ぼく自身のノオト

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784422930893

作品紹介・あらすじ

青年の普遍的思索。
500万部突破の世界的名著、待望の復刊。


1979年に出版された『ぼく自身のノオト』
(原題:NOTES TO MYSELF)を
初版時の瑞々しい翻訳で新装復刻。
青年期の心をめぐる、
生き方を確立する方法をさがし求める
心理エッセイ。


訳者新装版あとがき:きたやまおさむ


装画:中田いくみ
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)


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推薦:山崎まどか(コラムニスト)


13歳から20歳にかけて、
この本を何度も読み返し、
友だちや好きな人のみんなに貸した。
どのページのどの言葉も覚えている。
久しぶりに手にとって、これはもしかして、
いま必要とされている言葉ではないかと考える。
北山修の名訳だ。

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訳者あとがき(初版時)より


これは、一九七六年にBantam Booksから出版された‘Notes to Myself―My struggle to become a person’の日本語訳である。著者Hugh Pratherがこれを書いたのが一九七〇年で、そのとき彼は三十二歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。初版はアメリカ南西部のユタ州にある小さな出版社Real People Pressから大した広告もせずに発表され、数年の間に百万部を売りつくしている。内容は、小説でも詩集でもない。個人の日記の抜粋である。原文にはページ数の印刷がなく、どこから読んでもかまわないようになっており、もちろん目次もない。数年前まで学校のカウンセラーをやっていたというこの書き手は哲学者でも文学者でもなく、「みんなと同じ平凡な人間」である。
彼はいっさいの虚偽を許容できないらしい。彼は内的な現実をできる限り受けいれて、自らの内部にある真実を読者に伝えようとする。日本語を利用するなら、タテマエを拒否して、ホンネをできる限り表現することで、「ぼく」を確立する方法をさがし求めている。ゆえに、創作性のないこの本を文学性や思想性によって価値づけを行う必要はないし、実際にそんなことは不可能だろう。発想や行動の基盤をつねに「ぼく」に置いて、その「ぼく」の一部や全部が「ぼく」から遊離していくこと、さらに異物が「ぼく」のなかに入りこんで「ぼく」をしばりつけること、を罪悪視するのなら、実に日記という表現形式がもっともふさわしいものだったのである。私たちはホンネを言うことを自らを被害者化することと同じであると考え、「めめしい」と言ってそんな「ぼく」を切りすてようとする。しかし、著者のホンネは、決して弱音を吐くことではなく、自らの弱音をも自らのものとして語って相手と交流しようとする態度は一種の強さでもある。

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感想・レビュー・書評

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  • 「ぼく」という一人称
    で語る独白。

    「ぼく」は、私であり
    彼や彼女であり、

    病院の待合で隣に座る
    ご老人であり、

    見も知らぬ誰かである。

    誰もが多かれ少なかれ
    青年期に思索する、

    根源的な問いに対する
    洞察が連綿と綴られて
    います。

  • [読了]

    タイムラインで知って興味を持ちました。表紙のイラストにも惹かれた。

    1970年代、当時まだ無名の著者の内的描写。客観的なようで時に主観的に時に感傷的に、素直な心の響きが綴られている。読者としては混乱をすることもあるが、それは著者が常に誠実であるからなのだと思う。
    時折引っ張り出して再読したい。

    この瞬間にぼくがいちばんしたいと思っていることをするようにしよう p15

  • すらすらと読むにはなかなか難しかった


    『君のすることがぼくの気にさわってしかたがないとすれば、君の欠点はすなわちぼくの欠点でもあるということ。』p.110

    こんなにも自分の心を端的に言葉にできる著者を純粋にすごいと思った。
    自分ではない誰かの日記が、こんなにもわたしを捉えてしまうなんて、この本を読むまで思わなかった。

  • 【選書No】168

  • アメリカ南西部、ユタ州の小さな出版社から発表された個人の日記の抜粋。
    著者は文学者や哲学者ではなく、立派な肩書きもないただの男とのこと。

    ぼくたちがある物事を受けて、感じたことに真っ直ぐ誠実になる。それが日々の生活で遭遇する様々な出来事に自分らしく対処するために必要なことだという。

    何か困難に衝突した時に原因を外的要因に押し付け、自身については悩みがないように振る舞うことや、他人との軋轢の最中で本当に気に入らない事に気付けないことはよくある事だと思う。

    心がどう感じているか、がすなわち自分らしさで、自分自身と言っても差し支えないかも知れない。
    ただ、不思議なことに自分は過去の経験から形成されているにも関わらず、5分後の行動さえ予測出来ないほど未完成で曖昧なもの。
    その時その時に自分がどう感じているか分析して、自分自身を対処する方法を考えて、責任を持って動くしかない。
    これはある意味では良いもので、実力不足、相応しくないと考えてはいても、面白そうだから飛び込んでみようとする自分を肯定する道具にもできる。

    他人と揉めた時、相手がどう思っているかきちんと考えると言うのは皆が解っていることだが、同時に自分がどう思っているか素直に感じることは弁証法的に問題を止揚するためになくてはならないとハッとさせられた。

    共感できない内容もあったが、それも自分、ということで。

    あれこれ考えているととりとめもなく、長くなってしまうので記録はここまで。


  • 2日間 2時間20分 223ページ 読了

    目次もなく、誰に話しかけるでもなく、
    まるで誰かの日記のようだった。
    哲学なのかそうでないのかは分からないけれど、
    私としては読んでいて結構面白かった。

    「自分自身でいる」ということは、
    その時に自分が感じるものすべてを認め、
    自分の感情がどのレベルに
    反応するかを自覚して選ぶことにより、
    自分の行動に責任をもつことなのだ。

    これから生きていく上でヒントになりそうな言葉だった。
    "自分らしく"は今の私のテーマでもある。
    ゆっくり考えていこうと思う。

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著者プロフィール

1938年、米ダラス生まれ。作家、カウンセラー、メソジスト教会牧師。1970年『NOTES TO MYSELF』によって、ベストセラー・エッセイストとなり、『誠実であるということ』『心のシンプルライフ』(邦訳、ヴォイス)ほか十数冊の著作がある。妻のゲイルとともに、家庭におけるアルコール依存や虐待、また危機をむかえたカップルのためのカウンセリングに長年従事。「Wisdom Radio」等に自身のラジオ番組も持った。2010年没。

「2021年 『ぼく自身のノオト』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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