お金のむこうに人がいる 元ゴールドマン・サックス金利トレーダーが書いた 予備知識のいらない経済新入門

著者 :
  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478113721

作品紹介・あらすじ

経済とは「誰が、誰を幸せにしているか?」を考えること。お金を取っ払って「人」を見れば、とたんに経済はシンプルになる。元ゴールドマン・サックス金利トレーダーが「経済の原点」から徹底的に考えた、予備知識のいらない経済新入門。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    経済って、よくわからない。私は経済学部に入ったけれどもよくわからないまま卒業した。
    それは、経済というものが結局、実態のない物質である「お金」によってコントロールされているからだろう。お金は人のはたらきに数字という形でラベルを貼ったものにすぎない。それがいつの間にか「お金こそが絶対」という思い込みが広がって、お金を中心に経済を捉えてしまい、どんどん分からなくなっていってしまった。
    では、もっとわかりやすくできないのか。仮想物質ではなく、実体の伴う「モノ」として経済を再定義しなおせば、よりクリアに社会の流れが見えてくるのではないか。

    そうした考えから生み出されたのが本書だ。筆者の田内氏が「純粋に経済を突き詰めて考えたときに見えてきたのは、お金ではなく『人』だった」と述べているとおり、本書のテーマは「人」、つまり経済を担うのは金ではなく人のはたらき(労働)である、という理論だ。

    「労働が経済の中心」というのは、直感的に理解できると思う。
    穀物、家畜、鉱物といった原材料から、サービスといった無形物まで、全てのものは労働によって生産加工されている。しかし、生産物をいちいち物々交換していたのでは非効率だし、もたらす効用は物によってまちまちだ。そこで、「金」が導入された。結局モノが先立って存在していなければ、金そのものが生まれないことは一目瞭然だろう。

    では、金に意味はないのかといえば、決してそんなことはない。金は「行動」と「分配」を促し、社会を発展させるための大切なツールであるからだ。

    例えば、両親とその子どもで暮らす6人家族がいたとする。この家はいわば6人だけの国だ。子どもたちはスマホばかりいじって家事を手伝おうとせず、家は散らかり放題だ。
    そこで両親は、家庭内で流通させる紙幣を作って税金を徴収することにした。中央銀行の役割を担うお父さんは、「1マルク」とだけ紙に書いて自分の印鑑を押した紙幣を100枚用意した。政府であるお母さんは「100マルク借ります。1年後に返します」とだけ書いた使用書をお父さんに渡して、お父さんから1マルク紙幣を100枚受け取る。使用書は、まさに国債(政府の借金の借用書)だ。
    お母さんは子どもたちにこう言った。「家事を手伝ってくれた人、例えば食器洗い担当者には毎日5マルク、洗濯は1回につき10マルク支払います」「そして今日から税金を払ってもらいます。税額は一人につき毎日5マルク。税金を払わないとスマートフォンを取り上げます」。スマートフォンが生活必需品の四兄弟にしてみれば、強制力のある徴税だ。この瞬間、4人の手元にあるただの紙切れが価値を持った。紙幣が誕生した瞬間だ。

    ここで注目してもらいたいのは、紙幣の導入だけで家族全体の効用が増えたわけではないということだ。子どもたちの視点ではマルクは価値ある存在になったが、一家全体の視点では、紙幣だけで生活が豊かになったわけではない。お父さんが勝手に100マルクを作り、それを家庭内に循環させているだけだ。しかし、金という存在は子供たちの自発的な行動を促した。また、自分の紙幣を兄弟間でやりとりすることで、各々自分が得意なお手伝いに時間を割くようになった。これにより、みんなのためにみんなが働く社会が作り出され、家はグッと住みよい場所になったと言えるだろう。
    以上のように、お金自体は決して価値を生むものではない。その裏にいる「人」が動くことによって、初めて価値が生まれるのだ。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――
    以上は一例だが、このようにお金の向こう側にいる「人」に注目して「経済学をとらえなおそう」というのが本書のやりかただ。経済用語や数式を一切使わないよう組み立てられているため、とってもわかりやすいし、経済を身近に感じさせてくれる、非常にいい本だと思う。

