脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫 ま 41-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (249ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480427762

作品紹介・あらすじ

意識とは何か。意識はなぜあるのか。死んだら「心」はどうなるのか。動物は心を持つのか。ロボットの心を作ることはできるのか-子どもの頃からの疑問を持ち続けた著者は、科学者になってその謎を解明した。「人の『意識』とは、心の中でコントロールするものではなく、『無意識』がやったことを後で把握するための装置にすぎない。」この「受動意識仮説」が正しいとすれば、将来ロボットも心を持てるのではないか?という夢の広がる本。

感想・レビュー・書評

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  • 身体を切り刻んでいく。腕を切り落としても、足を切り落としても、「心」は残る。心臓移植をしても「心」は、自分のままだ。つまりそれは、脳に宿る。しかし、この本で説明される受動意識仮説は、そんな単純な話ではない。

    コペルニクス的転回とは、この事だろう。他の本でも読んだことがあるが、本書は飛び抜けて分かりやすい。何せ、脳のニューロンを「小人」に例えて解説がスタートする。つまり、自らが意識する「複数の別人格」が脳内にいる、という例えだ。

    人の意識は「後追い」であり、都合の良いように錯覚するよう作られている。無意識が、意識に従っているのではなく、意識の方が無意識に対して受動的なのだ。これが受動意識仮説。無意識のほうにいる小人たちの多数決によって、努力しようとしたり、ハメを外したりする。

    よっこらしょ。立ち上がる前に、立ち上がろうと意識する場合、既に立ち上がろうと身体が先に判断していて、意識が後付けで言語化する。10分前から立ち上がろうと考えていても、その「瞬間」は意識が後追いとなる。

    それだとまるで自分が自分じゃないみたい。だが、そうではない。知情意をうまく働かせるためになくてはならないのが記憶と学習。記憶は心理学の用語で言うと、宣言的記憶と非宣言的記憶。宣言的記憶にはエピソード記憶と意味記憶がある。非宣言的記憶は、体で覚えると言うもの。記憶や感情が、意思の意見も踏まえて、無意識を引き起こし、その結論を瞬時に意識する。今夜は飲み過ぎないぞと意思を持ちながらも、無意識にジョッキに手が伸びて、手を伸ばすと同時に、一杯くらい良いかと後付けしている。

    ー カリフォルニア工科大では、脳の視覚野付近に置いたコイルに電流を流して磁場を作り、磁場の影響によりニューロンの活動を阻害して、人の視覚を騙すという実験を行った。ある模様を見ているときにコイルに電流を流すと、目で見ているものの一部が見えなくなり、そこだけぽっかり穴が開いているように見えるというの脳磁気刺激法という。人工の盲点をつくった。まず、赤い色、次に縞模様、最後に緑色を見せる。縞模様を見せているときに、コイルに電流を流した。被験者に見えたのは縞模様の一部にぽっかりと穴が開いた状態ではなく、未来に提示される色であるはずの緑色だった。

    直感的に分かる話のような気がした。本書の通りならば。身体が先に理解し、意識が会得したのだろう。

  • 面白かった。

    受動意識仮説とは、一言で言うと、「意識は司令塔ではなく単なる観察者である」という考え方。
    普段意識している「私」が行動を決定している、というのは錯覚で、行動は無意識下でたくさんの私の中の小人さんたちが多数決の上で決定している。意識はそれをエピソード記憶のために傍観しているに過ぎない。

    今まで信じてきた全てが覆されるような気もするが、なんか普通に受け入れられた。
    むしろ、そうであるからこそ、日々の積み重ねというのは重要だな、と思った。

    途中、「私の中の私を意識する私」みたいなたくさんの「私」が登場して混乱しつつもなんとか読了。
    前野さんの言っていることの半分も理解していないと思うが、勝手に満足。

  • ニューラルネットワークと小人の比喩わかった様で理解できない、他の本を読んでまた再読しょう!

  • 「受動意識仮説」の一般向け書籍ご本尊。

    受動意識仮説を私の理解で要約すると「意識は心の主人ではなく、膨大な無意識が処理した結果が都合良く要約されたものを、下流で観察するだけの役割である」というものだ。「心の処理結果が出力される先」といっても良いかも知れない。

    指を動かそうと意識するより前に指を動かす準備が脳内ではじまっているという有名な実験や、脳がいかに事実と異なる(が整合性をもって解釈できる)ように時間や空間をねじまげるか(錯視やもっと複雑な実験)、などが傍証として挙げられる。

    はじめて受動意識仮説を知った時は感動したのだが、今回は「うん、そうだよねー、それが自然だよね」と思いながら読んだ。自分の意識が自分をコントロールしているとは私にはとても思えない。たびたび「(この仮説は)実感に反する」という言葉が出てくるが、私の実感にはおおむねあっているように感じた。

    「「意識」は無意識の結果をまとめた受動的体験をあたかも主体的な体験であるかのように錯覚するシステム」であり、自分が自分であると認識する仕組みは「「〈私〉というクオリアは〈私〉である」という脳内定義に従う錯覚現象に過ぎない」。これは、本書の重要な結論のひとつだと思う。しかし、ではこの錯覚している主体はなんなのか、というのは脇に置かれたままだ。いや、脇におかれているわけではなく、ここまでを受け入れるならば大して重要なことではない、と言っている。錯覚しているシステムそのものは、自分から自分の個性を取り除いた小さく無個性で普遍的な仕組みなので、失うことを怖れる必要はないということなのだ。

