死の講義

著者 :
  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478111192

作品紹介・あらすじ

本書は、死んだらどうなるかの話。といってもスピリチュアルな本ではなく、「死」とは何かについて、知の達人橋爪大三郎氏が、宗教社会学の視点から鮮やかに、説明する本。
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生き物はそもそも、すべて死ぬのです。しかし、生き物は、死ぬそのときまで、死ぬと思っていません(たぶん)。人間は違います。うんと小さい子は別として、ちょっと知恵がつくと、みんな死ぬらしい、自分も死ぬだろう、と思うようになります。
では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。(中略)そう、複雑な社会には宗教というものができるのです。いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。
これまで人類に大きな影響を与えた宗教は、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、の五つです。それぞれ、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっています。
そこでこの本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。(本書の「はじめに」より)
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死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。だから、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めていい。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがある。そのどれにも大事な生き方が詰まっており、人生の知恵がこめられている。

コロナ禍で「死」をこれまで以上に身近に感じている多くの人々に読んでほしい一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 年を重ねていくと、親の死、自分の死が刻々と近づいていくのを実感する。さらに昨年からのコロナ禍で否応なしに死を身近に感じることとなった。

    本書は、宗教社会学者の著者が、世界にある主な宗教の中で「死」がどうとらえられているのか、中学生でも読めるようにわかりやすく説明した本である。
    「死」は、生きている誰も経験することができない。人は体験を重ねることにより世の謎を説明してきた。だから体験できない「死」は恐ろしい。宗教は体験することができない「死」をなんとか説明するために生み出された。

    本書では、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、インドの文明(バラモン教、ヒンドゥー教、仏教)、中国の文明(儒教、道教)、日本人(古代の死生観、仏教、儒学、神道)が死についてどうとらえてきたか短いセンテンスで説明する。そして最後に、これまで述べてきた死生観を箇条書きで一覧にし、死んだらどうなるか、自分で考えるよう促すのである。

    日本人は自分が無宗教だ、と思っている人が多い。私もその一人で、なんならお正月に神社を参拝し、クリスマスを祝う日本人はおおらかでよい、ぐらいに思っていた。でも、「死んだらどうなる?」と言われ、いざ説明しようと思っても、私には説明するだけの考えはなかった。私は無宗教なのではなく、わからないことについて考えるのを停止しているだけだったのだと思う。

    たとえ知識を持っていたとしても、実際に自分がどう考えるのかを説明できないと、それぞれの宗教について理解しているとはいえない。死を目前にして慌てふためき、一見口当たりの良いカルト宗教にからめとられてしまうかもしれない。

    この本を読んで、自分なりに死んだらどうなるか考えた。死生観に正解も誤りもない。それは自分がどう死にたいか、どう生きたいか、という哲学だ。状況によって考えが変わることがあるかもしれないが、その時々の自分の哲学をしっかり持っていたいと思う。

  • 大分前に購入してかなりの意気込みで読み始めたがどうしても身が入らない。だから今はまだ読むときではないと思い一旦やめることにした。

  • 友人や知り合いに、親が○○教の信者、という人が何人かいる。印象として、生き方にブレがなく、規範意識が高い。彼らは自分から選んでその○○教の信者になったわけではないらしい。けれども、なんだか迷いなく生きている人たちに見える。
    で、自分。祖父が孤児になって寺の預かりになった関係で、寺とのつながりは深い。家にひろさちや氏の漫画がたくさんあったので、小さい頃からそれを読んで、わりと仏教には親しみを感じながら育ってきた方だと思う。けれど、それが自分の規範になってはいない。全く。知識としてそうだ、慣習としてそうだ、ということは身についてはいるし、ある程度説明もできるけれど、生き方、物の見方にまで浸透させてはいない。祖父や祖母は自分たちの信仰を大事にしてはいたけれど、子や孫にまでそれを押し付けることはしなかったからだろう。なので、私の規範意識は非常にゆるい。あれもあり、これもあり。日和見的。生き方も考え方も迷い迷い。
    その祖父が一昨年、亡くなった。続けて祖母も亡くなった。私の娘は2人ともまだ幼すぎて「死ぬ」が分からない。だから、通夜や葬式は「お別れ会」でひいじいちゃんやひいばあちゃんは仏様のところで勉強中、ということになっている。そこまでは49日かけて徒歩で行くことになっていて、一回出発したら帰ってこられない。途中、お腹が空くので小さいおにぎりを持たせる。もしかしたらお友だちにも会うかもしれないので、ひいじいちゃんは髭を剃り、ひいばあちゃんはお化粧をする。
    いずれ娘も大きくなれば、それが私の作った「ものがたり」に過ぎないことに気がついてくれるだろう。「死をめぐるものがたり」を寄せ集めて、葬儀のあれこれを子ども向けに編集した子供騙しのお話。そして実際、葬儀の中身も仏教でも、神道でもなく、よく分からない土着の信仰をごった煮にした葬儀だということが本書の内容からは読み取れる。正しくは無い説明。何の根拠もない思い込み。でも、それを話しながら、半ば私はそれを信じてもいる。祖父や祖母にはまだ消えてほしくない。どこかにいてほしい。
    自分が何を信じ、どう死ぬかは、確かに個人の問題で、自己責任で選べるものかもしれない。けれども、最近身内を亡くし、そしてそのことを小さな子どもに伝えなければならず、しかもいずれはその子どもたちに見送られる立ち場のものとしては、親しい誰かが死後にどうなっていてほしいかというところから自分の死を眺めてしまわざるを得ない。私の死をそのようなものとして受け止めて、喪失の穴を埋めてほしいという、これは信仰というよりも願いだと思う。
    だから、今はまだ死ねない。今死ねば、きっと娘は忘れてしまう。こんなにも寄り添って生きていた毎日のことを、小さな子どもは覚えていられない。一番、覚えていてほしい相手に忘れられることほど、一度、覚えていたい相手を忘れてしまうことほど、辛いことはない。
    肉体は滅びる。輪廻は無い。でも、どこかにその存在を感じたい。あるいは、感じてもらいたい。
    とするならば、日本古来の死のあり方に一番近いのかもしれない。
    けど、私、一つには決めません。自分の背負ってる背景も背景なので、「習合論」でいいと思ってます。ごめんなさーい。

