平成はなぜ失敗したのか (「失われた30年」の分析)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344034259

感想・レビュー・書評

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  • バブル崩壊後の平成時代の日本経済の低迷の原因は何なのか、というテーマに関しての本を続けて何冊か読んでいる。
    本書も、そのようなテーマに関しての本である。世界経済は、1990年頃を境に大きく構造を変えているが、日本はその構造変化に対応することが出来なかった。ばかりではなく、古い産業構造を温存することになる経済政策を続けてしまい、古い、競争力のない産業を保護し存続させてしまっていることを筆者は指摘している。古い産業構造を温存することになる経済政策とは、例えば、金融緩和や円安誘導、さらには例えばエコカー減税のような支援策や、雇用調整助成金のように競争力のなくなった産業での雇用を継続させるような施策を指している。すなわち、目の前の現状(例えば目の前の競争力のない産業の雇用)を守る、要するに現状維持を図るために色々なことをやり、現状維持は図れたが、世界の変化から取り残されてしまった、ということだ。この議論は、非常に説得力のある議論のように感じた。
    バブル崩壊後、かつ、リーマンショック前の2004年頃、一時的に為替が円安に振れて輸出企業、特に電機会社の業績が回復したことがある。その際に、電機会社のいくつかは、日本に大型の工場をつくることを選択した。例えば、シャープ亀山工場であり、パナソニック茨木工場である。よく覚えているが、その当時、「亀山ブランド」という言葉があった。シャープの亀山工場は液晶テレビを製造する工場であったが、品質の良さ(すなわち不良率の低さ)を誇っていた。円安はいつまで続くか分からない中での国内工場建設への大型投資を正当化する(為替にかかわらず品質の良さで勝っていける)ためのスローガンであったと思うが、当時、この「亀山ブランド」という言葉に違和感を覚えた(電機産業以外の)サラリーマンは非常に多かったと思う。電機製品はどんな製品であれ、コモディティ化していくはずであり、早晩、日本以外の国も品質面では簡単に追いつくこととなり、更に円高方向に為替が振れた時に、亀山工場は立ちいかなくなるはずであると、割と多くのサラリーマンが感じていたはずである。結果はその懸念の通りとなった。シャープは経営破綻し、台湾の鴻海に買収された。鴻海はフォックスコンの親会社であるが、フォックスコンはアップル製品、iPhoneやiPadの製造を受託する会社である。すなわち、時代はアップルのように自社で製造工場を持たずに開発に特化する会社と、フォックスコンのようにそういった会社の製品を受託生産する会社の水平分業の時代に入ったのであるが、それにシャープやパナソニックは気がついていなかったということだ。整理して言えば、製造業においてすら、もはや製造すること自体は競争力の源泉にならず(フォックスコンのように、それを、これまでとは全く異なるレベル・規模で徹底すれば別だが)、製品企画力・開発力にしか競争の源泉は存在しないにもかかわらず、古いタイプの産業モデル(製造すること自体を競争力として、輸出で稼ぐ)に固執した結果、日本の企業は競争力を失っていった、という議論である。

    日本経済の不調は構造的な問題であるというのが筆者の主張であるが、それに対して、筆者は次の3つの課題を解決することが必要であると主張している。
    1) 人口の高齢化によってもたらされる問題に対処すること。とりわけ、労働力不足の問題と、将来の社会保障支出の問題に対処すること
    2) 変化する世界の条件、とくに中国の急速な成長に対処すること
    3) 改革の遅れを取り戻すこと。とりわけ、企業のビジネスモデルを転換させ、生産性の高い新しい産業を作りだすこと

    現在の政府・日銀の政策の考え方は、「日本の衰退の原因は物価の下落だから、金融を緩和して物価を引き上げれば解決する」というものであり、それが現在の異次元金融緩和政策のベースとなっている。実はこの政策を取り始めたのは2013年であり、もうすぐ10年になる。この間、日本経済は好転の兆しを見せておらず、そもそも、金融緩和策によって(今年に入ってからを別にすれば)物価は上がらなかった。
    私自身は、筆者の主張(日本が構造的に立ち遅れている)の方が合理性があると感じる。
    最後に本書は2019年の発行であり、コロナ前の状況をベースに執筆されている。コロナ禍によって、また、ロシアのウクライナ侵攻によって世界の状況は更に変化しているが、その間に日本の産業競争力は世界に追いつこうとしているかと言われれば、全くそんなことはなくて、むしろ差は開きつつあるように思える。