    ひとつ注意点としては、鵜呑みにしすぎると少々誤解を招く表現がある。

    例えば、国の借金について。本書では一国の借金が増えるという現象は、単に金が移動しただけのことだと述べている。
    上記の6人家族を例にとると、紙幣が家庭内だけで流通している限りでは、借金は存在しない。お父さん手作りの紙幣=お母さんの借金=子どもたちの預金であり、100マルクをどの視点で見ているかにすぎないからだ。当然、お父さんがお金をもっと刷っても変わらない。しかし、ここに隣の家の人がやってきて、「うちが作ったテレビを50マルクで買ってほしい」という話が出てくると、とたんに事情が変わる。お隣さんとの間で、労働のやりとりが発生するからだ。
    借金が問題になるのは、他の国の財布が登場したときのみ、ということだ。

    筆者は「日本政府の借金については、そのお金で働いてくれた人が国の中の人である限り、働いて返さなくてもいい。国の中にある財布から財布へ移動しているだけだからだ」と論じている。これは確かに「理論的には」正しいのだが、現実問題として、借金を返せという要請を無視し続けるのは――預金を引き出したいという顧客の要望を無視し続けるのが無理なように――物理的に不可能だ。借金を返すのが無理でも、「借金を返すというアクション」は必ず行わなければならない(でないと国の信用問題に関わる)。税金の徴収がそのアクションの一例だが、すると、金が本当に持っている性質のうちの一つである「分配」に、借金が影響を及ぼしてくる。税金の徴収額が増えると、本当に金を必要としている人たちの間で歪みが出るからだ。

    「お金の向こうに人がいる」のであれば、本来、人が生み出した労働と等価の金が出回っていないとおかしいはずだ。6人家族で言えば、4人で100マルクしか生み出せないのに、家庭内に100万マルクが出回っていれば、混乱を生み出す。しかし、人が創造する価値を何千倍も増幅して社会を加速させるのが、お金の力だ。借金というのは人(労働)を無視して金だけで金を回す行為なので、当然、実体経済と仮想経済がどんどん乖離していく。銀行の取り付け騒ぎのように、実体が返済を迫るタイミングが来れば当然吹き飛ぶことになる。「お金の向こうに人がいる」からこそ、借金を膨らませすぎてはいけないのではないか、と私は思う。
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 経済の羅針盤
    ・誰かが働いて、モノが作られる
    ・モノの効用が、誰かを幸せにする
    (誰が働いて、誰が幸せになるのかを考えることが重要)
    ・お金の価値は、将来、誰かに働いてもらえること
    ・お金は増減せずに、移動する


    1 お金の向こうには「ヒト」がいる
    お金は2つの力を持っている。
    ・お金の交渉力
    →絶対的な権力がなくても、相手が提示した金額さえ払えば他の人に働いてもらうことができる。
    ・お金の伝達力
    →モノを作る際、どんなに複雑なものでも、お金を流せば、自然に労働が集積され作り上げられる。

    家の外では、見知らぬ人に働いてもらわないといけない。だからお金を使う。
    お金を使うとき、あなたは誰かの労働を購入していることになる。穀物だろうが家畜だろうか鉱物だろうが、全てのものは労働によって生産加工されている。お金の向こうには必ず「ヒト」がいるのだ。

    技術革新などの生産の効率化によって僕たちが受けている恩恵は、材料費や原価が安くなることではなく、「労働が節約できること」だ。少人数で多くのものを生産できれば、多くの人に行き渡らせることができる。節約できた労働を、他のモノの生産に使うことが可能になる。200年前まで米を生産することで精一杯だった僕たちが、今ではさまざまなものを生産して利用しているのは、効率化のおかげだ。そして、「労働がもったいない」と思わないと、自分たちを苦しめることになる。僕たちは自分の労働を提供してお金をもらい、そのお金を使って誰かの労働を消費しているからだ。


