書店と民主主義: 言論のアリーナのために

著者 :
  • 人文書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409241097

作品紹介・あらすじ

「紙の本」の危機は「民主主義」の危機だ

氾濫するヘイト本、ブックフェア中止問題など、いま本を作り、売る者には覚悟が問われている。書店界の名物店長による現場からのレポート、緊急出版。政治的「中立」を装うのは、単なる傍観である。

「縮小する市場とともに低下し続ける数値を元に、それに合わせた仕事をしている限り、出版業界のシュリンク傾向に歯止めをかけることは出来ないだろう。必要なのは信念であり、矜持であり、そして勇気なのである。」(本書より)

感想・レビュー・書評

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  • ◆5/24 シンポジウム「自由に生きるための知性とはなにか?」と並行開催した「【立命館大学×丸善ジュンク堂書店】わたしをアップグレードする“教養知”発見フェア」でご紹介しました。
    http://www.ritsumei.ac.jp/liberalarts/symposium/
    本の詳細
    http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b222590.html

  • 大沢真幸は、「ショックを受けたとき、人は思考しないではいられなくなる」という。「思考というものは自分の内側から湧いてくると思ったら大間違い」で、思考には「思考の化学反応を促進する触媒」が不可欠だ。その触媒とは、時には対話の相手、時には黙って聞いてくれている聞き手である他者であるが、「その次に重要な触媒は、まちがいなく書物だ」(『思考術』河出ブックス)。
    (中略)「ものを考えるということは、一見、モノローグのように見えるが、実は対話」であり、無意識のうちに相手の反応に触発されている部分が大きい」、思考している場所とは、「自分と他者のあいだ」なのである。(pp.5-6)

    著者が書き上げた時には「宛先のない手紙」だったコンテンツが、多くの人の手を経て物質性を発する本となり、書店に並べられて、読者と「目が合う」。その時に、あたかも予め決められていたかのように、「宛先」が発生するのである。発展的、創造的な「誤配」も含めて。(p.56)

    新鮮かどうかは分からないが……。本を読みたいという思いは、足りなものを求めるから生まれ、本を読みたいと思う人たちは、社会で問題になっている、自分の感情の中で反対のものを求めていると思う。例えば、今モノが溢れかえっているから、「断捨離」「捨てる」「収納」「ミニマリスト」といった、モノが溢れている状況の対極を言う本が出てきて、読まれている。世の中の今の姿と反対のものが。禅とかタオとかにつながる。昔の本でも十分意味がある。(p.99)

    書店の風景は、社会を映す鏡であると同時に、社会の一部分を増幅して読者に伝える。書店に並ぶ本が「売れる本」のスパイラルによって強い傾向性を持ってしまうと、それが社会の真実だと捉えられてしまう。(p.152)

    民主主義そのものには、これと決まったプランはない。意見の優劣を決めるモノサシもないし、目指すべき方向が予め与えられているわけではない。だから、なかなか何も決められない。そのことに苛立ち不満を持つ人も多くいるだろう。民主主義とは、きわめて面倒くさいものなのだ。
    「民主主義とは、その程度のものなのか?」そう、「その程度のもの」である。しかし、「その程度のもの」に参加するのは、そんなに簡単なことではない。自分の意見を持ち(そのためには、他人の意見を知らなければならない。この自明なことが今日忘れられていることが多い。だから本を読まない人が多いのだ)、それを他人に表明する技術と勇気を持たなければならない。自らへの批判も受け止めなくてはならない(必ず受け容れなければならない義務はない、受け止めて投げ返すことも、捨て去ることも自由だ)。「その程度のもの」には、知識や経験、そして何より覚悟が必要だ。(p.174)

  • 書店
    社会

  • 極度の近視なのでコンタクトレンズは必需品だ。あ、近年は老眼も
    加わっているけれど。両目に1枚ずつ装着しているのだけれど
    (当たり前ですね)、私の両眼にはコンタクトレンズ以外にもうろこが
    たくさんついているみたいだ。

    本書はページを繰るごとにポロポロと目からうろこが落ちるのである。
    私の目は相当に曇ってるようだ。

    著者は大手新刊書店チェーンの店長だ。書店の店長との視点で、
    本と書店というフィールドをテーマにしたエッセイをまとめた作品だ。

    2015年、東京・池袋の書店が「自由と民主主義のための必読書50」と
    銘打ってブックフェアを開催した。これが炎上した。店員のひとりが
    Twitter上で「闘います」と宣言したことが発端だった。

