瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書 14)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480015143

作品紹介・あらすじ

わたしたちはいつも、"いつかどこか"のために、日々をやり過ごしている。はたしてこれは生きているといえるのだろうか。ほんとうは最も大切な"今ここ"の充溢こそをかみしめるべきなのではないだろうか。瞬間に立ちあがる、その刹那の存在のかがやきを、哲学者をはじめ作家や漫画家、シンガーソングライターらの仕事に見出し、瞬間を生きる技法を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 明日のため、未来のため、、、
    何かのタメに生きることが美徳とされる
    現代の風潮にストップをかけるお話。
    正直、全てそのまま受け止めて実践することは
    今の世の中だと難しいと思う。
    だけど、1日の中で何回かでも良いから、
    「今ここにいること」を感じることはできる。
    この本はその喜びと実践するための技法を教えてくれる。
    個人的な話だが、文章が美しくて読みながら脳が陶酔して気持ちよかった。

  • 娘が2歳ぐらいになった頃、時間軸でものを考えるような言葉がけを意識するようにしていました。
    というのも、その時に楽しいことに夢中になり、そのあとの時刻に予定している「もっと楽しいこと」や「やるべきこと」ができずにその日が終わってしまう、ということが常だったからです。
    その頃、親としては、「まだ時間の感覚が身についていない年齢だから、徐々に理解できるようにしていってあげよう」と思っていました。

    本書を読み、その時期のことを思い出し、「もったいないことをしてしまったかな」と感じました。
    否が応でも、娘はしだいに社会生活への適応を余儀なくされるでしょう。せめて小さいうちだけでも、瞬間(いま)を生きることを十分に体験させてあげればよかったかな、と思いました。

    ところで私はファイナンシャル・プランナーであり、「今」のうちから「将来」を見据えた習慣や行動をとることが重要、ということを人に伝える立場です。
    もう少し柔軟に、「いまこの瞬間を感じる」「瞬間(いま)を楽しむ」ということの大切さも理解し、伝えていきたいなと感じました。

  • 痒いところに手が届く詩的描写、瞬間を生きるということをえがいた作品群の考察が参考になった

  • 「頑張って資格を取れば」「定年まで勤めれば」等、遠い先の楽しみのために辛い今を受け入れて生きている事が多いはずです。しかし、もっと今この瞬間を味わえないのでしょうか。特別なイベントなど全く無い平凡な毎日でも。厚い雲の隙間から少しだけ見える太陽といった程度ながら、そういう生き方のヒントをこの本は教えてくれます。考える良いキッカケになると思います。

  • われわれの生が刻一刻の「瞬間」をとりもどし、その一瞬のきらめきを目撃するための技法(アート)について論じている本です。

    著者はハイデガーの研究者であり、本書の議論にも「存在」と「存在者」との関係にかんする思想がバックボーンとなっているように思えます。ただ、哲学的な議論を前面に押し出すことなく、わかりやすく、またどこか詩的なことばで思索が進められているところに、本書の強みも弱みもあるように思います。

    個人的には、いくつかの文学作品や芸術作品についての解釈で興味を惹かれるところがあったものの、議論が十分に突きつめられていない印象を受けてしまいました。

  • ★時間というものはない。あるのはただ無限に小さな現在だけである。
    ~トルストイ「文読む月日」

    ★生きることの最大の障害は期待を持つということである。
    それは、明日に依存して今日を失うことである
    ~セネカ「人生の短さについて」

  • 生きることの最大の障壁は期待を持つということである。

    身近な場所や身近な人と今ここで共に愉快に生きる生活様式

    趣味に没頭したり、家族と一緒にすごす、穏やかで静かな時間にこそ幸せがあることを、蕪雑な競争に人生を浪費している今も、公園では四季折々の花が咲き、真っ赤な大きな夕陽が落ちてゆくことを

    時間は観念

    今日この日この場の愉悦、こうして今ここで生きて在ることをそのこととして愉しみ味わう

    しっかり沈む、するといやでも勝手に浮かんでくる、そう自然体はできている。

    意志的主体の願望など放棄せよ(ミライ依存症)

    過去の想い出しなら、それはかつて現前し表象され言語化した現実世界を反復するだけのこと。そうではなく、生きられていたその当時でさえ、一度もそれとしいて現在化しなかった、「生きられた現在」をだから「かつて一度も現在であったためしがない過去」となってどこかに沈積している「現に生きられた瞬間」を救出する

