- Amazon.co.jp ・本 (447ページ)
- / ISBN・EAN: 9784404037824
作品紹介・あらすじ
青森に端を発し古代史を震撼させた「東日流三郡史」の真贋論争。偽書を生んだ考古学・メディアの闇に迫り、論争に決着をつけた問題作。
感想・レビュー・書評
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学生時代、超古代史が好きな友人がいて、竹内文書やキリストの墓などを熱く語ってくれた。
その中で知ったのが「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)。
大和朝廷とは別の朝廷が津軽にあった、というのはなんともワクワクする歴史のロマン。
そう、厄介な「歴史のロマン」。これにころっと騙されてしまうのだ。
「東日流外三郡誌」は、津軽の農家の屋根裏から出てきたといわれる古文書。
編集者やまわりの人も「おかしい」と思いつつ誰も問題にせず自治体の刊行物として世に出る。
研究者たちは、鼻から偽書として相手にせず黙殺した。
この「隠された日本の歴史」に飛びついた一部の学者や作家などにより持ち上げられ、オカルトブーム、邪馬台国ブームなどにのっかり、自治体も巻き込まれる。
で、ある在野の研究者が自書からの盗作を訴えた民事裁判がきっかけで、偽書問題として検証されるようになる…。
擬似科学も同じだが、きちんとした研究者が黙殺する、というのは正しい姿勢ではあるが、どこかでちゃんと歯止めをかけてくれる人がいてもよかったんじゃないか、と思う。科学者には研究とともに啓蒙という義務があるのではないだろうか。
誰もが「おかしい」と感じながらもなんとなくスルーしてしまっている、のも日本的。
津軽の古代から近世にかける歴史をコツコツと一人で書いていたというのは、ヘンリー・ダーガー的…とも思ったが、偽書も餌に二束三文の骨董品を高値で売りつけていた、とのこと。これは詐欺事件として扱われるべき問題ではなかったのか??
地方における県紙と中央紙のスクープ合戦という横山秀夫の小説的おもしろさもあり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まさにオカルト雑誌『月刊ムー』のようだ。
私が『月刊ムー』の定期購読を止めて以降に、大きな動きがあったようです。
真偽論争に決着がつけらた渾身のルポ。
『月刊ムー』でさんざんっぱら取り上げられたのになぁ~…偽書かぁ~…やっぱりね。
間接情報でしか知らなかったけど、実物を見ると、いかにも怪しげだったのかもね。
どうしてみんな騙されたのかな…村興し・町興しのためとか、好奇心とか、功名心とか…弱いところを突かれちゃったんだね。
最初は仲間内でやってたことが、自治体を巻き込んで…日本中、世界中に広まっちゃった。
折りしも、ポストモダン思潮に乗って、裏歴史みたいなものが、流行った。
実物はこんなに怪しげなものだけれども、みんなが惹きつけられたのは、ロマンを投影したからだろうね。
”まつろわぬ民”から見た歴史というものに。正史以外の歴史というものに。
最初から、創作だと発表したら、こんなに話題にならなかっただろうね。盗用・盗作・継ぎ接ぎで出来上がったものだったんだからな。
ネットがない時代に、出し惜しみと小出しという演出というか、求めに応じて創るという状況が、ブレイクさせたんだな…。ある意味スゲー。
ネットがない時代に、青森の片田舎から大ブレイクしたなんて、超スゲーよwww
「竹内文献」キター(・∀・)ー!
