現代語訳 武士道 (ちくま新書)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480065650

作品紹介・あらすじ

日本人は、宗教なしに道徳をどう学ぶのか-こうした外国人の疑問を受け英文で書かれた本書は、世界的ベストセラーとなった。私たちの道徳観を支えている「武士道」の源泉を、神道、仏教、儒教のなかに探り、欧米思想との比較によってそれが普遍性をもつ思想であることを鮮やかに示す。「武士道」の本質をなす義、仁、礼、信、名誉などの美徳は、日本人の心から永久に失われてしまったのか?日本文化論の嚆矢たる一冊を、第一人者による清新かつ平明な現代語訳と解説で甦らせる。

感想・レビュー・書評

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  • 前から読んでみたくて、現代語訳ということもあり手に取りました。

    結論、私の頭が悪すぎてあまり理解できませんでした。

    もっと武士道の精神を熱く語るのではという先入観がいけなかった…。

    日本人の武士道精神を他国の宗教の教義と照らし合わせながら解説する本なのですが、その例えも難しくて私には合わなかったようです。

    うーむ、歴史物への恐怖感が出てきたなぁ

  • 1900年に英語で出版された『武士道』は、日清戦争に勝利して国際的地位を上げようとしていた日本という国が、その文化と精神性が世界でほとんど理解されていなかったことを新渡戸が危機感をもち、世界に発信するこほを目的として出版されたものである。英題は”Bushido: The Soul of Japan”。1905年の日露戦争の講和条件についてのポーツマスでの交渉の前に、仲介役の米国に対して日本の道徳的に当時の先進国に劣るものではないことを示すためにもこの本は使われたと言われる。時は下って、セオドア・ルーズベルトやJ.F.ケネディといった米国大統領もこの本を読んだと言われており、代表的日本論としてその名が上がる『菊と刀』を書いたルース・ベネディクトもこの本の影響を受けたと言われている。ベネディクトの『菊と刀』における罪の文化と恥の文化の比較は、信や名誉を論じた『武士道』の章を読めばその影響は明らかであるように思われる。旧五千円札の肖像にも使われた新渡戸稲造だが、そのゆえんを示す本である。

    なお、新渡戸は『代表的日本人』の内村鑑三と同じく札幌農学校に学び、キリスト者となった。序文にもある通り、この本を書くきっかけが、海外の学者に日本に宗教教育がないのにいかにして道徳教育が授けられるのかと問われたからだという。今でこそ無宗教であると言っても、おそらく少なくともビジネス社会では受け入れられるが、それこそ20年前のアメリカにおいては無宗教であることは道徳教育の観点からも何らかの説明が必要なことであったようだ。

    『武士道』に書かれた規範が生まれたのは、太平の世が長く続いた江戸時代である。その意味でも、「武士道」の道徳や精神性は平時における日本人の精神性を表していると言える。「武士道」は、仏教や神道、孔子や孟子の思想、朱子学、陽明学などの精神をよく継承をしているが、どこかに明文化されているものではなく、それだけにいっそう日本人の内面に刻み込まれた規範として承知され行動を拘束するものであったとされる。

    本書は全十七章から成り、「道徳体系としての武士道」「武士道の源泉」「義」「勇気」「仁」「礼」「信と誠」「名誉」「武士の教育」「克己」「切腹と敵討の精度」「刀、武士の魂」「女性の教育と地位」「武士道の影響」「武士道はまだ生きているか」「武士道の未来」といった章からなっている。各章の終わりには次の章のテーマが触れられており、そのため全体の流れもよく練られた感じを出すことに成功している。この本を非母国語である英語で書いたという事実は、明治期の知識人の行動と能力の高さを示すものであり、素直に感服するところである。

    同時期に読んだマキャベリの『君主論』と比べるとよくわかるが、「武士道」の内容は為政者の戦略や思想としては、明らかにナイーブであり、性善説によって立ちすぎである。「敵に塩を送る」という諺のもとにもなった上杉謙信が敵である武田信玄に塩を送ったことを勇気や仁の心を示す高貴な模範であるということからも『君主論』の内容との明確な違いがよくわかる。また、「武士道」のロジックは、周りや相手も基本的には同じ考えを持ち、さらに周りとの関係性が継続することが前提である。このことから、同質性と閉鎖性がひとつの特徴でもあると言われる日本人の心性に思ったよりも影響を与えているのかもしれないとも思う。

