世界94カ国で学んだ元外交官が教える ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門
- ダイヤモンド社 (2019年8月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478106051
感想・レビュー・書評
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本書は、あくまでも、本当にあくまでも入門書です。
各宗教のことをそれなりに深く学ぼうと思ったら、この本では足りなすぎます。
ただ、1冊でユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教のことをさらっと確認したいなと思った人には役に立つ本だと思います。
本書の副題には「ビジネスエリートの必須教養」と書いてありますが、この本に書いてあるようなことは本当の『ビジネスエリート』であれば全部知っていると思いますので(笑)、「新社会人や大学生のための」とした方が、本書の内容としてはふさわしいと思います。
筆者は、外交官として世界各国で生活した経験を踏まえて「日本人は宗教偏差値が低い」と述べていますが、僕もそのとおりだと思います。
これは日本の教育の問題で、日本の初等教育は『宗教』(特に仏教やキリスト教以外の宗教)についてほとんど教えませんので、日本人が『宗教』について知っていることは、世界の標準から見ればかなり低いものだと思います。『宗教』を学ぼうと思ったら自分で学ばなければ誰も教えてくれないのです。
僕も数年間アメリカ・ニューヨーク市で働いていたことがあるのですが、アメリカ人(特にキリスト教徒やユダヤ教徒の人たち)の行動原理がいかに宗教に根ざしているかということをまざまざと体験させられました。
特に「弱者を救うと」いうことについて彼らはそれを使命として自然に行動します。
例えば、ニューヨークの地下鉄や大きなバスターミナルにはホームレスの人たちが目の前に空き缶を置いて物乞いをしているのですが、僕が見ているだけでも結構な数の人たちがその空き缶の中にお金を入れていくのです。
僕の体感的にはラッシュアワーの10分間だけでも2、3人のビジネスマン達がお金を入れていくという感じでしょうか。
それに比べて東京で同じようにホームレスの人たちにお金を恵んでいるビジネスマンがどれだけいるでしょうか。はっきり言って見たことはありません。
もちろん、ニューヨークと東京では環境も状況もまったく違いますが、やはり「弱者に施しをすることは大切なことだ」という宗教観の違いが大きく影響しているのではないかと感じました。
これはお金持ちが寄付するという行為にも現れていると思います。
特にキリスト教は「社会的弱者に施しをする」ということは、自分が天国に行く近道になると教えていますので、キリスト教徒は自らすすんで施しや寄付をするのです。
その他にも、日曜日に仕事を休むということは、宗教的に決められた安息日であることから、ほとんど義務であると思われています。キリスト教(特にカトリック)の強い地区では、日曜日にはお店などもほとんど閉店しているということが普通にあります。
本書で特に役に立ったのはイスラム教についての記述です。
イスラム教のことをあまり日本人は知りません。
著者は2年間、イスラム教徒の家庭に下宿していた経験があり、「日本人から見たイスラム教について」という観点が非常に勉強になりました。
特にハラルフード(イスラム教徒が食べている食べ物のこと)について、
『日本のレストランがよく「ハラルフードあります」などということを掲げて宣伝しているのを見かけるが、イスラム教徒(ムスリム)ではない日本人が、イスラム教のことを良く知りもしないで「ハラルフード」などと称して食料を提供するのはナンセンスだ。「ハラルフード」とはそんな簡単なものじゃない。もし宣伝したいのなら「ムスリムフレンドリー」程度にしてくれた方が、好感が持てる』
という内容のことを書いていて、これは本当に納得できました。
そして日本人の宗教観に関することですが、日本人はその真面目な性質から
『自己責任』
『他人に迷惑をかけないように生きる』
ということに非常に執着しているところがあると思います。
「生活保護を受けなかった為に自宅で餓死した」などという報道がたまにありますが、このようなニュースを見ると暗澹たる気持ちになります。
このようなニュースを聞くと、多くの人は「なぜ周りの人たちは気がつかなかったのか」と口にしますが、僕は逆にその人物が「なぜ他人に助けを求めなかったのか」と感じます。
これは、やはり日本人の宗教観や価値観が大きく作用しているのではないでしょか。
『人から施しを受けることを潔しとしない』
『どんなに苦しくともそれは自己責任だ』
このような価値観を多くの日本人が持っているということが理由の一つに挙げられると思います。
そして裏を返せば「苦しんでいる他人を助ける」ということに多くの日本人があまり慣れていないと言うこともできると思います。
このあたりはキリスト教やイスラム教はだいぶ違います。
イスラム教徒は困っている人がいればこう声をかけるそうです。
「メッカ(イスラム教の聖地)に行けば、誰かが何かを必ずくれるから餓死することはないよ」
と。
もちろん、宗教が原因で戦争が起こり、数多くの血が流されたり、新興宗教の名前を騙ったテロリスト集団が毒ガスを撒いたり、「アッラー、アクバル!(『神は偉大なり』というアラビア語)」という言葉は自爆テロを起こすテロリストのセリフだと思っている人がいるのも事実です。そのような状況で日本人の多くの人が『宗教』に対してアレルギーを持っているのも理解できます。
だからと言って、宗教を全く知らなくて良い、無視して良いということにはならないのではないでしょうか。
この地球上に暮らす人々の多くが何らかの宗教を信じていて、それを心の拠り所にして生活しているのです。逆にこちらの方が世界的にみればごく普通のことなのです。
そのような事実を事実と理解して、僕たち日本人も世界の宗教についてしっかりとした知識を持つことは非常に重要なことだと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宗教素人の私にはとてもとてもありがたい本でした。
そして苦手分野なので、何度も何度も眠りながら、
なんとか読了。
カタカナが多いのと、それが様々に変化するところが
どうも難しくて。
みなさんはどうされているのかしら。
そんなもんだと思えばいいの?
