文明論之概略: 現代語訳 (ちくま文庫 ふ 44-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (407ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480430380

作品紹介・あらすじ

維新から間もない激動の時代に書かれた『文明論之概略』は、「人類の目指すべき最大の目的」としての文明の姿を鮮やかに描くと同時に、当時の日本が置かれた状況を冷徹に認識して、「自国の独立」の重要性を痛切に説く。物事の本質を見抜き、時代を的確に捉える知性。巧みな例示とリズミカルな文体。福澤諭吉の最高傑作にして近代日本を代表する重要著作が、いま現代語でよみがえる。

感想・レビュー・書評

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  • 名著。驚くほど発見がある。これが1800年代に書かれたとはとても信じられない。
    この本で指摘されているような課題感は現代日本にそのまま当てはまる。
    彼の思考が本質的だったと言うことと、日本人が本質的にはほぼ進歩していないと言うこと両方の意味がある。

    この本を読みながら驚いたのは、現代でも議論されそうな論点について簡潔に合理的に答えを出していること。
    ・論破しようとする議論は不毛で、合意を目指す以外の目的の議論は意味がない
    ・文明の段階を野蛮、半開、文明に分け、半開(日本)の定義は「文化はあるが改善を知らない。真似は得意だが工夫を知らない。合理性がない」
    ・徳と智恵のちがい
    など、

    その先進性と鋭い思考は本当に天才だと思う。

    日本人は大半が優秀だけど突出する人がいない、みたいなことを言われたりすることがあるが逆で、
    大半は愚鈍だか、たまに諭吉のような突出した人が現れる、そしてそう言う人に引き上げられることで日本は国体を保てており、大半の愚民はそれに流されるだけ。

    今の日本の理解のため、本質的な文明のあり方についての理解を深めるため、100回読むべき。

  • 齋藤孝先生の現代語訳。読み易い。
    明治維新という歴史の転換点における時代の捉え方は、現在の時勢を考える上でも参考になる処が多い。
    時代の転換点だからこそ、西洋事情も含めた全体的なところを押さえ、自らの現状認識を正しくし、合理的に物事を判断していく。
    物事の本質を捉える際のプロセスでもある。

    以下引用~
    ・文明とは結局、「人間の知性と徳性の進歩」と言ってよいのである。

    ・目的を定めて文明に進む。それしかない。
    では目的とは何か。内外の区別を明らかにして、わが国の独立を保つことである。そしてこの独立を保つ手段は、文明の他にはないのだ。いまの日本人を文明の道に進めるのは、我が国の独立を保つ、ただそれだけのためなのだ。したがって、国の独立は目的であり、国民の文明はそれを実現するための方法と言える。

    ・王政復古は、皇室の力によるものではない。皇室は国内の智力に名目を貸したようなものだ。廃藩置県は、政治家の英断ではない。政治家は国内の智力に使われてその働きを実施したようなものなのである。

    ・知恵は学ぶことによって進む。学んで進歩したものに退歩はない。徳は教え難く、また学びがたいし、あるいはそれぞれの心構えですぐに進歩したり退歩したりするのである。

  • 良い本すぎてビックリした。孟子など先に読んでおくと面白いと思う。福沢諭吉は生まれた時代、育った時代を考えると本当に頭がいいと感心させられます。

  • 最終章は、今でも通用する日本の課題。

  • 神道は現在の吉凶を言うもの。仏教は未来の災いや幸福を説くもの。
    文明は徳と知恵によって成り立つ。
    目的は独立で、手段としての文明。
    徳については西洋との差はなく、知恵において差があったのではないか。

  • 「百姓は市民のことを『軽薄だ』というし、市民は百姓を罵って『頑迷だ』という。その様子はまるで互いに片目を閉じてその美点を見ず見にくい点のみを見ているようなものだ。もし、その両目を開かせ、片目で相手の長所を見て、片目でその短所を見るようにすれば、長所短所の公平な観察ができて、その争いがやむばかりではなく、ついにはお互いを友とみなし、それぞれ益を得ることもあるだろう。」p27
    「世論を物事の基準とし、それから外れることがあれば、異端だとか妄説だとして、すべての議論をこの世論の枠内に押し込めようとする。こんな状態では、智者というのは国のためにいったい何をすればよいのか。」pp31
    「かつての異端妄説はいまの常識であり、昨日の奇説は今日普通に話されているのである。」pp32
    「」pp

