隣のアボリジニ: 小さな町に暮らす先住民 (ちくまプリマーブックス 137)
- 筑摩書房 (2000年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480042378
感想・レビュー・書評
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守り人シリーズの作者・上橋菜穂子が、もともと文化人類学者でもあるのは知られている所。
毎年オーストリアに出かけているそうですが、これは1990年に最初に行ったときの体験記。
アボリジニの話を聞きたいと思っても、いきなりインタビューに行って話して貰える物ではない。
ボランティアの小学校教師として滞在し、しだいに信頼を得ていくのですが…
最初に驚いたのは、混血が進み、街中で暮らしているために、見た目は区別が付きにくいことだったそう。
子供達は屈託なく一緒に遊び、表面上は差別や対立があるほどに思えない。ただアボリジニの住居はまとまっているようだし、定職に就いている人が少ない現実。
最初に親しくなった教師補助員のローラは、もうあまり伝統を知らない世代。
その伯母などの話は、激動の生涯ですが、伝統的な生活への興味は満たされます。
見上げれば星の見えるブッシュの中で生まれたんですね。
一口にアボリジニというが、これは英語の「原住民」から来ていて、実際には400もの言葉の通じない集団があったとか。この地域の住民は自分達のことをヤマジーと言っているそう。
入植した白人のとったやり方のひどさも何ともいえないものですが。
30万以上いたと推定されるアボリジニは白人入植後3万人程度に激減。いずれ消滅する野蛮人とさえ思われていたが、絶滅はしなかった。主に白人男性のレイプによって‥
もとは狩猟採集民族なのはネイティブ・アメリカン(いぜんでいうインディアン)と同じですね。
勝手に移住して森の木を伐り、囲いを作ってしまう白人達。
それに対して、すべてに精霊が宿り、土地は神にゆだねられて人が守るべき物と考え、自分たちの聖地から離れることも出来ないアボリジニ。
多くは奴隷同然の牧童となって、給金なしで働いていたそうです。
1901年にオーストラリア政府が対策に乗り出すと、教育的配慮という名目で子供が収容所に入れられ、親子が引き裂かれてしまうケースも。
1967年から72年にかけての法改正で人権を認められるようになると、今度は給料を払えない牧場主に追い出されてしまうことに。
アボリジニといっても元々いろいろな民族の違いもあり、個人の性格もある。
部族の掟はかなり厳しい。ちょっと韓国を連想…ほとんどは違うんだけど、家族を大事にし、親戚は結婚できないことなどで。
葬儀と婚姻のしきたりは非常に大切にされ、これを省くことは出来ない。
家族愛が強く、根は陽気な人が多いみたいなんだけど。
呪術など、想像外のことを伝えている部族もあるらしい。
町に住んで、白人やハーフと結婚し、キリスト教徒になっている方が多いという事実。
政策の変遷に翻弄されて、福祉で食べている方が多いとは。
貧しい飲んだくれのようなイメージがあるらしいが、もともと差別があって就職が難しいので、悪循環に。
「腰布姿で槍を持った野蛮人でない、私たちのようなアボリジニもいることを伝えて」と頼まれたそう。
2000年発行。
力のこもった内容です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
価値観の違う民族が同じところに暮らすのは、難しい…
自分は、島国にすんでいるから国境問題にもピンと来ない
世界をもっとよく知るために考えてみないといけないな、と思います
白人社会と伝統集団アボリジニのどちらにでもなれずに
悩みながら生きていくことは、幸せなことではない
自暴自棄になってしまう人がいるのも、分かる気がする…
白人が良かれと思ってルールを決めても
それは、白人の価値基準であってアボリジニにとっては、迷惑に過ぎなかったり
こんなことって民族のある処どこにもあることで
自分の周りにだって宗教や価値基準の違いからトラブルになったりすることがある
分かり合える共通なものがあれば、改善するんだろうか -
アボリジニと呼ばれる人たちを取り囲む民族問題。文化など。
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本書は、文化人類学的なフィールドワークというと大げさだが、真摯な記録が元になっていることは評価できる。彼女の作品は、原住民族との出会いを元に思索を深め、昇華したものなのだろう。その昇華には、国家、権力、家族、親族、超自然との格闘の跡が見られるが、その最初のモーメントがここにある。
