- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480439390
作品紹介・あらすじ
「ひとりだから、できること」ひとりになるのが怖い写真家と、子どもが生まれた小説家による10往復の手紙のやりとり。自主制作本を文庫化。
感想・レビュー・書評
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宝物がめでたく文庫になった!!!!
なんつうか大人になっても迷いも揺れもなくならなくて、むしろ増えるばかりで、ままならね〜〜と思うことばかりやけど、そうやって迷うことが必要と思えるやりとり。生活の話からシームレスに社会や制度の話になって、本来大きな壁はない地続きのものやから私もそういう風に思考して会話していきたい。
全然知らん人にも無責任になんとかやっててほしいと祈ろう。好きな人は積極的になんとかやるためにと働きかけよう。みんなそれぞれなんとかやってこう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
挨拶や相手への気遣いが手紙らしく読むたび心が柔らぐ。約3年間2人が交わした言葉は飾り気がなく、素直で、すっと自分に溶け込んでくるのを感じた。そして、滝口さんの娘の成長が垣間見えるたび目頭が熱くなった。
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本人たちもそのこと自体に言及しているからあれなのだけれど、それでもなお世間に公開することを前提とした往復書簡の、相手に向けているようでいてひろく他者に読まれることを意識した文章の、ちらちらとこちらをうかがうような視線、作りものなのに作りものでないふうを装う態度に、恥ずかしさをおぼえてしまう。わかるよそうだよねえと思わされたり、家族とのことってみんなけっこう大変で、いやというか家族とのことに限らずみんなけっこう大変で、そんななかどうにかやっていってるんだねえと気づかされたり、読んでいて安心するようではあるのだけれど、同時になんかどこをとってもツイッターでバズりそう、みたいな感覚を抱いてしまうのは、そのあたりに所以があるのかもしれない。
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さびしいのに変わりはないが、ひとりでしか考えられないことやできないことはたくさんある。昔狂ったように滝口悠生と植本一子の本を読んでいた時期があった。あの頃から自分も著者たちもたくさんの時間を過ごして変わり続けてきた。再び再会!という感じがして嬉しかった。
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自分の土壌を耕しては取れた野菜をおすそ分けするようなやり取り。味わい深い。
子どもが生まれたばかりなので、子どもに関する箇所は特に興味深く、これから積み重ねていく時間が楽しみになった。 -
《さびしさについて一子さんが書いていたことを、ここ数日持ち歩くように考えていました。》(P72)
滝口さんの書簡の一文。本書の中でも格別好きなフレーズ。
この一文が表しているように、相手から手紙を受け取り、向こう側の考察、時には直接的な質問を数週間頭の中で転がして文字に認め、返事を送る。公開を念頭に置いた往復書簡ではあるものの、文章のベクトルは明らかに送り手一方向に向けられたもので、そして文章の背後には数週間にわたる書き手の時間の堆積があって、そうした言葉のやり取りってとても贅沢なものだなと羨ましく感じました。瞬時にSNSコメントやLINEテキストができる現代、なかなかできない言葉・思いの使い方です。
おふたりが書かれているように、書簡は小説やエッセイと違って「なぜそれを書くのか」「どう書くのか」がかっちり決まっていない文章。だからおふたりの考察が伸びやかで、着地点なく続いていく様がまさに“書き抜く”という表現そのものので、こうした柔らかな生の文章に触れることができるのは贅沢だな、ともう一度思います。ZINEを文庫にしてくださりありがとう。
そして、自分も誰かに長い手紙を書きたくなった。そんな一冊。
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全体の話をする滝口さんと、個人的な話をする一子さんの往復書簡。
相手からの手紙に返信するような形式めいた内容ではなく、お互いに交差する点がある様で、ない様な返事の書きた方がとても良かった。
個人的な悩みや苦しみは社会に繋がるものであると思うし、小さな点が全体を作っているものだから。 -
読みながら植本一子さんが「家族最後の日」の著者の方かな?と思い調べたら、そうでした。
気にはなっていたけど、レビューなどを読みながらヘビーな内容そうだなと思って手にとらなかったのですが、こんな形で植本一子さんの作品と出会うことになるとは驚きました。
滝口悠生さんも初めての作家さんでした。タイトルと帯に書かれていたことだけに惹かれて手に取りました。
植本さんから滝口さんへの「離ればなれになる道」でのお礼の連絡がないことからあんなことこんなこと悪い方に考えてしまうところや、植本さんが娘さんと出かける時になってどうしても嫌で泣き出してしまったところ、滝口さんから植本さんへの「子どもの性別」のところで娘さんの性別に「女」のところに勝手にマルをつけることへの心理的抵抗に共感しました。
私も同じように考えてしまったり、似たような経験があるなぁと思いました。
コロナ禍でのやり取りもあって、もうそんなに月日が経ったのかと時の流れの早さにも驚いてしまいました。