「衝動」に支配される世界---我慢しない消費者が社会を食いつくす
- ダイヤモンド社 (2015年3月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478029305
作品紹介・あらすじ
欲しい物が、当たり前にすぐ手に入る-、そんな「豊かさ」の代償とは?私たちの「底なしの欲望」を取り込んで繁栄してきた社会経済システム。しかし、自己の欲求を満たすことを何よりも優先する社会には、もはや破滅への道しか残されていない!圧巻の取材力で、「知られざる現実」を解き明かす問題作。
感想・レビュー・書評
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☆☆☆☆
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今年の上半期に読んだ中でいちばん良い内容だった。
極度に「自分化」された生活、支払いはあとまわしにして欲しいものを今すぐ手に入れる決済手段を得たことでパワーを増した(ように感じられる)消費者、倫理観なくオンラインで転がされる企業の株式、市場化する政治……
近視眼的で他者を顧みないマネー・ゲーム的社会への警鐘を強く鳴らす1冊。
アメリカについて語られた本だが、日本も同じような道筋をたどりつつあるのではないだろうか。
……と、内容はとても良かったのに、初刷りを読んだらくだらない誤植だらけで実にもったいなかった。脚注のまとめかたも雑。大急ぎでそれこそ「衝動的に」翻訳・出版しないで、じっくり腰を据えて仕上げてほしかった。
2刷以降(出てるのかな)直っていたらいいなー。 -
社会問題への興味を持つきっかけとなった『食の終焉』の著者ポール・ロバーツ氏による最新作。『食の終焉』の前には『石油の終焉』というエネルギー問題を扱った著書がある。いずれも読んだが、今回のタイトルはこの2冊と趣が違う。しかし訳者が最後に書いているように「資本主義の終焉」というタイトルにふさわしい内容。
利益追求にひた走る社会が、結果がどうなろうとも「今すぐに欲しい」社会になりつつある。緩やかな流れの中ではぐくまれてきた社会を分断し、人々から長期的な思考力を奪い、その場その場の利益だけで行動する社会になってしまっていると指摘。
例えば企業は近視眼的な投資しかしなくなった。人材は育てるとコストがかかるので引っ張ってくる、設備投資は今あるシステムを改良したものに留める。金融機関はすぐに回収できるような計画にしか金を貸さない。景気が長期にわたって滞っているのは、ゼロから新しいものを産み出して、既存のシステムにとって代わるようなものが作られていないからだという。今あるシステムのスピードを上げました、便利さを向上させました、といったマイナーチェンジを繰り返しているだけなので、雇用は生んでいない。
医療現場では「未然に防ぐ」よりも、高価なガンの中性子治療をしてもらった方が儲かる、極端に言えば未然に防いで健康な人を増やすよりも、病気になってもらった方が儲かる。
政治ではあらゆる立場の人を考慮した政策を打ち出すより、票をくれる層に受ける発言をした方が有利なので政策が極端なものになる
便利さを求めた結果、個人個人の長期的な考え方の能力が低下し、すぐに手に入る情報やモノに飛びついてしまう。こうなってしまうと、企業や政府はより人々をコントロールしやすくなる。アメリカでも、それに気づいた人は端末を手放し、コミュニティを大切にする生活に移行する人もいるそうです。日本でも田舎の暮らしを見直す動きが出てきているのは、少なからず違和感を感じる人が増えてきているからだと思います。 -
「衝動」に支配される世界 ということで、アメリカにおいては金融資本主義が消費者を巻き込み、次々と商品・サービスを購入させてしまう「市場」を政府も取り込み創ってしまった。
古き良き時代の市民・消費者が保有していたキャラクターはパーソナリティへと変質してしまった。
行きつくところまで、社会関係資本は破壊されてしまった。
膨大な選挙資金が必要なアメリカの選挙民主主義。ウォール街に席巻されたしまった政党。
如何ともしがたいようだが、第Ⅲ部で「再びつながり合う社会へ」第9章 私たちはどこへ向かうのか
小さな動きだが、古き良き時代のアメリカに戻そうという諸活動を紹介している。
著者は、明確な方向性は述べていない。
考える主体はアメリカ国民である。
私にすれば起こるべくして起こっている現象だと。
それは、佐伯啓思氏が、一貫して警鐘をならしてくれていたからだ。
「自由とは何か」『「欲望」と資本主義』「自由と民主主義をもうやめる」『新「帝国」アメリカを解剖する』
「大転換」他多数、彼の本を読み続けていたことにより、「衝動」にしはいされることなく淡々と読めました(笑)。 -
大量生産、大量消費社会のジレンマを鋭く描く。
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ポールロバーツ氏 3冊目。
刺激的なタイトルと巻頭のネット中毒者の話に惹かれて読んでみたが、思っていた内容とはかなり違っていた。解説にもあったが、ネット中毒者の話は一種の例で、本書はかなりグローバルな話だった。
生活の発展のために効率化され、その通り生活が格段に良くなった。しかしモノが飽和し、経済が回るためには不必要なものでも回さなくてはならない。世の中はそう言った不必要なモノやコトで溢れている。と言う話なのかな。
