ディスコルシ ローマ史論 (ちくま学芸文庫 マ 35-1)

  • 筑摩書房
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (768ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480093523

作品紹介・あらすじ

『君主論』をしのぐ、マキァヴェッリ渾身の大著。フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、神聖ローマ帝国など、群雄が割拠し、戦いに明け暮れていたルネッサンス期。権謀術数が飛び交う中、官僚として活躍したマキァヴェッリは、祖国が生き残る方法を模索し続け、古代ローマ史にその答えを求めた。不利な状況での戦い方、敵対する勢力を効果的に漬す方法、同盟の有利な結び方、新兵器への対処方法、陰謀の防ぎ方と成功のさせ方、そして、最強の国家体制…。権力がぶつかり合う壮大な歴史ドラマの中で磨き上げられた、パワー・ポリティクス永遠の教科書。

感想・レビュー・書評

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  • 余談だが、ニッコロ・マキァヴェッリの思惑とはおそらく異なり、不届きにも寝ころんで読書する習慣の自分にはいささか腕が疲れた・・・。(笑)

    原題は『ティトゥス・リウィウスの初篇十章にもとづく論考』とのことで、リウィウスの著作『ローマ史』から読み取った古代ローマ史よりの事例に加え、マキァヴェッリの生きた現代イタリアの状況から得た事例をふんだんに教訓として盛り込んで、国家のあるべき姿やどのような時に国家は栄え、そして滅亡するかを論述する。
    各章の論述はそれほど長くなく読みやすくなっており、スタイルとしては章頭で、「人間は、悪党になりきることも善良になりきることも、まずはできないものである」とか「同盟を結ぶのには、共和国と君主のいずれに信頼をおけるか」とか「いつも幸運に恵まれたければ時代とともに自分を変えなければならない」などと自ら課題を立てた上で、それに対してギリシャやローマ史、現代イタリア史における事例を根拠に論理を展開してマキァヴェッリなりの結論を下す、というものである。
    当初は君主制と共和制の2本立てで、そのメリット/デメリットを含めた考察を行っていたはずではあったが、途中で『君主論』の執筆を行い完成させたこともあり、また、古代ローマの繁栄は共和制によりもたらされたとの考えから、かつての都市国家フィレンツェの政治形態と比較する上でも次第に共和制国家としての視点に力点を移しているようだ。
    訳者解説によれば、本書は古代ローマなどを理想国家と位置づけた上で、その倫理観などをどうすれば人間行為へ適用できるかということを課題とした当時流行の人文主義の思想に基づいているというが、そのため理想を追求するあまり、歴史事例からの結論を急ぎ過ぎ、現実的ではない議論もたびたび繰り返されているという。確かに今日ではもはやビジネス書の類くらいでしかお目にかかれないような無批判のテキスト解釈や人物視点の称揚と反省としての教訓化に彩られており、あまりにもストレート過ぎる「歴史から学ぶ」姿勢にはかなり戸惑いも感じるのだが、マキァヴェッリは歴史は同じ人間であるからこそ繰り返されていくものであるとの考えに立ち、人間によって繰り返される歴史をどう現実に活かせるかというマキァヴェッリなりの冷徹な政治思想としてよく昇華されているともいえる。マキァヴェッリの冷徹な政治思想といえば、パワーポリティクスに重点を置いた有名なマキャヴェリズムが真っ先に思い浮かぶのであるが、国家や政治運営に対する厳しく冷酷無比なその考え方は本書にもよくあらわれていて、これから国家を興し世界征服を企む人にはもちろんお薦めの古典テキストには違いないのだが(笑)、そのようなわけで理想化された政治思想を追う一方で、現実のイタリアやフィレンツェの国際政治状況との狭間で、いささかの矛盾や迷いも感じられるともいう。
    今回本書では、単なる歴史事象だけではなく、人間心理や宗教や社会の内面にまで踏み込み洞察することで「力の法則」の適用を訴えかけるものになっているが、その底流に流れる思想の原点は、本文中に繰り返されることになるヴィルトゥ(実力、手腕、武勇、美徳、才能、活力、繁栄)であり、その一方でのフォルトウナ(運、幸運)であるだろう。あるいはフォルトウナ(運)はヴィルトゥ(力)を持つ者だけに微笑むとも言い、結果が全てで手段を問わないとするマキャヴェリズム全開の論述には思わず笑みがこぼれてしまうが(笑)、さらに人間を突き動かすのはネチェシタ(必要)に迫られた時であるといい、人間の行動パターンを見極めた対策の数々の基本思考はなかなか興味深かった。
    このような一貫した考えに基づく本書は、例えば、複数の敵対国家の効率的な潰し方や、敗戦国を合併することなく同盟国として使いぱしりにせよとか(我が国だ!)、軍隊は国民皆兵でどんな恥辱を受けても生き延びさせろとか、最も長い章である「謀略について」での謀略の方法論など、今日でも立派に通用する話も数多く(笑)、特に謀略の仕方などは今後の参考にしたいと思う。うそ!(笑)