  • 福沢諭吉の代表作『学問のすすめ』『福翁自伝』と並ぶ作品。この本は明治8年に書かれたものだが、この時点で福沢諭吉が西洋のことをかなり詳細に知っており、かつ日本の置かれている立場も的確に認識していることに驚いた。西洋列強の歴史、政治、経済、社会制度はもちろん、中国やインドなどのアジア諸国、あるいはアフリカ諸国の事情を的確につかんでおり、明治維新後わずかな間に猛烈に勉強したことがわかる。その上で、単純に古来からの日本文化を捨て、西洋文明を盲目的に取り入れるわけではなく、古き良き日本の伝統や精神を認識しつつ、これから日本の進むべき道を記している。批判的なことが数多く書かれているわけではあるが、その視点は鋭い。面白い。

    「(人と人との交際の大切さ)この交際は、商売でも学問でも、はなはだしきは遊びや宴会、あるいは訴訟や喧嘩や戦争であってもよい。人と人とが接して心に思うところを言葉や行動で示す機会があれば、大いにお互いの人情を和らげ、両目で他人の長所を見ることができる」p29
    「今日の異端妄説(いたんもうせつ)もまた将来の常識や普通になることだろう。学者は世間のやかましさに負けず、異端妄説と言われることを恐れることなく、勇気をもって自分で思う所の説を吐くべきなのだ」p32
    「世界の文明を論じるに当たって、最上の文明国とされるのは、ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国である。半開(半文明国)と言われるのは、トルコ、中国、日本などのアジア諸国で、アフリカ諸国やオーストラリアは野蛮の国と言われている」p36
    「戦争は世界最大の災いであるが、西洋諸国は常にこれを行っている」p39
    「周末の時代は、中国文明三千年の歴史の中でも異説や論争が最も盛んになり、まったく相反するような意見が世に出てきた時代であった。これは孔子や孟子などの儒教側からいえば、いわゆる「異端」である。しかし、孔子や孟子から見れば異端かもしれないが、異端の側から見れば、孔孟の方が異端なのだ。現在では、残された文献も少ないから、確かなことは言えないけれども、当時人心が活発で自由な気風があったことは推して知るべしである」p50
    「(異説論争の禁止)みなが盛んに意見を言うこと自体が、専制の邪魔になる」p51
    「(わが国の政統)「傷一つない見事さ」とは、国がはじまって以来、国体が損なわれず外国人に政権を奪われたことがない、というこの一点にあるのである。したがって、国体こそが国の本となるのだ。「政統」も天皇の血統もこれにしたがって盛衰するものと言わざるをえない」p65
    「いま、太平の時代の士族に向かって、刀を持ち歩く理由を詰問すれば、その人は「先祖からの習慣である」とか「士族のしるしなのだ」とかいう弁解をするだけで、ほかにはっきりとした理由は聞けないだろう。刀の実用性についてきちんと答えられる者などいないのだ」p68
    「中国はむかしから「礼儀の国」と称しており、これは自負でもあるが、実情がなければこういう名もないはずで、実際、むかしから中国には礼儀正しい見事な人物がいて、それに見合った仕事を成し遂げている例も少なくない。いまでも人物には乏しくないのである。しかし、国全体の様子をみれば、人を殺す者、物を盗む者は非常に多く、刑法はきわめて厳しいのに、罪人の数が減ることもない。その人情風俗が卑屈で賤しいのは、まさにアジア諸国の象徴である。だから、中国は「礼儀の国」ではなく、「礼儀の人が住む国」と言うべきなのだ」p104
    「(明治維新)報国心も粗雑で未熟な者たちであったが、その目的は「国のため」であるから、公的なものだったのだ。主張するのは「攘夷」一か条の単純なもの。公の心で単純な主張をすれば、その勢いは盛んになる。これが攘夷論がはじめて力を持った理由である」p145
    「家康は実に三百年の太平の生みの親である。しかし、家康個人の徳について観察してみると、恥ずべき点は少なくない。中でも、秀吉が遺言で豊臣家を保護してくれるように頼んだのを無視し、秀頼を助けることをせず、彼を軟弱な人間として育て、石田三成のような人間をわざとそのままにしておいて、後日豊臣家を滅ぼす際の手段としたようなやり口は、特にひどいものだ。この点については、家康には一点の徳もないように思える。しかし、この不徳の人間が三百年の太平をひらき、人々を苦しみから救ったというのは奇妙な話ではないか」p216
    「これらの英雄たちは私徳に欠点はあったかもしれないが、叡智の働きによって大きな善をなした人物ということができる。一点の傷を見て、それで宝石全体の価値を計ってはならないのである」p216
    「(選挙で選ばれるアメリカ大統領等と比較して)日本や中国では、近世に至るまでこのような君主を生み出そうとして、常に失敗し続けている」p235
    「人間が持つ権力は、必ず堕落する」p277
    「古来わが日本は「義勇の国」と称される。日本の武人は荒々しく、強く、決断よく、誠実で率直であり、これはアジア諸国においても恥じるところがない」p310
    「専制政治は巧みであればあるほどその弊害も大きくなり、安定した世の中が続けば続くほどその弊害も深くなって、長い間の遺伝毒となり、安易には取り除けないものになるのだ」p321
    「(日本人の特性)困難をおそれず何かやってみようという勇気は出さないのだ。期せずして来た困難にはよく耐えることができるが、自ら困難に飛び込んで、将来の楽しみを得ようとする勇気を持たないのだ」p323
    「わが日本は貧しいと言われる。しかし、天然の産物は乏しくないし、農業については世界に対して誇るべきものも多い。決して、天然の貧乏国ではない」p342
    「近年、外国人と交際するようになって、わが国の文明と外国の文明を比較してみると、表にあらわれる技術などが外国に及ばないのはもちろんのこと、人心の内部に至るまで、そのあり方がちがっていることがわかる。西洋諸国の人民は、智力活発で、自分で自分を管理し、社会や物事には秩序が備わっている。大は一国の経済から小は一家一身の処し方まで、とてもいまの様子ではわれら日本人の及ぶところではない。大雑把に言えば、西洋諸国は文明国で、わが日本はいまだ文明に達していないことが、今日に至ってはじめて明らかになったのである。このことを認めない人はないだろう」p349
    「国の独立はすなわち文明である。文明国でなくては独立は保てない」p392

