山水思想: 「負」の想像力 (ちくま学芸文庫 マ 25-3)

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  • 筑摩書房
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  • / ISBN・EAN: 9784480091420

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  •  松岡正剛「山水思想」-「負」の想像力より

    ◇禅の日本化-大日能忍の達磨宗-当時としては少々妖しげな新興宗教であり、同時代の明恵などは眉をしかめた/日本に於ては、禅は禅よりも広くなった、能禅一如や茶禅一味などの謂のように/大徳寺の一休文化圏は、珠光の茶や池坊の花を生んだ。

    ◇松竹梅がなぜ禅の教えとなるか-厳寒に耐えて松は緑を保ち、竹は雪を払い、梅は蕾をふくらませる、からである。

    ◇14世紀後半、北山文化の頃は、禅と連歌と過差と風流と婆娑羅が猛烈なスピードで広まっていった。/4代将軍義持に愛された如拙の「瓢鮎図」/水墨画を縦長の詩画軸型へと変容させた-古今の「様」に意を注ぎ、「様」を表意する役を担った「同朋衆」たち/この祖型を成したのは夢窓疎石だったろう/禅僧のみでなく時宗-時衆-とも関係は深かった、能阿弥、芸阿弥、相阿弥。

    ◇旅逸の画家、雪舟-1420~1506-の和光同塵-和漢習合-雪舟の後継を自称する、雪村周継/16世紀初めに生れ、85.6歳まで生きた、狂逸にして奇思あり、奔放疎野なり、「風濤図」「呂洞賓図」

    ◇狩野元信-1476~1559-による唐絵と倭絵の融合/真行草三体の使い分け/狩野派の画工集団化

    ◇日本文化の特質、「囲い」「囲う」/茶の世界で「囲い」とは茶室そのものを指す/抑も「幕府」というものも「囲い」の発想からのものであり、幕を張りめぐらせた仮設の府である。なぜこれが武家の棟梁としての政府の名称となったかといえば、朝廷を憚ったからであり、あくまでも天皇の在す朝廷こそ正式なものと立てるためである。

    ◇法華宗と京都の有力町衆-後藤、茶屋、野本、本阿弥など町衆の有力文化人はなべて法華門徒。

    ◇信長の南蛮異風文化への関心と受容/イエズス会の波はザビエルからヴィレラへ、ヴィレラからフロイスへと継がれ、信長とぶつかった/桃山文化は外来の南蛮文化にかぶれた時期であり、さまざまな意匠の冒険に拍車をかけた。-小袖と襦袢の流行、男の月代.女の唐輪髷の流行など、南蛮文化への好奇的な共振感覚に因っている/日本文化はコードを輸入してモードを自前につくりなおすことに長けており、そういう「様」を有している。

    ◇界を限る-demarcation-/ルネサンスの空気遠近法は、境界をなだらかな連続としてとらえ、その稜線を明らかにさせないようにした/モナリザの肩の稜線は分厚いニスによってなだらかに消え、遠景の風景と近景の人物との区切りを表す線はない/以後、マニエリスムとバロックを経て、レンブラントやフェルメールの時代になると、コントラストの強い光の投与を駆使した明暗遠近法が確立する-それが印象派の技法にもつながっている。

    ◇等伯の「松林図」-現れようとするものと消えようとするもの、顕現することと寂滅することとが一体となっており、出現と消去が同時的-crossing-なのだ/松林そのものが「影向」であり「消息」なのだ、そのものとして「一切去来」なのだ/「界を限って、奥を限らない」-「余白」と「湿潤」

    中国の山水、日本の山水  -2008.08.01記

    <A thinking reed> 松岡正剛「山水思想」-「負」の想像力より:承前

    ◇山水タオイズム-逸民としての/道先仏後の思想-2世紀後半、後漢の桓帝時代、西域からの仏教伝来が動因となり、道が先で仏は後と、老子を釈迦に対抗させた/太平道の出現-黄巾の乱/逸民-官僚社会からの隠遁者たち-の山水臥遊-魏晋南北朝の時代、黄河流域に安住してきた漢民族が大挙して長江を渡り、江南の地に移動していった/王羲之の蘭亭の会、流觴曲水の宴-5世紀初頭の陶淵明と宗炳

    ◇北の三遠、南の辺角-全景と分景/李成に勃興する華北山水画と、顧愷之を嚆矢とする江南山水画-また李思訓にはじまる北宗画と、王維にはじまる南宋画-王維の「皴法」-濃淡肥痩の線描、後に18の法に分化する/「水暈墨章」/「破墨」と「溌墨」の用法-破墨とは、「淡墨で淡墨を破る」と「濃墨によって淡墨を破る」の両あり、溌墨は、墨を注いで一気に仕上げる法/鉤勒体-コウロクタイ-と没骨体-モッコツタイ-へと受け継がれる。
    /北の三遠-全景山水-高遠、平遠、深遠の三遠近法を必要に応じ同一画面に採用/南の辺角-全景から点景へ、余白の重
    視-「馬夏の辺角」-馬遠の一角と夏珪の半辺

    ◇而今の山水、山水一如/道元「正法眼蔵」第二十九「山水経」に曰く、「而今の山水は、古仏の道、現成なり。空劫巳前の消息なるがゆへに、而今の活計なり」-世界の中に山水があるのではない、山水の中に世界があるのだ。山と水は古今を超えて現成し、そこに時間を超えた存在を暗示する。