    2 価格は価値ではない
    モノに対して僕たちが感じる価値のうちの一つは、「効用」と呼ばれる「使うときの価値」だ。効用は人によって違い、自分がどれだけ満足したかで、価値が決まる。
    もう一つのモノの価値は、「モノを売るときの価値」。つまり「価格」だ。

    生活を豊かにするのは効用のはずだが、効用を測定することはできないから、価格というモノサシでとりあえず代用しているのだ。しかし、この客観的で便利なモノサシに慣れると、自分が感じる効用を見失ってしまう。1万円の価格のモノには、1万円に相当する効用があるような気がしてくる。ここから、生産者と消費者のクビの締め合いが始まる。
    消費者である僕たちが「定価が価値だ」と信じていると、生産者である僕たちがどんなに効用の高いモノを作っても「お買い得」だと思ってもらえない。一人ひとりの消費者が、価格のモノサシを捨てて、自分にとっての効用を増やそうとしないと、生産者も消費者も幸せになれないのだ。


    3 社会の財布の中身は一定である
    社会の中にあるお金は増えることはない。「預金」は、僕たちのお金を預かっているのと同時に銀行が借りている「借金」でもあり、銀行が誰かにお金を貸している「貸付金」としても使われている。預金通帳の数字によってお金が増えているように見えるが、お金が別の場所に移動しているだけだ。
    では、日本の預金残高が増えているのはなぜか?それは、銀行が誰かにお金を貸し付けて借金を創造しているからだ。預金=借金であり、預金が増えているのは単に貸し借りを大きく膨らませているだけなのだ。


    4 割に合わない労働
    労働がモノに変換されることに注目すると、何が見えてくるか?
    それは「注がれた労働に対して生み出された効用が割に合っているか?」ということだ。膨大な労働の負担に比べて、効用が小さければ、社会の負担が大きすぎることになる。これが自然に発生した生産活動であれば、いちいち負担と効用を比較しなくても問題ない。労働の負担よりも効用のほうが必然的に大きくなるからだ。ところが、新紙幣の発行のように、政府の政策などによって半ば強制された生産活動ならば、「労働の負担>効用」になってしまうことも十分あり得る。

    大事なのは、「どれだけの労働が、どれだけの幸せをもたらすか」を考えることだ。「GDPを増やす」「雇用を創出する」という目的のために経済効果に目がくらむと、割りの合わない労働を生み出してしまう。経済効果は、お金の移動量を表す数字でしかない。だから、「経済効果」という言葉を聞いたときは、まず「効用のよくわからない生産活動なのではないか?」と疑ったほうがいい。

    お金の増加が僕たちに効用を及ぼすとは限らないのであれば、生活を真に豊かにしているものはなにか?それは「効率」と「蓄積」だ。生産技術の向上によって、安くても効用の高いものを買えるようになる。高速道路や新幹線の建設といった過去の労働の蓄積が、現在に効用をもたらす。


    5 社会全体の問題はお金で解決できない
    社会が抱える問題の中で、お金で解決できるのは、それが「分配」の問題のときだけだ。貧困によって必要な物資が買えない人がいれば、生活保護という名前のお金を配ればいい。そのお金を使えば、モノの分配が変わる。社会の一部で労働やモノが足りないときは、お金によってその分配を変えて、解決を図ることができる。
    しかし、社会全体で労働やモノが不足しているときは、お金ではどうすることもできない。年金問題や政府の借金の問題などは、社会全体の問題だ。分配で解決する問題ではない。社会全体の問題はお金では解決できないのだ。

