フィッシュ・アンド・チップスの歴史: 英国の食と移民 (創元世界史ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784422203430

作品紹介・あらすじ

19世紀の英国に生まれ、20世紀前半には安くて栄養満点の日常食として労働者階級に広まったフィッシュ・アンド・チップス。その魚の衣揚げの起源はユダヤの食文化にあり、揚げた細切りのジャガイモは、フランスに由来すると考えられる。お店の経営者には移民が多く、その出身地はイタリア、キプロス、中国と多岐にわたっていた。ディケンズやドイルなど英国文学ファンにも味わい深い、移民と階級社会を映しこんだ本。図版多数。

感想・レビュー・書評

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  • 美味しいフィッシュ&チップスになかなか巡り会えない。かと言ってこのまま引き退るのも癪に触る。そんな中ギリシャ系の著者が歴史を紐解くと聞き、美味しい出会いにも期待してみることにした。(ここでも「食べる」より「読む」を優先…)

    起源–発展–イギリスらしさ–エスニシティ–フィッシュ&チップスの意味…と、これ一冊で充分じゃね?と思わしめるほどの専門書ぶり。

    揚げた魚とじゃがいもがいつ・どこから登場してくるのか。文献を辿る旅もなかなかに忍耐を要したけど、調理風景とか(美味しいかは別にして)ちょこっと味見したくなることもあったり。古くからそれらしい料理はあったらしく、ディケンズの時代に本格化し始めたっぽい。早い段階で専用の調理機器が開発されたり第一次世界大戦時には各地に専門店が存在していたという(!)

    外来のチェーン店に押された時期はあっても、今日まで根強い人気を誇っているのが日本の寿司をちょっぴり思い起こさせる。

    ・元は労働者階級向け(2ペンスで買えた時代もあったとか)
    ・元祖持ち帰り料理
    ・お店は基本的に家族経営

    どこを取っても気位は高くないし、そりゃ嫌でも身近になる。「今や国民食」と明言されているし。

    「フライド・フィッシュ」の出どころがユダヤ文化だったのは意外すぎた。(あくまで自分が受けた印象だけど)ユダヤ人をフライド・フィッシュを揚げたにおいがすると囃し立てたくせに、後々になって国民食だと何食わぬ顔でいられるのが不思議でならない…食べられればそれで良いってものなのか。そう考えると、ルーツを辿ることは決して間違いでも無駄足でもないと信じていられる。

    そんな紆余曲折を踏まえられた栢木氏(訳者)による「やり取り」は、自分もこうして本当の意味で食を理解できるようになりたいと思ったものだ。美味しい出会いには(やっぱり)食べていかないと行き着かないから、この先も臆せず探求していきたい。巡り会えたその時は、本書での出会いを思い返そう。


    ※漢字に横文字のルビを振る書き方は邪魔くさかったかな汗(「市民農園/アロットメント」etc.)

  • 「イギリス料理はまずい」とはいったいいつ頃から言われるようになったのでしょうか。
    観光旅行程度ですが実際にイギリスに行ってみた感想としては、味が大雑把な料理が多いのはアメリカと大差ないという感じ。そこそこ高いホテルのディナーは十分おいしかったし、イングリッシュブレックファーストだって好きだった。だいたいアフタヌーンティーとかなら日本でももてはやされているのに?

    巻末のあとがきで「イギリス料理はまずいでしょう」と聞かれた訳者は次のように答えています。

    「ロンドンで食べる飲茶やカレーは日本よりおいしいと思いますし、ジャマイカとかレバノンとか日本ではなかなか出会えない地域の料理も食べられますから、食は豊かですよ」。すると相手は次のように反論したのである。「でも、それって移民の食べもので、別にイギリス料理じゃないですよね?」この発言には「移民」という外来の要素と明確に区分されうる純粋無垢な「イギリス」の食文化が存在するという発想が透けて見える。しかし、そんなものを想定することが果たして可能なのだろうか?