これも偽書かぁ~…まぁ、当然だな…これも絡んでくるとは、オカルト業界凄まじき。
オカルト雑誌からまでもネタを拾ってくるとは、まさにマッチポンプですな。
その昔は、『エニグマ』とか、『ムー』と同時代的には、『トワイライトゾーン』とか、版元の新人物往来社なら『AZ』とかありましたが、今は『ムー』が唯一生き残っていますね。だって、面白いんだもん。
偽書とわかっていても、偽書のネタ元に事実が含まれていれば、いつまでもネタになりますよね。-
「”まつろわぬ民”から見た歴史」
判官贔屓と一緒で消えていくモノ、消えていったモノに肩入れしちゃうのかも。。。「”まつろわぬ民”から見た歴史」
判官贔屓と一緒で消えていくモノ、消えていったモノに肩入れしちゃうのかも。。。2012/03/30
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なぜ偽書作成なんていうハイリスク・ローリターンなことをするのか。なぜ一般人だけでなく、専門の研究者までもが偽書を真書だと信じて、それに固執してしまうのか。そのあたりの心の動きが知りたくて、いま読書中。
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そもそも歴史に興味がない人からすると、タイトルから読めないだろう。
「東日流」と書いて「つがる」と読ませる。
筆者は青森の地元紙の記者であり、現代人が「江戸時代の古文書だ」と偽って発表した一連の偽造文書が引き起こした騒動を取材した立場。
下手なミステリーよりも奇想天外で面白い。 -
高校生から大学にかけて、所謂オカルト現象というものは全て信じていた。もちろん愛読書はムーで、少ない小遣いの中から毎月買っていた。
古史古伝、という分野があることも承知していて、竹下文書やら九鬼文書、宮下文献とかウエツフミ、ホツマツタエなんて学校で勉強する歴史とは異なる超古代文明があって、キリストの墓が日本にある、十和田湖は日本のピラミッド、外八島と呼ぶべき世界の大陸は、内八島、日本の島々を写しているとか、信じてましたよ(笑
そうした一連の書物の一つとして、東日流外三郡誌という名前も知っていたが、まさかそれがまだ、21世紀まで脈動する詐欺事件だったとは思いもしなかった。
東北の新聞記者が、事の起こりから週末まで全てを見聞きし、記す本著。
取り巻く色んな立場の人たちの思惑もあって、面白い。
偽書に関わらずオカルトがなぜオカルトとして存立し得るのかということを考える参考にもなる。
ちなみに今では、オカルト現象はあり得るけども、その原因に超常的なものがあるとは全く信じてません。 -
どっかの、パトリオティスムに溢れたをっさんが、一所懸命作った地方史といふか日本史は、一見東北を褒めるやうでゐて、実は地元を貶めるやうなアレなものであった。
それを著者が調べる。
雑穀による栽培と言ったら、佐々木高明説で、東北のどこぞで、生産力高めの雑穀の栽培がどうのといふ報告があった。 -
今年読んだ本で一番面白かった。
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「東日流」と書いて「つがる」と読んだ人は、この本を読んだか事件そのものに相当関心がある方々だろう。20世紀末期に古代史ファン、殊に邪馬台国論争の当事者にあらぬ方向から投げつけられたけん制球、それが青森県津軽地方にあったとされる「安東王国」とアラハバキ神のトンデモ伝説だった。
邪馬台国との接点と訴訟事件については、本書を参照されたい。この訴訟が、東北最北端のねつ造古代史跡を一躍有名にした。
「東日流」の読み方からして、よく考えればインチキと分かる。この場合、「流」を「る」と読めるのが唯一まともで、「日」を「か(が)」と読むのは日月の呼び方(例:2日~ふつか)のみにかぎられる。「東」を「とう⇒つ」と読ませるのは最早論外である。
アラハバキにも同じことがいえる。「荒覇吐」の「吐」を「ハキ」と読むことはできない。「荒・葉・掃き」という意味なら、率直にそう書けばよかったのに、どうもひねり過ぎたようである。しかも、その「ご神体」なる代物は、超有名な遮光器土偶である。嘘八百も、ここまでくるとかえって堂に入っている。
なお、ねつ造史の「安東水軍」はまったくの虚構だが、安東氏は実在した。しかし、それをテコに部分的には正しい、という主張は成立しない。たしかに正しい部分を接ぎ合わせると、なんとなくそうかもしれない、という気になってくる。が、全体として間違っているなら、それは偽りの集大成でしかない。
安東氏。
倭の五王の倭王武は「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事
安東大将軍倭王」
と名のった。
安東氏のふかしルーツはここある。