会って、話すこと。 自分のことはしゃべらない。相手のことも聞き出さない。人生が変わるシンプルな会話術
- ダイヤモンド社 (2021年9月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478112625
作品紹介・あらすじ
自分のことは話さなくていい。相手のことも聞き出さなくていい。ただ、お互いの「外」にあるものに目線を合わせ、同じ方を向くことができれば、誰とだって会話は続くし、楽しくなる。2020年から非日常になってしまった「会って、話す。」を問い直し、幸せな人間関係を築くための技術と考え方を伝えます。
感想・レビュー・書評
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【会って、話すこと。】
田中泰延さんのベストセラー『読みたいことを、書けばいい』では、自分が書きたいことを書くのではなく、読みたくなることを書きましょうと伝え、その方法が挙げられていた。本を読み終えてから、ちょうど書き上げてあとは投稿するだけだったnoteの記事を泰延さんの本のまますべて書き直して投稿したところ、ダントツにビュー数とリアクション数が高くなり驚いてしまったことがある。
でも人は弱いもので、やはり書きたいことを書いてしまう。そして話したいことを、聞きたいことを口に出してしまう。
私を知って、あなたを知りたいのと、まるで落ち着きのないイヌのようにハアハアと飛びついているようだ。
本が届き目次を見て、恐れながら最初に読んだページがある。
『好きという言葉は、最悪です』
好きな人、ものには臆面なく好きと言ってしまうし、どう好きかまでを語ってしまう。なぜかはわかっている。好きを語るのは自分が気持ち良いからだ。感情の押し付けとわかっているのに、好きなものについて語る快感はあまりにも甘く止めることができない。
内田樹さんは著書の中で、ファンの一番大切な仕事は、そっとプレゼンテーションすることだと書いていた。押し付けがましいのも、ツンケンするのもだめで、そっと差し出すのだと。
これもかなりドキッとさせられた一文だった。
接客販売業なので、一般企業の事務の人に比べれば、未知の人と会話をつくる状況はとても多い。
最初からスムーズに会話ができればいいが、店員とのコミュニケーションを拒否する人も一定数いる。だからといって放っておいても売上はつくれないので、商品やお買い物という目的の外に会話のきっかけをつくろうとする(「いいお天気ですね」は経験上、相手の心にバリヤーを張る最悪な言葉だったりする)。
仕事の時は割と冷静にコントロールできるのに、プライベートとなるとガタガタに崩れてしまうのはなぜだろう。
会話は相手の力に負うことが多いと感じる。聞き上手の人が相手だと、まるで自分の会話力が上がったような気になり時には相手を楽しませたと錯覚すらしてしまう。なんと恐ろしいことだ。もしそうなら私が何を言わなくても、話したいという人が列をなすはず。しかしどこにも見えない。それが現実だ。
『黙って想い、考えたすえ、どうしてもこぼれ落ち、相手に伝わることばが「話す」である。(「会って、話すこと」より)』
日頃から考えていることや、蓄えてきた知識が、あるとき誰かとともに過ごした時間にほろりと出てくる。
理想の会話は問わず語り。そういえば、で連なる会話ができたとき、胸があたたかくなる幸せをふっくらと感じる。これがもっともっと多くなれば、人生に幸福なときが増えていくということだ。
この本を読み通しても、言いたいことを話し、好きを好きとストレートに伝えてしまう悪癖をやめられる自信はない。でも好きの外にある世界にもっと目を向けようと思う。顔をあげて広く遠く見通して、目に留まったカケラをいくつも拾えれば、その先に誰かとの愛おしい会話の時間が待っているのかもしれない。
田中泰延さんの魅力である言葉選び会話運びそのまま、あちこちに散りばめられたユーモアに噴き出しながら、最後の章では深い優しさに涙する。大好きな(あ、言っちゃった!)一冊となった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本でも、会話でも、人と交流するためにとる手段は、川のように「成り行きまかせ」が大事で、それがおもしろさにつながるのかなと思った。