    また、武士道が金銭ひいては商業を卑しきものとして低く見ていたことも、武士階級自体にも悲惨な影響を及ぼしたし、日本人がビジネス上であっても他者との交渉が比較的苦手と言われることにも影響をしていると言える。新渡戸自身も「現代には、金権支配がなんと急速に蔓延してしまったのだろうか」と嘆くあたり、金銭から距離を置くことを嗜みとして美徳であるという感覚を共有していたことがわかる。近代においても倹約が美徳とされていたのは自分の子供の頃の教育環境として空気のようにそこにあった。このことは日本の国際競争力の観点からはあまり好ましくないようにも思われるのだ。

    本書の内容のうち、海外においては特に、幼い兄弟の切腹の描写と家臣の子供が幼君主の身代わりとなったことを両親が誇りとする話が欧米からはグロテスクだと感じると言われるらしい。ときに忠義が生命よりも大事だとされたハラキリの文化を持つ国であるという認識は、新渡戸がそう意図しなかったにせよ、太平洋戦争終盤において米国が日本の徹底抗戦を想定し、結果として核兵器を使用する根拠にも使われたとも言われる。

    新渡戸稲造は、当時において武士道の内容を海外に伝えるにおいて、その知性や語学力(奥さんがアメリカ人であった)からしてもっとも適切な人物であったと言えるが、日本文化研究者であったわけではなく、その内容についても批判されるところがあるという。しかしながら、その歴史的影響について考えると内容そのもの以上の意義があると思われる。もちろん、内容についても疑義がある箇所があるにせよ当時として十分に考慮されたものとなっており、日本人である自分にもいい意味でも悪い意味でも相当に当てはまるところがあると感じる。先の切腹や身代わりの話にしても、それが正当であるとは思わないが、そこには「わかる」という感想を持つことができる。日本以外で育った人にもどう感じるのか聞いてみたいものである。


    たとえば、「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉がある。持っておきたい心意気でもある。

    新渡戸は、「武士道の余命の日々はすでにカウントされている」と言う。それでも、「その力は、この地上から滅び去ることはないだろう」とも宣言する。どんなものでも同じことなのかもしれないが、武士道に関しても、場面によってまだまだ十分に規範とすべきものもあるだろうが、場面によっては当てはめるべきではないところもあるだろう。それにしても、江戸時代を通して明治期までの道徳・倫理を拘束していた規範は、想定しているよりも多くのところに影響を与えているかもしれない。その意味でもいまだ興味深く読むことができる本。古典も悪くない。

  • 本書の持つ歴史的意義は、少なくとも2つある。1つは、サムライが往来で兇器となる刀を差しやみくもに人を斬る好戦的で野蛮だと思われていた当時の西洋人の誤解を解消したこと、そしてその武士道論を通じて日本的思考の枠組みを日本人として初めて英語で世界に問うた日本文化論だという点である。
    新渡戸は、武士道の体系を義、勇、仁、礼、信(誠)、名誉、忠義の順で解説。各徳目の詳細は本書に譲るが、それぞれの関係性は、智仁勇が義を支え、信が礼を支え、義と礼が忠を支える構造となっており、徳目の最上位にくる忠は武士自身の名誉と恥を重視する他律的な行動規範が基本となる。
    さらに本書では、武士の教育、切腹と仇討ち、刀、女性の教育と地位なども解説されており、初めて日本人に接した多くの外国人が、礼儀正しく貧乏でも幸せそうな民族と賞賛した理由が明かされる。
    独自の規律と勤勉で形作られた当時の日本人の素晴らしさは、現代人から見てもさもありなんと納得。
    敗戦後はグローバルスタンダードなどと闇雲に欧米を追従する癖がついてしまっているが、もっと自信を持って、日本民族らしい独自の美意識と価値観を守っていく選択肢も考慮すべきではと考えさせられた一冊でした。

  • 新渡戸稲造が外国人向けに日本人のメンタリティを紹介することを目的に、英文で書いた本書を、日本語に訳したもの。原著は1899年に出版されたそうだ。
    武士道がよくわからない点において、当時の外国人と現代日本人はあまり変わらないのではないかと思う。ただ、本書を読んで思ったのだけれど、その残り香みたいなものが、ぼくらのメンタリティにもところどころ残っている気がする。世代を重ねるにつれて、いずれ消えていくのだろうけれど。その代わりとなる、道徳や倫理の背骨みたいなものは、時代の流れや西洋の影響を受けながら、移ろいつつ、あり続けるのだろう。

    ちなみに序文によれば、西洋での道徳の背骨は宗教らしい。ちょっとびっくりしたが、そう言われてみればそうだ。

  • こういう本だったかな、完全に忘れてました。
    今となってはちょっとミスリードする表題という気がする、懐古の観点はほぼないと思いますし。
    色々読んでいて感覚が違うところもあろうかと思いますが、義理とは義務という指摘は新鮮、かつ一番響く。
    言い換えれば不義理は義務の無視・放棄とも言え。
    不義理は本当にいけません。

