- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480098757
作品紹介・あらすじ
第二次大戦で死没した日本兵の大半は飢餓や栄養失調によるものだった。彼らのあまりに悲惨な最期を詳述し、その責任を問う告発の書。解説 一ノ瀬俊也
感想・レビュー・書評
-
なかなか強烈なタイトルだが、内容はまさにこの通りである。
アジア太平洋戦争において、戦没した日本兵の多くが、「名誉の戦死」ではなく、餓死や栄養失調による病死で命を落としていたという。
大量の兵を投入した挙句に餓島と呼ばれたガダルカナル島の戦い、無謀な陸路進攻を強行したポートモレスビー攻略戦、20世紀の鵯越を目したインパール作戦。太平洋の孤島群の置き去り部隊。フィリピン戦。中国戦線。
多くの犠牲を出したこれらの侵攻は、勝算が薄いにも関わらず敢行され、奇跡を起こすこともなく失敗した。そして多くの兵は、戦闘そのものというよりも餓えや病に斃れた。
いったい何が起きていたのか。なぜ防げなかったのか。
本書では多くの一次資料にあたりながら、その背景を探る。
第一章は、個々の戦地を取り上げながら、餓死の実態を追う。
第二章では大量餓死を招いた背景を、第三章ではこうした事態を招いた日本軍隊の特質を歴史に絡めて解説していく。
1つの重大な要因として、兵站の軽視がある。「腹が減っては戦はできぬ」とは言うが、まったくもってこの点が考慮されていなかったのだ。兵をどんどんと送り込むが、食料は現地調達せよ、という始末。中には作物の種子を持たされた部隊もあるが、気候条件も違う地で、まして戦闘も行いながら、呑気に栽培などしていられるはずもない。
民間から徴発された馬も多く戦地に運ばれたが、熱帯雨林やサンゴ礁の島では馬は適応できぬまま死んでいく。人間の食糧も十分でない戦地で馬の飼料は真っ先に削られ、馬が食料になってしまう場合さえあった。
武器も十分ではなく、米兵の圧倒的な火力に対して、歩兵の持つ軽火器や銃剣で立ち向かうしかなかった。この背景には武器よりも兵を重視する方針がある。武器に金を掛けるよりも歩兵を増やし、武器はむしろ兵の「補助」的なものと考えるのだ。
制空権も制海権も奪われた状態では、兵を送り込んだとしても大量の兵器や食料は送れない。
そして行きつくところは「精神論」になる。
物資がない。武器もない。兵は送り込まれる。
外から見ればうまくいくはずはないのだが、「大義」の元では、たとえおかしいと思っても反論すら許されない。
かくして多くの兵が餓えに斃れた。
著者自身、陸軍士官学校卒業後、中国各地を転戦したという。復員後、史学の研究者となり、日本近現代史を専攻する。
筆は終始、歯切れよく、悲惨な現実を淡々と冷静に分析していく。
個々の論については反論もあろうが、ともかくも各章に付された膨大な一次資料の数に圧倒される。
客観的に歴史を見つめようとする視線の背後に、著者の痛みと憤りが見え隠れする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アジア・太平洋戦争における大日本帝國の軍隊における死亡要因を探ったもの。戦争に従事したもののうち半数以上が餓死あるいは栄養失調による病死だというのは衝撃的であった。そしてその原因もさんざん言われたことではあるが、おもに陸軍幹部の作戦主義的な思想や、補給に対する無理解であった。
-
4.41/208
内容(「BOOK」データベースより)
『アジア太平洋戦争において死没した日本兵の大半は、いわゆる「名誉の戦死」ではなく、餓死や栄養失調に起因する病死であった―。戦死者よりも戦病死者のほうが多いこと、しかもそれが戦場全体にわたって発生していたことが日本軍の特質だと著者は指摘する。インパール作戦、ガダルカナル島の戦い、ポートモレスビー攻略戦、大陸打通作戦…、戦地に赴いた日本兵の多くは、無計画・無謀きわまりない作戦や兵站的な視点の根本的欠落によって食糧難にあえぎ、次々と斃れていった。緻密な考証に基づき、「英霊」たちのあまりにも悲惨な最期を明らかにするとともに、彼らを死へと追いやった責任を鋭く問う、告発の書。』