    引き続き、バブル崩壊後の平成日本経済の低迷の原因を探った本を読み続けるつもり。

  • 平成が失敗した理由は色々と書かれているが、やはり、日本が世界の産業構造の変化について行けなかったことが最も大きな原因だと感じた。そして、その状況はまだ続いていることも忘れてはならない。
    個人のレベルに落として平成の失敗を活かすのであれば、時流を見極めてそれにあったスキルを自分で身につけ、必要なら転職してスキルを身に着けたり、給料を上げたりするのが解決策だと思う。

  • 日本経済の停滞は、90年代からまことしやかに言われているようなデフレによるものではなく、変化する世界に対応できなかった・しようとしてこなかったツケである、ということを解き明かしてくれている本。
     
    折々で著者の思い出話が挟まってくるのでエッセイのような側面もありつつ…苦笑
     
    既得権益をぶっ壊す規制緩和が政府のなすべきことだ!個別産業に肩入れするのではなく人材育成のような基本的条件を整備しろ!というのは大いに賛成。

    ですが女性の労働参加に関して
    「子育て期の女性の労働力率を高めるには、子育て支援などの政策が必要です。それは、決して容易な課題ではありません。」で済ませてしまうのはちょっと片手間が過ぎるのではないかと。長時間労働を背景に家庭・子育てを"免除"されてきたのは父親の既得権益ではないですかね。
    (もちろん人を長時間労働に至らしめるような低生産性・低賃金が温存されてきた構造があるとは理解しつつ。)

  • 1980年代、世界経済における日本の地位が高まった。日本経済は成長し、80年代後半には地価が高騰した。
    これはバブルだが、当時は経済の実体的な変化によるものだと考えられた。

    1990年代初め、日本経済は天井に突き当たる。
    91年から地価が下がり始め、企業の売上高の増加も止まった。
    だが、こうした変化は一時的な現象と考えられ、バブル的な気分は続いた。

    1980年代の末、日本がバブルの頃、中国をはじめとする新興国の工業化、情報通信技術の革新などが進んだ。
    こうした基礎的経済条件の大転換は、日本経済の基礎を揺るがした。

    アベノミクスは、日本経済を持続的な成長経路に乗せることに失敗した。
    ・「アベノミクスは企業の活動を活発化させた」といわれるが、現在の企業の売上高は、2013年初め頃とほぼ同じ。
    ・日本経済が持続的な成長を実現するには、実質消費が成長する必要がある。
     現在の消費水準は、異次元金融緩和が始まった2013年とほぼ同じで、増加したとはいえない。

    日本が抱える問題は、金融緩和や円安ではなく、経済構造を変えることでしか解決できない。
    その課題は、次の3つ。
    ①労働力不足への対処:
    高齢者や女性の労働力率を高めるとともに、移民を大幅に増やす。
    ②世界経済の構造変化への対処:
    中国は将来、1人当たりGDPで日本と並び、GDPは日本の10倍になると予想される。特に、この中国の急成長に対処する。
    ③新しい産業の創出:
    企業のビジネスモデルを転換させて、GAFAのような生産性の高い、新しい産業を作り出す。

  • 190210野口悠紀雄 平成はなぜ失敗したのか
    「失われた30年」としての「平成敗戦記」 
    78歳になる野口先生 憂国の書であるが
    自身の主張が現実化しないことへの諦めも見える

    工業立国からの転換、高度サービス国家への転換を訴える
    国内の既得権益体制は現状維持
    金融サービス、情報サービス、健康サービスである
     ソフトウェア・インターネット・eコマース・金融・ヘルスケア
    米国は金融・IT分野について日本の自立を許容するのか
    むしろ終わった産業の受け皿 製造業・原子力発電