    私はここには完全に納得できていない。錯覚している主体である〈私〉とはなんなのか、これでは説明できたとは言えない。

    とはいえ、膨大な無意識とそれを観察するシステムを備えた機械を作ったときに、そこに意識のような現象が観察されたならば、それは実際に意識なのだろうなとも思っている。そこに「錯覚している主体」があるかどうかは、決して外から判断することはできないけれども。

  • 反論はたくさんあるのだろうが、画期的な考え方だと感じた。受け入れれば生きるのが楽になるだろう。

    著者いわく、自由意思は錯覚である。自分で意図したつもりでも、それは無意識の小びと(ニューラルネットワーク)たちが行った処理であり、意識はただ行動や思考を自ら行ったと錯覚しているにすぎない。ではなぜ、自分で決めたように錯覚するのか。それは、生存に必要なエピソード記憶をするため。「りんごは食べ物だ」は意味記憶、「今朝はりんごを食べた」はエピソード記憶。エピソード記憶ができないと、場当たり的な行動しかできなくなる。膨大な小びとの処理を必要十分に記憶にとどめておくには、その処理を個人的な体験としてまとめる必要がある。そのフィルターとなるのが意識である。

    この、人間に自由意志がないという考え方は、完全に納得するのは難しいが、実感として理解できる部分もある。瞑想をしていると、思考は自分が意図しないのに勝手に浮かんでくる。また、それに対する反応(感情)も自分で選択できず、自動的に決まる。なにか嫌なことが頭に浮かんだ瞬間、もう気分を害している。ここまでは、著者のいうとおり、無意識の小びとの処理という説明で納得できる。だが、この思考と感情に気づき、観察している意識もある。著者の説に則ればこの意識すら小びとの処理ということになる。しかし、「今日はこれをしよう」という意識と、自分の思考や感情に気づいているメタ認知の意識は、少し違うように感じる。

  • わかりやすいように絵や比喩をいれてるんだけど、それがすごくズレててモヤモヤ…
    この方の文章やっぱり苦手だ。

  • 0 どんな本?
    心は何故あるのか?と言う仮説と心の仕組みを教
    えてくれる本。コペルニクス的転回があって気付き
    や学びが多い本。

    1 何で読んだの?
    (1) 心の成り立ちを知りたいから。
    (2) 心の目的をしろたいから。
    (3) 自分と向き合うときに役立てたいから

    2 構 成
    全5章構成230頁。心とはから始まり、「心とは
    理解可能だが予測不可能」と言うロマンを残して終
    わる。

    3 著者の問題提起
    宇宙の成り立ちと心の成り立ちは同じように解明
    不可能なものに感じるが、心は科学で解明出来る。

    4 命題に至った理由
    ロボット工学専門の著者が、様々な研究等から心
    は単純なメカニズムで作る事すら可能だと結論した
    から

    5 著者の解
    心とは神秘では無く、進化の過程で生じたエピソ
    ード記憶の為の受動的なものである。解明出来る
    し、作る事すらできる。

    6 重要な語句・文
    (1) 知情意、意識、無意識
    (2) クオリア
    (3) バインディング
    (4) 小人
    (5) 私、「私」<私>
    (6) 下流
    (7) エピソード記憶
    (8) フィードバック・フィードフォワード
    (9) フィードバック誤差学習(がむしゃら)
    (10) 順モデル・逆モデル

    7 感 想
    読んでいてサピエンス全史を思い出した。サピの刊行前なのに内容が被るのは学者さんの中ではこう言う考えは以前から常識なのだろうか?
    刺さったの<私>は無個性である事。深く知りたい事はクオリア。人に勧めるなら「私」は下流であると言うこと。タイトルの「脳は何故心をつくったのか?」を説明する内容だった。
    コペルニクス的転回のある知的刺激のある良書です。

    8 todo
    (1) 小人の育成にフォーカスした成長計画
    (2) 後世を意識した人生(特に子育て)
    (3) 小人を意識した選書

  • はっきり言うと、自分にとってはレベルが高くて、しっかりと理解できたかと言うと自信がない

    ただ、自分の意思でやってると思うことは全部無意識で、「私」というのも無意識の中に存在すると言うことがわかった。

    「私」というのは人間みな同一なのに、脳の中の小人が「私は○○だ」と過去の記憶や経験の中で学習して判断している。
    体を動かす時も自分の意思よりも早く脳の小人は動きを予測し指示を出している。意思よりも無意識が優位ということがわかる。

    この無意識の動作を高めるには目の前に広がるものを言葉としてではなく、五感で受け止めて、小人たちをたくさん考えさせ、学ばせなければならない。だからこそ目の前の小さな幸せを見つける努力をすればするほど、脳も幸せで満たされるということがわかりました。

  • なぜ私は「私」であって、あの人ではないのか。そんな問いを中心に、脳と心のあいだを思考する。

  • [受動意識仮説]という説を知って、自分は「すんなり受け入れられた」派に属すると思う。[小びとたち][クオリア]という概念を知ることでスッキリできたので、読んで良かったと思える。昆虫やロボットと比べることで理解が深まり、特に4章は興味深く読むことができた。

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著者プロフィール

慶應義塾大学SDM研究科教授・ウェルビーイングリサーチセンター長、一般社団法人ウェルビーイングデザイン代表理事。1962年山口県生まれ東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、キヤノン入社。カリフォルニア大学バークレー校Visiting Industrial Fellow、慶應義塾大学理工学部専任講師、同助教授、同教授を経て2008年より現職。『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門』(講談社現代新書)、『幸せな職場の経営学』(小学館)、『ウェルビーイング』(前野マドカ氏との共著・日経文庫)など書著多数。

「2023年 『実践!ウェルビーイング診断』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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