    そんなイギリス料理のなかでも「唯一おいしい」とされるフィッシュ・アンド・チップス。
    『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』というタイトルだけでもう十分におもしろそうですが、実際にとてもおもしろかったです。

    「イギリスらしい」料理とされるフィッシュ・アンド・チップスだけど、そのルーツをたどるとユダヤ人のフライドフッシュであり、労働者の食べものとして消費される一方で、嘲笑される対象でもあった。
    中国料理やフライドチキン、マクドナルドなど「持ち帰り料理(なぜかこの本ではテイクアウトとはいわない)」が増えることで、フィッシュ・アンド・チップスは「イギリスらしい」料理としてナショナル・アイデンティティと結びつけられるようになる。
    フィッシュ・アンド・チップス店の多くは家族経営の小さな店であり、フライヤーはユダヤ人にはじまり、スコットランドのイタリア人、ギリシア系キプロス人と移民たちであった。

    というのが大筋なんですが、ディケンズの小説から当時の新聞記事、『フィッシュ・アンド・チップス美食ガイド』から機関誌『フィッシュ・フライヤーズ・レヴュー』などなど、膨大な資料を駆使して、フィッシュ・アンド・チップスにイギリスの移民たちの歴史を読み取っていくのが最高におもしろい。

    フィッシュ・アンド・チップスひとつとっても、移民たち、労働者たちへの差別意識が見え隠れするという事実!

    訳者あとがきにもあるように「日本におけるラーメン」とか、「国民食」なんて言われてるものの歴史をたどってみればいろいろ見えてくるものがありそうです。


    以下、引用。

    魚食の歴史は人類の歴史と同じぐらい古いようであるが、一九世紀に鉄道が登場し、保存を可能にする冷蔵技術が発展するまで、生の魚を日常的に食べることができたのは、海岸地域か河川の近くに住んでいる人々だけだった。

    ユダヤ教徒とキリスト教徒にとって、魚を食べることには宗教的な意味合いがあった。

    金曜日に魚を食べるという決め事は、ヨーロッパとイギリスでの魚需要を維持する上で重要な役割を果たしていた。

    ローマ・カトリック教会は肉食を断つ日を設定し、特に休日と四旬節の肉食を禁じた。しかし、さまざまな理由から魚はその規則から除外されていた。
    「『冷たい』食べものを口にすることは許された。魚は水に由来するということで、水鳥やクジラと同じく冷たい食べものとみなされ、肉は温かい食べものと考えられたのである。」

    それ(ジャガイモ)を最初に取り入れたのはアイルランド人だったようである。この理由としては、「ジャガイモがそこの土壌と気候と生活条件に驚くほどうまく適合した」という事実以外にも、アイルランドの農民にとってそれが「失業、貧困、人口過剰、土地所有熱という社会的疫病に対するせめてもの防衛手段として」機能していたという事実が挙げられる。

    第一次世界大戦直前の時期、フィッシュ・アンド・チップスは、イギリスのトロール船による漁獲高のニ〇パーセントと、イギリスで育てられたジャガイモのおそらく一〇パーセントを吸収していたと考えられる。

    「こうした店のおかげで、多くの労働者の妻たちは六ペンスという安さでたっぷり六人前、ときには八人前の腹を満たす食事を用意でき」、また「調理にかかる出費と手間」も節約できていたのである。

    ニ〇世紀の初めには、ジャガイモの皮むき器と細切り器も買えるようになった。

    『フィッシュ・フライヤーとその商売』
    開業の前提になる業界規模と商機、適当な立地選び、店の間取り、調理機器、ジャガイモや魚の選び方はもちろん、塩、酢、エンドウ豆といった「フライドフッシュを売る商売に必要となる副次的な材料」の選び方。

    「チップスを揚げることをひとつの技芸(アート)と考えなければなら」ず、
    「フライドポテトチップスの出来と色味を均一に揃えることの重要性は、どれほど強調してもしすぎることはない」。