  • 本書は、近代日本最大の啓蒙思想家ともいえる福澤諭吉(1835~1901年)が、1875年(明治8年)に発表した『文明論之概略』の現代語訳である。思想家としての福澤が、体系的、包括的に物事を論じたことにおいて、「主著」とも言えるもので、近代日本思想史上の古典ともされる。
    本書で福澤は、まず、西洋文明から、外に表れる「事物」の文明を採用するだけでなく、内側に存在する「精神」の文明を得なければならない、と、西洋文明を目指す理由・目的を述べている。
    そして、文明の本質について、「文明とは人間交際が次第に改まって良い方に進んでいく様子を形容したものであって、野蛮で無法な独立に対して、一国の体裁をなしていること」、「文明こそは最大最重要なものであり、人間のすべてがこれを目的としている」、「文明は、人間の知性と徳性の進歩である」と述べた上で、知恵と徳性(智徳)について、古来日本で重視された「徳」(特に「私徳」)だけでなく、今後は「智」が大事であることを指摘する。
    更に、なぜ西洋文明には自主自由が生まれ、日本には生まれなかったのかが振り返られる。
    そして、最終章は、「目的を定めて文明に進む。それしかない。では、その目的とは何か。内外の区別を明らかにして、わが国の独立を保つことである。そしてこの独立を保つ手段は、文明の他にはないのだ。いまの日本人を文明の道に進めるのは、わが国の独立を保つ、ただそれだけのためなのだ。したがって、国の独立は目的であり、国民の文明はそれを実現するための方法と言える」と、強いメッセージで結ばれている。
    読み終えてまず感じたのは、明治初期の著作であり、かつ、究極的には、開国後の日本の独立の維持を目的に書かれたものでありつつ、あまり古さを感じさせないことであった。それは、おそらく、明治維新から150年を経て、日本と欧米諸国(世界)の相対的な関係は大きく変化したものの、日本と世界の状況に関しては、変わっていない部分が多いからなのであろう。
    (日本に関して)「一国の人民として、その地方の利害を論じる気概がなく、ひとりの人間として自分自身の尊厳を守ろうとする勇気がなければ、何を論じようとも意味がない」。(世界に関して)「文明が進むにしたがって、智徳ともに量を増している。「私」の領域が拡大されて「公」の領域となり、世間一般に公智公徳の及ぶところが広くなって、次第に平和な時代になる。・・・いまから数千年後には、このような状態になるだろうか。私にはわからない。しかし、人間の力でこの究極の太平に到達することができれば、徳の効能もまた無限大と言わざるをえない」。これらの章句に対して、現代に生きる我々は、何とコメントできるのだろうか。。。
    日本史上最大の転換期ともいえる明治維新期に、当時最大の思想家のひとりである福澤は何に危機感を持っていたのかを知り、翻って、そこで指摘されていたことは現在どうなっているのかを否応なく考えさせられる古典である。
    (2019年11月了)

