ヒトと文明: 狩猟採集民から現代を見る (ちくま新書1227)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480069337

感想・レビュー・書評

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  • 一回りした啓蒙主義が鼻について読み通せなかった。

  • 明治17年に坪井正五郎など10人が、日本初の人類学の組織「じんるいがくのとも」を立ち上げた。これは数年後に東京人類学会に発展し、その後、現在の日本人類学会となる。明治26年に東京大学理学部の前身である理科大学に、日本初の人類学の講座が設けられ、坪井が初代教授に就いた。

    アボリジニには、岩壁壁画が描かれた場所で、ディジュリドゥというホルンのような楽器を吹き鳴らし、夜通し歌って踊る儀式がある。

    斎藤成也や著者らは2012年に、ゲノム全領域のスニップ検出法を用いて日本人の二重構造説をほぼ支持し、アイヌ・沖縄同系論の証拠も得られた。スニップ検出法は、ゲノム上に点在する多数の独立の単一ヌクレオチドをデータとして用いるもので、ミトコンドリアDNAやY染色体遺伝子とは非常に異なる。

    黄河文明へのコムギの伝来は、4500~4000年前に遊牧民によって短期間に成し遂げられたことが、先史考古学や植物遺伝学の証拠から示されている。

    前回の間氷期の終末の7万5000年前頃、身体装飾、シンボル記号、海産資源の利用などの行動が現れた。

    現在、フィリピンにいる多数の先住民族は、約5000年前の新石器時代以降に東アジアから渡来した農耕民。山間部にいる小柄で暗色の肌と縮れ毛の人々は、後期旧石器時代にインドネシアから渡来した狩猟採集民の子孫。

    戦争の起源については、人類学者の間でも、生物としての攻撃性・暴力が原因とする説と、農耕の開始による人口増大や土地・富・権力の私物化や獲得競争が原因であるという説に分かれている。

    アイヌ民族は、江戸時代の前までは北海道から東北地方の最北部に広がり、両地域のアイヌ民族は津軽海峡を超えて自由に交流していた。幕藩体制が確立されると、北海道アイヌは松前藩に支配された。松前藩はアイヌ民族との交易を独占し、アイヌ人を労働力として利用するようになった。江戸時代末に蝦夷地を探検した松浦武四郎は、アイヌ民族の惨状を記録して幕府に報告している。