    政府ができるのは「困る人を変えること」でしかないのだ。たとえば、現役世代に重い税負担を課して、高齢者に十分な年金を支払う。高齢者は生活できるが、現役世代が生活できなくなる。困る人が現役世代に変わるだけだ。国債の発行などで、現役世代も高齢者も十分なお金を手にすることができたらどうか。やはり、国全体のモノ不足は解消されない。お金が増えてもモノが生産されるわけではないからだ。物の価格が上がり、みんなに十分な物が行き渡らなくなり、全員が少しずつ我慢することになる。


    6 借金は返さなくてもよいのか?
    本当に、借金を押し付けられた将来世代は、それを働いて返さないといけないのだろうか。

    まず、政府の予算を考えてみる。
    政府の予算の配分とは、僕たちの労働の配分を表している。多くの予算がつけられることで、多くの労働が投入される。戦時下の国の政府が軍事関連の予算を大幅に増やすとき、生活が苦しくなるのは、軍事関係に多くの労働力を奪われるからだ。政府がお金を使うとき、そのお金を受け取って働く人が必ずいる。
    僕たちの生活が豊かになるのは、彼らが働くことによって効用が生み出されるからだ。国債発行という打ち出の小槌を使って「楽」しているということはありえない。未来の人に働いてもらっているのではないにしても、政府の借金は積み上がっていて、いつかは返済を迫られる。

    でも心配はいらない。将来の世代は、働かずに借金を返すことができる。

    ポイントは、「誰が働いて、誰が幸せになるのか」だ。
    国立競技場を作るとき、政府が借金をして使う1,500億円はただ移動するだけだ。工事に関係するあらゆる会社や働く人々が受け取っている。この国立競技場を作ったのは、お金ではなく工事に関わった人々の労働だ。そして国立競技場の価値は、1,500億円ではなく、国立競技場から得られる効用だ。
    さて、将来の世界はどうなっているか。もちろん政府の1,500億円の借金は将来の国民に受け継がれる。それと同時に1,500億円の預金も受け継いでいる。工事関係者に配られた1,500億円のお金は、使われるたびに誰かの財布から誰かの財布へ移動はするが、消えはしない。財布の所有者が亡くなっても、誰かが相続している。政府の借金と同様、政府が使ったお金も未来の国民が受け継いでいる。国立競技場が建設されて20年経っても、まだまだ使うことができる。そこには効用が存在している。将来の国民は、働かずして競技場を利用できる。その効用の分だけ得をしている。

    日本政府の借金については、そのお金で働いてくれた人が国の中の人である限り、働いて返さなくてもいい。国の中にある財布から財布へ移動しているだけだからだ。
    世代が変わっても、政府、個人、企業の3つの財布に入っているお金の合計は変わらない。借金が増えていても同じ額の預金が増えている。だから、世代間の格差は存在していないのだ。

    では、ギリシャや第一次世界大戦後のドイツのように、何故借金まみれで潰れる国が出てくるのか。
    それは、国の外にもう一つの財布、つまり他の国の財布があるからだ。

    自国と他国の財布の中身は、主に「貿易」によってやりとりされる。
    貿易黒字とは外国のために働き、外国に効用を与える一方で、外貨という形で将来のために「労働の貸し」を作る行為だ。ここで、国立競技場の労働を全て他国に任せると、自国の通貨がどんどん外国に流れ出て、「労働の借り」が大量にできる。大量の自国通貨を外国に保有されると、いつかは外国のために働かないといけなくなり、「一国として」破綻する危険がある。(社会全体が破綻するわけではない)
    財政的に破綻した国に共通するのは、他の国に働いてもらいすぎたことだ。国民が怠けていたわけではない。多くの場合、国内に抱えている政治的、軍事的な問題や、ギリシャのようにユーロ経済圏の構造的な問題などによって、国内の労働力を有効活用できないことに原因がある。

