ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344984042

作品紹介・あらすじ

地方や郊外に乱立するショッピングモールは、これまで地元商店街の敵であり、コミュニティ荒廃の象徴とされてきた。しかし、果たしてそうだろうか?実際は、小さな子どものいる家族や高齢者にも優しい公共空間としての役割を担っている。それは日本だけではない。世界の都市部でも、政治や文化や宗教や階層が異なっても、誰もが同質のサービスを受けられるショッピングモールが、理想の街の姿とされる。差異と格差が進む今こそ、均一であることの価値を見直すべきではないか。ショッピングモールを出発点に、変貌する人間の欲望と社会の見取り図を描く。

感想・レビュー・書評

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  • ●ショッピングモールの奥深さをこれでもかと、教えてくれる一冊。
    ●正直、モールでここまで話が膨らむとは思わなかった。
    ●ディズニーは、その設立の話をドキュメンタリーで観たが、たしかにデカさの規模が違うよね。
    ●思想性がないようで、実は色々と隠してあるというのはゾクゾクするなあ笑
    ●コンパクトシティはモールになること、はよくわかる。でも嫌がる人は多いかもなあ。商店街という形式にみんなこだわり過ぎているのかもしれない。もはや昭和の遺産で、今後は消滅するのみだよね。別に嫌いじゃないし、なんならノスタルジーを感じるほど好意的ではあるけれど、発展性は無さそうだし、持続可能に思えない。
    ●これからは、管理されたモール型のコンパクトシティと、あまり管理されていないダウンタウンみたいな郊外に分かれていくのかな。特に地方は。
    ●この話、ゲンロンカフェに聴きに行けば良かったなあと今になって後悔している…

  • 哲学者の東さんとフォトグラファーの大山さんがショッピングモールについて好き勝手喋る対談集。

    連想ゲームで話題が広がっていく様子がおもしろい。

    モール性気候、エデンあるいはオアシス説、宇宙船。

  • 真打ち登場的に再読。
    2014〜2015年に行なわれた対談をもとに2016年に新書として出版されたものなので、当時最先端だったショッピングモール論も今ではだいぶ受け入れられているのではないかと思う。ショッピングモール自体が目新しい商業施設ではなく、日常風景になっている地域も多いはず。

    内容としては本書をふまえた『モールの想像力』展の復習という感じ。イクスピアリの壁画とか、『メガゾーン23』とか、『モールの想像力』展で映像を見ていたのですんなり理解できるところも多々ありました。

    東京の住所は「田んぼシステムを引きずっていてストリートがない」っていうのはあらたな発見。関東大震災のあと、銀座あたりはストリートをつくるところから再建されたと思うんだけど、そのときも住所は田んぼシステムだったのかな。

    ショッピングモールとはべつに「1980年代が後ろめたさを感じていた時代だった」というのも結構重要ポイント。1980年代というのは今ではノスタルジーの対象として美化されているところがあるけれど、決してハッピーな時代ではなく、フワフワとした時代でした。

    「ショッピングモールはパラダイス」でいうと、ちゃんとした統計が手元にあるわけではありませんが、ショッピングモールは雨の日の方が混む。駐車場が屋内か屋外かにもよるけれど、雨の日に家から車でほぼ濡れずに過ごせるからなのか、天気のいい日よりも雨の日の方が集客がよいと思う。

    なぜ今ショッピングモールについて考えるのかについて、東さんのあとがきがすごく腑に落ちた。

    「ショッピングモールについて考えることは、現代人の都市空間や公共空間への欲望そのものについて考えることに直結している。」


    以下、引用。

    25
    地元のひとたちの生活を見ようと思ったら、ホーカーズではなく、ショッピングモールに行くべきだったんです。

    26
    モールにこそ地方のリアリティがある。

    31
    モールなのに買い物袋を下げているひとが意外と少なかったこと(笑)。みんなじつはなにも買っておらず、時間つぶしにきている。まさに公園ですね。

    37
    外は熱帯なので植物は山ほど生えているけれど、人間にとって快適な空調を効かせた空間では擬木にならざるを得ない。モール共和国のなかはモール性気候で、生えている植物は擬木というわけです。

    46
    ジャーディは商業施設をつくるとかショッピングモールをつくるという表現を一切使わず、街をつくると言っている。街路をいかにつくるかが重要だというわけです。古い手法かもしれないけれど、彼は最初に魅力的な動線を描いて、残ったところに建物を建てる。