    フライドフッシュが人々の意識に上るようになった頃、それはイギリスのユダヤ人コミュニティと結びつけられた。より具体的には、フライドフッシュのにおいは、ヴィクトリア朝イギリスのユダヤ人の多くが暮らしていた都心周辺の低所得地域(インナー・シティ)、特にロンドンのイーストエンドにあったゲットーのにおいになった。だが一九世紀が進み、フライドフッシュとチップスが組み合わされると、この料理は労働者階級と結びつけられるようになった。このことはディケンズ作品中の数行の文や、この主題についてメイヒューが書いたより長い文章、それからしばしばフィッシュ・アンド・チップスの健康上の脅威を取り上げた新聞記事にはっきり見て取れる。ニ〇世紀の後半には、この料理は「イギリスらしさ」と結びつけられるようになった。

    『ウィガン波止場への道』のなかの一九三〇年代の経済不況とその余波について述べるくだりで、オーウェルは「三十ペンスでは肉はたいして買えないが、フィッシュ・アンド・チップスならたくさん買える」と指摘している。その一方で、第二次大戦後に書かれたエッセイでは、フィッシュ・アンド・チップスを「労働者階級のなかの最も貧しい連中がいつも夕食にしているもの」と形容しているのである。

    たとえばビートルズも取材を受けており、「僕たちの成功もこの手軽な食べものがあってこそ」と発言している。ジョン・レノンは、「僕らはしょっちゅうフィッシュ・アンド・チップスの店に通っていた」と語っている。

    そもそも、その料理を構成する二つの要素がどこから来たのかを調べれば、それらの起源がイギリスの外にあることが分かる。チップスはフランスからイギリスに入ってきた可能性がある。他方の魚の衣揚げ(バタードフィッシュ)はユダヤ人がもたらしたもので、その歴史はおそらく近代初期にまで遡れる。一九世紀の大半の期間、フライドフッシュはユダヤ人たちの食べものとして知られていた。それどころか、ヴィクトリア朝時代のイギリスには、ユダヤ人はフライドフッシュのにおいがするという悪辣な反ユダヤ主義のステレオタイプが流布していた。

    エスニック・マイノリティとの関わりは、フィッシュ・アンド・チップスの重要な側面である。揚げ物の仕事はつねに社会階層の最底辺に置かれたため、一番最近来た一番身分の低い者に受け継がれていった。一〇世紀後半のロンドンのイーストエンドでは多くの大陸出身のユダヤ人がこの商売をしていた。その後、イタリア人がこの仕事に就いた。第二次世界大戦が終わると、特にロンドンとコベントリーでキプロス人の参入が見られた。より最近では中国人と、そこまでの規模ではないが、インド人やパキスタン人のフライヤーが進出してきた。

    映画『ぼくの国、パパの国』(ダミアン・オドネル監督、一九九九年)
    その店を所有するのは、ローマ・カトリック教徒のアイルランド系イギリス人女性と結婚したパキスタン移民のザヒア・「ジョージ」・カーンである。
    面白いことに、フランスで公開された際、同作のタイトルは『フィッシュ・アンド・チップス』に変更された。二つの文化のあいだで生きることに伴うさまざまな問題を扱っている映画のテーマは、フィッシュ・アンド・チップスのエスニックな複雑性を見事に暗示している。

    フィッシュ・アンド・チップスはかつて反ユダヤ主義的なステレオタイプを体現したかもしれない。しかし、それはユダヤ人の食べものから貧民の食べものに、最後にはイギリス人の食べものへと変化したのだった。それゆえフィッシュ・アンド・チップスは、そうしたステレオタイプを解体する道筋を示してもいるのである。

    「ロンドンで食べる飲茶やカレーは日本よりおいしいと思いますし、ジャマイカとかレバノンとか日本ではなかなか出会えない地域の料理も食べられますから、食は豊かですよ」。すると相手は次のように反論したのである。「でも、それって移民の食べもので、別にイギリス料理じゃないですよね?」この発言には「移民」という外来の要素と明確に区分されうる純粋無垢な「イギリス」の食文化が存在するという発想が透けて見える。しかし、そんなものを想定することが果たして可能なのだろうか?

