- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784422203409
作品紹介・あらすじ
歴史学とはどういう学問なのか、歴史研究とはどう行われるべきなのか――そのヒントは「名著」にある。本書では、日本の西洋史学に少なからぬ影響を与えてきた綺羅星のごとき名著の数々を再評価、優れた研究の手法や意義、潮流を明らかにする。研究の最前線に立つ著者ならではの考察は力強く、歴史学という知的営為の意味をあらためて考えさせられる。「歴史とは、歴史家とは何か」の問いに真正面から答える、著者渾身の一冊。
感想・レビュー・書評
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近代ヨーロッパ経済史の専門家による、歴史研究とは何かを追求したもの。日本におけるヨーロッパ研究の経緯を述べ、それを題材に歴史研究とはどういうものかを明らかにしている。極めて学術的であり、面白い。
「誰の興味も引かず、学生がほとんど出席していないような科目が、ただそれが必要だったという学問に内在する要請によってのみ生きながらえたのではないか。社会全体からみた場合、そういう学問は、本当は死に絶えていたはずなのではないか。それが大学という制度によって、延命措置を施されているだけではないのか」p17
「目の前の研究に関係ないものは無視するという態度は、長期的には決して効率的なものではない。研究基盤が広くなければ、長く研究を続けることはできないのである」p50
「イギリス経済にとって重要な地域は、本国を除けば、西インド諸島であった。とりわけそこで生産された砂糖は、イギリスに大きな富をもたらした」p52
「こんにちの世界では、ごく一部の企業のトップを除くなら、賃金を上昇させる誘引はない。単純に言うと、企業では、ごく一部のトップの賃金だけが上昇し、通常の労働者の賃金は上がらないシステムが形成されつつある」p135
「近代世界システムとは、絶えず成長し続けるシステムである。未開拓の土地がなければ、このシステムは成り立たない。しかし、それがもはやなくなっているのである」p135
「持続的経済成長には、人口が絶えず増加し、人口ピラミッドが美しい三角形をなしているという前提があったことを忘れてはならない。こんにち、どの先進国でも高齢化が進み、持続的経済成長の前提条件はすでに崩れ去った。持続的経済成長とは、近代経済学が生み出したフィクションにすぎない」p136
「自然科学では、英語のみが世界語になって久しい。英語で書かれていない論文など、国際的評価には値しない。理論経済学も、そのような傾向にある」p154
「現在もなお、発展途上国の多くの国々では、母語で高等教育を受けることができない。彼らが一般に日本人よりも英語ができるのは、英語を使う機会がずっと多いからである」p158
「おおむね19世紀のあいだは、日本の高等教育は英語で行われたと考えてよいであろう。それ以降、日本人の学者の水準が上がり、母語である日本語で教育ができるようになった。そして、この頃から日本人の英語力は低下していった。新渡戸稲造のように、すぐれた英語で著作を出す日本人は、急速に姿を消していった」p159
「公正無私で客観的な歴史など存在しない」p171
「史料に書かれていることは、事実とは限らない」p179詳細をみるコメント0件をすべて表示