    49
    日本の行政は、住宅地の造成には熱心ですが、商業地の再開発にはあまり力を入れない傾向がありますね。

    でも、街を再生しようとしたら、商業地を変えないと活性化するはずがない。最近の事例では、たとえば品川駅周辺の再開発は失敗したと言われている。敷地を区切ってオフィスビルは林立したけれど、オフィス人口だけが増えて終わってしまった。それに比べると六本木ヒルズのほうがはるかによくできている。

    53
    『都市とは何か』「岩波講座 都市の再生を考える」

    55
    ぼくは建築の本質とは、床が平らなことだと思っているんです。ほかの動物と違って、人間は平らなところでしか暮らしていけないという弱点がある。建物を建てる前には、必ず土地を平らにしなければならない。これは建築家の仕事ではないと思われがちですが、これこそが本質だと思うんです。

    56
    渋谷の駅ビルは渋谷川を埋め立てた上につくられているんですよね。

    59
    ショッピングモールはものを売るところではなく経験を提供するところだということは、まさにジャーディが言っていたことです。つまり、ぼくたちが行っているモールというのは、はじめからそういう観点で設計されている。売りものになっているのは体験であって、じつは商品そのものではない。

    75
    イオンレイクタウンですが、建築的に景観を整えようという意志がまったくない。

    77
    渋谷駅も似たような感覚です。地下鉄で渋谷に行くと、気づいたらヒカリエのなかにいたりする。

    86
    周辺環境に対して関心を払わず、内部をつくり込んで理想的な街を内部に抱えるというあり方は、まさにトマス・モアの『ユートピア』そのものではないかと。

    この小説に登場するユートピア島は、もともと大陸の一部だったものを切り離して島にして、さらにそのなかに浮島をつくっている。中庭ですね。これはあまりにもショッピングモールの構造と一致している。理想的な海や島は、島の内部に再現してしまうわけです。

    94
    あらかじめ成熟した都市文化を持つ街が開発されるときには、まず先にストリートができあがる。

    しかし東京の場合はストリートがないので、平面上に建物が乱立して、残ったところが道路になったような印象を受ける。典型的な違いは住所の示し方で、パリでは住所を「何通りの何番」というふうに表します。京都も同じですね。でも、東京は区画に対して番地が与えられており、住所に道路が含まれない。

    これは田んぼのシステムを引きずっているのです。田んぼをつくっていると、道というのはたんに移動するためのものでしかない。だから区画で管理して、どの田んぼがだれのものかを明確にするほうが重要です。それに対して都市というのは、公共の場であるストリートが重要だから、まずストリートをつくって、そこに名前を与える。

    101
    『メガゾーン23』
    ある宇宙船では、そのなかで暮らす人々のため、歴史的に見て人々が「もっとも幸せに暮らしていた時代」として一九八〇年代の東京が選ばれたという設定になっている。

    103
    なんでわれわれはこんなに豊かでハッピーなのか。そういう後ろめたさが一九八〇年代中盤の日本にはあったのではないか。

    104
    日本の高度経済成長は朝鮮戦争から始まった。そもそもその成り立ちからして危険というか、その後ろめたさの感覚が、一九八〇年代くらいまでは残っていたんじゃないかと思うんです。自分たちは他人を不当に犠牲にして、その上で成功しているという感覚。しかしゼロ年代あたりになると、「おれたちはこんなに虐げられているのに、なぜ後ろめたさなど感じなければならないのだ」という気分が蔓延してくる。

    150
    モールには行き止まりがない
    吹き抜けはターンする場所に置かれていて、本来であれば行き止まりになるようなところを、くるりとターンさせるようになっている。

    154
    イクスピアリを見に行って衝撃を受けたのは、ある吹き抜けの後ろにあった壁画です。
    四つの区画に分けられ、真ん中に水が噴き出している庭が描かれていました。この庭のデザインは、イスラム文化由来のものです。『コーラン』に描かれている楽園がこういう形式で、チャハル・バーグ(四分庭園)と呼ばれています。
    水があり、植物が茂る庭園というのは、砂漠の民である彼らにとってはパラダイスそのものだというわけですね。区画を隔てる四本の川にもそれぞれ意味があって、「水」と「乳」と「蜂蜜」と「ぶどう酒」が流れる様子を再現している。