  • 文明とは、国民一人ひとりが作り出す気風、としているので、国民一人ひとりが日本人としての気概を持たなければならない、ということだと理解しました。

    1.この本を一言で表すと?
    ・国家の独立を国民に向け強く訴えた本

    2.よかった点を3〜5つ
    ・いまこの時にあたって、さあ、前に進もうというのか、それとも後ろに退こうというのか。進んで文明の道を歩むのか、退いて野蛮へと変えるのか。ここは進むか退くかの二者択一だ。(p33)
    →強いメッセージ性を感じる。また、当時の日本の状況からの切迫感も感じる。

    ・いまわが国にとって至急求めるべきは智恵でなくてなんだというのか。(p208)
    →現代においても同じことが言える。

    ・「天下の大勢は九回変わり、五回変わった」と言うのは、この同じ芝居を九回やり五回行ったというだけのことである。(p290)
    →現代において、総理大臣が頻繁に変わることと通じるものがある。

    ・内外の区別を明らかにして、我が国の独立を保つことである。そして、この独立を保つ手段は文明の他にはない(p387)
    →やはり日本の本当の独立を懸念しているのかよくわかる。

    2.参考にならなかった所(つっこみ所)
    ・国体の定義が、今一つピンと来なかった。

    3.実践してみようとおもうこと
    ・自分の智恵が伸びているか、意識する。

    4.みんなで議論したいこと
    ・「文明の精神」は今どうなっているとおもいますか。また、今後どうすればよいのでしょうか。

    5.全体の感想
    ・「学問のすすめ」の「一身独立して国独立す」と通じる部分が多かった。

  • 文明とは何か、文明には何が必要か、そしてなぜ文明が必要かについて、流れよく書かれている。気になるのは同じような話が多い所か。
    徳より智のほうが大事というのは何回も出てきたけど、ここまで繰り返すほど当時は徳しかなかったのかな。
    文明が進んだ今になってみると、共感がしにくいところが結構あって面白みが減ってしまっている。
    ただ、その欠点を持って余りある前半部分の先見性、最後文明を必要とな理由のまとめ方は読んでいて面白い。

    詳細は読み直しの時に。

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著者プロフィール

1935~1901年。豊前中津藩(現・大分県中津市)下級藩士の次男として生れる。19歳の時、長崎に蘭学修行におもむく。その後、大阪で適塾(蘭方医、緒方洪庵の塾)に入塾。1858年、江戸で蘭学塾(のちの慶應義塾)を開く。その後、幕府の使節団の一員として、3度にわたって欧米を視察。維新後は、民間人の立場で、教育と民衆啓蒙の著述に従事し、人々に大きな影響を与えた。特に『学問のすすめ』は、17冊の小冊子で、各編約20万部、合計で340万部も売れた大ベストセラー。その他の著書に『西洋事情』『文明論之概略』『福翁自伝』など。

「2010年 『独立のすすめ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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