  • 君主論とかぶる部分も多いが、全体としてはより具体的な実例に裏打ちされている。特に第二章以降は参考になることが多い反面指示代名詞が多いため何の話をしているかわからなくなる箇所も多かった。運命を受け入れること、その中で幸運を願うこと、軽蔑や悪口は憎まれるもとで無益、相手が倒れた後自分が後につくには自分がその近くにいなくてはいけないなど今まで見てきた会社の政治とよく似ていた

  • MN2a

  • 訳:永井三明、原書名:Discorsi(Machiavelli,Niccolò)

  • 現代の政治を考えても、思い当たることがある箇所もあり、人間は500年以上たっても、本質はそうそう変わらないと思いました。

  • マキャヴェリは思想家とは言えても決して哲学者ではない。フィレンツェ社会の荒波でもまれた経験から育まれた彼の「教訓」はパワー・ポリティクスに基づく実践的な処世術ではあっても、善悪の価値判断を伴わないし、たぶん彼には信仰心は無い。
    本書は古代ローマの歴史をたどりながら、当時のフィレンツェを含めたヨーロッパ社会に適合するような、政治的教訓を取り出していこうとする努力の結晶である。「君主論」では君主制が絶対的なものとして支持されているかのように見えたが、ここでは古代ローマ的共和制を、少なくとも冒頭の辺りでは賛美しているかに見える。
    たぶんマキャヴェリは、政体に関しては何が良いとかいう判断をすることを、最初から放棄しているのだろう。現に与えられた枠組みの中での、政治判断を評論するようなスタンスは一貫しており、善-悪論に傾いた近代以降の思想家・哲学者達とは一線を画しており、私たちにはそれが異様に映るのである。
    だが彼の持ってくる「教訓」はどうだろう。複雑系科学に依拠するダンカン・ワッツの『偶然の科学』を先日読み、「結果から歴史をさかのぼってあの時のあの行動はああだったとかいう断定は、多くの人が陥りがちな知的過ちである」という見方を体得してしまった私から見れば、ここでのマキャヴェリの「教訓」はすべて、これ式の「結果オーライ」的な断定に満ちているように思える。
    国が存続をつづけ繁栄するならば、権力者は人を何人殺してもよい、とするマキャヴェリ的テーゼは、結果が良かった(ように思える)からそう言えるのであって、臣下や庶民を無数に殺した権力者が結局良い統治者だったか、悪い統治者だったかは、将来の結果を見なければ判断しようがないのである。
    そしてその「結果」は、ダンカン・ワッツ的に見るならば、ひとつふたつの原因によって到来するのでは無く、無数の要因や条件が重なって、ほぼ「偶然のように」やってくる未来でしかないはずなのだ。
    後半、戦争に関する術策を評論するマキャヴェリは実に生き生きとして書いている。自分自身の政界での体験や歴史的な本を沢山読んで得た彼の「処世術」は、たぶんその人生から必然的に生まれた有機的生命ではあるのだろう。15−6世紀にこのようなディスクールを展開したこの高名な著者の、歴史上の重要性を、私は否定する気はない。むしろ、彼がこのように「書いた」という現象を、興味深い史実として受け止める。
    それでも、「結果」から遡行して「原因」をたぐり寄せようとする貪欲な知的欲求に関しては、現代のパラダイムにおいては、そのままで価値があるものとは思えないのも確かなのだ。この貪欲な「原因」の要求については、確かに近代的な知の前兆として、見事なものではあったとしても。

  • 教養のためのブックガイドより
    p126
    世の識者は、将来の出来事をあらかじめ知ろうと思えば、過去に目を向けよ、と言っている。この発言は道理にかなったものだ。なぜかといえばいつの時代をとわず、この世の中のすべての出来事は、過去にきわめてよく似た先例をもっているからである。つまり人間は、行動を起こすにあたって、つねに同じような欲望に動かされてきたので、同じような結果が起こってくるのも当然なのである。

  • ティトゥス・リヴィウスの『ローマ史』に取材して、国家経営のあるべき姿を説いたマキャベリの大著。

    『君主論』においては、ひたすら君主制について論じ、国家を強大にするために君主はいかに行動すべきかを説いた。しかし、『ディスコルシ』においては、古代ローマに範を求め政治がいかにあるべきかを説く。ルソーがマキャベリを共和制論者として評価したのも強ち間違いではないことに気付かされる。

  • ローマ史論とフィレンツェ史は30年も前に岩波文庫で読んだ。その頃でさえ入手がなかなか出来ず、復刊された版をやっと手に入れた。岩波文庫版は苦心を感じさせる格調高い訳で読み慣れればなかなか読めるのだが、やはり時代を感じさせる。原語を読めない身にとっては、新訳は常に新しい何かをもたらしてくれる。
    旧訳のローマ史は、フィレンツェ史に比べて読む方に今ひとつ力が入らなかったが、このディスコルシはいろいろ考えさせるものがある。
    原発時代の今でも。あるいは今だからこそなのか?