    たとえば、ニューヨークの食文化を東欧系ユダヤ移民がもたらしたベーグルなしに、ベルリンのナイトライフをトルコ移民が発明したドネルケバブなしに考えることはできないはずだ。そしてこれは、日本で長らく「国民食」として親しまれてきたラーメンの歴史を、中国大陸や台湾の出身者たちの存在抜きに語ることは不可能であり、餃子の普及の歴史を辿ろうとすれば「満州」への移民と引き揚げの問題に遡らねばならのと同じことである。

    ディケンズ『オリバー・ツイスト』
    ラリー・ザッカーマン『じゃがいもが世界を救ったーポテトの文化史』青土社

  • イギリスの「国民食」フィッシュ・アンド・チップスをてがかりにして、人と文化の移動やエスニシティにまつわる話を描く。面白いですよ。

    https://historia-bookreport.hatenablog.jp/entry/2020/09/25/200318

  •  フィッシュ・アンド・チップスの起源は19世紀後半で、近代漁業や鉄道輸送、氷により生魚が普及したこと、また同世紀前半の穀物価格上昇でジャガイモが広まったことが背景。
     当初は労働者階級の食べ物として貧困や臭いのイメージと結びつき、やや見下されていたが、20世紀半ば過ぎからは英国内外で「イギリスらしさ」が強調されるようになる。
     にも拘らず面白いのは、本書ではフライドポテトは仏由来の可能性が高く、また白身魚の衣揚げはユダヤ移民由来だとするのだ。更に持ち帰り店のオーナーにはユダヤ系に加え伊、キプロス、中国の移民が多かったという。

  • 自分はフィッシュ・アンド・チップスにとにかぬ目がない。英国のパブで食事をする場合、メニューを見ずにこれを選ぶ。英国は食事が美味しくない、という先入観を持つ人が多いが、地元で人気のフィッシュ・アンド・チップス店に連れて行ってもらったとき、その印象は打ち砕かれた。
    さておき、本書はフィッシュ・アンド・チップスの歴史に迫る結構な長編。誕生から作り方、使われる魚の種類、食事の裏にあるイギリス階級社会などなど…よくここまで書いたものだ。一つ面白かったのはここまで国民食のように取り扱われながら、実は生粋のイギリス食ではなかったこと。当地のユダヤ人が食べていた揚げた魚。ベルギーから入ってきたフライドポテト。それと合わせて19世紀後半に流通網が整備され、沿岸部以外でも魚が手に入れやすくなったこともあり、揚げた魚とフライドポテトの組み合わせが人知れず市民権を得ていったようだ。
    読了したその足で、近くのフィッシュ・アンド・チップスの持ち帰り店に駆け込んだ。

  • どの魚だったんだかどうやってみんなわかるんだろうと思いながら(二人でハドックと鱈とチップスを頼んだがハドックと鱈の違いはいつもほんとにわかりにくかった)ともかくおなかにたまって、胸もいっぱいになって、ビールが欲しくなる。
    ユダヤ的なものがそれだけ嫌われていたこと、なんだかんだ言ってかなり外国人が混じりこんでいる国だったこと、貧富の差は階層差になってお互いに?否定的なイメージを持っていたこと、なんだかんだ言って豊かになってきたこと。
    外国人観光客が一番身近に試せるイギリスらしい食べ物だったのだよね。やはり。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50221103

  • 2022.11.6市立図書館
    「食の世界」フェアの本棚を見て衝動借り。読む余裕なく返却。

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/639479

  • フィッシュ&チップスと産業革命の関わりが分かったりと歴史に深く関わっていてなかなか読みごたえがあった!!

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著者プロフィール

パニコス・パナイー ド・モンフォート大学ヨーロッパ史教授。イギリス入移民史研究を代表する研究者の一人。イギリスのドイツ系移民の歴史、人種主義の歴史、難民・移民と記憶、食文化における移民の影響など幅広い関心をもつ。本書の他、Refugees and the End of Empire: Imperial Collapse and Forced Migration in the Twentieth Century (Pippa Virdeeと共編著、2011年、Palgrave Macmillan)、Prisoners of Britain: German civilian and combatant internees during the First World War(2013年、Manchester UP)など多くの著作がある。

「2016年 『近現代イギリス移民の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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