異界を旅する能 ワキという存在 (ちくま文庫 や 40-2)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480428332

作品紹介・あらすじ

能の物語は、生きている「ワキ」と、幽霊や精霊である「シテ」の出会いから始まる。旅を続けるワキが迷い込んだ異界でシテから物語が語られる。本書では、漂泊することで異界と出会いリセットする能世界、そして日本文化を、能作品の数々を具体的に紹介しながら解き明かす。巻末に、本書に登場する46の能作品のあらすじを収録。

感想・レビュー・書評

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  • 先日かねてから切望していた「能」を観覧した
    いやー参りました
    年を重ねるごとに日々心が動くことが少なくなったこの頃…
    が、久しぶりの凄い体験(体感)に腹の底から「うぉー――」と叫びたくなってしまった
    簡単にあっちの世界に連れていかれたのだ

    あまりにもの心地よさに途中からふっと寝落ちした
    が、耳からは心地よいリズムと囃子と唄が聞こえてくる…
    気持ち良すぎる!
    半醒半睡とはまさにこの状態
    でもこれでいいのだろう
    異界に行くのだから

    あまりに凄い体験をしてしまい、すっかり魅了されてしまった
    早速次の公演のチケットを予約なんかしちゃったのだが、
    何も知らない世界のため、それまでに少しでも知識を増やしておきたいと…


    私のように「能」初心者の方にもわかるように
    安田氏が的確に説明してくださる

    能の物語は、旅人である「ワキ」が幽霊である「シテ」と出会う物語
    そして、幽霊が出てくるのにちっとも怖くない(そうホラーじゃないのだ)

    能の音楽は、謡(うたい)と囃子(はやし)で成り立っている
    そして「シテ」の舞がある
    「囃子方」は、笛、小鼓、大鼓(大皮)、太鼓の4種類の楽器なのだが、
    能では、笛などもメロディよりもリズムを主として演奏する(心地よい)

    とこんな感じ


    さて本書
    もっと「能」にピンポイントが当たったお堅い書籍かと思いきや、とんでもない!
    日常のことから、日本人の精神、そして海外まで目を向け…広い広い!
    正直驚いた
    「能」って人生の何かを投影しているのだろう

    能の物語(舞台)は下記のように展開する
    最初はワキの「順行する時間(人の時、日常の時間、生者の世界)」が優位
    この時は「ことば(詞)」で会話される
    ある一語をきっかけに立場が逆転する
    散文から韻文へ
    節(メロディ)がつく
    音楽(囃子方)が参加し出す
    ワキと観客をあちら側の世界へ引きずり込むお手伝いを始める
    ピークに達する
    地謡(コーラス)に受け継がれふたつの時(死者の時と人の時)が融合する

    圧巻の展開に観客はあっという間に呑み込まれ、自分の今いる場所から幽体離脱のような体感を覚える
    (私だけじゃないはず)

    能の構造は「死の世界と生の世界の時間が逆行する」という
    死の世界は現在に近づき
    生の世界は未来へ向かう
    構造は実は様々なところで見受けられると安田氏はいう
    安田氏がピックアップした書籍でいえば、夏目漱石の「夢十夜」(確かに)「草枕」(未読)、村上春樹(コレは腹に落ちた!納得)も三島由紀夫など
    さらにはお通夜(死者の生前を通夜ではこれでもかと話しますよね それは時間をさかのぼってあの時はこうだった、また別の時は…とどんどん過去に遡ることになるのだ)まで同じ構造だとのこと

    異界と出会うことが必要性を安田氏は
    「神話的時間を体感し、人生をもう一度リセットできる可能性を感じるから」という

    日本は古い伝統を大切にする民族と思われているが実はそうでもない
    日本独自の古いもので残っているものはほとんどないという
    仏教関連の建造物が唯一だが、そもそも仏教はインドや中国からの伝来
    伊勢神宮は式年遷宮をする…というように意外にも日本は古いものは造り変える文化なのだ
    (確かに! 10年以上ぶりにローマを訪れても街並みに変化はないが、久しぶりに東京に行くと知らない街に様変わりしている)