    ◇枯山水の発見-昔より王朝の襲の色目に「枯野」があったように、枯れる.涸れる.離れるなどの負の相に「余情」や「幽玄」の美意識を育ててきた感性が、涸れることによって水を得る「負の庭」を創出せしめた/雪舟から等伯への、日本の水墨山水の道程は、この枯山水を媒介にしてみたとき明らかとなる。

    ◇無常と山水/中村元「日本人の思惟方法」に「無常観。それは一途であって、すこぶる多様なものだったと、まずはおもうべきである」と/「山川草木悉皆成仏」、天台本覚思想が無常の肯定を陰に陽にもたらした/源信の「往生要集」、良源の「草木発心修行成仏」/常ならずとは常あることの否定ではない、否定ではなくむしろ非定の相にあろう、そのような消息をどう動かして表出するかということが探し求められたのではないか-世阿弥の「せぬ隙」、「想像の負」とでもいうべき世界を。

  • ちょうど長谷川等伯400年忌である。
    「界を限って奥を限らず」なんてなるほど~と思えるけどもちょっと怪しげな部分もあったりして。(光悦が鷹が峰に転居したのはむしろ本人が望んだからのはずで、法華を理由に遠ざけられたってのは少し違うんでは?なんて素人の癖にえらそうですが)
    ベースに中国の水墨の知識も一通り必要ですね。

  • 雪舟~等伯~狩野正信へいたる
    日本美術の底流にある山水思想について
    中国からの視座を入れながら縦横に遊んでいる。
    その遊び心は、当代随一の渉漁家(といっていいのならば)ならでは。
    名だたる水墨の作家を前に一歩もひるまず
    絵に飛び込み、闊歩する様は、
    心地よい。
    この本を読んで、本物を前にすると
    絵の奥にひそむ水墨画家の息遣いが感じられてくる。

  • ”横山操という稀有な画人は
    『病気が回復したら水墨の大作で山水を描きたい。
    雪舟から等伯までの墨絵から出発しようと思います。』
    と言って死んでいった。”(本分より引用)

    引き算の発想。
    足りないから想像の中で連想させる。
    枯山水のように『そこに水がなくても』水を感じられる。
    想像のための余剰。

    日本の文化に流れる、
    この湿り気を帯びた部分を
    日々の生活で感じずにはいられない。

    湿り=霧、はっきりさせない、幻想的な、隠す

    この湿りが想像の余剰を
    大切にする文化を育んだのか?
    いわゆる『空気を読む』や、
    『阿吽の呼吸』に通じるように感じる。

    だからこそ、根底にある湿りの感覚が
    ゆさぶられ、等伯の松林図を見て共感を覚え、
    京都の銀閣寺を見て感動を覚えるのだろうか。

  • 出だしが雪舟で期待したが、くい足らずに終わり、等伯も同じ。

    薀蓄は多いが一貫したストーリーとしては大変弱く、中国の山水の歴史的記述はとても退屈だ。
    内藤廣が解説を書いていたのは意外。

  • 長谷川等伯展に行ってきた勢いで買ってしまいました。
    長谷川等伯の松林図は昔からなぜか好きで、絵葉書とか持ってました。この絵を見れば、ほぼ間違いなく、これは日本の絵だって分かる。しかし、じゃあなぜ、中国ではなくて日本だといえるか、と聞かれても説明はつきません。
    そんな不思議な感覚を説明する入口が本書では示されているようです。
    ようです。話が古今東西あちゃこちゃ飛ぶうえ、ある程度の美術史の知識を前提としているので、なかなか見えづらい。著者自身手探りで書いているという解説の指摘はまさにそのとおりかと。
    しかし、個々のエピソードは非常に興味深い。世界史的に見て、雪舟とレオナルド・ダ・ヴィンチが同時代人だったとか、指摘されなきゃ絶対気がつかなかったです。

  • 日本人は自らの山水を探していたんだ。

    松岡正剛を読むと一度は影響を受ける。

  • 山水思想―「負」の想像力 (ちくま学芸文庫 マ 25-3) 松岡 正剛 (文庫 - 2008/4/9)
    新品: ¥ 1,575 (税込)

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著者プロフィール

一九四四年、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。一九七〇年代、工作舎を設立し『遊』を創刊。一九八〇年代、人間の思想や創造性に関わる総合的な方法論として″編集工学〟を提唱し、現在まで、日本・経済・物語文化、自然・生命科学、宇宙物理、デザイン、意匠図像、文字世界等の研究を深め、その成果をプロジェクトの監修や総合演出、企画構成、メディアプロデュース等で展開。二〇〇〇年、ブックアーカイブ「千夜千冊」の執筆をスタート、古今東西の知を紹介する。同時に、編集工学をカリキュラム化した「イシス編集学校」を創設。二〇〇九~一二年、丸善店内にショップ・イン・ショップ「松丸本舗」をプロデュース、読者体験の可能性を広げる″ブックウエア構想〟を実践する。近著に『松丸本舗主義』『連塾方法日本1~3』『意身伝心』。

「2016年 『アートエリアB1 5周年記念記録集 上方遊歩46景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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