いわゆる(あんまりこういう言葉は使いたくないけれど)クソリプといったツッコミや、あたかも審査員のように偉そうな発言してしまうことは川の流れをせき止める石だとイメージした。逆に、自分の持っている事前知識や、リアクションは潤滑油のような気がする。川に潤滑油なんて使ったらこのご時世だから批判の嵐になりそうだけど…
そして1番こころに響いたのは、「審査員になってはいけない。依頼されてもないのに他人を裁いてはいけない。あなたが他人に対してすべきは、さらにおもしろくするように話をつなぐか、できそうにないなら「ただ笑う」、それだけでよいのだ。」だ。この本を読んで、これまでの失敗経験の何がダメだったのかがなんとなくわかり、私のモヤモヤが一掃されすぎて逆にこの本から何を学び得たのかすら消え去った。知らんけど笑 -
同じ環境で共感する
「会って、話す事」の大切さ。オンラインはなんとなく味気ない、それは相手の仕草が360度で感じ取れないからだ。ここにある相手の仕草も含めてのリアクション(ボケ・ツッコミ・アイウエオ)会話があればより心体が心地良くなる。なんとなく「距離」を感じると親しくなれないからと言って欲を出さないで距離を保つこと。一緒にいる環境とか何かに共感合うことが会話以上に幸せにつながる関係となる。 -
たま〜にこんな本に出遭う。小手先のHow toやテクニックを知りたいと思っていた小賢しい自分が恥ずかしくなり、本当のこと(魂の奥の静かな湖に広がる波紋のような真実)に気づかされる本に。そんな本に出会うために、日々せっせと読書しているといっても過言ではない。
この本を読もうと思ったきっかけは、「相手はあなたに興味がない」「あなたも相手に興味はない」という目次を見たからである。数人の同僚かつ友達の会話を客観的に聞いていると、相手の話をまるで聞いていない。自分の話したいことだけを交互に叫んでいる。相手のターンが終わったら自分のターン…その繰り返し。お互いに自分語りしかしていない。会話って何?そう思ったからだ。
では会話って?
↓
結論は「相手のことも、自分のことも、話さない」そして「外部のこと(どうでもいいこと)を話す」
衝撃的である。
しかし、読み進めていくと、そのことがじわじわと自分の心に染みいってきた。
そして、そのことが心の底から納得できたのが、永六輔氏の言葉である。「好きな人に好きだ、いい人だと思われるには、おいしいものを一緒に食べておいしいと思う、夕やけを見て両方が美しいなと思うというような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが1番効果がある。一緒の環境にいるときに同じ感動する場面にできるだけ一緒にいる。そうすると使い合っている同じ言葉にどきっとすることがあって、それが愛なのだ。」
「外部のこと(どうでもいいこと)を話す」というのは、「2人の外にあることを発見して共有する」ということである。
著者も、この教えを人生で何度読み返したかわからないと言っている。私もこれからの人生の中で、きっとこのことを何度も何度も反芻するのだろう。
【心に響いたこと】
・正直であること。
・機嫌よくいること。(絶望的なこととか、自分が不機嫌になりそうになったとき、ルパン三世の次元大介になりきる。面白くなってきやがったぜって言う。)(自分の機嫌をよくすることは、他人の機嫌を良くする。それこそが社会貢献)
・会話のベースは知識にある。深いところで人間が人間とつながる理由は、何の役に立つかわからないが抱えていた知識だ。自分が心から好きな何かであったり、自分自身の遠い記憶であったり、そんな遠い過去の「仕入れ」が誰かの記憶と響き合うことなのだ。
・他人と話す前に、自分と話す。自分自身が自分と楽しく会話できなければ、他者と会話することができない。
・「教養のある人物」とは、山の向こうにはこんな世界があったよと教えてくれる人。山の向こうにはこんな世界があるだろうと考えてくれる人。山の向こうはどんな世界なんだろうねと一緒に不思議がってくれる人。