    その渦中で現に生きいたはずなのに、むしろだからこそあまりの間近さゆえに見失い、経験できていなかったリアリティ

    現に生きられておりながら、それとして体験されることもなく無と化してしまった現実に、自覚的にはじめて出会う事

    非意志的想起は、たんに過去を思い出すだけの、後ろ向きのできごとではない。今ここの瞬間に生起している真の生にはじめてでくわす体験

    ふだんあまりにも身近すぎて見失い見忘れてゐる近さの世界。雲がたなびいいて在ること。夕陽が落ちていくそのこと。

    まるで瞬間凍結されるような仕方で非意識的な記憶回路の奥深くへ冷凍保存されていくがしかし、生は凍結されているという仕方で、非意識的生命次元へ保存される

    いわば現像されなフィルムのようにしてちゃんとスナップショットされている、

    意志的記憶はとりわけ知性と目の記憶

    時間秩序から逸脱した真の自己の再造像とそれによる時間秩序から解放された瞬間の再創造

    現にそれを生きてゐるとき、リアリティはそれとして現前しない。生きられた瞬間の闇









    以下引用

    わたしたちはいつも、<いつかどこか>のために、日々をやり過ごしている。はたしてこれは生きているといえるのだろうか。ほんとうは最も大切な<今ここ>の充溢こそをかみしめるべきなのではないだろうか

    あなたはこの世でくつろいだことがない。あなたはいまだかつて<ここ>にいたことがない。まるで秋の瞳に宿っている冬のように。それとも春の瞳に映っている夏のように。それとも過去か未来の世界に

    現在を生きる人は永遠を生きる

    もし永遠がなにを意味しているか知りたければ、それはこの今の瞬間において他にない

    社会全体が、瞬間を生きないようにする仕組みにみちています

    今この瞬間だけがリアルな現実です。現実は、今ここをおいてほかにはどこにもないわけです。瞬間に立つことはだから、(唯一リアルな現実)に忠実に立ち合いつづけようとすること

    ★現在に対して注意深くあれ。われわれは現在のなかにのみ永遠を認識する

    先へ前へ競わせ駆り立てる仕組み

    そこへとしっかり向けたはずの意識や感覚は、いつの間にか、どこかよそへ旅立っている

    今この瞬間にじっくり立ち合うことが、どんなにむつかしいことか、もうご理解いただけたよう・いかにぼくたちが生の現場を省略して生きているか

    ★生きることの最大の障壁は、期待を持つということである。それは、明日に依存して、今日を失うことである

    身近な場所や身近な人たちと今ここで愉快に共に生きる生活形式

    今ここではない、いつかどこかの観念や表象

    趣味に没頭したり、家族と一緒にすごす、穏やかで静かな時間にこそ幸せがある

    未来の利得や成果をあてにし、いまこの時この場で味わえる喜びや精かはお預け式

    なにごとかの価値を味わえるのは、いまこの現実の瞬間においてより外にはない

    現在地を生きる

    瞬間抹消。それが近代人の生活習慣病である。未来時に期待し今日この日この日この場をカットするこの生き方は、しかし結局、道を歩まない歩き方。一歩一歩を歩まず、目的地に到達しようという歩き方だからだ。これでは、じつは目的地へたどり着かない。なのに、いかにもどこか目的地へたどり着くかのように、見せかけている。

    足もとの大地を一歩一歩踏みしめ、刻一刻の今この瞬間を地道に歩むしかない。

    未来を大切にしたいなら、刻一刻の<今ここ>を生きるしかない。

    なにかを是正したいとか、なにかよりよき成果とか、来るべき新しい在り方だとか、そんなことへ希望を抱いて生きていると、(現実)とのつながりがいい加減になってしまう。

    いまここで踏みしめている路の路肩の草や、通りすぎている風景との関わりが省略されたり希薄化する

    今ここの現在だけがリアル。

    身体的実感に意識を傾ける。

    一瞬一瞬の動作や心の揺れ動きにつきあって、現在時の刻一刻の瞬間に、自分の思いを釘付けにしてしまう

    現在地を生きれば、じゃどうなるのか。
    不思議なことが起きる。【現在を現在として生きる】ことが、だから、「生を生として十分に生きる」ことが、なんだかとほうもなくゆったりとしたことであり、温かいなにかが流れている出来事だということに、気づいてくる

    現在とのつながりは、ふだん生活のなかで、じつにいい加減なものになっている。その現在とのつながりを自覚的に太くし、瞬間現在へ注ぐ意識の働きを溌剌と起動させりゅ
    ➡自覚的に っていうのが肝