    日本は「人口減少・高齢化」の問題に直面する
    国家としての戦略明確化が不可欠と思うが
    社会保障・財政・経済政策いずれもが目先の短期処方
    日本は追い詰められるとますますその場凌ぎになる
    昭和の満洲・中国侵略、アジアへの資源侵略、米国への戦争拡大
    日本は「パラダイム転換」ができない 自滅まで

  • 大蔵官僚出身の学者が、「失われた30年」をわかりやすい言葉で分析している。

    他の書籍などでも繰り返し語られているのと同じく、「既得権益」「問題の先送り」といったキーワードが出てくる。

    過去の成功体験が転じて、日本が「安心安全」を追及し、ある程度それが実現した(してしまった)のが日本からチャレンジや革新の気概を失わせてしまった根本的な問題なのかと思える。見方によっては「緩やかな衰退」が幸せなのかもしれない。SFモノで時々出てくる価値観だ。

    中国や米国と日本の留学生の数の差が大きいというくだりでそれを感じた。中国も米国も、自分の国や通貨に頼らない(信用していない)がゆえにチャレンジするしかないという土壌の違いがあるのだと。

  • 2022.5.8 読了
    内倉さん(元GSのバンカー)のオススメということで手に取った。
    経済史と日本への提言を手頃にまとめてある印象だった。
    また読み返したい。

  • 1980年代後半 不動産価格の著しい上昇
    87年1月の公示価格 23.8%上昇 88年1月65.3%上昇
    89年末 株価 38,915円 時価総額がアメリカの1.5倍 世界全体の45%

    EIEインターナショナル ゴルフ場開発 会員権販売額の9割を預託金,開発資金へ
    87年成立 リゾート法

    株価下落が始まって1年半 91年5月ジュリアナ東京オープン(バブル崩壊に気付かず)→94年8月閉店(お立ち台の警察の指導のため)
    百貨店の外商部 黒字減らしのため,取引先へ

    バブル崩壊プラス新興国の工業化,IT革命
    中国GDP 90年は日本の8分の1,2016年は日本の2.3倍

    PCの価格下落(ドル建ての価格も下落)→安くなった

    宮崎義一・複合不況(1992年) バブル崩壊によって銀行が不良債権を抱えたため,貸し渋りによる信用逼迫,投資が減少
    →90年代初頭の不況の原因とするデータでは裏付けられない 99年の初めまで500兆円レベル→その後減少

    原因は,金融ではなく実体経済 新興国の工業化(アメリカの輸入品に対する日本製のシャア減少

    89年11月ベルリンの壁崩壊 91年8月東ドイツ訪問,社会主義のホテルのサービスの悪さ
    91年12月ソ連崩壊

    NIESや中国の工業化に対して,日本は「モノを作らないモノづくり」をすべきだった
    〇水平分業化,産業構造の転換をすべきだった→実際は,金融緩和・円安誘導

    1993年筆者超整理法,96年Yahoo!JAPAN,日本でのIPアドレス配付 noguchi.co.jp獲得できた

    垂直統合型
    水平分業型(パソコン OSはMS,CPUはインテル…) 日本メーカーはコンパックに勝てず
    アップル(当初は垂直→2004年のiPadの生産から水平分業に転換) EMSのフォックスコンが中国で組み立てる

    93年~95年 PCの輸入量増加コンパックショック 50万だったものが13万程度へ
    ☆PCが安い時代に生きている今の自分=バブル期に金を持っていた事と同じこうふく

    90年代初めの英国1人当たりのGDPが日本の半分→90年代後半高度なサービス業,金融業→2004年に日本超え

    EIE周辺から大蔵省スキャンダル 1995年3月官僚を旅行接待
    94年秋 東京協和信用組合(EIEの理事高橋),安全信用組合へ検査
    日本長期信用銀行もEIEのメインバンク→93年に支援打ち切り
    95年1月東京共同銀行設立,正常な債権を引き継ぎ(→最終的に整理回収機構となる)
    日銀,民間金融機関による2つの信組への出資,青島東京都知事は財政支出せず