    155
    古代ペルシャでは、こういった壁や塀で囲われた庭園のことを「パイリダエーザ」と呼んでいました。これが「パラダイス」の語源です。

    157
    ドバイ・モールは、砂漠の民の理想が世界を一周して、アメリカを経由して帰ってきてできたものだと考えると納得がいく。

    161
    ソラマチもヒカリエもストリートのコンセプトがなく、フロアごとにコンセプトが考えられているので百貨店的なんですよ。

    「迷子にならないように迷わせる」という仕掛けについては、キャナルシティがまず卓越しています。このコンセプトは六本木ヒルズで全面化するのだけれど、今度は迷わせすぎて本当に迷子になってしまう。それで反省してミッドタウンがデザインされたものの、今度は守りに入ってしまったのか、ちょっとつまらない。

    169
    ぼくたちは東京を距離や方角で把握していないということです。ぼくたちは、都市をつり革を握って立つ時間によって計るので、実際の距離感というのは身体的に摑めていないのだということがよくわかります。

    178
    昭和三〇年代や四〇年代のマンガや小説を読むと、飲み会のあと同僚を家に連れてくるような描写はたくさんある。でも、いまはないですよね。

    家という「私的」な空間と会社という「公的」な空間の関係が分離したのは、意外と最近のことかもしれません。

    昔の団地には応接セットというものがありましたよね。2DKなのに、来客用の場所を用意してしている。

    183
    梅棹忠夫「文明の生態史観」

    190
    写真というものは本質的に記録のためのものなので、すぐに発表しなくてもいいんです。

    ぼくたちは、シェアできない写真には撮る価値がないと思うようになっている。

    196
    日本では隔離された地域にぽつんと建てられたモールは存在しないようなイメージがありますが、八ヶ岳リゾートアウトレットなどのアウトレットモールは、あえてリモートなところにつくられている。そういうところに、モールの零度とでも言うべきものが見て取れるのではないかと。

    198
    日本の住所は田んぼシステムで割り振られているので、カーナビはぼくらが入力した住所をもとにアルゴリズムで計算し、田んぼシステムをストリートシステムに置き換えているんですね。

    そしてさらに言うと、車の位置を計測しているGPSは、座標でそれを追っている。つまりカーナビは、「田んぼシステム」「ストリートシステム」「座標」という三つのまったく違った位置情報が統合している。

    217
    あと、みんなスルーしていますけど、地下鉄の地下通路にある植物も、だいぶ違和感というか部材感があります。ぼくは「地下植物」って呼んでいますが。

    226
    モール性気候
    夏の場合は、多分ニ七度から二八度くらい。湿度は五〇、六〇パーセントじゃないですかね。

    236
    『欲望の植物誌』

    243
    ぼくたちはいま、ショッピングモールというサービスを使ってエデンを再創造する壮大な実験をやっているんですね。

    259
    なぜショッピングモール「から」考えるのか。それは、現代の先進国では、都市空間の多くが、ショッピングモールをモデルとして設計され始めているからである。それはいわゆる商業施設に限らない。いまや、駅も空港も公園も、否、図書館でさえ、どこか「ショッピングモール的」であることを意識してつくられ、運営されるようになっている。ショッピングモールについて考えることは、現代人の都市空間や公共空間への欲望そのものについて考えることに直結している。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/17801

  • なぜ読んだ?:2020年9月ごろから、休日に東京に存在するさまざまなショッピングモールを博物館的にぐるっと見てまわるということをたまにしていて、ショッピングモールという空間については興味を持っていた。
    どこかでこの本の存在を知り、こないだ図書館をまわってたら発見したので借りてきた。

    感想:ショッピングモールの偏在化を考えている。世界の施設が均一的にモール化していくというのは面白い。

    モールは内側と外側が逆転している。ディズニーランドは、外部を内部の中に作っている(スペースマウンテン、イッツァスモールワールドなど)。こういうウチ・ソト問題は、他のさまざまな空間の分析に敷衍できそう。

    第3章「バックヤード・テーマパーク・未来都市」が一番面白かった。
    「とにかくデカい」「完璧だった」「思想があった」というディズニーワールド紀行。訪問客にディズニー以外のものを見せない「完璧」なシステムの話には惹かれた。包括的体験プロデュース。ほんとに夢の国。
    「ショッピングモール=ストリート=都市」「百貨店=フロア=田んぼ」
    そして東京都心におけるストリート(パリや京都でいう〇〇通り)は地下鉄であるという話は、実感を伴って理解できる。