    金は自国内を循環する限りは借金にならないが、自国から出るときに「労働の貸し」という形で借金になるのだ。


    7 未来のためには、「金」ではなく「ヒト」を増やす必要がある
    経済は社会全体の話だと思いながらも、実際には自分の財布の中だけを見てしまいがちになる。
    空間的な分断の原因になっていたのは、「財布の中のお金が自分の生活を支えている」という誤解だった。現実は、財布の外の空間で人々が支え合って生きている。そして、時間的な分断、つまり世代間の分断を引き起こしている原因の1つが、日本政府の借金だろう。「現在の豊かな生活は、過去の人たちの蓄積のおかげだ」と言われても素直に喜べないのは、それと引き換えに大量の政府の借金が残っていると思うからだ。だけど、これも誤解だった。政府の借金は、個人や会社の預金の裏返しだからだ。日本はむしろ外貨を貯めて、外国に対しての「労働の貸し」を増やしてきたのだ。

    あらためて、経済は何かを考えてみる。例えば日本の年金問題。年金のための社会保障費負担が年々増えているが、これも同様に借金が増えているわけではなく、お金が循環しているだけだ。
    「お金を支払うこと」が社会に対しての負担になるのではなく、「支払うお金を稼ぐために働くこと」が、社会に対しての負担になるのだ。ところが、専門家たちは、経済の話はお金の話だと考える。先ほどの政府の借金の話でも、誰からお金を借りるかは気にしても、国の中の人が働くかどうかは気にしない。

    ここでも、大切なのは働く人の存在だ。働く人が減れば、社会全体として効用が減り、一人ひとりの負担が高まっていく。将来の負担を増やさないためには、子どもを育てる負担を全世代で分担し、人口バランスを回復させる必要がある。

    僕たちの生きている社会はさまざまな問題を抱えている。それがモノや労働などの分配が偏っている問題なら、お金を配ることで解決できるかもしれない。だけど、社会全体の問題は、お金では解決できない。お金で解決できる気がするのは「僕たち」の範囲が狭いからだ。「僕たち」の外側に問題のしわ寄せがいっている。「僕たち」の範囲が社会全体にまで広がると、お金は無力になる。お金の存在が消え、労働の存在が浮かび上がる。自然の中の資源を利用して、協力して働くことで問題を解決していることに気づく。

    お金の向こうにある「人」の存在に気づくことで、僕たちの範囲は広がっていき、未来を作ることができるのだ。

  • 元ゴールドマン・サックスでトレーダーをしていた方が、「お金に価値があるわけではなく、大事なのはその先にいる"人"だ」と力説するという興味深い本。
    紙幣の成り立ち等歴史の話から、なぜ日本はこれだけ国債を発行して借金を重ねても財政破綻することがないのか?なぜお金をコピーしてはいけないのか?という素朴な疑問から、経済学をお金を中心に見るのではなく"人"を中心に見ていくとシンプルに理解することができるという考え方まで非常にわかりやすく、確かに経済学を知らない人でも理解できるように書かれていた。
    とはいえ、なかなか全てを理解するのは難しかったが、「お金の向こうには人がいて、誰かを幸せにするために働いている」という考え方は非常に良いなと感じた。

  • 「きみのお金は誰のため」を読んでから、続けて読んだ。

    経済=貨幣ではない。

    著者の実家がお蕎麦屋さんで、
    そこでの話はとても分かりやすかった。

    お金を誰に支払うか・・・
    支払った人が労働をしてくれる。
    スーパーの野菜をお金を払ったことで、
    販売、流通、生産などの労働に使われる。
    シンプルだけど、的を得た考え方。

    税金にしても、国に納めることで、
    必要な労働や福祉に支払われる。

    あとは、使い方を国がきちんと考えてほしい。
    少子化の未来が少しでも明るくなるのは、
    子供達を若者を働きやすくする社会作り。
    若者が政治に興味を持って、
    より良い国にしようと思えるよう、
    社会が育てようとすることが重要。
    高齢者は特に、若者に知恵とサポートに徹するべし。
    国会をもっと若返らせてほしい。