    そんな大切で温かくゆったりと喜ばしい生を、別のなにかのタメに使用して生きるようなライフスタイルが、じつに面倒で嘘っぽいことにように思われてくる

    瞬間を生きる

    フロー →楽な行動とは限らない

    悲しさの極みに誰か枯木折る

    暗がりに坐れば水の湧くおもひ 

    瞬間を生きるとは、時間を超えて生きるということ。

    生成変化するこの世の時間の流れにあってなお、そうした位相からぬけでて営まれるところにアーレントは、「非時の小道」と名づけた

    私は毎日、明日のために生きてきた。明日の試験のために勉強する。でも先生たちは、いま音楽をやっているのが幸せと言っておられた。その違いって大きい。こんなに充実して、こんなに生き生きとしている人がいるとは思ってもみなかった。「今日やりたいことをやるとハッピーだから、明日もやりたいことができる」

    今現在の愉悦を我慢し、明日や将来や老後に備えようとする。それが人情だ。しかし今この現在のこの一瞬を誠実に丁寧に味わって生きてみると、ふしぎなことがおこる。ゆたかな明日も、充実した来年も、ちゃんとついてくる。必要なものは、必要な時期にやってくる。それがまるで至高なんあいかに身を委ねておまかせするという感じ

    あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ち離れて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事に一言で言い表しています。「これでいいのだ」

    ➡僕にはこの朗らかさが足りない。勝手な「理想」から逆算して、現実にまったくいない。いつかくる(幸福)を待ちながら、現在を阻害している


    でもある日のことです。五月の晴れた日のことでした。なにげなく見あげた菩提樹の新緑がキラキラ輝いているのを見て、思わず息を呑みました。これほど美しいものを見たことがありませんでした。

    どういったらいいのでしょう。この世の風景のもっと奥にあって、しかもすべてのものを貫いている、なにかシーヴァのようなもの

    なにかのタメは不要

    突然に、私の眼から覆いが落ちたらしく、私は美の浪と喜びを四方にあふれさせて、世界が不思議な光輝を浴びているのを見出した。通行人のそれぞれの歩きぶりや姿や顔つきが、それが誰であろうと、すべて異常なまでにすばらしく思えた

    わたしは両親とともに、あのときいったん、この世や社会から死んで抜けていなくなったように想います。でもこうして生きていますから、ここはあの世じゃありません。でもなんだかもう、以前生きていた場所とはちがうんです。なにか別の時間(原初の時間)を生きているようです。それがどこなのかわかりません。

    まるでどこもがマイホームのように感じられます。お会いするだれもが、他人とは思えないのです。以前はそうではなかったのです。ものごとや人々を、いつも選別していました。自分に都合のいい認識や選別の世界をつくりあげています。見たいもの、見たくない者、好みのものといやなものを、選んでいる

    あれはいい、これはいやだと駄々をこね、いやなことから逃げ回り、よいことばかり求める人間

  • ★儚くも尊い幸福な時間、一瞬を感じながら、一瞬一瞬を積み重ね生きることによって、生きている実感とそこに在るだけの尊さを知ることができる。★近代より取り入れられ、洗脳され、当たり前となった時間観念から解放されることが現代日本人には必要である。★瞬間を生きるようになれば、抱えている不安や不満から解放されるのでは、生きていることに幸福感を得られるのでは。と呼び掛けた本だと思った。
    確かに心動かされる何かと遭遇した時、時を忘れ没頭している時、日々悩まされる事や漠然とした未来への不安は頭からすっ飛び、生きていると実感していた。今は過ぎ去りどうにもならない過去ばかりに目がいき、まだ始まってもいない未来ばかりを考えている。生きている実感=幸福感を得られるものに、もう少し目を向け、その時間や自分を大切にしようと思った。

  • 昨日のことは忘れ、明日のことに思い悩まずに、今を意識して充実した時を過ごしたいと実感した。
    8つの[技法]により、その内容を実生活に置き換えて考察できるのは、理解の助けとなった。

  •  著者は、「存在」からその驚愕へいたる道を示す。多くの人に、そのすばらしさを分かりやすく伝えようとしている。プルーストによる分析は、えっこの人もそれを知っていたのかと驚いてしまった。真理を証明することよりも、その状態の中にいることはどういうことかに主点が置かれる。われわれの良く知る分野へ解説を広げることで、あいまいになってわかりにくくなってしまったところもあるのでは。

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著者プロフィール

広島大学名誉教授、NHK文化センター教員/専門は、哲学、現代思想、比較思想史。
著書に『瞬間を生きる哲学: 〈今ここ〉に佇む技法』(筑摩書房 2011)、『沈黙を生きる哲学』(夕日書房 2022)他

「2024年 『談 no.129』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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