- Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480423689
作品紹介・あらすじ
日本は抗い難い力に引きずられるように、破滅をもたらした戦争に突き進んだ。戦後は、「戦時下」の記憶を抹殺して高度成長を成し遂げたが、実は正体不明の呪縛は清算されず、「まやかし」によってやり過ごしてきたのである。上巻では、江戸期に幕府の官学となった朱子学が神道と混淆し、幕府の正統性を証明しようとする手続きの中から「尊皇思想」が成立してゆく過程を描く。
感想・レビュー・書評
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天皇絶対主義の意外なルーツと日本人の精神性が明らかにされる。
ときどき極めて鋭い指摘があるのだが、引用される文章が古文、漢文で現代語訳がないため、高校で習った程度の教養では、ほとんどその文意を読み解くができず、読んでいて苦痛である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸事態、明治維新、太平洋戦争の戦前、戦中、戦後を貫く日本人の思想の底流を綴った、かなり読み応えのある名著。
「日本人とは何か」を把握する為に必読の書。
江戸幕府により官学として採用された「朱子学」に源流を見出し、日本の風土・日本人の特性と交わりながら、日本固有のイデオロギーに昇華していく流れを深い洞察力で描いている。
日本における理想主義として、以下3つの流れがあった。
①「慕夏主義」…他国にモデルを求めてそれに近づく思想主義(中国を理想化する思想)
②「水土論」…他国のモデルを理想としたところで日本の風土に合わない。自国のモデルを模索すべき。熊沢蕃山。
③「中朝論」…明が畜類の国”清″に滅ぼされ亡命者が日本に移動。清は正統な中国ではなく日本こそが本当の中国だという思想。山鹿素行「中朝事実」
理想主義と正統性(レジディマシー)が一体化していく。
「尊王思想の祖」となる儒学者/山崎闇斎が、朱氏の考える正統性に適したものが正統と考える。朱子学の論理性を突き詰めて“真に正統性を持つ支配者は天皇”である事を論証。
闇斎の弟子/浅見絅斎は、更に正統論を煎じ詰めて“幕府を「簒臣」と規定”し、これが明治維新への第一歩となる。
(正統三原則「″簒臣″、″賊后″、″夷狄″を正統とせず」)
一方で、朱子の矛盾も指摘し「朱子の正統性に基づくと中国に正統は無い」とする(文王と武王)。結果、日本にのみ正統性があるという考えまで発展する。
明治維新後には、明治政府によりこの革命の原動力となった思想は抹消される。
「思想の典拠を消す事で、思想が呪縛化し、理由も分からず、解明できず、抵抗できない」という状態に陥る。
[一部抜粋]
■日本は(中略)、いずれの場合をみても〝習合的″で、徹底した普遍主義者はいない。
「日本的草の根運動」型に土着化していこうとする。
その行き方では、「土着の程度」差に基づく細分化を招来していく。
そこには、自ら普遍主義的思想を構築し得なかった日本人の「宿命」ともいうべきものがあるのであろう。
■日本人は、常に、政治的絶対主義を尊敬し、そうでない自分を劣れる者とみなしたがる。
常に「現人神」を求め続け、それが消えると落胆して、また他に求めるのである。
■『靖献遺言』の中の人物はすべて、自己の規範、自己の行動原理が何に基づくか明確に把握していた。
それであるが故に「長い者にまかれろ」でも「天下を丸めた者に従う」でもない。
では、戦後の日本人は、何を自己の規範としているのか。
何の規範もないのか。
とんでもない、厳しい規範があることは誰でも知っている。
では何に基づくのか。何か決定的なときその典拠を問われたら何と答え得るのか。
答えられまい。
ここに戦前を消したがゆえにそれが呪縛化して典拠なき規範となり、人々はただそれに無批判に従っている。
■何らかの形で「現実の体制の外」に絶対性を置き、その絶対性に従うことが「義」だと考え、その「義」のために、体制が自分を殺しても外敵に滅ぼされてもそれを甘受するという行き方。
■「民主主義」を絶対化するなら、これはすでに体制の中にあり「本物、偽物」論争しか起こらない。
そしてその判別用試験紙に、どの国にどのような態度をとるかを使う。
これが、日本人から外交能力を奪ってしまった。 -
上に立ち統治する正統性とはなにか、という議論を江戸幕府が始まった時から
熊沢蕃山、朱瞬水、山崎闇斎、佐藤直方らの主張をたどっていく。
常に中華があって、それなしに議論は始まらない、というのが興味深い。
が、中身はとても面白いのに、
古文・漢文の素養がなさすぎて、難解なので、上で断念。
要修行。 -
非常に興味深かった。いま上巻、つまり半分を読み終わった感想だが。漢文やそれの読み下し文が当時のままの歴史的な史料として出てくるのでやや読みにくいが、朱子学の影響を受けた江戸時代の儒学者浅見絅斎(けいさい)が、昭和初期から始まる天皇への盲目的な熱狂を用意する結果になったのだ、という筆者の論旨には目から鱗が落ちる。
社会のレベルで共有された我々の思想信条が常に先人の価値観を引き継いでいることを痛みを伴うスタイルで教えてくれる書物だ。これは、天皇論に関心のある人には必読の書と言えるのではないのか。
近年、日本国内のナショナリズムへの高まりが見られるが、政治的な立ち位置の偏向を修正可能とする圧倒的洞察はこういう優れた書物を読むことでしか得られないのかも知れない。