    「社会全体で子供を育てる」
    すごい共感!
    「一人ひとりの力は微力だが、無力ではない」
    その微力の一端を担いたい。

  • 読まれていないのが悔しい。
    この本を読んだら、日本が、
    世界が変わりそうな気がする。
    絶対良い方向に進む。

    『お金の向こうに人がいる』
    一見何を言っているが分からないし読み終わった後も腑に落ちるほど分かりやすいキャッチフレーズではない。しかしこれが資本主義の根源だと確信する。
    商品や体験にお金を払っているのは確か。しかしお金の行き着く先は、労働する人。労働者がいないとお金を使う場所すら無くなる。

    お金ばかり見ていて「人」を見ることを不要だと思っていた。が、それが過ちということに気づく。
    そもそも人は自分や大切な誰かにとって価値を感じるものにお金を支払う。だから商品やサービスだって「人」起点で考えねばならないはずが、お金の魔力に囚われすぎていた。

    2024年、この本に出会えたことでこれからの人生が少しずつ変わりそうな気がする。いや、変えていかないとダメだ。

    • イクロツィル番目の読書家さん
      追記
      お金の向こうに人がいる。
      「お金」を抜き取ればこれは資本主義の根源ではない。
      別にお金が何だっていい。音楽や本や、誰かへの想いだってい...
      追記
      お金の向こうに人がいる。
      「お金」を抜き取ればこれは資本主義の根源ではない。
      別にお金が何だっていい。音楽や本や、誰かへの想いだっていい。いつだって向こう側には聞いてくれる読んでくれる想ってくれる人がいる。
      お金がないずっと昔から、人は人を見ていたのではないか。
      私はお金の力に惑わされ見なければいけないものが見えなくなってしまっていたことに気づいた。気づけてよかった。
      2024/04/29
  • すごくわかりやすい!
    飲食店ではお客の方が「お金を払っているんだぞ」と偉そうに振る舞うことがある。
    お金を持っているのが偉いわけでも、お金に価値があるわけでもなく、お金が移動するだけ。
    そのうしろに労働があり、効用すなわち、誰が働いて誰が幸せになるのかを考えることが重要。
    その「僕たち」という考える範囲を、自分や家族だけなのか、国なのか、社会全体なのかの捉え方の違いで、どうすれば経済の問題が解消されるのか方法が変わる。
    どうすれば輪が広がるのか。
    35冊目読了。

  • 目から鱗の経済本!
    この本を読んで、以下の学びがあった。まとめを引用している。
    経済を考えるときには、お金の存在を取り払って、その向こう側にいる人(労働者やエッセンシャルワーカーと解釈)のことを考える。お金を受けるときは、誰かが幸せになっている。お金を払うとき、誰かが働いている。

    誰が働いて誰が幸せになっているかを考えると経済が俯瞰して考えられシンプルにわかりやすく捉えられた。

  • 元GSのトレーダーによる、「予備知識のいらない経済新入門」と銘打った1冊。大学時代に必修科目の経済学入門を落とした記憶が呼び起こされつつ(笑、確かに平易なコトバで書かれた本著、著者が心を砕かれたことが伝わってきます。

    のっけから個人的な話ばかりで恐縮ですが、最近有難いことに?結構偉い方と話をする機会がちょこちょこありました。割と皆さん「国の借金」を憂うコメントがあり「あぁ、この人もか…」と思うのと同時に「プライマリーバランスってそんな問題なの?」とも思っていたところにこの1冊。
    既定路線のようなメディアの報道や偉い人のコメント、ひょっとすると著者も違和感を抱いておられたのかもしれません。
    そう思ったくらい、本著のヤマはこの話でした。

