日本の「ミドルパワー」外交: 戦後日本の選択と構想 (ちくま新書 535)
- 筑摩書房 (2005年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480062352
作品紹介・あらすじ
戦後の日本外交は、憲法九条を維持したまま日米安保条約を結ぶという吉田茂の「中庸」の選択によって規定されてきた。しかしこの外交路線は左右両政治勢力から攻撃され、「平和国家日本」と「大国日本」という国家像の分裂をもたらし、時にそれが日本外交の足枷となってきた。本書は吉田路線の上を歩んできた戦後日本外交の主体性を「ミドルパワー外交」の視座から掘りおこす。ミドルパワー外交とは、大国との全面的対立を放棄しつつ、紛争防止や多国間協力などに力点をおく外交である。国際政治および戦後日本外交への深い洞察によって導き出された、等身大の日本外交を考えるための必読書。
感想・レビュー・書評
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大国が規定する国際システムを所与とし、かつ大国との全面的対立を外交上の選択肢として放棄しつつも、それ以外の領域で一定の主体性を保持しようとする外交が、ミドルパワー外交なのである。loc.224
世界第三位のGDPを持つ国をミドルパワーと呼称するのは違和感がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
同じ筆者の『安全保障を問いなおす』を読んだので、その源流でもある本書を久しぶりに再読。「ミドルパワー」外交は、いわゆる国力とは別に、「大国間勢力均衡外交の舞台から降りた」外交だと説明した上で、戦後日本外交の吉田路線はまさにこのような外交であったと指摘している。時には対米反発・自立の動きもあったが、結局この路線の枠内に吸収されていったというのである。また同時に、現実にはこのような路線を続けつつも伝統的大国意識も維持してきたため、戦後日本外交は「二重アイデンティティー」に悩まされ続けてきたとも述べている。
今後への提言として、筆者は、未来志向の改憲論(『安全保障を問いなおす』でも同様)、「人間の安全保障」概念、東アジア外交の重視を述べている。ただ、筆者の論は、改憲論は戦後平和主義の側から提起されるべきという点で「右」とも異なり、日本の軍事(防衛)力や日米安保を基盤とする点で「左」とも異なっている。 -
威力がないのは、
拍子抜けということか? -
もう10年前の作品になるから、特に日中関係とか、ここで書かれているものとは違う展開を見せている部分も少なからずあるとは思うけど、それでもなお、今の時代にも十分に通用する内容だと思う。マスの意見だけじゃなく、市民のレベルでの対話によって関係を構築、ってのも正鵠を射てると思うし。ただ、時代性もあってか、ちょっとアメリカ寄りかな、って思えるのは確か。日米関係あってのアジアにおける日本、ってのも納得は出来るけど。総じて、本趣旨である、大国主義ではない、ミドルパワーとしての日本の意義を、これからも模索していく必要があるとは感じました。
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「この本(日本のミドルパワー外交)読まざるもの、添谷ゼミ生にあらず」と言う名言があるほど、添谷ゼミに所属する学生としては必読の一冊。
添谷研究会を志す方は、是非読んでみてください。 -
戦後、日本の外交は左右双方から批判を浴びてきた。
大国外交と理想的平和主義、それら右も左も共に非現実的であり、
国家観の分裂した戦後の日本においては憲法9条を維持したまま日米安保条約を結ぶという矛盾した「中庸」の選択こそが最善の策であったと。。
しかしそれによって日本人から独立心が決定的に失われてしまったが。
戦後の日本で軍事力を背景とした大国外交を本気で目指すべきだと思った人はいないだろうけどな。
ミドルパワーとして多国間での連携によって国際政治を動かすにしても、
国際社会で発言力を担保できる程度の経済的軍事的プレゼンスは当然必要なんだろうと思う。 -
▼自ら「ミドル・パワー」などと称して恥ずかしくないのか、と言う人もいるだろう。だが、身の丈をわきまえた身の振り方を心掛けることは、国際社会を巧く生き抜いていく上で賢明な判断でもある。
▼吉田茂の現実主義的な視座から編み出された軽武装・経済重視路線こそ、戦後日本外交の根底にある思想である。「最小限の」軍事力に抑えることなしに、戦後復興、高度経済成長は迎えられなかったことだろう。