向こうの言葉をカタカナに直して表記するもんだから、
ギリシャがギリシアになったりギリシヤになったり
これで混乱するの。
ここでいう5大宗教とは
キリスト教
イスラム教
仏教
の三大宗教に
ユダヤ教
ヒンドゥー教
の民族宗教を加えたもの。
キリスト教、イスラム教、仏教は世界に信者がいる世界宗教
それに対してユダヤ教はユダヤ人
ヒンドゥー教はインド人
の民族宗教
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は一神教。
旧約聖書が啓典になる。
①ユダヤ教は「神とユダヤ人」の契約。
キリスト教は「<父なる神+子なる神(イエス・キリスト)+聖霊の三位一体>と人間」の間の関係。
<>と人間をつなぐものとして聖職者が生まれた。
なぜなら、イエスの説教をまとめた聖書は、ギリシャ語で書かれたものが碁聖きにローマ帝国の言葉であるラテン語に訳されました。
結局識字率が低いと、与えられたものをそのまま信じるしかなくなる。
②さらに、カトリックは布教にあたってもう一つの戦略を打ち出します。ユダヤ教同様、ローマ・カトリックでも偶像崇拝は禁じられていましたが、「字が読めないんだから、目でみて感じればいい」とばかりに、聖書に関連する美術品を山のように作ったのです。
これが宗教画になるわけだ。情感に訴えて信者にしよう、という狙い。
③ローマ・カトリックとプロテスタントとの違い。
ローマ・カトリック プロテスタント
善行・ボランティア・ 信仰によって救われる
寄付・巡礼で救われる
ゴージャス シンプル
美術や音楽で感じる 聖書を読んで考える
神父は生涯独身 結婚OK
離婚NG 女性の牧師も
④イスラム教
4代目カリフのアリーの時代に後継者争いが起こり、661年にアリーが暗殺されると、イスラム共同体の後継者の選び方を巡って2つの宗派に分かれます。これがニュースなどでよく耳にするスンナ派とシーア派です。
(中略)
ムハンマドにはファーティマという娘がいました。彼女はムハンマドのいとこアリーと結婚します。ちょっとややこしいのですが、アリーはムハンマドのいとこであり娘婿で、血縁的にとても近い関係にあります。彼は若いながらとても敬虔な人で四代目カリフに選出されました。このアリー支持者がのちの「シーア派」シーア派とは、「アリーの党派」という意味です。
アリーのカリフ就任に対して、「これって世襲じゃないか!協議によってカリフを選ぶのがイスラムの慣行だ」という反対勢力もいました。これがのちの「スンナ派」で、「積み重ねられた慣行(スンナ)を守る派」という意味です。
学校でなんとなく習ったスンナ派とシーア派だけれど、こういう意味があったのかあ。
とようやく理解。そうしないと頭にはいらないんだよね・・。
⑤現在ではスンナ派の国が多く、全世界のイスラム教徒の人口のおよそ90%を占めます。
残る10%のシーア派は、イランの多数派であり、イラクの過半数を占めます。
結局権力闘争で血が関わってくるとろくなことにならないのはいつの時代も一緒ってことか。
⑥仏教とはヒンドゥー教から派生したものです。
ゆえに共通点が多いのです。
ヒンドゥー教は基本的にインドの宗教で、教徒の人口が多い宗教といえども世界的な広がりはそれほどありません。
(中略)
ヒンドゥー教には最後の審判はなく、輪廻転生でうsから死を迎えても解脱するまで何度も生まれ変わります。
この辺りは仏教の感覚と似ているのかな。
⑦紀元前五世紀にバラモンの権威を否定したのがガウタマ・シッダールタ、すなわち釈尊。そこから生まれたのが仏教です。
先ほどヴィシュヌ神は様々な姿に変身すると書きましたが、ヴィシュヌ神を信じるヒンドゥー教徒にとってはヴィシュヌ神には10の化身があって、お釈迦様(釈尊)はその一つ。つまり、「お釈迦様=ヴィシュヌ神」なのです。
ヒンドゥー教にとっては仏教は兄弟みたいなものなのかもしれないね。
⑧輪廻転生や解脱は仏教とヒンドゥー教に共通する考えですが、似ているようで少し異なります。ヒンドゥー教では輪廻転生を離れて宇宙の本質と人の本質が一体化し、文教では悟りを開き涅槃にいたるということになります。
⑨今日の日本の仏教のルーツは、大乗仏教の経典です。大乗仏教の経典とは、もともとサンスクリット語であった経典が中国で漢文化され、さらに儒教などの影響を受けた”中華味”の経典といっていいでしょう。
少なくとも、仏教についてはもう少し深く学ぶ必要がある。
私みたいなど素人でも最後まで読める親切な本でした♪ -
元外交官で、現在研修講師やコンサルタント、大学院教授など、多様な分野にて活躍されている方の著書。
中東に駐在された経験や、また、長年にわたる宗教についての研究や豊富な知識により世界の五大宗教を1冊の本にまとめてらっしゃいます。
もはや、日本中どこに住んでいても、外国人と関わる機会がある時代、相手の宗教や多様性を理解することで、生活シーンでもスムーズにコミュニケーションできます。一読しておくと大変に有益です。 -
教養になる一冊