    本筋とはズレるが、大山による「写真は寝かせておく」という話(p188~192)が印象に残った。
    写真は本質的に記録のためのものであり、すぐ発表しなくて良い。なのに、現代は皆発表できない写真を撮らなくなっている。取った写真はすぐインターネット上で発表するものであり、発表できない写真に価値はないと思われるようになっている。しかし、写真は10年寝かすと変わる。撮るなといっていた人にも逆に「よくぞ取ってくれた」と褒められる。価値観の耐用年数より写真の耐用年数の方が長い。
    この話を受け、このゲンロンカフェでの対談も同時代にはそんなに見てもらえなくてもいい、数十年後に向けて蓄積していきたい、と東は語っている。「いまはリアルタイムの情報の流通や拡散ばかりが求められるけど、だからこそ違う軸で考えるのはとても大切なことだと思います」これは本質的だと思った。
    関連して、たとえば私が今書いている読書記録も、10年20年後に「あの頃の自分は何を読み、どう感じ、どのように文章に起こしていたのか」を知ることができるという意味で、寝かせておく価値が多大にあると思っている。

  • 文化祭のシフォンケーキみたいな一冊。クオリティ求めてなかったけど食べたら意外と本格的でちょっと驚いた時のことを思い出す。

    ちゃんと面白かった。プロローグにあった「追体験」みたいなもんがこんなテーマでできるわけねーべやなぁと思ってたけど、ちゃんと読めたしなんだかうまく言えないけど興味深かった。

    昔東京駅構内の蕎麦屋でバイトをしていたことがあって、着替えとかする為に丸の内北口近くにあるバックヤードに入るんだけど、中ってもんのすごい広いのよ。おそらく人が行き交うコンコースを囲うように動線があって、通路をくねくね通って200mぐらい歩くとやっと更衣室に着くんだけど、もうその空間が本当に好きだった。誰も知らない東京駅を俺は知ってるんだーっていう謎の優越感を当時は持っていたっけな。そしてそれは本書のショッピングモールに似てるなぁと感じた。まだまだなんもわかってないけど少なくとも都市計画は興味のある分野だし、うまく言えないけど知的好奇心がくすぐられたような気がする。コンパクトシティ標榜or計画してる富山とか青森とか宇都宮の話もして欲しいなぁ。

  • 「ショッピングモールイスラム起源説」「モール性気候」などショッピングモールを素材に知的な言論ゲームを楽しんでいる。

    「ショッピングモール本」が学術的アプローチなのに較べ本書はモールがさらにカジュアルに語られている。ディズニー・ワールドとの比較も。

  • ショッピングモールの建築構造や周辺環境などの分析から哲学者と写真家がああでもない、こうでもないと言っている印象の本。

    個人的に興味深く感じた点
    ・本家のディズニーワールドを訪れた東氏の話をきっかけに出てきた、ディズニーとモールの比較から派生した話。
    ディズニーランドもショッピングモールも1つの構造物の中に『楽園』を作ろうとする試みという指摘。

    ・駅やモール内にある構造物としての植物の話
    空調設備のきいたモール内が適切な生育環境ではない植物なども施設内には置かれていて、ローテーションで屋外に出してリハビリしているとは驚いた。人は自然をコントロールしているのではなく、自然にコントロールされていると感じた。

  • 【由来】
    ・何でだっけ?

    【期待したもの】
    ・地方創生、まちづくり、という観点

    【要約】


    【ノート】
    ・ザッと30分以内でななめ読み。面白い。でも今の自分にとって精読すべき本ではないと判断。ただ、面白い。

    ・ショッピングモールは世界中で普遍的な新たなコミュニティ形態の最先端の実験場との見立てで行った対談集。実は本書でも上述の「先行形態」について述べられていたのがセレンディピティっぽくて興味深かったです。「ショッピングモールを地元の商店街に対する悪としてしか見立てないのはおかしい」という問題意識こそが、本書を読んだ一番の収穫。「ゲンロンカフェ」なる行事での対談だったらしいが、こういう知的に面白い催し物、札幌でも盛んにしたいなあ。

    【HARA無双】
    ・東浩紀の年代の評論家は、まとめて好きになれず。
     ショッピングモールについては、昔から言っているように、皆、中に住めば良いわけで、そういう意味では半端です。すでにアメリカでは多くのショッピングモールが廃墟化していますし、イオンだって、病院や介護施設、学校、図書館、もちろん住居を加えて、要塞化でもしない限り、同じ運命を辿るはず。地元の商店街の活性化に芽がないのは、当然だが、同じ延長線上で行けば、モールだって同じだ。もっと2001年の宇宙船のように、生命維持装置化しないとね。

    【目次】

  • 石川初さんが参加された付章が、現場感や豆知識なども含めショッピングモール論への広がりがあって痛烈に面白い。このままではついうっかりゲンロンの会員になってしまいそうだ。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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