- Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480087850
作品紹介・あらすじ
人間存在の意味とその営為を根本的に変化させてしまった二十世紀。その時代とともにあったダダ、シュルレアリスム運動は、既成の芸術運動をはるかにこえ、時代の"意識"を最前線にたって変革していく思想運動だった。トリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユら、時代を体現した前衛芸術家たちの活動を通して、現代の思想とアートの一大パースペクティヴのなかで捉えなおされる、衝撃的な二十世紀思想・文化史としての、ダダ・シュルレアリスム論。
感想・レビュー・書評
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少し難易度の高い内容だったが、ブルトンとツァラの対立、ブルトンとバタイユの違い(深層を目指すという点では同じ人間であったが、至高点を目指して高みに昇ろうとする鷹のようなブルトンに対して、地へと潜っていくモグラのようなバタイユという差があり、そこが決定的に違っていた)、レーモン・ルーセルとダダの章は勉強になった。
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/738159 -
2023.04.11 なかなか難解で、やはり背景情報がないと理解できない。雰囲気だけ掴んだ感じだが、それも意味深い。
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20世紀に起こった芸術運動、ダダとシュルレアリスムについての論考。ダダが起こった時代背景やダダがどんな意味を持つ思想運動だったのかをダダの創始者トリスタン・ツァラを中心に分かりやすく解説しています。またシュルレアリスムの事の起こりについてもアンドレ・ブルトンを中心に触れてます。ダダとシュルレアリスムは確かに芸術運動でしたが、思っていたよりもずっと政治色が強い思想運動だったこと知りました。芸術と政治は決して切り離せないのだと思いました。レーモン・ルーセルを本書で初めて知ったのですが、とても興味を惹いたので作品を読んでみたいです。
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チューリッヒからパリへダダという運動を持ち込んだトリスタン・ツァラと、アンドレ・ブルトンらシュルレアリストたちとの交流を描き、さらに時代の中で彼らと交錯するような思想的・芸術的実践をおこなったジョルジュ・バタイユやレーモン・ルーセルらを扱った論考を収録しています。
「シュルレアリスムと全体主義的言語」と題された論考では、ジャン=ピエール・ファイユの研究を手がかりに、ダダやシュルレアリストのような前衛運動とファシズムとの同時代的な共振について触れており、興味を惹かれました。ただ、問題の提示にとどまっていて、あまり詳しい考察は展開されていないようです。同じ著者の『20世紀思想を読み解く』(ちくま学芸文庫)でも、同じ問題が扱われているようなので、いずれ読んでみたいと思います。
反言語の領域へ向けて挑戦を続けたダダが、言語の存在しない「子宮内の胎児の世界」へと回帰したいという願望を秘めていたという指摘なども、上の問題と絡んで興味深いテーマにつながっているように思われますが、これも問題提起にとどまっており、もどかしさを覚えます。 -
ツァラについて、もう少し。
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解説にもあるように、あくまでダダ(特にツァラ)を軸にした話。シュルレアリスムについて興味があって読んだが、謀らずしてその本来的な側面が見られて良かった。文章も適度に読み易く入り込み易い。理解が広まる一冊。
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ツァラに主軸をおいてダダ・シュルレアリスムを語られていました。変えないスタイル、変化していくスタイル。同じ外圧を受けた時さて自分はどちらだろうか?