    その代わり日本の伝統は能のように形のないものを受け継いでいく力に優れている
    能といえば世阿弥であるが
    世阿弥の素晴らしいお言葉によく表れている「家をもって継ぐとせず 継ぐをもって継ぐとす」
    うんうん素晴らしい精神(天下りしている方は見習ってほしいものですね)
    西洋音楽は楽譜があるが「能」は記譜法が発見される前から受け継がれている

    やはり我々はリセットする民族なのだ
    異界と出会うことで生き直せるのだ

    ここで面白い刑罰の話が出てきた

    昔の日本の2種類の「贖罪」方法ついてなのだが実に興味深い
    2種類とは「こもり」と「はらい」である
    「はらい」というのはいわゆる「島流し」をはじめ「罰金刑」(身銭を切ると言いますね)も然り
    さらにその昔は体の一部(髪、手足、男根)を切る刑罰も
    「こもり」は牢獄に入れる ですね

    この「はらい」はリセットできる感ありますね(男根はそういうわけにはいかないでしょうけど)!
    一方「こもり」はうーん精神が病んでいくだけなのかも…
    最初はきちんと反省できても、こもりながら時間が経つとが逆恨みになりそうだよなぁ…
    確かに私も何かやらかしたら「はらい」でお願いしたい(笑)
    でも体は切らないでぇ~

    意外と日本人てポジティブな民族なんじゃないの!?
    カラッとしていていいじゃないですか
    そう考えると現代は「はらい」がかなりなくなり、「引きこもり」はしっかり根付いてきてしまっている
    あまりよろしくないですね


    他にもワキの旅は地獄めぐり(ダンテさながら)という「無力なワキ」を突き詰めていく内容も深くて興味深かった
    (「無力なワキ」ってなんか不思議でとても深い響き そして「ワキ」の深さにだじろきます!)
    ああ、興味深いことが多すぎて書ききれません!

    人生論から日本人の精神やルーツにまで及ぶ本書
    恐らく「能」はそういうルーツにがっつり結びついており、今なお、人々の心を魅了させるのは私たちの日本人の魂に共鳴するからなのだろう

    「能」に関係なく普通の読み物としても気軽にかつ十分楽しめる
    日本人の精神を改めて再認識(いえ新たな発見もあるやもしれません!)するのにとても良い書籍だ

    一気に読んでしまったのでまた能を鑑賞したら噛みしめながら再読したいものだ

    • アテナイエさん
      ハイジさん、こんにちは!

      先日からこの本を巡ってやりとりしていますが、ハイジさんのレビューを拝見して、おお~ここまで異界の旅を堪能され...
      ハイジさん、こんにちは!

      先日からこの本を巡ってやりとりしていますが、ハイジさんのレビューを拝見して、おお~ここまで異界の旅を堪能されたとはスゴイ!私まで嬉しくなってしまいました。観劇や美術鑑賞と同じく、やはりTVで観るより、生で鑑賞するのは違いますよね。独特の謡や節で異界に連れ去ってくれます。そういえば有名な歌人の馬場あきこさんは、能の名人でもありますね。和歌や短歌や俳句の5・7のリズムや韻などは、こういった芸能などとも繋がって、なにか不思議な広がりと奥深さを感じさせてくれます。
      ハイジさんの能鑑賞でまたの感激レビューを楽しみにしていま~す(^^♪

      2022/10/20
    • ハイジさん
      アテナイエさん
      こんにちは

      こちらにまでコメントありがとうございます!
      そうなのです
      生で観る醍醐味
      ホンモノに触れる喜び
      素晴らしいこと...
      アテナイエさん
      こんにちは

      こちらにまでコメントありがとうございます!
      そうなのです
      生で観る醍醐味
      ホンモノに触れる喜び
      素晴らしいことですよね

      能から多くの作家や芸術家たちが何かを引き継いでいることを初めて今回知りました!
      自分なりになにか繋がりを今後見つけていきたいですし、日常にでも能を感じることが出来そうでワクワクします

      俳句や短歌はど素人なので、またアテナイエさんの本棚を拝見して参考にさせていただきますね!
      2022/10/20
  • この本の著者はワキ方の能楽師。わくわくするような臨場感、まことに素晴らしいですね♪