  • 死んだらどうなるか
    明確な答えが欲しいと思い読み進めたが

    意外だった
    知らなかった事がまだ沢山ある
    本をもっと読もうと思った
    こういう事って
    子供の頃は怖くなってしまうから
    高校生くらいで知るのがいいのかなぁ
    社会人になるまでには知っておきたかったかな



    『自分で決めて、そのように生きると、その通りに死んだことになる』

    『いつ終わってもいいように生きる』
    これが【覚悟】






  • 10ミニッツTVをみて読んでみたくなった本。各宗教の死についての考え方が、そこに至る時代背景などを含めて、かなり噛み砕いて、時系列に示してくれるので分かりやすい。いろんな考え方が融合し、結果生じた矛盾を解決するために新たな解釈とか考えが組み込まれ、それが時代と共に変遷し、結構場当たり的なんだというトリビアを含めて、色々な死生観があるのだと勉強になります。そのどれかを選択して、自分の生き方を考えなさいが、メッセージだけど、汎神論が一番しっくりくるかな。

  • 久しぶりに最高に素晴らしい本に出会ったような気がします。著者の本を時どき気に入って読んでいたのですが。
    たまたま手に取って読みましたが、これは大げさに言うと衝撃を受けた感じがしました。

    死を考え、死と宗教の関係に発展させ
    一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム)・多神教
    ・インド(ヒンズー教・初期仏教)の宗教・中国(大乗仏教・儒教・道教)・日本の宗教(仏教・神道・国家神道・江戸時代の仏教)
    の解説を踏まえたうえで
    死について考えるうえで、宗教を選択する重要さを論じているあたりは、すごく波のような流れで頭に入ってくる感じです。
    宗教のとらえ方が正直に言って変わった感じがします。
    自分は、正直ユニタリアンが一番ひっかかった感じがします。あとは仏教の考え方。さらに念仏宗の考え方が
    やはり自分の遺伝子の中に組み込まれているような・・

  • 本屋さんで、書評が掲載された本のコーナーにあった。
    「死」をテーマにしている本に惹かれる。
    なんでだろう。

    思春期からしばらくは、死にたいことがたくさんあった。
    なんとか生きてきたけど、今は死ななくてよかったなぁと思う。

    みんながみんな浮上できるわけじゃないけど、こんな自分が浮上できたから、今の子供たちも(自分と似たように悩んでいる子は)浮上できる可能性があるのかもしれない。

    だったら、伝えられることは伝えてあげたい。
    そのために、自分の中にいろいろな智恵を蓄えておきたい。
    と、思っているのかもしれない。厚かましいけれど。


    宗教にコミットする、という考えはなかった。
    自分では熱心に信じないし、信じている人の邪魔はしない(ハッピーになるなら、それに越したことはないから)。文化としてなら、応援してもいい。
    そんなとらえ方だった。いやな上から目線。

    「偶然」を、自分の中に落とし込むための拠り所とは考えたことがなかった。
    そこまで困っていなかったから。
    困るほど考えていなかったから。
    宗教を作り上げ、信じていた人たちは、人生と真剣に向き合ってきた人たちなのかもしれない。

  • 世界の宗教が簡潔にまとまっていて読みやすい。
    道教が裏儒教と著者は言うが、私は逆だと思う。儒教が裏道教だと思う。儒教は顕在意識、道教は潜在意識。

  • 世界の主な宗教の考え方がよくわかります。
    とてもわかりやすくまとめられていて勉強になりました。

  • 死んだらどうなるか、誰にも分からない。証言した人がいないから。では、どうするか。死んだらどうなるか、決めるしかない。あるいは、信じるしかない。それこそ宗教だ。死についてとことん考えてきた宗教の知恵を借りるしかない。この本は、様々な宗教が死についてどう考えてきたか、わかりやすく教えてくれる。私としては、ゆるい一神教であるユニタリアンがいいかな。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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