著者の思いをベースに、2016年に発生した相模原での障害者施設の大量殺人事件で犯人が問うた「障害者の存在価値とは何か?(価値など存在しないのではないか?)」という命題が考え抜かれている。

    本書の最終章ではこの命題に対するあざやかな回答として、「価値がないと考える人には、価値を見出す能力がないだけではないか」という考え方が示される。我々は単なる地形の隆起に過ぎない富士山に対して、勝手に価値を見出している。自然現象に限らず、芸術もその典型例であろう。価値とは先験的に存在するものではなく、それを解釈して見出す側がいて初めて存在する。物事から価値を見出すというのは人間存在における重要な思考の役割の1つであり、価値を見出せないのならば、自らの思考の浅はかさを呪った方が良いということだろう。

    いたずらに結論を急ぐことなく、『こんな夜更けにバナナかよ』以降に著者が考え続けてきたことが、ゆっくりとした筆で語られることで、こちらの内面にも著者の思考が浸透してくる良書。

  • 「こんな夜更けにバナナかよ」の著者による一冊。相模原の事件を冒頭に、障害者たちがどう生きているか、またどう自立生活を文字通り『勝ち取って』いったか、さらにはその制度に甘んじてしまういまの障害者/介助者世代への危機感も書かれている。わたしは自分がASD・うつ病のふたつの障害を持っており、(運良く)自活していることもあって、読みながら「この人は何をいいたいんだ?」とまだるっこしく思うこともあったが(本書に描かれる人たちはほとんどが身体の障害者、というのもあったかもしれない)、振り返ると、人と人との付き合いというものについて、丁寧に論を運んでいた感じがあった。
    ニーズがないと「居ない」と思われる。それがいちばん刺さった文言だった。……ただ、それとはまたべつに、守られていなくても、あるいはたとえ「守られていて」いるとされる範疇にあっても、ひと/自分が閉塞感を感じたときそれを打破しようとすることを妨げない/られないことが全体に必要であり、また、実際の付き合いを大切にしていくことの重要性もひしひしと感じた。

  • 誰かを支えることで支えれている。何で承認欲求を満たしているのか、自覚しておく。

    弱者の枠から出たら、バッシングされる。あわれみの福祉観の根底は、障害はないほうがいいものという考え方。

    誰かに助けてもらうことは自立を妨げない。助けてもらいながら、自分で決めたことをしようとする。何がしたいか自分で決めるのが自立。

    価値があるかないかではなく、価値を見いだせる人かどうか。価値がない=自分には価値を見出す能力がない。

  • 『こんな夜更けにバナナかよ』の渡辺一史さんの著書。3章までは夜バナにもあった記載の要約的な側面も強いが、相模原の事件を踏まえて書かれているし4章障害・障がい表記問題や5章の海老原さんの話は面白かった。

    何よりこの本がちくまプリマーにあることが大切な本。

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著者プロフィール

ノンフィクションライター。1968年、名古屋市生まれ。中学・高校、浪人時代を大阪府豊中市で過ごす。北海道大学文学部を中退後、北海道を拠点に活動するフリーライターとなる。2003年、札幌で自立生活を送る重度身体障害者とボランティアの交流を描いた『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社、後に文春文庫)を刊行し、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2011年、2冊目の著書『北の無人駅から』(北海道新聞社)を刊行し、サントリー学芸賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、地方出版文化功労賞などを受賞。札幌市在住。

「2018年 『なぜ人と人は支え合うのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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