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『感想』
〇この本は軽く読もうと思っていたので読みながらフレーズチェックをしていなかったが、失敗だった。わかりやすく書いてあるし、他方を否定するわけではなくそれぞれの立場に立って説明されている。深く考えさせられる部分が多かった。
〇日本以外の国では宗教が身近な人が多く、ある程度の知識がないと相手に共感できず、良い人間関係が築けない。
〇一神教は神と人間と動物の線引きがはっきりしている。ここが日本人には理解しづらいところ。日本人の多くはそもそも興味をもっていないだろうが、少し哲学的に考える人はどれもが対等だと思っている人が多いのではないか。
〇日本人の多くは神を困ったとき若しくは金になるときにのみ頼るから、他国から見ればおかしいのだろう。
〇日本人は宗教偏差値が低いが、それでも宗教的な民族だとの言はなるほどと思った。仏教的な概念が心に沁みついているんだな。同じように他の宗教を信じる人にもその教えが染みついていたりする。だから怖がらず興味をもって他の考え方に接することが大事なんだな。
〇この本でとても勉強になったが、節々にビジネスエリートに必須な教養とあるのが気になった。エリートじゃなくても興味を持てるし、そんなものとは関係ないところで共感したいよ。日本人同士だって宗派が違ったりするし、宗教だけでなく違う考え方を訳もなく否定しないで理解を示すという思考につながるから、十分価値があるよ。
『フレーズ』
・仏教の重要な概念「四法印」(p.209)
1 諸行無常
物事はすべて常に変わっている。
2 諸法無我
物事すべては関係性の中で成り立っている。逆に言うと、関係性なしでは何も存在しないということ。
3 一切皆苦
生きるとは苦しみであるという考え方。
4 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
煩悩や迷い、悩みがなくなった悟りの境地である涅槃とは、静かな安らぎの境地であるということ。
・「宗教知識がなく、何も考えずに形だけの葬式をしている。日本人は宗教的じゃないんだ」そんな意見の人もいますが、実際のところ、日本人はとても宗教的な民族です。(略)「ありがとう」は仏教用語。「何もいらない。あるがままで、存在自体がありがたい」という仏教の教えからきており、私たちは日常的に使います。(略)「いただきます」は、仏教からきた言葉ですが、(略)仏教では「動植物も命あるものであり、命があるという点で人間と同じ」と考えます。その命を頂くと感謝しているのです。(p.252) -
ユダヤ教の友人にユダヤ教を教えてもらったことがきっかけで、本書を読み始めました。
非常におもしろかったです。
各宗教の教義や歴史をもっと知りたいと思えるようになる良書でした。
五大宗教の概要を知るにはぴったりではないでしょうか。
とくに私は宗教にあまり良いイメージを持っていなかったのですが、それが払拭されました。
読み終わってから信仰心が全くなかったことを後悔しております。
ビジネスエリートを目指す方にも、そうでない方にも是非読んでいただきたい一冊です。
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5大宗教とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教のこと(あと神道についても少し触れているが)。とても噛み砕いて解説してあってわかりやすい。さらっとはしているが、宗教について解説した本は無数にあり、難しくて混乱することもあるのでこの本をスタートにするのはとても良いと思う。
著者の外交官の経験から示された、各宗教の人々に対しての配慮すべきこと言ってはならないことなどはとても参考になった。日本人にとっては宗教はそれほど意識するものではないが、世界ではその人のアイデンティティーに関わる重要なものでそれを知らないで不用意な対応をするのは礼を欠いたことだと理解できた。
また、この本から自分の宗教観について自覚することの重要性を改めて感じた。相手のことを知っていることも大事だが、自分のことを説明できないのはそれ以上に恥ずかしいこと。自分なりの意見を持つことが大事である。
とはいえ、この本で自分の意見を述べたりすることができるかというと浅すぎて無理である。ここからより詳しい本を読んでいく必要がある。 -
無宗教が多い日本人、宗教への偏見が根強くある
日本では、このような本は非常に読みやすい。
宗教に対する価値観が学べる。 -
とても読み易く、入門書としては素晴らしい。
特に縁のなかったユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教の概要を知れたことはとても良かった。
一方で、海外で宗教トークをするためには、自分で更に知識を整理、調査しなければ使えるレベルにはならないと思う。タイトルである"必須教養"を身に付けるには至らず、また知識のデータベースとしても弱いため星3つ。