    ただ、丁寧な展開でこの話に至ったものの、この国の借金のくだりは、1回読んでスーッと理解できるかと言うとさにあらず。
    よくネットで言われている、国は個人とは違って通貨発行権があるでしょ?という話とも違い、人(が生み出す労働)にフォーカスした論理展開は新鮮でありつつもまだ上手く呑み込めないような感があり。
    この問題にフォーカスして、国際比較とかも含めて続著を書いてもらえないか…と思ってしまうのですが、そこまではちょっと甘えすぎですかね。。

    しかし、仮に本著の考え方を敷衍して社会を組み直すとすると、(久々に?)明日は良くなる、的な世の中が戻ってくるような希望があるような。
    本当に社会が良くなるのか、あるいはディストピア化するのか、まだわかりませんが、少なくともこの考え方が広く理解されることで、面白い化学反応が起きるような気がします。広く読まれてほしい1冊です。

  • 【もう少しで完全に理解できそうなのに・・・】
    日本国民の預金が日本政府の借金となっているということですが、国の借金が増えているということはその分預金が増えていることになるのか?

    日本の預金=日本の借金

    こういうことなのでしょうか?


    ー 輪の中だけでめぐる ー

    例えば、
    橋を造るために国が1000億の借金をする。
    お金は移動するだけで消えないとすると、そのお金は大手ゼネコン→下請け→孫請け、建築資材屋さん、労働者のための弁当屋さん、近隣の食堂などかかわる労働者に均等ではないが分配され流れていく。そして労働で得た賃金は労働者の口座に預金される。
    途中でお金は消えてなくなることはない。
    国の借金1000億円は個人、企業の預金に変化していくことになる。

    こういうことだと理解します。

    この仕事で孫請け業者の一人が給料の全てを競馬で使ってしまった。その人の口座にはお金が無くなっている。しかし、競馬関係者あるいは馬券が当たった人にはこの人が負けたお金がわたっている。
    お金は消えたわけではなく移動しているだけなのだ。そして、競馬関係者、馬券が当たった人の預金はその分増えている。

    こう考えると国の借金がいくら増えても、国全体の預金もその分増えるので問題が無いことになります。


    ー 輪の外に流れる ー

    国の借金に比例せず預金が少ない場合は輪の外側(国外)に借りができていることになります。

    輪の外側に借りができると必ず返す必要があります。家庭内で家族に掃除、洗濯をしてもらってもその借りを返す必要はありませんが、家政婦さんに頼んだら、家政婦さんは輪の外にいる人なので、その分の支払いは必ずしなければならなくなります。

    先程の橋を造るために国が1000億円の借金をしたが、働いた人が日本国民であれば1000億円は国民の預金となり、日本国全体としては1000億円は相殺されます。
    橋ができたあとの未来の効能、人々が行き来し易くなり、流通も活発となり両地域の経済も発展するという効能も得ることができます。
    建設するための初期費用をゼロ(相殺)にして、未来の効能を得ることができるのです。

    ただ、これだけ国際的になった状態で、輪の外に出る分を完全にゼロにすることは不可能です。
    鉄筋コンクリートの鉄は日本製鉄から購入したかもしれませんが、原材料の鉄鉱石は中国から輸入しているかもしれません。鉄を製造する製造工程の機械も完成品は日本製ですが、部品は中国から輸入したものかもしれません。
    少なからず輪の外の人に働いてもらっています。


    ー 国の借金をチャラにできなくなる? ー

    その通り、この1000億円の橋をつくる事業だけではチャラにはできませんが、日本は長い間、貿易黒字国です。
    いままで輪の外に借りをつくっているのです。この借りがあるために一つの案件で完全にチャラにできなくても問題にはならないのです。


    ではどうして破綻する国があるのか?

