キミは何のために勉強するのか ~試験勉強という名の知的冒険2~

著者 :
  • 大和書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784479190523

作品紹介・あらすじ

勉強とは「抽象化」することである。教育は一種の負荷である。かける以上は無意味であってはならない。勉強することの本質を鋭くついた画期的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 医学部分館2階書架 : 376.8/TOM/2 : https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410170056

  • 私も近しい職業のため、断言する難しさを知っている。

    断言できる自信。

    断言できる根拠。

    そして、親としての覚悟。

    確固たる信念を感じた。

    私もそう言える人間になりたいと思う。

  • 上級の理想論

  • 随分はっきりと断言されるので、好き嫌いがわかれると思いますが、私は好きです。息子さんとのエピソードが微笑ましい。

  • 素晴らしい一冊。 今を遡ること15年前、浪人生時代に富田先生の授業を受けていました。先生のお陰で、希望する大学に入ることが出来た為、特別な思い入れもあります。 「受験」英語の意義、必要性、親として子供に何がしてあげられるのか。辛辣ながら緻密な論理に裏付けられた展開は、まるで授業のように明確です。 賛否両論あるでしょうが、私は全面的に支持します。 まだ小さい我が子が、自我の目覚めを迎える時、親として何をしてあげられるのか。いつも心に留めて起きたい。そんな一冊です。 また先生の授業受けたいなぁ。

  • 人気予備校講師である筆者が著した『試験勉強という名の知的冒険』の続編です。個人的には前作よりも読み物としては圧倒的にこっちのほうが面白かったです。富田氏の教育観や試験観、勉強観が面白かったです。

    前作である『試験勉強という名の知的冒険』の続編です。正直な話、読み物としてはこっちのほうが圧倒的に面白かったです。正直、10代のときに読んでいれば、自分が『何のために勉強するのか?』という疑問に何らかの答えが出せたのではあるまいか?そんなことさえ感じております。

    試験というものの『平等さ』やその意義。学習者。親御。さらには同業者である指導者や大学などの試験問題の出題者。さらには一般の人々にいたるまで、心の中ではなんとなく思っていることを『挑発』と表現するのがふさわしいくらいにズバリと本質を突いたことをおっしゃってくれております。以前も書いたとおり、僕は浪人時代に富田氏の受験指導についていけなかったので、そのことが以下に浅はかなことであったかを痛感しております。

    富田氏のご子息が時々引きあいに出されますが、『彼』が選択した『数学の宿題を出さない』ということと内申点。その教師から富田氏に相談がされたとき、富田氏がご子息に『メリットとデメリット』を説明し、ご子息が『選択』し、教師に『ルールどおりやってください』というくだりはとても印象に残っております。

    さらに、問題を出題する側への提言として、いくら表側で美辞麗句を言っていても、試験問題を見れば『本音』もしくは『裏口』というものが見えるんだよ、という話は読んでいて『なるほどなぁ』とさえ感じ入ってしまいました。ここに記されている『大学』というのは日本の最高学府であり、また富田氏の出身校である東大をベースにして語られることが多いのですが、『東大』がどういった志向を持った学生に入学して欲しいか、ということや、その他もろもろのことが分かって日頃知ることがないことだけにそれは興味深く読めました。

    英語講師、塾講師としてある『頂点』を極めた氏であるからこそ言える提言の数々は鋭い考察が満ち満ちており、現役から遠く離れてしまった自分は久しぶりに教育、受験というものに思いをはせて、すこし苦いものが自分の口の中にこみ上げてくるのでございました。

  • 自分にとってドキッとすることがたくさん書かれていました。試験を受ける人向けというだけでなく、教える側や保護者の心構えもなるほど、と思う事ばかりで、立場が変わった時に再度読んでみたくなりました。

  • 富田一彦の試験考察(?)本の2冊目。
    1冊目は、タイトル通り試験勉強って何か?に軸が置かれてるが、
    2冊目のタイトルは、何のために勉強をするのか。学習者、指導者・出題者、親御、一般の人々、全ての人々、のそれぞれに章だてして試験について色々と語られている。
    こちらもやはり刺激的。
    試験の必要性を再確認できるのはよかったなかと。ただ、試験の色んな形も考えていけないかなとも改めて思った。

  • 著者の主張を”ある目的を定めたうえで、試験というものがその目的に沿って「正常に」機能するならば、それは、若者にとって自己を研鑽し「大人になる」ための通過儀礼として十二分に肯定できる制度だ”と解釈したが、その点に関しては、禿同。

  •  厳しい、とても厳しい、これらを甘んじて受け入れるとなるとかなりの負担を感じることだろう。

     しかし、それらも確かに必要なことであって物事を学ぶための最低限の礼儀として考えなければいけないのだろう。

     著者は英語の教師であり英語に関しては特別な存在であるわけだが、彼にこの世のすべての子供の英語の成績を上げなければいけないという課題を与えられたらそれは可能なのだろうか。

     おそらく不可能だろう。自分にできないことはやはり相手のせいとなってしまう。それだけ勉強、学びというものは相手が大切なものなのだと思う。

     多くの生徒は現役世代、将来において教えを乞える師というものを与えられたならばそれは可能であるかもしれない、しかしそれを得ることだけで時は過ぎてしまう。

     ここで失敗するか、しないかが将来の能力向上の礎となる気がする。だからこそ家でも学校でも塾でもその点をよく考えてもらいたい、それができれば子供は放っておいても成長すると信じたい。



    引用
    民主主義の理念。
    決定権を持つ国民が決定されようとしている事項を正しく把握し、それに対して単なる感情や利害関係を超えて、冷静な判断力に基づいて意見を決定できる、ということである。これが成りたたない限り、民主主義は仏作って魂入れずの状態になる。そして、この時に必要な物事を正しく把握する能力、そして冷静で客観的な判断を下す能力を住民に得てもらうべく行われているのが学校教育なのだ。
    引用 終わり

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