リベラリズムの終わり その限界と未来 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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感想 : 25
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344985759

作品紹介・あらすじ

自由を尊重し、富の再分配を目指すリベラリズムが世界中で嫌われている。米国のトランプ現象、欧州の極右政権台頭、日本の右傾化はその象徴だ。リベラル派は、国民の知的劣化に原因を求めるが、リベラリズムには、機能不全に陥らざるをえない思想的限界がある。これまで過大評価されすぎたのだ。リベラリズムを適用できない現代社会の実状を哲学的に考察。注目の哲学者がリベラリズムの根底を覆す。

感想・レビュー・書評

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  • 読みかけですが、よく出版できたなとおもいます。
    批判される点は以下の通り。

    ①出典情報の欠如
    →(筆者の頭の中の)リベラルの言論(p.81)、姥捨の習慣への言及(p.140)など
    ②信頼性のない出典
    →yahoo!ニュースコメント欄のコメントに基づく世論理解(p.85-)など
    ③ロジックの不足
    →各国の生活保護補足率の定義を明らかにしないまま、数字のみ比較している(p.98)など

    出版市場のパイが減る中で、本を売るには無理してでもポジション取らないといけないですもんね…
    同様の構造に陥っている新聞社や政治家と、それによって得られた結果に対し本書は批判的、というのが皮肉ですね。

  • リベラルを標榜する方にオススメ、実践的な思考の整理に役立つ。思考停止している場合ではない。

  • リベラル的な人々が嫌われる現象がすごくよくわかる。
    著者のいうリベラルの限界という補助線を用いると、ツイフェミとオタクの論争や少し前のベルクの喫煙論争におけるリベラル的な人々の欺瞞とそれに対する普通の人々の嫌悪感がよく説明できる。
    分配の限界という補助線を用いると経済政策が弱いことの致命性が見えてくるし、マクシミン戦略の誤謬という補助線はリベラル的な人々がネトウヨを嘲る際の「想像力が足りない」という紋切り型が表層的であることを看破させる。
    著者が意図した以上にリベラルが自らを省みるのに役に立つ本である。とりま、立憲より左の方の人たちは全員読むべき。左に行けば行くほど読むべき。だがこういう本当のことを看破する内容の本は左に行けば行くほど読まれないだろう。

  • 《紹介と感想》
    リベラリズム――他者に迷惑をかけない範囲で個人は自由であり、社会はその自由を制限してはならないという原理――の限界を哲学的に論じた本。リベラリズムは理想論的で社会に余裕がなくなると成立し得ない考え方であるということ。雑に言えば「リベラリズムを徹底すると社会がめちゃくちゃになり得る」ということだろうか。今風に言えば「持続可能性に乏しい」とも表現できるだろう。予備知識不要で素人の私でも読みやすかった。著者の読者への配慮が随所に見られる良い文章だと感じた。

    《関連する書籍》
    御田寺圭『ただしさに殺されないために』
    御田寺圭『矛盾社会序説』

    《メモ》
    ①リベラリズムとは「他人に迷惑や危害を加えない限り、たとえその行為が他人にとって不愉快であったとしても、社会は個人の自由を制限してはならない」という哲学的原理。
    ②もし「先天異常の子どもが生まれるリスクが高まる」という理由で近親婚を禁止するのであれば、同じ理由で一定年齢以上の結婚も禁止すべきということになりかねない。
    ③インセスト・タブー(近親相姦の禁忌)は、家族を成り立たせ、結婚を成り立たせ、人間集団のあいだで協力関係を構築することも可能にしている。
    ④我々の社会には、リベラリズムの原理を適用すべき要件を満たしていても、それを適用することがどうしてもはばかられる事柄がたしかにある。そしてそうした事柄ほどより根源的な秩序原理として社会を成り立たせている。
    ⑤リベラリズムの限界とは、パイの配分を手厚くすべきというリベラリズムの考えはパイが拡大しているときにしか説得力をもたない、という限界。

  • リベラルな思想とリベラリズムの違いがよく分かる。
    ただ、文体はかなり読みにくく、個々の事例を否定してるだけなので読後感は悪いです。前向きな提案や事例が書かれて欲しかった。