    書店のフェアに目くじら立てることもなかろうにと思った。ただ、そう
    感じた自分もまた、違う種類の出版物に対してある種の嫌悪感を
    持っているのも確かだ。

    それは中国や韓国を批判する内容の出版物であったり、特定の
    宗教団体の出版物であったり、少年犯罪の元犯人による手記で
    あったりだ。

    上記の出版物を平積みにしていた新刊書店には極力立ち寄らない
    ようにしていたし、特定の出版社の作品の不買運動もしている。

    だが、それではいけなかったんだ。書店は時代を映す鏡だと言う。
    言論の闘技場(アリーナ)だと言う。ならば、そこには相反する言論
    が存在していていいのだ。

    自分の嗜好に合わないからといって視界に入れないようにするのは
    排除に他ならない。そう、今まで私がやって来たことだ。言論の自由・
    表現の自由を信奉しながら、私は居心地の悪い言論や表現を排除
    して来ていたのだな。反省しよう。

    中立とは意見を持たないことだと著者は言う。だったら、私は中立で
    なくていい。自分の意見を持ち、加えて異なる意見に耳を傾けること
    をしてかなくてはならない。但し、罵詈雑言は無視するが。

    某新刊書店チェーンが展開している、カフェなどを併設した「生活提案
    型書店」が私は苦手なんだが、これに関しては著者と考え方が近かっ
    たかな。「本のコンシェルジュ」なんて絶対無理だし、わたしゃ「カフェ」
    ではなく、「喫茶店」で本を読むのが好きだし、何より自宅でぐたーっと
    寝そべって読むのが一番いいのだ。

    自分の心と頭の狭さに気付かせてくれた作品だが、今後、これまで
    避けて来た作品を読むかと問われれば自信はない。だって、積んだ
    ままの本が大量にあるのだもの。

  • ここ最近、書店の意思が測られる(試される?)ような出版、出版物が増えてきたように思う。
    その度、書店の現場は考え、迷う。
    時に信念を持って、時に時流にただ流されて出版物を扱い、売場を変化させてきた。
    著者の福嶋氏は違う。常に思索し意思を持った売場を作り続ける。
    そういう生きた本屋が全国にどれだけあるだろう。
    果たして自分の関わる売場はどうだろうか。
    時に唸り、時に励まされ、時に恥ずかしい思いをしながら読んだ。
    刺激的だった。

  • 143ページに、「ぼくら書店員に必要なのは、『物語』を創ることではなく、やって来る『物語』から逃げずにしっかり受け止め、その『物語』を生きることだと思う。」という一文があり、これを読んだ瞬間、先日読んでいた『アートディレクションの型』に商品から逃げないで向き合うこと、みたいなことが書いてあったことを思い出した。

  • 八百屋も金物屋も政治的中立性なんて求められないのに本屋だけ違うのはなぜか。それはある種の幻想が本屋にあるって事だし、本屋はその幻想を売ってるのでもある。まあ、下戸の酒屋は許せても、活字嫌いの本屋はなんとなーく嫌かなって気持ちは僕にもあるので幻想って強い。

  • 本屋さんがこのようにひとつの見解にこだわらない品揃えをしている以上、読書する者も、どうしてこのような見解にいたるのか理解できないという拒絶ではなく、どういう心持ちであればこういうメッセージが出て来るのか、知る姿勢が必要であると思いました。

  • 024.1 / 書籍商-日本 民主主義 /

  • 元気のいい人は うれしくさせてくれる
    元気のいい書店は うれしくさせてくれる
    元気のいい町には 元気のいい人がいる
    元気のいい町には 元気のいい書店がある

    改めて 自分の町の 元気のいい書店に
    今日も行こう と 思った

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著者プロフィール

福嶋聡(ふくしま・あきら)―書店員。1959年、兵庫県に生まれる。京都大学文学部哲学科を卒業後、1982年2月ジュンク堂書店に入社。仙台店店長、池袋本店副店長などを経て難波店に。2022年2月まで難波店店長をつとめる。学生時代は俳優・演出家として演劇活動に没頭した。著書に、『書店人のしごと』『書店人のこころ』(以上、三一書房)、『劇場としての書店』(新評論)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)、『書店と民主主義』(以上、人文書院)、共著に『フェイクと憎悪』(大月書店)、『パンデミック下の書店と教室』(新泉社)などがある。

「2024年 『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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