考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344985148

感想・レビュー・書評

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  • 哲学本ではなく、哲学対話のノウハウ本。更に言えば、対話ワークショップのファシリテーター向け教本。そういう目的の読書には最適だ。

    ワークショップ形式において、哲学対話か、対話かについては、本著を読む限り大きな違いは無い。設問次第で対話内容が変わってくるが、作法は変わらず、答えは無いし、他者否定は禁止というスタンスは変わらない。

    本当は、答えがない問いなど無いはずだ。
    しかし、そこには肉体の制約があり、自我による他者固有の欲求があり、知識の限界があるから、答えを導けない、という方が正しい。こうした前提を暗黙知として、いかに答えに辿り着けるか個人的なエピソードの披露やそれへの賛意、限定合理的な解っぽさを述べ合うのが対話なのだろう。

    考える事で自由になると著者は言う。固執する自分自身をメタに眺める事で、執着から離れられるから、自由になったような錯覚を得る。しかし、実際には、思考が肉体の欲求から解き放ち、自由を永続的に得る事は不可能。刹那的な自由はトリップのようだ。肉体は思考を規定する。死ぬし、尿意も催せば、腹も減るのだから。

    哲学とは。解を得る手続きにおける全知全能への挑戦であり、果たし得ないそのアプローチに折り合いをつける所作なのかも知れない。考える事は確かに楽しい。瞬間的には自由にもなるだろう。しかし、素晴らしき哲学の束の間を、気休めと呼ぶ以外に実生活には折り合いつかず。

  • この本は「考えること」に焦点を当て、考えることの重要性、やり方について書いてある本です。
    普段の生活では、考えているようで考えておらず、ただ反応しているだけのことが多いように思います。
    「考えるとはどういうことか」を考える機会になりました。
    ぜひぜひ読んでみて下さい

  • 梶谷真司さんの対話には多く学ぶ所がある。

    最近哲学対話なるもの、それに関連する事柄が盛んに取り上げられている。会社等のだけにとどまらず、子ども、高齢者の教育福祉にまで広がっている。

    以前、あーだこーださんの講義を聴いたことがあるが梶谷真司さんの意、系統を受け継いで推し進められているのではないかなと思ったりもした。
    また、個人的にも哲学に関する内容はとてもおもしろかった。対話に関しては人と話すのが嫌いだからなぁ、、

  • 自分も普段から考えることから逃げて来た気がする誰かのわかりやすい言葉を鵜呑みにして、同調圧力に屈するみんなと一緒に楽な方を選ぶ毎日、思考回路は誰かに預け、わからないことはChat GPTに解説して文章生成してもらう、もう一歩踏み出し思考の深みに到達したい!五感で思考したい!

  • 哲学対話のノウハウを知ることができる。
    初心者向けの本。
    それ以上でもそれ以下でもない。
    少し期待しすぎたようです。

  • 哲学対話はルール設定が重要。

    著者の哲学対話のルール:
    ①何を言ってもいい。
    ②人の言うことに対して否定的な態度を取らない。
    ③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
    ④お互いに問いかけるようにする。
    ⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
    ⑥話がまとまらなくてもいい。
    ⑦意見が変わってもいい。
    ⑧分からなくなってもいい。

    それぞれのルールが生まれた背景がしっかり解説されているのが面白いと思った。

    しかし… 言葉が難しいわけではないのに、本書の内容が全く頭に入ってこない。結局、哲学を考えることは、人間の体とか心とかの実体とかけ離れすぎてはいないか。

    哲学対話は空中戦のように感じる。言葉を使って言葉を考えることが哲学の面白さなのかなとは思うけれど、それはよほど言葉を扱うことに鍛錬を積んだ人がようやくできることなんじゃないか。言葉を扱うことに慣れていない人(ほとんどの一般人)には、哲学対話が良い方法だとはまだ感じられない。同じ対話でも、アートを使った対話型鑑賞や、オープンダイアログ、読書会など、芸術作品や、人の感覚や体を使った対話の方が、少なくとも私には合っているし豊かな対話ができる気がする。

    自分が良い哲学対話の場に参加したことがないせいかもしれないけれど、哲学対話という手法自体に、手放しではまだ賛同できない。
    ルール設定さえちゃんとできれば良いと考えている哲学対話のファシリテーターが多いように感じることも、哲学対話に対する不信感が募る要因の1つかもしれない。豊かな対話ができるかどうかというのは、ルール設定よりも、むしろ場のファシリテーターの力量にかかっていると思う。

  • 良い本と思います。
    哲学対話について、その意義と普段の生活で得られない効用を示しています。また、実際のファシリテーションについて具体的な提案もあるため、やってみたい人の役にも立つ内容と思いました。

    目の前の人と対話する能力は簡単に見えて意外とできないと理解しています。属性で決めつけたり、わかった気になったり、自分の得意なことに籠ってしまったり。
    相手の話を聞いて、相手にわかりやすく話す、それだけのことがいかに難しいかは意外と無視されている事実なのかなと思います。答えが結果的に得られるかも大事な目的かもしれませんが、自分の思った通りにならない展開も、自分の自由な発言をすることも、なかなか得難い体験になるのではと両面からの価値を感じました。同じ場を過ごすことの大切さについても同様に共感するものです。

  • 哲学入門ではなくて、哲学対話入門ですね。タイトルを修正したほうが正確だと思います。哲学対話というものをぼくは体験したことがないので、これがどれほど的確な記載になっているかはわからないのですが、まあ、書いていることはもっともだとは思いました。哲学対話なあ…。興味は多少はあるのですが、参加したことがありません。ただ、哲学書にかぶれているぼくなんかが参加したら、場違いなこと言いそうです。【2023年9月10日読了】

  • 家族の食卓で本書で紹介されている「哲学対話」がもてたら良いなぁと思いつつ、下手に哲学的にしようと抽象度上げにかかると鬱陶しがられるだけだから、ただ「問う」「考えの補助線を引いて待つ」そして「聴く」ことなんだろうなぁ。


  • ・対話の時間は物足りないくらいがちょうどいい、終わるとモヤモヤする、いろんな立場や考え方に出会ったせいで自分の考えが揺らぎ頭が混乱する
    終わった後に家族や友達と、自分と対話する
    自分の中の他者が増えている

    ・明確な答えの出ない問いが良い

    ・語ることで考えに形を与える、通じる言葉にすることで自分にとっても明確になる

    ・普段口に出すこととは、良いとされていること、正しいとされていること、相手の意向に合うとされていること

    ・教師も1人の人間として参加する
    ファシリテーターはルールを率先してやってみせる

    ・子ども 大人が当たり前だと思っていることに疑問を投げかけてくる

    ・考えるためには問うことができなければならない。問う力を育てるためには何でも問うて良い環境が必要になる

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著者プロフィール

龍谷大学、関西大学、摂南大学非常勤講師。
1966年名古屋市生まれ。
1997年京都大学大学院人間・環境学科博士後期課程修了。
主な著訳書
『新現象学運動』(共編)、『雰囲気と集合心性』(共著)ほか

「2002年 『シュミッツ現象学の根本問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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