ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと
- 幻冬舎 (2021年2月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344037380
作品紹介・あらすじ
「誰もが生きやすい世界は、いろんな境界線が混ざり合った世界だと思う」
耳の聴こえない両親から生まれた子供=「CODA」の著者が書く
感涙の実録ノンフィクション!
もしかすると、ぼくは母親の胎内にいたとき、国に“殺されて”いたかもしれない――。
そう考えると、いまこうして原稿を執筆できている状況が、まるで奇跡のように思えた。2018年9月、衝撃的なニュースを目にした。ろう者である兵庫県の夫婦2組が、国を相手取り訴訟を起こしたのだ。
その理由は、旧優生保護法による“強制不妊手術”。旧優生保護法とはいまはなき法律で、その第1条には「不良な子孫の出生を防止する」と記されていたという。
障害があることで、差別を受ける。これは絶対にあってはならないことだ。健常者のなかには、障害者をことさら特別視する人たちがいる。それが悪意のある差別や偏見として表出することもあれば、過剰な親切心という逆説的なカタチで表れてしまうこともある。
けれど、忘れないでほしい。障害者は別世界の人間ではない。ぼくら健常者と同じ世界に生き、同じように笑い、怒り、哀しむ、ぼくらの隣人なのだ。ただし、ぼく自身がそう考えられるようになったのは、大人になってからだった。幼少期の頃のぼくは、障害者、特にろう者のことを嫌っていた。
そう、かつてのぼくは、母のことが大嫌いだったのだ――。(本文より)
感想・レビュー・書評
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デフ・ヴォイスシリーズを読んで、もっとろう者の事を知りたいという思いから手に取ったノンフィクション。
五十嵐さんの「知ってもらいたい」という思いがすごく良く伝わった。
私も常々感じている事。色々な本を読んでいく中で「知ること」がいかに自分の視野を広げ、考え方を変えていくか。
そんな読書の醍醐味も感じつつ、ろうのお母さんの温かさと強さに何度も涙した。
本当に、とてもすてきな本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<東北の本棚>葛藤の末に見つけた道 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
https://kahoku.news/articles/20210913khn000010.html
五十嵐大『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』 - 幻冬舎plus
https://www.gentosha.jp/store/ebook/detail/10632 -
また、知らない世界の扉が開いた。
しかも、ドキュメント。
まずは、彼らを知ること
次は、寄り添って共に生きること。
言うは易し行うは難し、だけど
必要な時に、勇気を出せる自分でありたい。
それにしても、著者のお母さまの
強さに裏打ちされた優しさに、思わず涙が。
ブク友さんの本棚で見かけて
手に取ることが出来た大切な一冊
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言いたいことはひとつ前の『たでむしさん』が全ておっしゃっている…
まずは知ること…そして寄り添って共に生きること…
簡単そうに見えてなかなか難しい。今知ろうともがいている。
コーダにはコーダの悩みが。
子どもが転んで泣いていても母親にはその声が聴こえない。聴こえないものは振り向けない、スタスタ歩いて行かれてもしょうがない…この事を知った時の衝撃がまだ抜けない。
子どもは泣いて、守られて、大きくなると思っていた。
ろう者として生きていく強さ、ろう者の子どもとして生まれ育つ事で得た強さ、それぞれが優しさになって作者の言葉で綴られている。正直な言葉に思わず涙が出て溢れる。
母は買い物帰り、ご飯を食べ、混んだ電車の中での何気ないお喋り。当たり前のこと。ただそれば手話なだけで、母は「ありがとう」という。それを受けて作者は号泣してしまう。母にしてきた事への罪悪感と後悔と、自分を恥じる思い。
その全てにここに本にしてくれたことに感謝しかない。
この本がもっと知られてたくさん読まれる事を祈る。 -
CODAである著者の素直な告白に胸を打たれる。
本人にとってはまだ罪滅ぼしなのかもしれないけど、お母さんにとっては最高の親孝行だと思う。
手話、勉強してみようかな。 -
とても良かった。聴こえない両親(特に母)と過ごした著者の気持ちが正直に書かれており、何度も涙が出た。
聴者からは想像もできないくらい、様々な思いにさいなまされて生きてきた著者。
『聴こえない母に訊きにいく』の後にこの本を読んだが、より著者の視点で書かれたのが本書だった。
タイトルが『ろうの両親から…考えた30のこと』となっているが、ちょっと想像と違った。
こういうタイトルの本によくある、「30の大見出しが大きく書いてあり、それぞれの見出しの後に本文」というパターンではない。30章に分かれているというだけ。章も時系列なので、エッセイのようだった。 -
五十嵐大さんの著作はこれで2冊目。とても良い内容。
コーダの方が抱えるつらい気持ちをよく理解できた。「親を守りたいけれど、障害のある親を否定する気落ちも持ってしまう」というのは、当然の感情だと思う。
ただ、障害がある人を守る存在として捉えるのではなく、ともに生きる人と認め合えれば、健常者の気持ち、行動も変化するのかもしれない。
また手話は福祉のためのツールではなく、言語のひとつという考え方も学んだ。口話を強要し、手話という言語を取り上げることがどれほど残酷かといことが身に沁みて理解した。
また障害者の家族(特に両親)から偏見も考えさせれる問題である。例えば、結婚や、出産に対して、「(障害者のためを思って)諦めたほうがいい」と強要してしまうこと。前作はで「善意の発露」と表現されていたと思う。ここでも守るべき存在ではなく、ともに生きるものとして、どのように支えていくかを考える必要があるのだと思う。
あとがきにも記載されていたように、マジョリティとマイノリティの分断は、「知らないこと」から始まる。人間は知らないものを恐れる習性があり、そこから分断が始まるのはある意味当然のこと。「知らない」「関わらない」ではなく、いい意味での「おせっかい」が求められる時代になったいる。 -
障害者を家族に持つひとの苦しみは分からない
し、それを批判することは絶対にあっては
いけない。
なので、これから述べるのは
この本を読んだ感想であり、決して作者を
悪く言うつもりはないので。
こう言うととても冷たい人間に思われるかも
しれない。それを覚悟で。
読んでる間、ずーっとイライラしていた。
主人公の僕に。
聴こえない母を恥ずかしく思う僕。
聴こえない母をバカにする世間を憎む僕。
いやいや、そんな世界を作っているのは
あなたでしょ。と、何回思ったことか。
確かに辛いと思う。悲しいと思う。
でも、そこから目を背け逃げてばかり。
進路も仕事も行き当たりばったり。
そんな紆余曲折を経て、手話サークルに入った
ことがきっかけで「CODA」という言葉を知る。
あー、やっと!
そこからフリーのライターになり聴覚障害者
を取り巻く環境について様々な活動を始める。
そして本書の最後にはこれまでの行いを
母親に謝罪する。
この本が世に出たことで彼の思いが広まれば
いいなと思ったのは確かだ。