▼しかし、その原動力の両輪を担った戦力の保持を謳う憲法9条と日米安保は互いに相反する存在である。そして、日本という国が自信を取り戻していく中、日本人は「独立心」を実感できずにいる。
▼果たして私たちはどこへ向かいたいのか――それを考えることなしに、目先の問題だけに目を奪われてする改憲・護憲論争は、手段と目的の倒錯でしかない。その手掛かりを得る本の一冊として、ぜひ本著を薦めたい。 -
二年くらい前に読んだ気がする。
の割に本の概要が思い出せる。
これは決して著者の筆力を褒めるものではなく、その主張がシンプル過ぎて、中身と言えるものが殆どなかったからだ。
それはつまり、日本は外交において、どのように「ミドルパワー」を使ってきたのかという一点である。
戦後、日本は憲法によって平和主義の道を定められた一方で、冷戦が始まると日米安保によって西側の一部であることをも定められた。
吉田茂の手による、そのどちらにも振れられない中庸の在り方をを吉田路線といい、高坂正尭はかつて「宰相 吉田茂」でその手腕を褒めた。
その上で添谷芳秀は、「ミドルパワー」という、国際政治の中でハイ・ポリティックスを行使できない立場を日本に設定して、戦後外交がどのように行われたかを描く。
つまりは、これは単なる外交史の新書である。
具体的には、外交史を描き、そして章末毎に、「ほら、ミドルパワーなんだよ」と述べるだけの構成となっている。
「ミドルパワー」でやってきた日本が今後もそうあるべきかどうか、それは僕には解らないが、添谷氏はそうあるべきだと思っているらしい。
出来ればそのあたりの根拠を明確にすべきだった。
うろ覚えだから間違ってたらごめんなさいね。 -
[ 内容 ]
戦後の日本外交は、憲法九条を維持したまま日米安保条約を結ぶという吉田茂の「中庸」の選択によって規定されてきた。
しかしこの外交路線は左右両政治勢力から攻撃され、「平和国家日本」と「大国日本」という国家像の分裂をもたらし、時にそれが日本外交の足枷となってきた。
本書は吉田路線の上を歩んできた戦後日本外交の主体性を「ミドルパワー外交」の視座から掘りおこす。
ミドルパワー外交とは、大国との全面的対立を放棄しつつ、紛争防止や多国間協力などに力点をおく外交である。
国際政治および戦後日本外交への深い洞察によって導き出された、等身大の日本外交を考えるための必読書。
[ 目次 ]
序章 なぜミドルパワー外交か
第1章 戦後日本の再生―吉田路線の深層
第2章 高度成長期の葛藤―吉田ドクトリン再考
第3章 デタント期の日本外交―米中ソ戦略ゲームのはざまで
第4章 非核中級国家論の実践―中曽根外交の実像
第5章 国際安全保障の模索―冷戦後の日本外交
終章 ミドルパワー外交の構想
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
本書の言うミドルパワー外交とは、大国外交とは異なる選択肢のことを指す。もちろん、これは対義語ではない。
戦後日本は、占領-独立期に選択した吉田路線が、55年体制によって定着していった。しかし、現実主義的な外交感覚から発したとはいえ、吉田が採った日米安保の路線は左右両派からの反発を招き、そして日本国民に健全な独立心を根付かせることに失敗した。
極めて妥当な選択であるはずの日米安保が、55年体制の中で、いつも違和感を覚えなければならなかったところに吉田路線のねじれが存在すると著者は言う。
1960年代における吉田路線の定着→吉田ドクトリンの醸成は、ニクソンショック以降の外交関係の大転換を経て、いわゆる大国外交とは一線を画すミドルパワー外交の体系化をもたらす基盤となった。
特に中曽根が唱えた「非核中級国家」論は、軍事大国化するのではなく、日米安保体制を弾力的に活用しながら一定の拒否能力を備えた軍事力を整備するという現実的な路線を選択することになる。
そして本書の末尾には、そのようなミドルパワー外交を実現するためには、関係が思わしくない東アジア諸国に向けて、日本の防衛力の位置づけ等を正確に理解してもらう必要を説き、『人間の安全保障』をふくむ21世紀の総合安全保障体制の構築を提言している。
本書は、大国外交とミドルパワー外交という2つの外交姿勢に揺れ動く戦後日本の外交史を、すっきりと説明している良書だと言えるだろう。
ただ、安全保障体制を体系的に説明するために、経済政策について言及や対ヨーロッパ・国連外交についての考察がほとんど無かったのが残念だと言えるが、新書という制約を考えると、致し方ないのだろう。