国際報道を問いなおす ――ウクライナ戦争とメディアの使命 (ちくま新書)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480074942

作品紹介・あらすじ

メディアはウクライナ戦争の非情な現実とその背景を伝え切れたか。日本の国際報道が抱える構造的欠陥を指摘し、激変する世界において果たすべき役割を考える。

感想・レビュー・書評

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  • ◆「何でも見る」の姿勢こそ [評内田誠(ジャーナリスト)
    <書評>『国際報道を問いなおす −ウクライナ戦争とメディアの使命』杉田弘毅 著 :東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/198362?rct=shohyo

    筑摩書房 国際報道を問いなおす ─ウクライナ戦争とメディアの使命 / 杉田 弘毅 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074942/

  •  中鮮越の社会主義に「ロマンチックな思い入れ」があった昔の報道の問題、米国メディアの党派性、中露を中心とした思想戦、現在のウクライナ戦争の報道と内容は幅広い。また、伝えるメディアの問題か、受ける側の問題なのか、必ずしも明確ではない。
     ただ一貫して感じる著者の問題意識は、複眼的な視点の重要性だ。欧米とは異なる「もう一つの声」アルジャジーラは好意的に評価。一方で完全に価値相対的でもなく、CGTNやウクライナ戦争に関する露報道のように、権威主義下での自由がない報道には否定的だ。
     その上で著者は、欧米メディアを活用しつつも、欧米とは異なり、善悪二分法に陥らない「日本人の視点」の報道がチャンスだとする。

  • 所謂「国際報道」というモノが在る。それは「如何いうモノなのか?」を深く考えて綴ろうとしたことから本書は始まり、やがてロシアのウクライナへの軍事侵攻という事態が発生し、「連日のように耳目に触れる“国際報道”」ということになって、その報道の在り方にも筆が及んでいるのである。
    本書の中で「戦争の最初の犠牲者は事実」という旧い言葉が引かれていたのが少し強く記憶に残った。実際、「戦争について伝えられた経過」を振り返ると、「事実は??」という程度に姿が見え悪くなってしまうものなのかもしれない。
    ウクライナの件は、これまでの何度も繰り返された戦争の報道と一味違って、ロシアと米国と、権威主義と民主主義との大きな陣営の対立が醸し出され、生々しい「戦禍の中の人々」の様子がこれまで以上に詳しく伝わっていて、酷く関心が高いということにも本書では触れられている。
    少し前に『戦争広告代理店』という、紛争を巡る“印象操作”のような事柄を取上げた本も読んだのだったが、繰り返された各種の紛争でのそういうような出来事、またウクライナの事案でもそういうことが繰り返されているということに本書では触れられている。
    著者は長く通信社の外信部で活動した経過が在り、現在は大学の教壇に立ち、加えて記者達の団体の役員等も務めている方であるようだ。本書には、御自身の活動の中での経験や見聞等が反映され、加えて報道等を巡る方々での様々な論議に目が配られていて、なかなかに引き込まれる内容だった。
    事実が提示され、事実の背景が解説され、今後の展望が語られるという3つの局面が組み合わさって、所謂“報道”というモノは成り立つというのが本書の著者の観方だ。そういう中、記者達には「もっと様々な観方」を伝える余地が或る筈だということなのだと思う。
    「国際報道」というモノの注目度が高まっている中であるが故に、本書のような“材料”を得て、色々と研究する余地が在るように思う。

  • 朝日新聞202286掲載 評者:三牧聖子(同志社大学准教授)
    毎日新聞2022823掲載
    東京新聞2022828掲載
    読売新聞2022911掲載

  • 著者の杉田弘毅さんは、1980年共同通信社入社後、大阪社会部、テヘラン支局、ニューヨーク支局、ワシントン支局長、論説委員長などを経て、現在は特別編集委員兼論説委員であり明治大学特任教授(メディアと国際政治)でもある。2021年度日本記者クラブ賞受賞。

    国際報道に携わってきた自身の経験と見識から、特に日本の国際ジャーナリストに望むことが主題となっている。
    この本を書いている最中にロシアのウクライナ進攻が始まったようだが、ジャーナリストの観点でその見方が具体的に書き加えていると感じた。

    目まぐるしく変化する国際社会に、安易な理想や思い込みは通用しない。ジャーナリストにとっては、権力に流されることなく、自分で体を動かして事実をつかみ、冷静な分析を行い、正確に報道することが求められるのだろう。答えは白黒選択のような単純なものではない。国々の理念や正義は絶対的なものでもない。
    我々も見聞を広め、何が正義なのか深く考えることが大切だろう。

    1.先駆者たち
    1960年代、特派員とは欧米メディアを翻訳し紹介すると言う全く独立心のない記者が多かった。(横のモノ(英語)を縦(日本語)にすると言われた)しかしベトナム戦争の取材では岡村明彦、開高健(芥川賞作家にしてバリバリの左派知識人)、文芸評論家の松村剛などは骨のある取材をした。
    島国日本の世間知らず的なナイーブさがあったことが理解出来る。