  • ヒトとは何かを、文系、理系双方の考え方を交えて論じたもの。ヒトについては、生物学、医学、遺伝子学などの科学的分析と、文化人類学、史学、考古学など人文系の分析とがあって、融合した研究はなされてこなかった。そこを総合的に研究し、まとめたすぐれた研究成果だと思う。極めて論理的かつ学術的な、説得力ある内容であった。
    「(明治17年(1884)「じんるいがくのとも」設立(坪井正五郎))世界最古の人類学会は、1859年(「種の起源」出版年)パリに創設された。それからわずか20数年後に、日本に人類学会が設立されたのは驚くべきことである。アメリカには、20年先行している」p29
    「大型類人猿はその他サルに比べてはるかにヒトに近縁である」p44
    「現代人の脳容量は1000ccから2000ccまで個人差があるが、脳の大小と頭脳的活動には相関がない」p51
    「(「文化」の定義)私は、便宜上ヒトの文化を「遺伝によらず、学習によって集団内部にひろがり、価値判断によって選択され、世代を超えて伝えられる生活様式(伝統)及びその産物」であると理解している」p59
    「ヒトの分布圏は極北から熱帯へ、森林から乾燥地へ、さらに低地から高山まで、地球上のおよそあらゆる地域に広がっている。動物界で、ヒトほど多様な環境の中に棲み、身体的にも多様性が高い種は少ない」p101
    「(黒人のパーマ頭)直毛と比べて縮毛は頭部の表面に空気を保ち、あたかもヘルメットをかぶったように加熱から脳を守る効果がある」p108
    「ビッグバンはおよそ138億年前、地球の年齢はざっと45億年、生命が生まれたのが40億年前のことである。多様な動物が出現したのは約5億年前、1億ないし2億年前に繁栄した恐竜は約6600万年前に絶滅し、以後は哺乳類や鳥類の時代になった」p158
    「ダーウィニズムが「適者生存(サバイバル オブ ザ フィッテスト)」というメッセージを与えるのに対して、木村資生の中立説では「幸運者生存(サバイバル オブ ザ ラッキエスト)」となる。(木村は、英国の権威ある(進化生物学のノーベル賞に相当)「ダーウィン・メダル」を授与される)」p160
    「自然界では、持続的な正のフィードバックは例外的な現象である(数は一定を保つか減少する)。ガン細胞の増殖やイナゴの大発生等は、やがてエネルギー源や餌を食い尽くして死滅する。つまり、持続的な正のフィードバックは反適応的現象である。文明化のヒトの人口増大もこの現象ではないか」p163
    「ヒトは、進化史の一時期に「絶滅危惧種」であった。ボトルネックの原因として考えられるのは気候変化であろう。①ヒトの誕生当時の19万年前から13万年前の間と、②7万4000年前から5万9000年前の間は世界的に氷河期であった。いずれの場合もそれに続く温暖な間氷期があったために、ヒトは絶滅から免れることができた」p166
    「(ローレンツ)医学の発達によって本来なら淘汰されるはずの遺伝的疾患が残されるため、集団の中に有害遺伝子が蓄積してゆく。つまり、現代人は遺伝的に衰弱しているという」p183
    「(シューマッハー)現代人は自分を自然の一部とは見なさず、自然を支配、征服する任務を帯びた、自然の外の軍勢だと思っている。現代人は自然との戦いなどというばかげたことを口にするが、その戦いに勝てば、自然の一部である人間が実は敗れることを忘れている」p182
    「マンモスを1頭ではなく2頭殺すことを覚えた旧石器時代のハンターたちは、進歩を成し遂げた。しかし、群れ全体を断崖絶壁から追い落として200頭いっぺんに殺すことを覚えたのは、進歩しすぎだった。彼らはしばらく羽振りのいい生活を送ったが、そのあと飢えてしまった」p188
    「それまでの人類史では普遍的な存在であった狩猟採集民とは別に農耕・牧畜民が出現し、その系列が人口増大と土地や富・権力の集中、ならびに世界への拡散を通じて現代文明を築いてきた」p196
    「(植民地主義)①コロンブスによる西インド諸島(ハイチ)への渡航と侵略(1492~1504)②コルテスによるアステカ王国の壊滅(1521)③アルバラードによるマヤ文明の破滅(1541)④ピサロによるインカ帝国の植民地化(1533)」p228
    「戦争の起源に関する考えは2つに分かれている。1つは、戦争がすでにヒトの誕生と同時にあった、生物としての攻撃性・暴力が原因だとする。別の考えでは、戦争は農耕の開始以後にはじまった。その直接的原因は「人口増大」と「土地及び富と権力」の私物化・獲得競争という文化にあるとする。私は、後者の立場である」p240
    「盛況と(ピューリタン)たちは「紙が病原菌をつかわして、われわれの行く手を清め給うた」ことに感謝すればよかった」p246
    「2005年のEFは約1.3である。つまり、人間全体が地球に与える負荷を吸収・処理するには地球が1.3個分必要であることになる。(日本は2.3、アメリカとUAEは4.3)」p252
    「一般の人にとって、知らない人間や民族に関しては関心がないので、どうなってもよい。同じ村の一員が苦境に立つとみんなで涙を流して心配するが、遠い国の見知らぬ人間の悲惨さについては興味がない。「知らない」ということが地球文明のための大きな問題となる」p261

  • 好きな著者の自伝などはたいがいすぐに飛びつくのですが、尾本先生の著書はいままで読んだことがなかったので、少し迷いました。が、これは断然、読んで正解でした。正月の帰省中、高速バスの中で、何度もクスクスと笑えてしまいました。ドイツ留学時の話。共用の冷蔵庫に入れておいた味噌を捨てられてしまった。においをかいで、腐っていると思われたらしい。東大医学部受験時の問題「シラミの絵を描け」。50年以上前の話ですが、これはすごい。結果は、絵は描けたが、他の問題がとけず不合格。そして、「医学部くずれ」の独文学科。そのあとの鈴木尚先生との出会いがいい。文学部で行われた「人類の進化」についての講義を聴く。授業後の質問。どうやら的を射ていたようで、授業後に声をかけられる。「君は文学部にしては変わった学生だね」これが、尾本先生と人類学との出会いだったそうです。いつの時代も、こうした偶然の、いや必然だったのかもしれませんが、出会いが人生を変えていくのですね。後半は我が意を得たりという感じで、気持ちいい記述が続きます。アメリカにしろ、オーストラリアにしろ、先住民の大虐殺という歴史を忘れてはならない。経済が「右上がり」でなければならないという原理を見直すこと。ヒトの原点の「生き証人」である狩猟採集民から学ぶべきことがたくさんある。現在の文明の状況が真に危機的であるという認識を共有し、世界中の人間が「自己規制」という共通の目標を持ちたい。「スモール・イズ・ビューティフル」。人類学を学ぼう!

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著者プロフィール

1933年生まれ。分子人類学者。東京大学、国際日本文化研究センター名誉教授。2015年、瑞宝中綬章。

「2019年 『教養としての将棋 おとなのための「盤外講座」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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