  • 言葉にできない日本人の当たり前を、私たちの名誉を守る言葉遣いで丁寧に表現してくれていてそこがとても好き。「つまらないものですが〜」という言葉の真意を説明する件がとくに共感。筆者自身も言ってるこの本の特徴として、武士道精神を外国の似たようなものとひたすらに比較してるんだけど、一部に日本人特有の気質を除けば表に出る言動が異なるだけで、世界中の道徳概念は同じようなものなんだなと分かった。日本人をよく知ることは地球人をよく知ること。 正否は別として切腹の件は日本人全員に読んでほしい。

  • 名著。
    「日本の学校で宗教教育がない。それでは道徳教育はどうやって授けるのですか」。この質問に答えるべく書かれたのが本書だ。新渡戸稲造は、自分の正邪善悪の観念を形作る様々な要素を分析し、それらの観念は「武士道」に基づくものだと気がついた。
    武士道には源泉がある。
    ・仏教
    ・神道
    ・儒学
    いわゆる宗教であるとか、孟子・孔子の教えに連なる部分がおおいことが説明される。
    そして、武士道を分解していくと、以下の項目に分けられる。
    ・義
    ・勇気
    ・仁
    ・礼
    ・信と誠
    ・名誉
    ・忠義

    生命は主君につかえるための手段として考えられ、理想的ありかたは名誉におかれていた。
    また武士において特筆すべきは、切腹と敵討ちだ。これの文化は海外においては説明を要する風習である。

    現在、武士道というものは実用性を失っている。しかし、完全に滅びたわけではなく、この後の世界にも残っていくだろう。

  • グローバル化が進む中で、国家そのものの意義が問われ始めた時代。一方で、個人主義等に代表されるアメリカ的価値規範のような単一の価値観によって生まれる世界は果たして人々の生活を本当に豊かにするのだろうか。私は、各国のアイデンティティが折り重なってこそ、豊かな未来が築かれると信じたい。

    著者が本書の中で指摘したように、開国以降『劣等国と見下されることを容認できない名誉』から日本は発展してきた。しかし、その帰結が第二次世界大戦を生んだことをきっかけに、西洋的価値観を帯びた憲法を軸に、物質的豊かさを追求した空白の50年間を我々日本人は生きてきた。語弊を招くことは承知で申すと、そういった状況下で起きた東日本大震災は、自然が我々に警笛を鳴らしてくれた結果かもしれない。今こそ忘れかけた武士道を中心に、日本人のアイデンティティを再構築する時が来たのだと思う。

  • 日本人の倫理や道徳意識を「武士道」として解説された書です。
    解説に海外の言葉や思想を引用するなど、
    外国の方に伝える事を意識しているのが良くわかります。

    実際に読んでみると現代語訳と言うこともありますが、
    それほど昔の書物の様に感じなかったです。
    それだけ先見な内容なのか、不変の内容なのか。おそらく後者でしょうね。

    日本人が美徳として持つ心などをわかりやすく解説してくれています。
    私はこの内容を読んでいて「美しい物」と「醜い物」両方を感じました。

    この「武士道」が良い方向で理解・行動できれば、
    日本人としてとても心地良いであろうと思います。
    それは「美しい物」と感じました。

    「醜い物」とはこの「武士道」を違った方向に理解してしまえば、
    「日本人としてどうかな?恥ずかしいな」と思える事や、
    自分の中にある「何となく嫌だな・邪魔だな」と感じる部分も
    同じものであるのではないかと気付かされた気がします。

    そんな諸刃の剣を渡された様な気持ちになりました。

    とは言えこの「武士道」は日本人の根底にあるものだと思うので、
    それが良い方向に向かえるよう、素直な心で此れを読んで、
    自分の思想行動を省みる事は必要な事だと思いました。

  • 武士や日本の文化を知らぬ外国へ日本を説明するのには、多くの配慮を入れた説明が必要であり、それでもその一端しか説明しきれないということがよくわかった。
    本書を読むまで、武士道は、単純に硬派でカッコいいと思っていたが、8歳児にも切腹を命じる苛烈さや、自身や妻子への不条理に対する敵討ちは許されないなど、現代の価値観では受け入れがたい内容も多かった。
    まさに 武士道は死ぬことをみつけたり であり、死と隣合わせでこそ、その生き様、死に様に誇りをもつために必要な道徳観なのだと思う。

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著者プロフィール

1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力した。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去。

「2017年 『1分間武士道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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