『餓死した英霊たち』
著者:藤原 彰
出版社 : 筑摩書房
文庫 : 274ページ -
最初の餓島とポートモレスビーでお腹いっぱい。
怒りつつも淡々と書かれているので、サクサク読み進めました。
服部と辻と牟田内を何故戦後のうのうと生きさせたのか?コイツら含め、作戦課の奴らは全員餓死の刑だろ。 -
86
腹が立ってしまった。
日本人は戦争をやってはいけない民族か。
日本国の近現代の戦争は非科学的過ぎる。 -
日本軍の組織としての特質と日本軍隊に通底する「思想」を追尋した古典的名著。日本にとってのアジア太平洋戦争における「死」の実相に迫る。
冒頭に「戦場・戦地での悲惨という他にない「餓え」が、日本軍中央の責任によるものであることを「告発」することが目的とあるように、数字を列挙する淡々とした記述の中に著者の静かな怒りが滲み出ている。じっさい、読み進めていくうちに、無機質なはずの数字たちが、奇妙な実在感をもって迫りはじめる。よく被害や犠牲を数字に還元すべきではない、といわれる。しかし、これだけの迫力でこれだけの数字が並べられると、それ自体として絶対的な差異の相貌を帯び始めてくるように思う。
著者の統計的な推測のしかたは、たしかにかなり大まかではあると私も思う。しかし、それぐらいしかできないというのが、この戦争の本質的な問題なのだ。数字の見積もりが過大であるという主張が、修正主義的な主張に取り込まれることがないよう、細心の注意が必要だろう。 -
本書は以前にも読み感想を書いたはずだが、文庫本が出たのを機に再度読み返した。ここに日本の戦争の本質が出ていると思っていたからだ。日露戦争でもそうであったが、今度の戦争でも戦闘死は意外に少なく、およそ3分の2は戦病死、あるいは栄養失調による病死であった。(また、死者の多くが戦況が悪くなった1944年以後に集中しているのも悲惨である)それは、攻めていくだけで補給線を確保しない、兵站を軽視した日本の軍隊の本質からきていると藤原さんは考える。中国の場合は、まだ略奪によって補給はできた。しかし、南方では戦線を拡大すればするだけ、補給はたたれ、また、アメリカの飛び石作戦によって戦闘から逃れたものの、餓死するだけの兵士たちがいかに多かったか。藤原さんは、ガダルガナル、ポートモレスビー、インパール、フィリピン等での餓死者を特に取り上げ、軍部のやり方を批判する。そのくせ、多くの将官は危なくなったら現場から逃れていっているのである。本書を再度読み返したのは、最近、藤原さんが自ら参戦した中国での経験を書いた本が文庫で再版されたからである。そこでの病死者は約半分。この数は人により多すぎるという批判はあるが、戦病死が多かったという事実は否定できない。また、解説を書いた一ノ瀬さんは、兵站が薄いというが、これだけの戦争ができたのは、それなりの兵站があったからで、そこの部分の研究が今後必要になると述べている。これはぼくにはよくわからない批評だ。
-
アジア太平洋戦争における日本の戦没軍人の過半数は餓死によるものであった ーこれを一次資料の分析から例証していくのみならず、そもそもこのようになった原因は何であったか、実際の飢餓の苦しみがどんなものであったかといった点も丁寧に分析・描写される。
根本には(とりわけ日露戦争での「成功」体験により押し進められた)精神主義があり、これと密接に関わる要因として、軍事作戦遂行には必要不可欠であるはずの交通・補給・情報に対する、甚だしい軽視があった。
このような戦時における陸軍の意思決定を実質的に左右していたのは、陸軍幼学校及び陸軍大学校を出た「エリート」中堅幕僚らであった。
これらの教育機関においては、実務を軽視し精神主義に偏した教育が行われ、また、指導者層の間では、兵士の人権を尊重するという意識は欠落していた。
こういった要素が相まって、日本軍の体質が形作られ、延いては無謀な作戦が繰り返されることとなった。
著者自身も陸軍歩兵として中国戦線に加わるなどの体験を持っており、それが本書に更なる迫真性を与えていると思われる。
太平洋戦争の実態を知るのにうってつけの一冊。