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【適当感】
本当は会話についてものすごく考えているにもかかわらず、それを見せずに適当(感)を醸し出すところがすばらしいです。
オンライン呑み会はリアル呑み会にはかなわないです。
リアルであれば、店員さんのかけ声、お隣のお客さんが話す声などが雑音にならず、その場の雰囲気をつくりだす空気感になっているのです。
しかし、オンラインでは雑音になってしまいます。
リアルは遠くにある音は遠くから聞こえてきますが、オンラインは近くにある小さい音のように感じます。
また、リアルでは途中でツッコミを入れたり、くい気味で話をしたりできます。オンラインでは同時に話すと音が途切れるのです。これは致命的な欠点です。
これではその人の話が完全に終わってから、「ハイ、次の方」といった流れになり全く自由度がなく、テンポのある会話ができません。
さらに、大人数の場合、リアルでは全員が同じ話題を話しているわけではありません。小グループに分かれて、個々の話題を話していることもあります。ときおり、隣の小グループの話題に割って入ったりもできます。しかし、オンラインは全員で1つの話題しかできないのです。実に窮屈です。
現状の技術ではまだまだリアルの勝利です。
会話は「会」って「話」をすると書くのです。 -
本書のメッセージはタイトルの通り「自分のことはしゃべらない」「相手のことも聞き出さない」こと。ひたすら自分語りしたり、根掘り葉掘り質問していたら本当の意味で会話は豊かにならない。
会話をする上では
・わたしの話を聞いてもらわなければならない
・あなたの話を聞かなければならない
という発想を捨てると、楽にコミュニケーションをとれるようになる。要は人は人に興味がないので、熱く語ったり、熱心に話を聞いたところで・・・ということになる。会話に結論は不要で、適当なことを話せばいい。
お笑いの文化にはボケとツッコミが存在するが、日常の会話ではボケをかますことだけ考えていればいい。ボケは今目の前にある現実世界に対する、別の視点からの「仮説提示」であり、豊かな会話の出発点であるという。ツッコミはそれをぶち壊してしまうので、日常生活では不要。-
2021/09/19
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2021/09/19
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自分や他人を否定しても、人の発言にどれだけ傷つけられても、それでも会って話をしたいのだ。 ”言葉の記録性は強い。” ”発言することは、勢いよくドアを開ける行為なのだ。” ”皆が不機嫌な状況に陥ったら、せめて自分一人でもさっさと立ち去る。” ”人と人の関係をつくるのは、放たれた言葉である。”
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確かに今までの会話術本とは違う。
自分のことはしゃべらない。
相手のことも聞き出さない。
じゃあ、何を話せばいいのさ?と思いながら
読み、なるほどね‥となった。
「外部のこと」見えている風景や「関係ありそうな、なさそうなこと」を話す。
話す内容より、相手と時間や体験を共有する事が
大切という永六輔さんの言葉も納得出来た。
確かに大切なのは何を話したか‥というより
一緒の時間や体験を共有して笑い合ったり感動したりという経験なのかもしれない。
でも、そうなるとそこまで深くならない関係の人との会話はどうしよう‥と思ったけど、それこそ外部のことばかり話せば、お互い傷付けたり傷付く可能性も低くなるのかな。
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バカバカしくて良い。オッサンが書いてるけど、中身は「女子の雑談のブレイクダウン」と思った。これができればモテると思う。(キレる人も多くなるだろう)
真面目な内容からの掌返し、で何度もはしごが外れるので、最後まで身構えてしまったが「会話で、ご機嫌でいるためのお作法」と考えると、スッと入ってきた。