  • リベラリズムの限界について哲学的に考察したもの。リベラル批判は社会の「右傾化」が原因なのかという分析が興味深い。結論としては「右傾化」しているのではなく「功利主義化」しているだけであり、その背景には低成長時代の財源不足に伴う「パイの奪い合い」があるとする。リベラルサイドはその点を見誤っており、福祉政策の拡大という非現実的な主張をし続けていることが認識できておらず、「功利主義化」を「右傾化」と批判するのは的外れであるとのこと。
    保守系著者によるリベラリズム批判の書なので、内容的にはかなり辛辣な部分もあるし、少々哲学的ではない分析も散見されるが、全体的なロジックにはそれなりの説得力はあるので、所謂表面的なイデオロギー的な左右対立ではなく、その問題の本質を考える上では有益ではある。

  • 昨日の衆院選は自民公明の圧倒勝利で終わった。立民は後退した。野党の選挙連合がまさに意味のないことが証明されたようなものだ。そして、この本である。新書であるゆえ、高度な議論ではなくわかりやすい例を多数あげてリベラルの限界を示してくれており、それを昨日の選挙も証明したようにすら感じた。もっと政治には力をいれて勉強が必要だ。

  • 最近、個人の自由を重んじる、リベラル派の人たちへの批判が高まっている。それはなぜか?彼らがよって立つ思想「リベラリズム」を考察し、その“限界”を解き明かした書籍。

    「リベラリズム(自由主義)」とは、「できる限り個々人の自由を尊重すべきだ」とする考え方のことである。

    リベラル派の人たちは、同性婚を認める一方で、一夫多妻婚は認めない。
    その根底には「結婚とはこういうものであるべきだ」という“規範意識”がある。
    リベラリズムは、この根源的な規範意識を超えてまで機能しない。ここに、リベラリズムの“限界”がある。

    近年、人々が「右傾化」してきたといわれる。
    その根底には、例えば、国の財源が厳しい中で、法的に受給資格のない外国人が生活保護費を受給することなどに対する問題意識がある。
    つまり、パイの縮小に対する危機意識が広がっている。

    現代の右傾化現象は、政治哲学的には「功利主義」の拡大・激化として捉えられる。
    功利主義とは、全体的な利益を考慮して、その全体的な利益が最大になるよう行為すべきと考える立場のこと。

    人々の間に、パイの縮小に対する危機意識が広がるのに伴い、リベラル派に対する批判も高まっている。なぜならリベラル派は、パイの分配を手厚くすべきだという立場に立つから。その考えが、パイの縮小に対する危機意識と対立するのは明らか。

    パイの分配を手厚くすべきというリベラリズムの考え方は、経済が成長していて、パイが潤沢にある時にしか説得力を持たない。ここに、現代のリベラリズムの大きな限界がある。

  • 第1章 私達はリベラリズムをどこまで徹底できるのか
    リベラルがやりがちなダブルスタンダード

    第2章 リベラリズムはなぜ「弱者救済」でつまづいてしまうのか
    リベラルは給付を厚くするよう主張するが、その原資(増税)については触れない

  • 最近目に、または耳にする機会が増えた保守派(ナショナリズム?)の人たちのいうことに納得できない部分があったので、自分はリベラルだと思い込んでいたけど、そうではなく、私も立ち位置は彼らと同じで、違いはマインドの質だけだと気がついた。そして本書を読んで痛い所をたくさん突かれたような気持ちになった。
    考え直す機会ができた。
    読んで良かった。

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著者プロフィール

萱野 稔人(かやの・としひと):1970年生まれ。津田塾大学総合政策学部教授。哲学者。早稲田大学卒業後に渡仏し、2003年、パリ第10大学大学院哲学研究科博士課程を修了(博士・哲学)。専門は政治哲学、社会理論。著書に『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』『名著ではじめる哲学入門』(ともに、 NHK出版新書)、『暴力はいけないことだと誰もがいうけれど』(河出書房新社)、『暴力と富と資本主義』(KADOKAWA)、『死刑 その哲学的考察』 (ちくま新書)、『リベラリズムの終わり』(幻冬舎新書)ほか多数。

「2023年 『国家とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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