    2.国際報道の落とし穴
    アラブでの取材の難しさや、中国に対する贖罪意識から生じた、そして今ではパワーポリティクスの主役となった中国に向ける眼の曇りがあることを述べる。
    イラン原理主義の宗教的立場と自由民主主義を標榜するアメリカとは住む世界が違うので、衝突を回避する小さな合意が精一杯だ。メディアはどっちが悪いかを明確にしてストーリーを書くのが得意だし、読者もそうしたものを求めるが、現実世界はそれほど単純ではない。
    日露の平和条約締結と北方領土返還交渉に関して言えば、エリツィンからプーチンに交代してからは、恐らく現実味がなくなった。日本の対ロシアで特筆すべきは、感情論で進めていたこと。情に訴えれば何とかなると思っていたのだろうが、相手は人をいい気分にさせる嘘をいくらでも言う。

    3.混迷するアメリカメディア
    日本はアメリカメディアに頼りっきりだが、過度に評価し過ぎで、アメリカメディアを通してアメリカ像、世界像を描くと間違える。
    アメリカの取材力は、その数や英語でのソースを集めやすこと、また権力に対しても批判的にウオッチすることから比較的信頼出来ると考えられるが、コソボ紛争ではアメリカの広告代理店がセルビアを悪者に仕立て、その結果アメリカの軍事介入が実現した。また政府高官や反フセイン運動指導者によるイラクの核兵器、生物科学兵器の存在を鵜呑みにした報道で(計画すらなかったのに)世論が後押しし、開戦に至った。
    アメリカメディアも劣化している。

    4.世界の思想戦とメディア
    そもそもメディアは国民国家に寄り添う。
    自由主義諸国のメディアは民間企業である場合が多いので、国民が読み視聴してくれるニュースを作らざるを得ない。戦争報道などでは国民の思いや国益に沿った愛国的報道になりがちだ。一方権威主義国家は、そもそも国家の宣伝機関なのでプロパガンダ·思想戦に、当事者として貢献する。
    そんな中、アルジャジーラは、違う角度から報道をしている。ロシアや中国も国際放送機関を作ったが、偏向的な視点は残ったままだ。
    ロシアによるウクライナ進攻では、情報戦も重要な役割を担っている。国連では避難決議を出そうとするが、権威主義の国々は賛成しておらず、中国の人権問題含め、必ずしも世界は民主主義に対して肯定的ではないことが判る。
    そうは言っても報道の自由を基盤とする欧米メディアが、結局は主流の座を維持し続けそうだが、それだけでは世界には理解出来ない矛盾や問題が溢れている。もう一つの声にも耳を傾けて、自ら判断する力が求められる。

    5.ウクライナ戦争報道
    この戦争の行方は混沌としているが、戦争を防ぐ手立てはあったのではないかと言う問いかけをメディアはしていくべきで、それが国際報道が受け入れられるかの鍵になるだろう。
    報道機関が伝えるニュースには、事実の提示、何故そうした事実が起きたかの解説、今後どうなるのかの展望の提供が必要だろう。
    日本の国際報道では、日本人の視点による思考と論理が大切。苛烈な世界で、核兵器も資源も持たずに国を築いてきた日本を支えたのは、対立を好まず妥協を見出だそうとする国民性や包摂的な文化の力等の思考或いは生き様だろう。それらはジャーナリズムにも一層反映すべきだ。

  • 国際報道は、果たして真実を的確に報道してきたのか。ウクライナ侵攻報道も含め疑問が深まる。
    それでも使命として、報道はし続けなければならない。

  • 日本人のジャーナリストについて、ベトナム戦争から解説している。ロシアのウクライナ侵攻についても書かれており、現在の様々な戦争におけるジャーナリズムについて記載されている。それだけに多くの焦点があるので、どこに注目するかというよりも問題提起になっている。より限定された内容について詳細に書かれたものがあれば、卒論に役立つであろう。

  • 日本人にとって国際報道とはどのようなものであったのか、またこれからの日本メディアの国際報道はどうあるべきかということを考えさせられる本だった。

    筆者は共同通信の記者として、中東やアメリカで長く国際報道に携わってきた。本書では、そのような筆者の経験から得られた、日本メディアと欧米メディアの国際報道に対する取り組みの違いの分析が記述されている。

    さらにそれに加えて、戦後の日本の国際報道の歴史や21世紀以降の世界各国における国際報道の変化も取り上げられており、より多角的な視点から、国際報道のあり方や課題について検討をしている。

    日本の国際報道は、欧米のテレビや新聞、通信社が配信する情報の翻訳に過ぎないと言われることが良くある。筆者も国際報道に関わる中で日本メディアと欧米メディアの取材力の差を痛感することが多くあったという。

    しかし、これは戦後を通じて一貫してそうだったというわけではなく、日本のメディアや記者が今よりも活発に前線に迫ろうとした時期もあった。特にベトナム戦争は、日本からも多くの記者が全線で取材し、その中には日野啓三や岡村昭彦といった国際的に高い評価を得たジャーナリストもおり、また開高健のような時代を代表する文筆家もいた。

