クルト・ヴァイル: 生真面目なカメレオン

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  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393932094

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  •  2017年刊。
     クルト・ヴァイル(ワイル)に関する国内の伝記本が2冊も出ておりしかも両方とも現在新品で購入可能ということに驚いた。
     ジャズのスタンダードとなって有名なソング「スピーク・ロウ」など、日本でも知られてはいるが、現在クラシックファンの間では決して人気の存在でなく、彼の数多くの劇音楽(オペラ、ミュージカル等)の日本語字幕付きDVD/RDはたった1タイトルしか入手可能でない状況だ。それも中古でさえ見当たらないのだから、有名な「三文オペラ」ですら、おそらく一度も国内でDVD化されていないように思われるのである。「三文オペラ」はドイツでの初演から数年後の1932年に日本でも上演され当時は評判だったらしいから、どうやらその後に大衆化された日本の「クラシック・ファン」たちがヴァイル作品の価値を見下したのであろう。
     私自身もこれまでヴァイル/ワイルにさして興味は無かったのだが、つい先日読んでいた山口昌男さんの本から、そういえばヴァイルは従来然としたクラシック=芸術界と大衆音楽=庶民文化との境界線で仕事をした「周縁人」だったのではないかと気づかされ、俄然興味を持ち、CDを収集しながらこの伝記を読み始めたのである。
     聴いてみると、確かに面白い。20代半ばで書いた「ヴァイオリン協奏曲」辺りを聴けばシェーンベルクあたりの影響を受けて抑圧的な無調音楽を書いていたのが、数年後の「三文オペラ」ではもっと庶民的な、場末の飲み屋で歌われるようなソングが横溢するのだ。
     ドイツに生まれたユダヤ系で、子供の頃から才能を発揮して作曲し続けた点などはメンデルスゾーンと共通点があるが、決定的に違うのは、メンデルスゾーンが非常に裕福で恵まれた境遇にあったのに対し、ヴァイルはすこぶる貧乏だった点である。
     第1次大戦後にヴァイルの父が失職したせいで、彼はウィーンのシェーンベルクに師事するという希望を捨てざるを得なかった。
     この時期のドイツは凄まじいインフレで、一部の富裕層を除いて庶民の生活はめちゃくちゃになっていた。政情も不安定で不穏であり、そこからヒトラー/ナチスが台頭してくるのである。
     ベルトルト・ブレヒトとヴァイルは何作か共同作業をしたが、ブレヒトははっきりと社会主義思想に染まっており、大ヒットした「三文オペラ」のような作品は彼にとってブルジョアを排除しプロレタリアートの世界をつぶさに呈示する試みとして、政治的な意味をもっていたのだろう。一方、ヴァイルは政治には興味が無く、社会主義思想も持ってはいなかった。ヴァイルは音楽のことしか考えておらず、この時期から後はずっと「オペラの改革」を、純粋に音楽の発展の観点から求めていたようだ。
     その点でヴァイルはやはり基本的にクラシック系、芸術系の作曲家なのであるが、この人は周囲の状況にものの見事に適応する才能があり、ナチスににらまれドイツを脱出した後、フランスそしてアメリカで、そこで聴かれている音楽のスタイルを素速く自分のものにしてしまう。
     それでも、ヴァイルの音楽にはシェーンベルクからのモダニズム音楽の要素がずっと残っており、そのオーケストレーションのサウンドには、ストラヴィンスキーやヒンデミットにも似たものが感じられる。しかし、よくCDで出回っている某シングス・クルト・ヴァイルみたいなアルバムでは、ピアノ伴奏に編曲された単独の(ポピュラー音楽的な)「ソング」が並んでいることが多いから、多くの日本のクラシック・ファンはそうしたヴァイルの真骨頂をあまり聴くことができないのではないか。
     この伝記を読んでいてとりわけ面白かったのは、ヴァイルとその奥さんロッテ・レニアとの夫婦関係だ。
     レニアは非常に性欲が強い女性であったそうで、ひっきりなしにいろんな男性と浮気している。しかも堂々と。ヴァイルはそれを知っていながら平然としており、自分でもたまに「浮気」していたようだ。
     やがてこの2人は離婚するのだが、その数年後にまた再婚する。
     再婚後もロッテ・レニアは浮気しまくっていて(しかも同性愛もこなす両刀遣い)、それでも2人はちゃんと夫婦として上手くいっていたようだ。
     ヴァイルが病死する直前にレニアに「ぼくのことを本当に愛してる?」と聞き、レニアが「あなただけをね」と答えるという、317ページの臨終のシーンは感動的である。
     そして彼の没後、レニアは「ヴァイルの音楽を世に知らしめていくことこそが私の使命」と宣言し、そのとおり、ヴァイル作品を歌い、演じまくるのである。
     ヴァイルは1900年生まれ、1950年没という50歳の若死にだが、音楽創造において充実していたし、プライベートもなんだかそれなりに幸せだったのかもしれない。
     私も更にヴァイル音楽を探索していきたい。

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著者プロフィール

1947年、長崎県生まれ。クラシック・ギタリスト、著述家。主な著書に『湖のトリスタン ルートヴィヒ二世の生と死』(音楽之友社)、『グスタフ・マーラー 開かれた耳、閉ざされた地平』『リヒャルト・シュトラウス 鳴り響く落日』『アルバン・ベルク 孤独のアリア』『クルト・ヴァイル 生真面目なカメレオン』(以上、春秋社)など。2017年4月、逝去。

「2021年 『アントン・ブルックナー 魂の山嶺』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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