    1.国民が働かない(労働力がない)
    2.いままでの累計で貿易赤字となっている


    橋を造るために国が1000億円の借金をしたが、国民が高齢者ばかりで労働力がないので外国の人に働いてもらったとすると、輪の外の人に貸しをつくったことになります。輪の外の人には貸しを返す必要があります。ここで国が貿易黒字であればいままでの借りがありますので補うことができます。

    つまり、輪の外の労働力を使用して、その使用に見合うだけの貿易黒字(貸し)がなければ破綻することになるのです。


    ー お金を刷って国民にバラまけばいいのでは? ー

    ただお金を刷ってバラまくだけでは労働が産まれません。お金はもともと流れるだけなので必要なのは労働です。
    何もつくられず、何のサービスも産まれず、何のシステムもつくられないとすると未来の効能は得ることはできません。
    さらに、お金だけあっても働く人がいなければ、食料も買えない、外食もできない、旅行も行けないことになります。

    労働がなければ意味がないことになります。
    (「労働」の定義はまた別で述べたいと思います)


    これが、膨大な借金があるのに破綻しない日本のわたしなりの解釈です。
    間違っているかもしれませんが、現状ではこのように理解しておきます。

  • これは良書。みんなにオススメしたい。お金を使うということは他者に働いて貰うこと。
    借金をするのと同時に預金が増えて、お金を使うと他の人の財布にお金が移動する。ただそれだけなので、国内でそれが行われている限りにおいては財政が破綻することはない。
    現代のツケを将来に持ち越すという考え方はむしろ間違っていて、現代の貢献を将来に引き継ぐ類の話である。
    お金を使う対価は全て労働に繋がっていて、労働する限りにおいては破綻はない。
    財政破綻は、お金を自国ではなく他国に依頼して、その対価を労働で支払えないために起きている。

    でも労働のかなりの部分をAIやロボットに任せることができるようになるとどう考えればいいのか。そんなに働かないで皆が好きなことをやってどんどん幸せになっていくんじゃないだろうか。そこで失われがちなのは人との関わりであって、仕事でしか他者と関われない人は、ほんとに辛い世の中になると思う。やっぱり何でも良いのでコミュニティや好きなことを持っていることがどんどん大事になっていく。

    では、将来のより良い社会のためにできることは何なのか。最後の子育ての話が筆者の主張だったと捉えた。
    "少子化問題は助け合いという経済の目的を忘れた現代社会を象徴している。社会全体で子供を育てることが将来の不安を取り除く唯一解"。高齢者を支えることは社会全体で意識しているのに、全体での負担が減っているにもかかわらず子供を社会全体で育てる意識が足りない。菅さんはここに手を入れようとしていたので、明らかに日本の未来を考えた良い首相だったと思う。この本政治家にはとりあえず全員に読んでほしい。

  • 経済・お金に関する今までの考え方が大きく変わった。経済に関する本を何冊か読んできたが、この本は他の本とは明らかに一線を画している。新しい経済の考え方を手にできる1冊。
    お金は増えないのではないか?という疑問を元より有していたが、そこに対する明確な答えもあった。豊かになるとはどういう事かも自分が探してした答えがそこにあったように感じる。

    経済に抵抗のある人にほど読んでほしい。
    勿論、一般知識程度に経済を勉強した方にも大きな影響力がある本だと思う。
    日本に住む人一人一人が考えるようになる事で社会が変わっていくのだと思わされた。
    微力ながらそれに貢献したい思いも感じた。

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著者プロフィール

1978年そば屋の長男として生まれる。東京大学理科一類入学後、プログラミングにはまり、国際大学対抗プログラミングコンテストアジア大会入賞。同大学院情報理工学系研究科修士課程修了。
2003年ゴールドマン・サックス証券株式会社入社。以後16年間、日本国債、円金利デリバティブ、長期為替などのトレーディングに従事。日銀による金利指標改革にも携わる。
2019年退職。現在は子育てのかたわら、中高生への金融教育に関する活動を行っている。
本書が初の著書。


「2021年 『お金のむこうに人がいる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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