    でもフィレンツェ史も出ないかな。本当に読みたいのはそっちなんだが。

  • 本文650ページ+訳注・解説など100ページ。
    全142章、1章あたり5ページほど。
    訳良し。


    以下に6章まで、雑な要約を書いた。参考に。
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    【1章】 都市の起源
    ○都市国家の創設者の力量は、土地の選定と法整備により試される。
    ○不毛な地は人々は勤勉になり、団結し国内不和も起こらないので良い。
    ○自然の安全保障を得られない、かつ他を支配するつもりがないのなら豊かな地を選ぶのが賢明だ。
      土地の恵みで人は惰弱になる。強い法規制及び軍事教練が必要。
    ○厳しい法がローマ人を縛り、土地の豊饒さ・海の便宜・度重なる戦勝によっても人々が腐敗することはなかった。ヴィルトウ維持の所以である。


    【2章】 共和国の種類
    ○政体には君主政、貴族政、民主政があり、順序立って堕落する。

      君主政⇒僭主政 相続による君主は堕落を憎悪され、攻撃的になる
                  いずれ打倒され、彼に代わる人々が政府をつくる
      貴族政⇒寡頭政 有力者が集い、僭主の例を踏まえて善政
                  彼らの子孫たちは君主と同様に堕し、覆される
      民主政⇒衆愚政 君主も有力者もいない政府が成立。長続きせず
                  秩序維持できず、人々は勝手放題に。君主政へ

    ○何度もこのような循環を繰り返してなお、生存できる国など存在しない。まず活力を保てないし、隣国に吸収されるだろう。
    ○最初の三つの良き政体のもつ性格を包含する政体をつくるのが堅実だ。なぜなら一つの都市に君主政、貴族政、民主政があれば互いに牽制しあうから。
    ○ローマでは国王が追放された後、二人の執政官を置いた。ローマ政府は執政官と元老院から成るようになった。それは君主政と貴族政の混合と言えたが、民主政の要素がないためにローマ貴族は平民に対し横暴になる。平民の権利を守る護民官制度が創設されるや、三者が交わりローマ政体は完全となった。


    【3章】 護民官制度へのいきさつ
    ○ローマ貴族は国王追放にあたって民衆の支持を必要としたが、事後は平民の離心もなんのその。国王という拘束具がとれ、横暴だった。
    ○貴族の横暴を抑えるため、大権と栄誉ある護民官が考案され機能する


    【4章】 平民と元老院の対立による自由獲得
    ○国家の運営には幸運と軍事力を必要とする。
    ○軍事力をうまく保つには、よい秩序という裏付けを必要とする。
    ○護民官成立に至るまでに起こったローマの内紛において、その程度は軽く、公の自由に役立つ法律と体制が整備されている。このようにしてできた統治法に不満がある人は内紛のマイナスに気を取られ過ぎている。内紛が護民官の成立の原因であるなら、内紛さえも評価されるに足る。


    【5章】 貴族と民衆のどちらが自由を保護できるか
    ○どちらとも言えない。ローマでは護民官に権力を託すようになると平民は2人の執政官のうち平民出身が1名だけでは満足できないようになった。監察官、司法官など相次いで平民の下に起きたがり、激情の赴くまま貴族打倒の闘士と考えられる人物を持ち上げて偶像視するようになった。ために、権力をほしいままにするものが生まれてローマ崩壊のもととなった。


    【6章】 
    ○スパルタは移民を受け入れなかったので、国民が彼らに染まって堕落することがなかった。人口は少なく、法制が優れていたので支配が容易。
    ○ヴェネチアは移民で人口が増えても、古株の多くの国民が平民の名で行政参加していたので支配層と被支配層の均衡を保てたので安定。
    ○上記2国のような国では国土拡大は害にしかならない。必要以上の軍事力は不要にセキュリティジレンマを呼び起こす。
    ○ローマはヴェネチアと違い平民に武力を与え、スパルタと異なって移民を認めたため多くの騒動の種をまいた。しかし、この世は一つ悪いものを取り除くと別の都合の悪いことが生じるのであるから、重要なのは実害を小さく留めることだ。ローマの偉大な発展は内乱によってもたらされた。

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