以下、メモ
・★会話にはロゴス、パトス、エトスが必要。 エトスなき会話は虚しい。
ロゴス=事実に基づいた論理的な構成=〇〇ってくにがミサイル実験をしたね。
パトス=情熱、心=それによって生じた強い思い=「わたしはそれを聞いてすごく怖いし、踏ん切りを感じるんだよね」
エトス=倫理、哲学=世界をどう捉えるか、未来への提示=「でも、平和のためには、対抗手段を講じるのではなくて、軍縮交渉をしたほうがいいと私は考える」
・★ボケは仮設。ツッコミは仮設殺し。
・ボケにはボケを重ねなさい。仮説をつなごう。ツッコミなんかするな。ツッコミはマウンティング。SNSの「クソリプ」。あなたが自分の人生から今すぐ退場する必要がないのなら、他人にツッコむのはやめよう。
・★その人といるときの自分が心地よい、と思える相手との会話は幸せな時間。あいて=あなたが持っている大切な要素の一つが「機嫌が良いこと」。だからこそ、まずは自分ができるだけ機嫌よく。
・不機嫌は伝染する。皆が不機嫌な状況におちいったら、せめて自分ひとりでもさっさと立ち去る。
・★不機嫌で人を動かすのは、赤ん坊。ご機嫌でひとを動かすのが、おとな。大人が口を開くのは、自分の機嫌を良くするため。それは他人の機嫌も良くする。それこそが社会貢献なのだと、と覚えておこう。
・★他人と話す前に「自分と話せ」。まず、自分自身が自分と楽しく会話ができなければ、他社と会話することはできない。
・会話にオチはいらない。理想の会話とは、ボケにボケが重なって、モヤ-はや何について語っているの変わらなくなる状態。参加者全員が「今、何の話をしてたんだっけ?」という状態になること。それこそが人間が退屈で平凡な日常や、うっとおしい事故というものから開放されるひとときなのである。
・最初はみんなボケてた。いつしかボケるやつが少なくなっていく。なぜ「Stay foolish」でいられなくなる? → 「自分は社会常識を身につけたぞ」という子、知恵を持った子から順番にツッコミに回っていく。親や先生が常識を教え、常識を身に着けた子をほめる。そこで「逆のことをやったほうがおもしろい」と思うか、「ほめられるからその通りにやる」と思うかに最初の分かれ道があるのかも。
・無駄に聞こえることや、「本題」とやらと関係なさそうな話の細部にこそ、会話の神は宿るのである。
・★「ドアの向こうに人がいる」という張り紙をみたことはあるだろうか。発言することは、勢いよくドアを開ける行為なのだ。あなたは会話するとき、想像力を働かせなくてはいけない。
・★敏感に察知したら「別室」に行ってしまう。
・ばかと思われたまま家に帰る。偉そうに現実を片付けず、訳の分からない話をする「知性」 -
世にもまれな〝笑える文章読本〟であった1作目の単著『読みたいことを、書けばいい。』につづく、田中泰延の第2作。今回のテーマは「会話術」である。
この人のことだから、ありきたりな「会話術」本にはなっていない。
たとえば、《会話にオチはいらない》(109ページ)とか、《根本的に、人は人にあまり興味がない》(117ページ)などと、従来の会話術本にはあまり見られないことが書かれているのだ。
そもそも、著者と担当編集者のダラダラとしたオンライン対談が6本も収録されていて、それが内容の何割かを占めているのだ。私にはそんな本の作り方は発想すらできない。
本も終盤近い部分には、こんな一節がある。
《あたかもまるで会話術の本のような体裁なので、何かのテクニックが書いてあるはずだと本書を手に取ってくださった方には申し訳ないが、そんなものはない。》(222ページ)
まるで「うっちゃり」のような言葉で、普通の会話術本を期待して買った真面目な読者は「フザケルな!」と怒り出すかもしれない。
私は図書館で借りて読んだので腹も立たないが……。
とはいえ、前著を気に入った読者にとっては、このゆるさこそこの人の持ち味なのだ。
おちゃらけているようでも、会話についての傾聴に値する卓見もある。
ただし、卓見は本全体の10%くらい。そこの部分だけを抽出してまとめれば、ウェブ記事1本で事足りる内容だ。
残りの90%はゆるーい漫談。
スベってる部分も多いが、一冊で10回くらい笑えたのでよしとする。