「アボリジニ」とひと言でくくらず、厚い記述のみが、歴史を背負った存在としての人間を浮かび上がらせることができる。 -
作家上橋菜穂子の根っこには文化人類学者としての彼女がいるのですね。
私は、上橋作品を読んで悲しさや憤りという言葉をはみ出してしまうなんだか捉えどころのない複雑な気持ちを感じます。
上手く言葉に出来ないけど、この本に書かれてある様な彼女の学者としての経験からくる物の見方が心を揺さぶるような物語を紡ぐのかなぁ?と感じました。 -
上橋さんの作品の世界観がどこからきているのか、これを読んで納得。
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独自の生活様式と思想を持ち、過酷な自然の中で生きる「大自然の民アボリジニ」。そんなイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニもまた、多くいる。伝統文化を失い、白人と同じような暮らしをしながら、なお「アボリジニのイメージ」に翻弄されて生きる人々…。その過去と現在を、アボリジニの視点と白人の視点を交差させつつ、いきいきと描く。多文化主義オーストラリアのもうひとつの素顔。
(裏表紙紹介文より)
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「獣の奏者」「守り人シリーズ」でお馴染みの上橋さん、文化人類学者としての一冊。
あとがきに『その伝えたい何かが最も効果的に見えるように「表舞台を創造して」(中略)』とありますが、上橋作品にはまさに“それ”を感じます。
物語が素敵なのはもちろんですが、伝えたい何かがあって その上に物語がある、というのを感じるんです(私が勝手にそうと思い込んでるだけかもですが;)。
特に、物語本編を読んだあとにあとがきを読むと、その本に込めた“伝えたいこと”がわかる気がします。
ますます上橋さんの作品を読むのが楽しみになった一冊でした。
さて、内容。
恥ずかしながら、私はアボリジニと言えば大自然とともに生きる人たち、という認識でした。
あとからその土地に入ってきた別の人種によって生き方を制御され、自分たちの文化を失って生きてきた先住民族が今どんな生活をしているのか。
この本によって彼らの現在の暮らしを垣間見ることができました。
白人の介入によって虐げられた一方で、以前は当然のことだった病気(中耳炎)などは改善されたのだろうと思います。
迫害された事実に胸は痛みましたが、今の生活を受け入れている人たちもいることを知りました。
何が痛みで、何が改善されたのか、などはまったくの部外者である私にはわかるはずもありませんが…。
同じく第三者という立場で調査した上橋さん。
少ないページ数の中で何度も注意書きをしながら、できるだけ彼らの生の声を届けようという、彼女の意志を感じました。
また、彼女が物語を描く上で何を大事にしているのかも少しだけわかったような気がしました。 -
「月の森に、カミよ眠れ」の解説に出ていたので。
言わずと知れた「上橋菜穂子」が、
オーストラリアのアボリジニと暮らした日々のお話。
アボリジニの文化をよく知らなかったので、
死者の名前を口にしてはならないとか、
イニシエーション後の男性には特定の動物が絆あるものとして与えられるとか、
お産で母親が亡くなると赤ん坊が殺したと考え、殺されてしまうとか、
とても面白かった。
また、
アメリカのネイティブアメリカンと同様、
その文化から子供を取り上げて隔離して育てた時代があることや、
家もなく労働させられていたことや居留地の存在、
生活保護を受けている人も多い現在も興味深かった。
理屈が通っているときは分かる英語が、
理不尽な話になった途端分からなくなるのは、
会話の能力だけでなく、人間の認知や学習が「予測とフィードバック」が
重要な要素だからではないか、とふと思ったりもした。
ネイティブ・アメリカンの歴史や文化、現状にある程度知識があったので、
衝撃を受けるような記述はあまりなかったが、
台所のボウルの中に突っ込まれたカンガルーの尾の写真が衝撃的だった。
おいしいらしい。 -
やさしい言葉で丁寧に書かれた文化人類学エッセイ。インフォーマントが町に住む女性たちなので、夢の話は出てこない。ネイティブ・アメリカンの歴史を思い起こす。
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面白かったです。