    (夢幻)能は、室町時代の世阿弥が大成させた後、600年を経て今にいたる伝統芸術です。
    亡霊・精霊・神仏といった異界の存在が、主役の「シテ」、そう、能面をつけて舞台で舞っている人です。それに対し、目に見えないそのシテの存在を私たちに気づかせ、分からせてくれる「ワキ」――主に隠遁した乞食(こつじき)の旅の僧が多い――は、能面をつけず、生者として登場します。
    この二人が「とある場所」で遭遇することから物語は始まります。その出会いは偶然の必然、さながら静謐な暗闇に火花が散るようで、いやはや、能楽の序破急はとてもドラマチックです。

    たとえば『定家』という演目。
    「突然の時雨」にあった旅の僧が、近くの庵で雨宿りをします。そこへふっと里女が現れます。女いわく、「宿りをしているそこがどこかおわかりか? ここはあの歌人、藤原定家の庵「時雨の亭(しぐれのちん)」」と教えます。しばらく話をしていた僧がそれとなく女の素性を尋ねると、なんと定家としのぶ恋をした式子内親王(亡霊)だと言います。その切なくやるせない想いをとつとつと語りはじめます。

    「今降るも、宿(やどり)は昔の時雨にて……」
    はじまりの謡いに無限の広がりを感じます。たしかに時雨は「今」降っているのですが、あなたが雨宿りしているのは「昔」の時雨亭、そして今降るこの雨は、昔の雨と同じ時雨……雨宿りする僧の「今」と、定家のいた「昔」が、変わらぬ時雨によって結びつけられ、過去と現在が交錯する。まさに今昔物語の「今は昔」、とある場所に、時空を超えた幽玄世界が立ち上がります!

    「シテは留まり、ワキは旅する」

    著者は、能とは異界と出合う物語であること、時の枠を超えた神話的時間を感じることのできる物語だと教えてくれます。それがどういう意味なのか、なぜ異界なのか、ワキの役割やどういった人間がワキになるのか……もろもろの興味深い話で能の見方を教えてくれる本でありながら、ある種の芸術論でもあるところがすごい。

    能では誰もが耳にしたことのある『源氏物語』や『平家物語』といった物語をベースにしながらも、無力な旅の僧(ワキ)が目のあたりにするのは、まるでダンテ顔負けの地獄巡り、その冒険は傍からみていて怖いもの見たさでなんだか楽しい。もちろんダンテや西行や芭蕉だけではなく、上田秋成の『雨月物語』といい、村上春樹の『海辺のカフカ』にしても、欠落を抱えて家出する15歳のカフカ少年が、その旅の中で様々な異界の者に出会うのはまるで能。異界と今の時空を繋ぐのは、時雨ならぬ「石」だったり、カフカくんが偶然の必然で吸い寄せられるように「とある場所」へ旅していくのも、とにかく目が離せません。また著者が指摘する夏目漱石の『夢十夜』や『草枕』なども、目からウロコが落ちる楽しさで解説しています。

    こうしてみると、文学作品の主人公の多くは、何かを喪失した旅するワキなのね~。読者はそんな無力で欠落したワキに自分を投影しながら、ともに旅をし、どぎまぎしながら苦難を乗り越えていきます。弱さを抱える誰もが、人生の生き直しや治ゆと再生をしているのかもしれません。

    そして洋の東西とわず、シテはその本のなかに永劫に留まりながら、読み手のワキが旅してくるのを待っているよう。なので、私は本との出会いを嬉しく思うことが以前より多くなりました。出会ったが吉日、それは偶然の必然で、決して遅いということはない、そう思いながら書架にたたずむ本を手にとります。この本も興味のある方にぜひ手に取ってほしいな♪

    ***
    余談ですが、先日久しぶりに京都にプチ旅してきました。偶然の必然? 年に一度、秋季のみ参観できる藤原定家の小倉山荘、「時雨亭」跡の庵を訪ねました(この本を読む前のこと)。

    空はちょうどしぐれていて、庵の縁側に腰かけて静かな雨だれの音をききながら、散紅葉の幻想的な庭に見入っていると、またしても連れの友人が首をかしげます。
    「こんなに天気予報がはずれることって、あるわけ?」
    「まぁ~しぐれてなきゃ、時雨亭の侘びよう寂びようが伝わらない、と歌人のあ・の・人が思ったんでしょうよ(笑)」
    おかげで、ボルドーワインのような深みをましたもみじが一面に広がって、しっとり落ちついた美しい風情でした。残念ながら妖女には会えませんでした。ちと人が多すぎたかな?(^^♪

    • アテナイエさん
      ハイジさん、こんにちは!

