十一代目團十郎と六代目歌右衛門: 悲劇の「神」と孤高の「女帝」 (幻冬舎新書 な 1-4)
- 幻冬舎 (2009年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (359ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344981119
作品紹介・あらすじ
戦後、大衆からの絶大な人気を誇り、市川宗家の名跡のもとで劇界を背負う宿命を負った立役、十一代目團十郎。妖艶な美貌と才芸を武器に、人間国宝、文化勲章などの権威を次々手にして這い上がった不世出の女形、六代目歌右衛門。立場の異なる二人が一つの頂点を目指したとき、歌舞伎界は未曾有の変革を孕んだ-。華やかな舞台の裏に潜む、人間の野望と嫉妬、冷徹な権謀術数の数々。最大のタブーの封印がいま解かれる。
感想・レビュー・書評
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図書館で。
六代目歌右衛門の演技を見たことはありませんが小柄で可愛らしい方だったと話しは聞きます。12代団十郎の襲名公演に揚巻で出た映像をちらりと見たような記憶があるのみですがこれほどの胆力のある方だとは。役者にしてもただ芝居をしているだけで良いという訳ではないのだなあとしみじみ思いました。よく悪口で女の腐ったようなヤツ、という言葉がありますが女が腐るより男の方が素で陰湿で陰険ですな。うん。ある程度に来ると老害にしかならないような気もしなくもないです。
そして昨今も全然体質的には変わってないのでは。歌舞伎を見始めてまだ2,3年の自分でも既にわかる派閥と演目の片寄…。今誰が力が強いのか、とかよくわかる構図です。別に新しいものが良いものとは思わないのですがやはり同じ役者ばかり出演しているとナンダカナ、という気分にもなります。
25日間同じ演目を同じ役者ってのもなぁ。個人的には昼・夜でのチケット割りではなくもっと短い単位でチケットを買いたいです。昼の分行って4時間とか見てる方も疲れるし…。昼・夕・暮ぐらいで3つに分けられないのかな?そして2週間ぐらいで役者も交代したらどうなんでしょう。その方が役者さんも楽だし見てる方も新しい役者さんを発見する楽しみがあると思うんだけどな。そんなことを感じながら読みました。面白かったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歌舞伎の世界では相当な存在の11代目團十郎と6代目歌右衛門も、歌舞伎初心者には全く未知の人達。サブタイトルの“悲劇の「神」と孤高の「女帝」”に惹かれて読み始めた。
最近歌舞伎にハマり始めたばかりなので、何も知らないので、書かれている内容はどれも驚くことばかり。
昭和の激変した世情の中での歌舞伎の存在感も大きく揺らいだ、本当に大変な時代の中で世の流れをどう読むのか。
そんな難しい時代の中、いわゆる「家」の重みと歌舞伎界の古い体質の中で出世するための歌舞伎政治。その凄まじさと狭い世界の中で生きる事の大変さにただただ驚くばかり・・・
近代歌舞伎の歴史が少しわかった気がします。
内容は面白く読めたけれど、家系などややこしいので初心者には読み進めるのが難しかった。家系図などの参考資料が付いていればわかりやすいと思う。 -
歌右衛門が男と駆け落ちした、十一代目團十郎が歌舞伎俳優と恋仲で、などというゴシップを期待して買ったが、戦前戦後の演劇史で大変勉強になった。Amazonマーケットプレイスで購入。
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松竹の俳優行政のまずさにちょっと驚く。役者(特に十一代目團十郎)に断らないで勝手に仕事を決めてしまって後でつむじを曲げられることの多いこと。
先代の幸四郎とその二人の息子を東宝に取られるあたりも、土台きちんと契約を交わしていなかったというから、ずいぶん前近代的。
この著者はカラヤンもそうだが、すぐれた芸術家であるとともに権力志向の強い政治家でもある人に興味があるらしい。さまざまな出来事の経緯はひどくややこしいが、読んでいてすんなり頭に入るように書けている。
ただ、同じ名前が何度も出てくるので、混乱する。 -
知ってる人はよく知ってることなんだろうけど、学生時代から歌舞伎を見ているが一向に詳しくならない私には面白かった。
歌右衛門、事業家としても成功したんでないか? ただし、ワンマン経営で、後継者は育てられなそう。(その中から自力で育つ人が出てこないわけではない。)晩年の古怪としか言いようのない歌右衛門は見たが・・・。きれいな頃も見たかったよ。花組芝居の「歌舞伎座の怪人(歌右衛門版)」が見たくなった(ホントに歌舞伎座の怪人と言われるにふさわしい人だったんだと思って)。
團十郎(というか、海老様。なんて、当時のことはもちろん知りません。生まれてないし)、人はよさげだけど、コミュニケーション能力に問題があったのねえ。神なき代に自分だけ神だと思っていてもねえ(アブナイ人になってしまう)。
ただし、外面的事象は事実に沿って書くが、心情意図は著者によるフィクションとのこと(なので、ホントかどうかはわかりません)。
今の歌舞伎界の、メジャー作品のみどり上演ばっかな興行や、やたらと血統主義なところが、かなり最近で、戦後もしばらくはそんなことなかった、ということがわかった。危機感もって、いろいろな試みをしてたのにね~。
おおげさに「悲劇」とかの言葉を使いすぎなのは気になった。 -
歌舞伎界を指す言葉に「梨園」というものがある。それは、楊貴妃を溺愛したことで知られる唐の玄宗皇帝が、梨の植えられた園で舞楽を芸人たちに教えたという故事にちなんでいるのだとか。どこか浮世離れしたようなイメージがする言葉……。
本書は、十一代目市川團十郎と六代目中村歌右衛門という、人気を集めた二人の名優が繰り広げた「権力」闘争を軸に、戦後の梨園がどのような軌跡(大衆娯楽→人気喪失→伝統芸能=文化財化)をたどったのかを丹念に追っている。
松本幸四郎家(高麗屋)の長男に生まれながら、養子となって「海老様」ブームを巻き起こした十一代目團十郎は、絶えて久しかった「團十郎」という大名跡を復活させることによって、梨園にある者ならば誰もが尊崇する「神」に、自分が当然なるのだと考えていた。その短気と原理主義的思考は、周囲との軋轢と早すぎる死を招き、彼は悲劇の「神」となってしまう。その一方、女形であるが故に梨園を守り抜こうとした六代目歌右衛門は、父(実は養父)・五代目の後を追うように政治的手腕を駆使し、やがて梨園に君臨して「神」が振るうべき権力を掌握する。しかし、それは体制への反抗=傾きから始まったはずの歌舞伎の体制化を招き、彼は孤高の「女帝」となっていくという構図で、梨園版「白い巨塔」とでもいった雰囲気。そして、この二人、相合傘に無言の釣りと、どうもただならぬ仲だったというから、ちょっと映画「覇王別姫」のテイストもある。
この他にも、折口信夫・GHQのバワーズ・三島由紀夫といった「禁色」の皆さんの話やら、松竹をはじめとする興業界の泥臭くてずぼらな体質やら、大柄・山本富士子やら、興味深いエピソードが豊富に織り込まれ、読み物として非常によく出来ている。
そして、本書をポジネガ反転させると浮び上がるのは、戦後梨園の閉塞状況。なぜ錦之助・雷蔵・橋蔵は映画に走ったのか。なぜ幸四郎は東宝で鬼平を演じ、その息子は「ラ・マンチャの男」になるのか。なぜ勘九郎は……、そんなことも考えさせる内容となっている。