中世の覚醒 (ちくま学芸文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (592ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480098849

作品紹介・あらすじ

中世ヨーロッパ、一人の哲学者の著作が人々の思考様式と生活を根底から変えた――。「アリストテレス革命」の衝撃に迫る傑作精神史。 解説 山本芳久

感想・レビュー・書評

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  •  本書のページ数は500ページ超あり、読み終えるのに多大な時間を要した。中世における思想の百花繚乱を巡る著者の記述は圧巻であった。この本のテーマである信仰と理性は、中世という時代区分に閉ざされているわけではない。現代社会の解決困難な問題がこのテーマに関わっているという著者の主張には読者を喚起させる何かがあるように思う。本書を読むために忍耐を要した。しかしそれに伴い中世における古代思想とその大きな物語を巡ることができる。中世の哲学・思想本は読み終えた暁に根性がつくものが多い。
     後書きには、翻訳者さんと山本芳久さんによる解説他読書案内が添えられている。

  • 本屋で見かけて。「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」に似ていると思って読んでみたが似ていた。ルクレティウス再発見の代わりにアリストテレス再発見。ただし1417よりさらに壮大で上を行くおもしろさ。
     
    中世は無知の暗黒時代と言われるがそうではなかった。アリストテレスの理性とキリスト教の信仰を調和させる中世の努力が近代科学の道を拓いた。現代の人間科学(道徳、政治、社会関係など)の課題は理性だけでも信仰だけでも解決できず、中世のような理性と信仰を調和させる活動が今こそ必要である、という主張。

    ドゥンス・スコトゥスやオッカム(の剃刀)によって理性と信仰が分離していく転換点が印象的。理性を追求すればいずれ神を理解できるとしたトマス・アクィナスに対し、いやいや神は理性では理解できない、信仰によってのみ理解できるとして分離した。キリストでなくロバでもよいとかわざわざ過激に主張するオッカムが好き。結果、早くも14世紀にはビュリダンのインペトゥス理論やオレームの地動説まで出ていた。日本ではまだ足利尊氏の時代なのに。
     
    西洋だけが知の革命を成し遂げた理由に興味がわいた。イスラム文明のアリストテレス主義者は一般の知識人だったのに対して西洋文明のアリストテレス主義者は聖職者でもあったので社会変革に至ったとの説明があったが、それだけとも思えない。なぜ唯名論が実在論に勝てたか。また一神教でない中国や日本で知の革命はなぜできなかったか。

  • これは面白い!中世ヨーロッパにおけるアリストテレスの再発見と受容の話なんだけど、中世と聞いてイメージするステレオタイプの「信仰と迷信に支配され、合理的・科学的思考のない時代」を覆すストーリーを展開する本。あまりに魅力的で異端的だったアリストテレスの自然哲学を、あくまで教会内で、信仰という土台の上でどう消化し、カトリックの中のものとするのかという数百年にわたる論戦(ときに暴力)を時々の登場人物にフォーカスして語る。異端思想の源泉として警戒・禁止されつつも、押したり引いたりを繰り返しながらカトリック神学の中心に咲き誇り、そして時代の権力や経済力が教皇の手を離れていくに従い、教会の枠を離れていく複雑な流れをわかりやすく書いてくれてとても面白かった。翻訳も自然で読みやすくて良かったと思う。著者は中世も神学も専門でないのに、こんなに書けるなんてすごいなあ。

  • ヨーロッパ中世において教会からの抑圧、弾圧が強烈だったのはイメージ通り。しかし決して知的、思想史的にに停滞した時代ではなかったことがよくわかった。ただし各思想の読解は簡単ではない。何度か再読したい本。

  • 500ページでものすごいボリューム
    でも、とても楽しかった

    カトリックしかなかったところに、全く違う完成した価値体系がある日突然、現れる

    プラトン・プロティノス 的なキリスト教と言ってもいいのか、アウグスティヌスからの伝統である「信仰」という方法に、アリストテレス的な価値体系である「理性」が出会う。

    まずは2つの調和が目指されるが、最初は読み解かれるのに1世紀くらいかかったものの、そこからは新たな考えがどんどんとうまれ、そこに驚異を感じたカトリックからは異端とされたりもし、でも、理性と戦うにはカトリックにも理性が必要として推奨されもし。
    カトリック体制、ドミニコ会、フランチェスコ会と、パリ大学などの大学のそれぞれで、アリストテレスをいかに援用していくか、試みられる。

    そこにはしかし、二重真実の萌芽が芽生え、最初は、理性と信仰がぶつかるところでは信仰をとるべき、と、二重真実をひとつにまとめる階層があったもののオッカムによって明確に自覚、分離され、そこで理性と信仰というものが排他的になることで純化、独立していくことで、理性を拒否した信仰としてマルティン・ルター的な宗教改革が芽生えていき、信仰を拒否した理性として近代科学が立ち上がる。

    そしてその分離は今も残っているという感覚が常識であるが、そこかしこで実は半端に混ざってもいる。
    アインシュタインが、神はサイコロをふらない、と、量子力学を否定しようとしたように。
    でも、科学の時代は、倫理を欠いて、中絶の問題には答えられない。
    再び、理性と信仰が調和するところに、アリストテレス的な方法を考えなおすべきでは、という話。

    たしかに、自然学、形而上学と、論理学だけでなく、そこに二コマコス倫理学があるようなアリストテレス的な知的体系こそ、今日の知者の全てが基本とすべき広さなのかもしれない。

    だから、理性か、信仰か、よりも、専門分化の危険が今日的危険なのかもしれない。倫理観を学んでない人達が人工知能を開発している、というような。

  • 田村耕太郎「野蛮人の読書術」におすすめ。

  • とても興味深い1冊。
    キリスト教圏にとって、理性(或いは科学)と宗教とは、否応なしに結びついている。一神教の感覚は解らんけど、戦いと融和の歴史だと考えて読むと、ダイナミックで面白いな~。

  • 原題:Aristotle's Children: How Christians, Muslims, and Jews Rediscovered Ancient Wisdom and Illuminated the Middle Ages (Harcourt, 2003)
    著者:Richard E. Rubenstein
    訳者:小沢 千重子

    邦訳の底本は2008年刊行。

    【簡易目次】
    序章 中世のスター・ゲート ――西ヨーロッパの覚醒
    第1章 「知恵者たちの師」――アリストテレスの再発見
    第2章 「レディ・フィロソフィー」の殺人――古代の知恵はいかにして失われ、ふたたび見出されたか
    第3章 「彼の本には翼が生えている」――ピエール・アベラールと理性の復権
    第4章 「そなたを打ち殺す者は祝福されるだろう」――アリストテレスと異端
    第5章 「ほら、ほら、犬が吠えている」――アリストテレスとパリ大学の教師たち
    第6章 「この人物が知解する」――パリ大学における大論争
    第7章 「オッカムの剃刀」――信仰と理性の分離
    第8章 「もはや神が天球を動かす必要はない」――アリストテレスと現代の世界

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