    住専(70年代銀行出資による金融会社,個人向け住宅ローン)→80年代銀行が住宅ローンに進出したため,不動産融資へ→不良債権化
    8兆円 96年国会審議,6850億円の財政資金投入 96年1月村山首相辞任

    1997年8月11日山一證券野澤社長→8/16役員に簿外の含み損2,600億円知る
    東急百貨店 含み損を抱える株式の一時引き取り
    11/3三洋証券
    11/17北海道拓殖銀行
    11/22日経新聞記事 11/24記者会見

    ☆長期信用銀行法に基づいて設置された3銀行
    長銀…エリート,抜群の人気あり
    バブル崩壊中でも乱脈融資 本体から貸せないものも長銀系列ノンバンクから融資EIE…
    1991年末2兆4,000億の不良債権→不良債権隠しへ
    1998年6月スクープ記事 6/26住友信託銀行と合併
    7/30小渕内閣発足
    98年3月 1766億円の公的資金 実質破綻銀行の延命措置
    98年7月から10月までの臨時国会 自民党…公的資金注入で延命 民主党…破綻させ国有化
    9/25 民主党案の国有化で決着
    9月末金融再生委員会は長銀をアメリカ系国際投資組合に譲渡を決定,6月新生銀行

    長銀 18か月 公的資金6兆9,500億円
    日本債権信用銀行分と合わせると11兆円 国民1人当たり8万円

    全国銀行の不良債権処分損1992年から06年までの累計 97兆円
    バブル崩壊前は,貸出先が破綻せず存続していれば,損失を法人税の損金とすることを認めず(有税償却)
    一定の条件下で認める無税償却→不良債権の処理が進んだ

    国民は知らないまま・バブルの教訓をくみ取っていない。

    日本のバブル時代(不動産へ投資する銀行)
    90年代の英米 99年グラス・スティーガル法(銀行と証券会社の分離)廃止 政府が行ったのは規制緩和だけ,改革の方向を主導したのは市場の力

    バブル崩壊、銀行の倒産
    99年ゼロ金利政策 2001年量的緩和
    2003年1月政府・日銀によるドル買い・2004年4月に終了するまで35.2兆円・ドル資金がアメリカ国債購入

    2005年日米金利差拡大・円キャリー取引で円安加速
    2006年末株価17,226円
    2007年夏1ドル120円台
    製造業の国内回帰 2004年1月シャープ亀山工場,パナ茨木第2工場(技術流出を防ぎ効率の良い生産方式と考えられた) アップルはファブレス(工場無し)政策
    製造業はコモデティ化しているのに時代錯誤な日本企業

    小泉改革とは?2001年4月~2006年9月 票田である特定郵便局・田中派の支配から切り離し

    スタンフォード大学の敷地8,800エーカー(35.6平方キロ)山手線内側の半分
    筆者2004年スタンフォードで暮らす・ホテルで当時すでにインターネット回線

    2007年夏から2008年3月 フランスパリバ銀行傘下のファンドで金融化商品の評価下落
    2008年9月 アメリカ住宅金融公社の経営危機
    2008年9月15日リーマンブラザーズ経営破綻 アメリカ最大の保険会社AIGの経営危機説(FRBは850億ドルの資金供給、政府管理下で経営再建)
    ゴールドマンサックス、モルガンスタンレーは銀行持ち株会社へ→投資銀行モデル(ハイレバレッジ)の終焉

    アメリカは深刻な金融危機を短期間で処理する事に成功・リーマンショックは5年後の2013年末には払拭
    →古いタイプの製造業に依存していなかったから

    2008年前までのアメリカ住宅価格バブル→余った金で日本車購入 外需依存型成長モデル

    リーマンショック後の日本 中国の景気対策→対中輸出が増加
    メーカーから政府に対して補助金の要請 自動車、家電 高度成長期にはなかった現象・経済界の賛同得られず

