- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396635022
感想・レビュー・書評
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三流新聞社東都タイムスの記者瀬尾亮一は、上流階級の醜聞をタネにちまちまと小銭を稼ぐ日々を過ごしていた。
ある時聖上陛下(明治天皇)の危篤の報を知る。
崩御後、東京に聖上陛下をお祀りする神宮を造る計画が持ち上がっていると、同僚の女記者伊東響子から聞かされた。
神宮造営の顛末を追う中、亮一の中にある思いが芽生えてゆく。
明治神宮造営のプロジェクトX的な物語なのかと思っていましたが、少し違いました。
もちろん、明治神宮を造るにあたり、周囲に森を作る過程が描かれているのだけれど、それをこの物語の主人公亮一が追う中で、明治という時代とは何だったのか、民たちの心を惹きつけた明治天皇とはどんな人物だったのか、という思いが芽生えます。
プロジェクトX的な側面もあるけれど、明治時代や明治天皇とは民にとって何だったのかを問うた物語でした。
神宮の森造営のプロセスは、伊東響子が記事にしていきます。東京女子高等師範学校、現在のお茶の水女子大学を出た優秀な彼女は、優秀であるゆえの苦労をし東都タイムスに流れてきました。
この伊東響子は創作の人物なんだろうけど、明治時代にも仕事をバリバリとこなす女性もいたのかもな、そして現代にもこういうタイプの女性は結構いるだろうなと思いました。
亮一は、同じく同僚の田中の遠い親戚に明治天皇に仕えていたという女官がいることを知ります。
響子もまた造営関係者の信頼を得つつ、記事執筆に燃えますが、事態は意外な転機を迎えます。
果たして、神宮の森は造られるのか、そして亮一の問いの答えは出るのか。
もしかしたら、朝井まかて作品の中では地味目の部類に入るのかもしれないけれど、皇族とは、皇室とはという問いが世の中に立っている令和の今だからこそ、読むべき一冊なのではないかと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初・朝井まかて。
明治神宮造営がテーマ、
明治天皇に思いをはせる記者が主人公。
やや、食い足りなさを感じるけど、
もう少し、まかてさんを読んでみようかな、
という気にはなった。 -
明治天皇崩御から明治神宮創建のおはなし。
江戸の終わりから東京となった都でとても気高く力強くあったのだろうなと感じられる時代の象徴を祀る神社だけれども、そうか未だに未完成なんだな。
完成は150年後、まだまだ50年以上の先になってのこと。
明治神宮の森が植樹なのは知っていたけど(確かブラタモリとかでもやってた?)、ほんとうっそうと生い茂って木漏れ陽までも神々しくて、地からも天からも静謐なエネルギーを感じられるまさにパワースポットって感じがほんとうにする。
崇高な理想のもとに全国から集められた樹々がこうして造られたのかと思うと、時代の大きな思いを感じるような気がします。
明治神宮、あの森を歩くのが好きなのでなんか勝手に誇らしく思いました。 -
明治神宮の森が出来るまでの奮闘と、明治天皇の人となり。あまり思ったこともなかったけど、明治神宮の森は人工の森であり、森を創るに際し覚悟のもとに取り組んだ人々がいた。
そこに祀られている明治天皇に対する人々の東京に祀りたいとの思いがあった。
そして新しい時代に自分を殺して生きていかねばならなかった明治天皇自身の思い。
京都を出てから殆ど戻られることのなかった京都だが、死後は京都に眠りたいという思いもあった。
深く感銘させられた。
今度明治の森に踏み込み、参拝するときは思いが違ってくるだろう。 -
何とも味わいのある作品。
明治という時代に対する作者の追悼か。
そして、いつの世においても国見をする天皇という存在。 -
国のためたふれし人を惜むにも思ふはおやのこころなりけり
明治天皇
「国のため」に、たとえば戦争で犠牲になった人々を惜しむにつけ、その親の心が思われてならない、という歌意。
「明治」という近代国民国家日本の陽光が昇り出したころ、天皇はまだ10代後半の〈青年〉だった。直木賞作家朝井まかてによる書き下ろし小説「落陽」は、その青年が、京都の御所から東京に下【くだ】った折の感想から始まる。
1912年(明治45年)、官報や新聞が天皇「崩御」を伝え、その後、京都の伏見桃山陵に埋葬された。他方、東京では、天皇と皇太后を祭神とする「明治神宮」造営という一大プロジェクトが動き出した。
その背景は、以前このコラムでも紹介した、今泉宜子「明治神宮―『伝統』を創った大プロジェクト」に詳しいが、東京で荘厳な神社林を造り上げるには、150年もの長大な時間が必要でもあった。
その難題に立ち向かったのが、ドイツで林学を学んだ若い大学講師たち。小説では、かれらの姿が、新聞記者の視線から語られている。その記者自身も取材に難航し、格闘しながら、「東京」とは何か、「帝」とは何か、そして「明治」とは何だったのか、と考えを深めていく。
明治神宮の内苑は国費だが、外苑は民間の献金でまかなわれ、全国から大量の献木も集まった。「明治という時代は大正になって、ようやく完成したのかもしれないね」―記者の同僚がつぶやいたこの素朴な感想は、的を射ているだろう。
では現在は、昭和の完成期なのだろうか。そんなことも考えさせられる話題作。
(2016年12月4日掲載) -
まかてさん、天狗党の乱を扱った直木賞作品が面白かったので新作と聞いて図書館で予約してました。。
今回は明治神宮造営を巡る明治を生きた人々と、明治天皇のお話です。
以前、社会人大学の日本史講座に通っていたことがあり、
「天皇は京都から東京に移るとき、単純な行幸という触れ込みで出発したので、今でも京都のお年寄りは天皇さんはこちらに帰ってくる、と言ってるのですよ」
と習いました。国策は国策として奠都は行われたけれど、反対派や京都市民への配慮からこのような形をあえてとったそうです。
天皇の大きく重い存在であったことを窺い知るエピソードとして印象に残りました。
今回この本を読んでその話を思い出しました。
明治天皇は、国民の気持ちにこたえるべく新しい時代の日本人の精神的支柱として全身全霊でそれを全うした存在だったのですね。
そしてそれは、今上天皇にも継承されているなあと感じました。
今上天皇の長い在位中、報道等で知る献身的な姿に胸を打たれる場面に何度も出くわして、そういう人のそういう行動が、日本人の心の中で今でもある種特別な存在で居続けてくれている気がしました。
また、明治神宮の森が、完成を150年後という未来を見据えた計画の元つくられた人口の森だということ!この本を読んで初めて知りました。
ということは、現在の森も完成形ではないということなんですよね?壮大過ぎ!
あらためて明治神宮を歩いてみようと思います。。 -
ちょっと難しかった気がします。
私が近代日本史を知らないのが悪いのですが…。
三流新聞の記者が追う、明治神宮創建のお話。
そう言われてみればそうなんですよね。
明治天皇。京都から離れて東に下ってこられたこと。
新しく歩み出す日本で、古いしきたりと
新しく改革したこととの折り合いの連続。
前例のない天皇としてのあり方の模索。
雲の上の人なのに、そんな明治天皇への万謝の念を
心に持ち続けて慕う人々。
明治神宮は初詣に行くところと思ってました。
新年だけしか行かないなんて勿体ないことを…。
神社と杜。木の1本1本に、明治天皇を慕う
人々の心が宿っているんですもの。
この神社のなんたるかを全くわかってませんでした。
150年後にはまだありますけど、
今の杜は想像通りになっているんでしょうか。
民を守り抜き、後世に続かせてくれたパワーを
感じるために訪れようと思う一冊です。