      うれしいコメントをいただき、ありがとうございます。
      なんと奇遇なんでしょうか。久しぶりにこの本を再読したい...
      ハイジさん、こんにちは!

      うれしいコメントをいただき、ありがとうございます。
      なんと奇遇なんでしょうか。久しぶりにこの本を再読したいな~なんて思っていたのでびっくりしています(^^

      この本はとても読みやすいですね。すごいのは能という芸能分野だけでなく、文学や芸術などより広い視野で温かく大切なことを指摘しているので、ときどき眺めたい本のひとつです。

      ハイジさんは「ねじまき鳥」が最初に浮かびましたか~スゴイ!
      彼の作品はどれも能の幽玄世界を体現しているようですものね。この本は、読む人によって連想する作品が違うのもおもしろい。いろいろ繋がっていく楽しさがあります。作者はいくつも漱石作品を紹介していますし、そんな漱石が読んだ芭蕉の能好きが高じた『おくの細道』も、考えてみれば不思議な世界観……と連想や妄想は尽きません(笑)。

      学生の頃は少し能の鑑賞もしたことがありますが、たぶん半分寝ていて記憶はぶっとんでいます。ただ能をする友人がいるので、わりと身近に感じる分野です。あまり詳しくはないので、これから広げてみたくて楽しみです♪
      ハイジさんはお能はお好きなんですか?
      よく鑑賞されたりするのかしら? 
      2022/10/19
    • ハイジさん
      アテナイエさん
      早速のお返事ありがとうございます

      本当に幅広く奥深く、なにか人間の日本人のDNAに触れる内容が多く驚きました
      なのに読み...
      アテナイエさん
      早速のお返事ありがとうございます

      本当に幅広く奥深く、なにか人間の日本人のDNAに触れる内容が多く驚きました
      なのに読みやすいなんて♪

      アテナイエさんのおっしゃる通り、こちらを読むと他の作品との繋がりと広がりを感じますね
      「草枕」も読みたいですし、とても苦手な俳句や短歌も気になりだしました
      能をするご友人がいらっしゃるんですね
      なんともうらやましい限り
      私は先日まだ能鑑賞をデビューしたばかりなのでこれから少しずつ鑑賞していきたいと思っているところなのです
      また人生の楽しみを見つけてしまいました(笑)
      2022/10/19
    • アテナイエさん
      ハイジさん、こんばんは!

      ハイジさんの言われるとおり、この本はなにか日本人のDNAに触れる内容が多いですね。それに加えてすごいのは、ユ...
      ハイジさん、こんばんは!

      ハイジさんの言われるとおり、この本はなにか日本人のDNAに触れる内容が多いですね。それに加えてすごいのは、ユングの無意識の世界や神話的思考などと繋がって盛りだくさんですよね。でも言葉使いは易しくてとても楽しいです。ぜんぶ繋がっていますゆえ、お時間あるときにぜひぜひ俳句や短歌の世界ものぞいてみてください、って、そういうわたしも少しずつのぞいている状態なんですが(笑)。
      やっぱり本は世界を広げてくれて、もうやめられません~