確かに今の世界はモノが溢れている。一つひとつに向き合う時間を作る事も重要なのではないか。 -
もう20年近く前にアメリカを鉄道、バスで横断した。行く前は、不安と緊張で一杯だったが、映画で見た世界を期待しつつ、胸の高鳴りが止まらなかった。
そして、横断した後、自分は、この国で生活は、
出来ないなと思った。各都市を回ってみて、現地の人と関わるうちに、何か異様な違和感みたいなものを強烈に感じたからだ。
なんで、ドラッグストアに大量の睡眠薬が置いてあるんだろから、朝5時に起きブラブラ歩いていると、24時間営業のスポーツジムで当たり前のように運動している人がいた。自分にとっては、異様な光景だった。あまりに社会が合理化し過ぎといった印象を持ったり、人に余裕がないなと思った。特にダウンタウン地域に行った時は、アメリカの抱える現実を見た気がした。
衝動的に何かをしてしまう。
まるで、条件反射のように。
いきなりアマゾンで何か買いたくなり、
ワンクリックで買う、何か達成感がある。
衝動的に何か見たくなり、ネットフリックスの無料一ヶ月キャンペーンに申し訳み、気になったドラマを一気に見る。
ネットニュースで見た記事に、無性に腹が立ち、
対象となる人物の罵詈雑言を書きまくる。
こういった衝動的な行為は、以前は、
あまりなかった。
しかし、今、自分達は変わってしまった。
20年近く前に見たアメリカの光景が、
日本では当たり前になってしまった。
実は、中国や韓国でもそうなっている。
情報革命は、自分達に計り知れない恩恵さ、
特に買う、見る、話すの分野に関して、
多大なる利便性をもたらしてくれた。
しかし、この革命で犠牲になったものも、
沢山ある。それを非常に論理的にこの本では
考察されている。
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『食の終焉』『石油の終焉』で知られる米国のジャーナリストが、こんどは「資本主義の終焉」ともいうべきテーマに挑んだ最新作。
米国で資本主義が爛熟を極めた果てに現出した、人々の欲望ばかりを駆り立てる社会。それがいま破滅に向かいつつある現状を、さまざまな角度から描き出している。
少し前に当ブログで『なぜ「つい」やってしまうのか――衝動と自制の科学』を紹介した際、私は次のように書いた。
《本書を通読してしみじみ感じるのは、現代文明が人間の衝動性を引き出す誘惑に満ちた「欲望の文明」だということ。我々を衝動的過食や衝動的性行動、衝動買いなどに走らせる仕掛けが、社会の隅々にまで張り巡らされているのだ。》
まさにそのような「人間の衝動性を引き出す誘惑」が、どの国にも増して「社会の隅々にまで張り巡らされている」のが、現代アメリカであろう。
「人間が昔より強欲になったわけではない。強欲さをむき出しにできる回路が途方もなく拡大されただけなのだ」
――アラン・グリーンスパンの言葉だが、これはまさにアメリカにこそあてはまる。「消費者が欲しがるものを与えることに驚くほど長けた社会経済システム」(本書の序章の一節)が、最高度に発達してしまった国なのだ。
お金がなくてもクレジットカードで買い物ができ、収入が低くても無謀な住宅ローンで家が買える。また、ネット上のさまざまなSNSを通じて、承認欲求・自己表現欲求は日々絶えず満たされ続ける。
そして、金儲けの最も手っ取り早い手段として、空疎なマネーゲームが横行する。価値あるものを作り出すことによってではなく、金融操作で巨富を得ることが経済の中心に居座ってしまうのだ。
アメリカのみならず、現代の先進国に多かれ少なかれ共通する現象だが、その行きつく先にどんな悲劇が待ち構えているのかを、著者はアメリカの無残な現状から明らかにする。
《一九八◯年以来クレジットカードの平均利用残高は、三倍以上に増えた。カードの利用残高を含めた家計の負債額の増加ペースは、収入に比べて二五%速かった。(中略)個人破産の割合は三倍になった。》
《肥満が急増した(一九七◯年から一九九五年の間に、体重過多のアメリカ人の割合は、二◯人に三人から、一◯人に三人に増えた)。ドラッグの使用、性的な乱交、不倫が増加した。行き過ぎた行為は消費に留まらず、忍耐力や礼節、自制心も全般に不足しているように思われた。》
個人の欲望の暴走に歯止めがかからないどころか、多くの企業が自らの利益のために、その暴走を後押ししている。そのような「インパルス・ソサエティ」(=衝動社会/本書の原題)のありようは、いまやアメリカの企業文化を壊し、人々の利他的なコミュニティを壊し、政治のありようまでも変えてしまったと、著者は訴える。
インパルス・ソサエティ化の根幹となったのは、社会の「金融化」(「金融市場が私たちの経済生活のあらゆる部分に入り込み過ぎて」いること)であり、ネットとコンピュータの急速な発展である、というのが著者の見立てだ。
本書は、ヘンリー・フォードの時代にまで遡り、米国のインパルス・ソサエティ化の歩みをたどった書でもある。
その意味で、当ブログでも取り上げた『誰がアメリカンドリームを奪ったのか?』(ヘドリック・スミス)の類書でもあり、2作を併読することでいっそう理解が深まるだろう。 -
息子へ
この本は、残念ながら息子にオススメするには値しないな。
ありきたりのテーマに、どこかで聞いた話。
結局、何が言いたいのかがボヤッとしているからね