- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784422114095
感想・レビュー・書評
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スクールカウンセラーが学校に位置付けられ始めた頃の、難しさと期待を上手く言葉にされていた。
ある種、内を守る構造のある学校と、外からやってきて、ある生徒という個人を守るスクールカウンセラーがどのように調和してゆけるか。
今やそうした専門的知がなければ、やっていけないとも言えるし、いやいやまだ学校の形は変わりきれておらず、個人としての子どもと向き合うためには欠かせない機構なのかもしれない。
「私はよく思いますが、二〇分間本当に怒り続けられる人というのはほとんどいません。よほどカンカンに怒っている人でも、『はい』と言ってきちんと聞いていると、『まあいろいろ言いましたが、いや、あなたの気持ちがわからないでもないのですよ』というように必ず変わってきます」
「よく考えてみてください。効率的にやろうと思うと、関係が切れてくることが多いと思いませんか。何でもかんでも『早くしなさい』『ちゃんとやってる?』『どうやったらできる?』といった具合になる。そうすると、先ほどから言っているように、みんなが囲炉裏端に集まってきて、おばあちゃんが甘酒を入れてくれて、おじいちゃんが昔の話をしてくれてというような関係とは、全然違う人間関係ができる」
カウンセラーが、プロとしての仕事が出来ないのなら、辞めた方がいい、と厳しい言葉を残している。
自分の仕事に当てはめたとき、自分は自分を許していないだろうかと思う。
研究者、芸術家、勝負師は、棋士だけでなくカウンセラーも一緒という言葉が印象に残った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本は大好きで、何度も何度も読み返しています。
この書棚に未登録だったことに、ちょっと、驚きました。
この本の中で紹介されている、
谷川俊太郎さんの『みみをすます』
がすべてを語っているように感じていて、時間がとれないときは、この詩だけ読み返したりしています。
河合先生の言葉に触れていると、
スクールソーシャルワーカーも同じだな、と思います。
個人から集団、文化をみる、
全体を見る力をもつ、
発想の根本を個人におき、どの個人も大切に考える、
関係性を大切にする、
スクールソーシャルワーカーがアメリカ発であることを考えると、そしてアメリカのスクールソーシャルワーカーは日本のスクールカウンセラーの役割も担っていることを考えると、特に驚くようなことでもないのですが、日本の現状を考えた時、何だか悲しくなりました。
スクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーの棲み分けは大事かもしれないけれど、それぞれが専門性を示すことも大切だろうけど、根っこの部分には共通するものがあり、明確な線引きを行う必要性はないのではないかと私は考えていて、
要はその場その時その人たちが、子どもの存在を守るためにどう動くことが一番なのかを話し合い、実行することが一番大事なのだろうと、
この本を読みながら、そんなことを考えました。 -
本棚に眠っていたのをみつけ、1日で読了。
河合隼雄氏のに限らず、最近になって、前よりは「読んでて何となく分かる」ようになってきた本(専門書)が増えてきた気がする。やっぱある程度キャリアを積み重ねたことの賜物?!
「臨床心理学は個を大事にしてきた」「学校にSCを導入するとは、従来の学校文化からすると、異物混入にも似た〜」といった件が、色濃く出ている。それを出発点にして、今日の普及・浸透があるのは間違いない。ただ、それと同時にSC界も新たなパラダイム・シフトが必要だとも思う。そのあたりを自らの研究テーマとしてどう世に問うていこうか。そのベースとなる一冊ではある。 -
110722
実際に講演をお聞きしたかった。人格者だったんだろうなぁ。心理学者と教師、両面からスクールカウンセリングを捉えていらっしゃるところがさすがだなぁと思います。 -
スクールカウンセリングに関することだけでなく、これから日本がどうなっていくか等についてまで書かれた本。
スクールカウンセリングを目指す人だけでなく、すべての人に読んでほしい一冊。 -
わかりやすく、きびしい