      2022/10/20
  • 玉の緒よ絶えなばたえねながらへばしのぶることのよはりもぞする
     式子内親王

     能に関心をもつ大学院生から、ある本を薦められた。著者は、ワキ方能楽師の安田登。読んですぐ、思わず膝を打った。能には、「シテ」と「ワキ」が登場するが、ワキは脇役の意味ではなく、シテの正体を「分からせる」人だったとは―。
     霊的な存在が主人公となる夢幻能というスタイルは、「死者は留まり、生者は旅する」が典型。シテである死者の霊魂は、和歌に詠まれる名所旧跡「歌枕」に代表される特定の場所に留まっており、そこに、旅人として、ワキが登場することが多い。
     たとえば、能「定家」でもワキは旅の僧である。雨宿りをする僧の前に女が現れ、式子内親王の霊(=シテ)が忍ぶ恋を語り出す。掲出歌は彼女の恋歌だ。
     シテは、何らかの残恨の思いを背負っている。神や霊など、普通ならば目に見えない存在だが、そんなシテの思いを分節化、つまり「分けて」、シテの正体を観客に「分からせる」のがワキの役割なのだ。
     ワキも、消極的ながら、霊力の持ち主らしい。旅をして、ある特定の場所でシテと出会うのは、シテ=霊の方から出会いの相手として選ばれてしまうからだ。単なる脇役ではないことは、ここからもわかる。
     「死者の時間」であるシテの時間。対して、ワキの時間は「生者の時間」。両者は、彼岸と此岸とをつなぐ異界で出会い、それによって神話的な時間を体感し、新たな生を生き直す。そういう「リセット」の可能性を知る人こそ、ワキなのである。
     作家や文筆家は、そんなワキの立ち位置から言葉をつむぐ人なのかもしれない。

    (2014年6月22日掲載)

  • 能についての本だと思って読み始めたのですが、読み始めたらそうでない部分の方が実に面白い。
    実際能についての解説もあって、知識を得ることもできるのですが、話はそこにとどまらず、ユング、芭蕉、漱石を引いて、「旅による世界の詩化」というテーマにむかって突き進んでいきます。スリリングで良い本だと思いました。

  • 作劇に能の構造。漱石、三島、正岡子規、、。今の作家はどうなんだろうかと思った。

  • 異界を旅する能 ワキという存在 (ちくま文庫)

  • 旅をするものは異界と出会う。
    旅人は変化の契機を抱えて旅をしているからだ。
    それが芭蕉(バナナ)のいう「風雅の誠」。
    漱石のいう「非人情」。
    旅に出たくなった。

  • 演者さんの話は観点が違うと感じた。能の不思議さは普通ならホラーなのに怖くない。ホラーや普通の物語でも異形が敵役が多いけど、主役。という逆さなんだろうな、と。読んでいても、なんだか不思議な気持ちになった。

  • 〇以下引用

    能はお客さんに受けるとか受けないは、あまり重要ではない。対象は客ではなく、自分になる。

    それは舞台も同じ。お客さんに受けているか、喜んでくれているか、そればかりが気になって、そしてお客さんに受けるように受けるように演技をします

    孤独に耐えながら、しかし全体が統一されていく演劇、これは私たちにとっては、とてもすごい体験でした

    能のワキが、そのような出来事に出会うのは、「旅程の途中」で、しかも「まったく予期しなかった形で起こる」

    何も期待していないときに、ふとワキが出会ってしまう異界、

    旅人であるワキが、ある「ところ」に通りかかり、シテと出会うのが能の始まりだ、と前に述べた。しかし、その「ところ」にはワキだけではなく、さまざまな人が通りかかる

    霊であるシテと出会うという力も、自らが望んでシテに出会うのではなく、霊であるシテに出会いの相手として選ばれてしまう

    消極的な力を持つのがワキの特徴

  • ☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB06004388

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著者プロフィール

安田 登(やすだ・のぼる):1956年生まれ。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。関西大学特任教授。 著書に、『身体能力を高める「和の所作」』(ちくま文庫、2010年)『異界を旅する能』(ちくま文庫、2011年)、『日本人の身体』(ちくま新書、2014)、『身体感覚で『論語』を読みなおす――古代中国の文字から (新潮文庫、2018年)、『見えないものを探す旅――旅と能と古典』(亜紀書房、2021年)『古典を読んだら、悩みが消えた。――世の中になじめない人に贈るあたらしい古典案内』(大和書房、2022年)、『魔法のほね』(亜紀書房、2022年)など多数。

「2023年 『『おくのほそ道』謎解きの旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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