ひとり空間の都市論 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480071071

感想・レビュー・書評

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  • タイトル買い。

    なぜ、日本には「おひとりさま」をターゲットとした空間が多く見られるのか。
    著者があとがきで触れているように、幾つかの視点(や、ケーススタディ)を以て多層的に述べられている。手がかり的な一冊。

    そもそも、「ひとり」とは、どのような状態かという定義から本書はスタートしてくれる。
    確かに、社会で生きている上では、何かしら所属している場所があっても、「ひとり」という状態はあり得る。
    ウチからソトへの移動の中で、「ひとり」という状態が利用しやすい場面に、ひとり空間は配置されている。
    但し、ひとり空間が社会の中に在るということは、そこでは周りの視線を気にしなくてはならない不自由も起きる。
    「ひとり空間」だからと言って、本当にひとり自由気ままではないところが、不思議だったりする。

    また、ウチであってもひとりであるという人は、部屋に多くの機能を置かず、それらをウチの延長線上としてソトの空間で賄うことも可能だ。

    そう言えば、小さい頃、押入れの狭い空間の中で時間を過ごすことに魅力を感じていた(笑)
    こうしたミニマルへの憧れは、海外のようにドーンと大きく広い家に住む人々には伝わらないことなのだろうか。

    ただ。ファーストフードにおける「ひとり空間」では、確かに非関与性が強調され、そのことで客の回転が早くなるという店側のメリットもあるのだろうけれど、過剰な個室は、ひとりで食事を摂ることの味気なさも強調しているようにも思えた。

    そう考えると、今までの日本の「ひとり空間」は、結局、便利で早い、という質より量(時間短縮)を狙いとする場なのだろう。
    それが、ひとりカラオケやコンセプト型ビジネスホテルといった、ひとりでいることの質にスポットを当てつつあることは、個人的には良いと思う。

    そのスポットは、今は若年層〜勤労者に当てられたものがほとんどだが、超高齢化社会に移りつつある今の日本では、そうした人々にスポットを当てて、より質の高い「ひとり空間」が創られていくことを願っている。

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001172692

  • 序章 「孤独のグルメ」の都市論
    第1章 ひとり・ひとり空間・都市
    第2章 住まい 単身者とモビリティ
    第3章 飲食店・宿泊施設 日本的都市風景
    第4章 モバイル・メディア ウォークマンからスマートフォンまで
    第5章 都市の「ひとり空間」の行方

  • どんな住宅がこれから要望されるかと思って、本を読んでいるのだが、なかなかストライクゾーンが見えなかった。
    それが、この本を読んで、やっとフロントガラスの景色がはっきりと見えてきた。
    それは、都会とは「ひとり空間」で成り立っているということだ。ひとり世帯が、東京では45%を超えている。
    都会は、一人の方が暮らしやすいのだ。都市では、子供や老人が負担になり、結婚が遅れ、結婚をしない人も増え、個人が複数の自分を生み出す。名前は消失し、匿名の非人格的な存在となる。田舎にあった地縁のしがらみ、近隣の人間関係から解放される。都会は、自分に合った刺激があり、自分で好きな情報を選択できる。携帯電話とSNSは、ひとり空間を充足させる。食は、コンビニやテイクアウトで外部依存ができ、いいよに誘われる。カウンター居酒屋、ひとり焼肉、ひとりカラオケ、ネットカフェ、個室ビデオ、カプセルホテル、コインランドリー、ひとり空間はあふれ、自由気ままに生きられるのだ。
    そして、都会では、老人は孤独死をする。
    住居は、第1空間、学校や職場が第2空間。そこを移動する空間が、都会に用意される。この本の最初に論じられているのが「孤独のグルメ」で、現在の日本の立派な都市論だという。そして、「状態としてのひとり」を実証していく。
    みんなという言葉は、昭和で死語となった。コロナがさらに、ひとり空間であることの安全性を示している。
    引きこもりが、社会悪のように言われていたのが、当たり前になってくる。仕事のスタイルもコックぴっどみたいになる。住居も一人でゆったりできる好きな空間を作り上げることになる。ひとりをコミュニティにつなげる新しい形が生まれるだろう。

  • 一人焼き肉、一人カラオケ、漫画喫茶など、世界でも類を見ない一人空間に溢れる日本。
    一方でひとりに対してポジティブな視線を向けられることは少ない。
    筆者は「都市空間ではひとりである状態が当たり前だ」という前提に立った上で、なぜ日本にはこうまでしてひとり空間に溢れるのか?を住空間から商業空間まで幅広い視点で分析している。
    様々な論文を引用しながら内容が構成されているので、非常に多くの知識と視野を得ることができ、中でも公営団地が大量供給された後、その子ども世代が独立し、六畳一間で一人暮らしすることを「団地から子供部屋だけが飛んでいった」と描いたことや、都市中心部における一人暮らし住宅は狭小ではあるが、食や娯楽の機能を街へ拡張している(冷蔵庫はコンビニで、本棚は本屋で)、という点は興味深い内容だった。
    一方で学術的な書き方をしているからか、もっとわかりやすい文章にできるだろうに、難解な文章(風)になっているのが残念なところ。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00260652

  • 第4章 モバイル・メディアーウォークマンからスマートフォンまで
    「ここで注目したいのは、ナインアワーズという名称にもみられる時間感覚である。
    ナインアワーズという名称は、「汗を洗い流す」+「眠る」+「身支度をする」という三つの行為を、それぞれ一時間+七時間+一時間=九時間に置き換えたことに由来している。上記の三つの行為に特化して、それぞれの機能を高める分、飲食などは都市の既存の飲食店の利用を促すという発想に立っている。すなわち、すべての機能を施設の内部で完結させるのではなく、外部の都市へ開くという考え方である。ナインアワーズが掲げているキーワードに、「トランジット」がある。この言葉を、ナインアワーズは、今日と明日の切り替えという意味で使っている。(中略)この発想は、細かい時間単位のミクロ・コーディネーションが要請される現代において、移動する先々で生じた隙間時間を有効活用したいという欲求に即したものだといえよう。」p.202-203

  • <目次>
    序章   『孤独のグルメ』の都市論
    第1章  ひとり・ひとり空間・都市
    第2章  住まい~単身者とモビリティ
    第3章  飲食店・宿泊施設~日本的都市風景
    第4章  モバイル・メディア~ウォークマンからスマートフォンまで
    終章   都市の「ひとり空間」の行方

    <内容>
    まじ社会学の本でした。最後に参考文献がたくさん載っているし。内容は、都市の「おひとり様」は、単身主義(本当に孤独だった)から、「ひとり」だけど、ネットやシャアハウスなど、「ゆるい」コミュニティになってきている(若者には)。最後にふと考えたのは、昭和期に「単身主義」で過ごし、平成の現代「おひとり様」の中高年は、この「ゆるい」コミュニティに乗り切れないので、『孤独死」するのかな?ということ。私などは端境にいるので、努力しないといけないかな?という思いでした。

  • 東2法経図・開架 B1/7/1304/K

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著者プロフィール

明治大学専任講師

「2016年 『商業空間は何の夢を見たか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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