    ベトナム戦争は、アメリカのメディアにとっても戦争の実相に迫るという意味では国際報道の頂点の時期だったと言ってもよいだろう。そして恐らくこの時代には、日本のメディアは欧米メディアと比較しても十分に存在感のある国際報道を行えていたのではないかと感じる。

    しかし、その後国際報道は困難な時期を迎える。一つには、湾岸戦争以降の戦争報道に見られるように、政府や軍のコントロールが強化され、以前のように自由に現場で取材をすることができない環境が生まれているという理由がある。本書ではそれほど触れられていないが、天安門事件以降の中国など、この傾向は欧米に限らず強まっているであろう。

    また、そのことと相俟って、報道がイデオロギー衝突や多様な価値観の間で、正確性、客観性を保つことが非常に難しくなってきているという背景もある。

    筆者も、国際報道の落とし穴として、いくつかの注意点を挙げている。例えば、仮に現地で市民や政府の当事者に取材をしたとしても、それらの人々も紛争の当事者であり、彼らが言うことが全て事実であるとは限らない。また、取材する側も何らかのイデオロギーや善悪二元論から逃れることは難しい。中国に対する一時期の報道や、中東における紛争での欧米メディアと中東メディアの報道姿勢の違い等が、挙げられる。

    このような状況の中で、欧米メディアにおいても、国際報道における信頼性や影響力を以前ほど持てていないのではないかと思われる事象も生まれている。例えば、第二次湾岸戦争に突き進んだ米政権のロジックを批判的な検証なく報道したアメリカメディアは、その後大きな反省を迫られることになった。

    国際報道の環境におけるもう一つの大きな変化は、アメリカ、ロシア、中国など世界の主要各国の情報戦略のさらなる進化である。それぞれが自国の主張や政策に有利な情報をいかに世界に浸透させるかということにしのぎを削っている。

    アメリカのメディアに対する対策は、湾岸戦争以来継続的に指摘がされてきた。また筆者はロシアのRT、中国のCGTNなど、それぞれの国が英語による情報発信メディアを作り、政府の主張を世界に向けて発信している。

    このような環境の中で、日本のメディアは国際報道に対してどのように向き合っていくべきなのか。筆者は、国際報道の現場に送り出す記者の数や現地での情報収集という点で、日本のメディアと海外のメディアの間にはまだ大きな格差があり、これを短期間で是正することは難しいと感じている。

    しかし、報道の役割は事実の伝達だけではなく、その背景に対する解説や今後どうなるかに関する予測といった、多面的なものがある。そして、これらの面でインパクトのある報道をするために必要なものは、「日本人としての視点」であると筆者は述べている。

    全てのメディアは何らかの価値観や立場から完全に自由であることはできず、そういった中でアメリカ、ヨーロッパ諸国、中国、ロシア、中東といった各国とはまた異なった視点から報道をすることができる日本のメディアは、世界にとって価値のある報道をすることができる可能性を持っている。

    強権化する中国政府のあり方を伝えるのは中国メディアではない。また、分断されたアメリカ社会の両面を伝えられるのもアメリカメディアではない。それらの事象を外から見られる立場を活かすことは、日本のメディアの存在意義につながる。

    また、世界各国メディアの価値観や立場は、その国が辿ってきた歴史に負うところが大きい。戦後日本の歩みは、西側の欧米諸国の歴史とも社会主義陣営の歴史とも異なる経緯を辿ってきた。また、第二次世界大戦の敗戦国としての平和主義を軸とした外交の歴史も、日本社会が世界各国とは異なる視点から国際紛争を見ることができる可能性をもたらしている。

    このような特徴を持ったメディアが国際報道の現場にいるということが、全体としてより多角的な国際報道の実現に寄与するという可能性を、筆者は述べている。

    本書を読んで、国際報道と言っても一つの色で語れるものではなく、むしろそれぞれのメディアが位置する国やそのメディアの情報を受け取る市民のあり方が、報道の内容に多様な色を付けていくものだということを、改めて考えさせられた。

    そうであれば、日本メディアの国際報道のあり方を考えさいにも、日本の世界の中での立場や特徴を振り返ることこそが重要であると気づかされた。

    また、情報の受取り手としても、欧米の主要メディアだけの情報で判断するのではなく、より多様な国のメディアからの情報を得ていくことで、情報のコントロールや偏りに影響されない理解を得ることができるようになると思う。

    改めて、報道の伝え手と受け手の双方にその足元を見直すように訴えるような内容であったが、国際報道の現場で、メディアとしての限界や各国の政府の情報戦による困難を肌で感じてきた筆者であるからこその真摯な提言であると感じた。

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著者プロフィール

1957年生まれ。一橋大学法学部卒業。1980年共同通信社入社。大阪社会部、テヘラン支局、ニューヨーク支局、ワシントン支局長、論説委員長などを経て、現在は特別編集委員兼論説委員。明治大学特任教授(メディアと国際政治)。アメリカ政治・外交、日米関係、中東、核兵器問題などを専門とする。2021年度日本記者クラブ賞受賞。著書に、『検証 非核の選択――核の現場を追う』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)、『アメリカの制裁外交』(岩波新書)などがある。

「2022年 『国際報道を問いなおす』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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