    文藝春秋2010年7月号「パナの打倒サムスンの大工場建設・姫路市の工場」☆古い考え・戦略ミス

    貿易立国(円高で輸入で豊かな生活を享受できる事)→日本では輸出促進のため円安が必要と考える傾向
    日本には多額の対外資産、巨額の所得収支→貿易収支の黒字に固執する必要なし
    日本の対外資産の収益率は低い(国債に対する投資が多いため) 運用を適切に行うための金融技術を蓄積する事が重要

    2013年4月 日銀異次元金融緩和 マネタリーベース年間60、70兆円ペースで増加、日銀が民間の銀行から巨額の国債購入→民間銀行が日銀に保有する当座預金に振り込まれるため、マネタリーベース増加
    マネーストック(現金通貨、預金通貨残高の合計)は増えず☆銀行から貸し出す先がない状態

    2014年10月 追加金融緩和・原油価格下落に対応し物価上昇率の目標達成のため☆黒田総裁・ネット・株価爆上がりを覚えている!

    P223日本の場合、物価は為替レートと原油価格でほとんど決まってしまう

    金融緩和(安倍内閣が続く限りは継続)
    金融緩和を停止すると金利が暴騰する可能性あり→日銀保有の国債残高の含み損、金融機関が日銀に預けている当座預金に付利する必要性、保有する国債利回りとの逆ザヤ
    当初はインフレ目標達成を2年程度→短期間想定だったから保有国債残高がこれだけ積み上がるとは想定していなかった

    金利上昇と財政破綻の関係
    長期金利上昇→新規発行、借り換えでレートが高い国債が発行されるP235 5年後の利払い総額は3倍近くに増加☆現在超低金利0.0…%が3%になれば3倍になるのは当たり前・危機感を煽る記述

    日本の外国人労働者 5年・家族無しの出稼ぎ労働 永住移民はほとんど無し

    中国のIT企業 Baidu百度(検索とAI) Alibaba阿里巴巴 Tencent(SNSの会社)

    2026年頃 中国がアメリカのGDPを抜く

    日本で規制が新しい技術の利用を妨げる ウーバー→日本では白タクで禁止だった

  • 平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 (幻冬舎単行本)2019/2/6

    中国では出来ない事を日本企業が行う必要がある
    2019年8月29日記述

    野口悠紀雄氏による著作。
    2019年2月5日第1刷発行。

    題名にあるように平成を振り返り、
    何が日本経済で求められているかを示した本。
    著者の戦後経済史という本と一部内容が被る。
    被るものの、こちらの方がより現代社会に
    直結している。また読者にとっても平成時代を
    振り返る良い機会になるだろう。

    結論から言えば、中国では出来ない経済活動、
    高度サービス産業が日本で発達する必要があるのだ。
    GoogleやAmazon、Appleのような企業が出てくるかどうか
    また島国から海洋立国になること
    ⇒外に向かって開かれた国になること
    人材面で開かれた国になるとは、外国人を受け入れること、自国民が外国に進出すること、そして戻ってきた人々を社会が受け入れることです。

    野口悠紀雄氏の主張していることは他書籍も含め繰り返されているので戦後経済史など読まれた方には被る内容も多く物足りなく感じるかもしれない。

    印象に残った部分を少し紹介すると

    私たちの世代は、上の世代が築き上げた日本社会を、世界の動きに合わせて変えていく責任を負っていました。
    程度の差こそあれ、私たちは、社会の動向に影響を及ぼしうる立場にいたのです。
    少なくとも有権者であったわけですから、
    政治上の選択に無関係ではありません。
    したがって、私たちの世代は「責任を果たしたか?」と自問する必要があります。
    われわれは、前の世代が遺した遺産を引き継いで、それを発展させることができただろうか?
    残念ながら、それに失敗したと言わざるをえません。

    変化が激しい世界では、同じ場所に留まるためにも走り続けなければなりません。
    走らなかった日本は、同じ場所に留まれませんでした。

    この時代の経済力をもってすれば、日本人はもっと豊かな生活を実現できたはずです。
    しかし、バブルによって資源配分が歪んだため、それが実現せずに終わりました。
    1980年代後半の日本は、ソドムとゴモラの町より道徳的に退廃したのです。「バブル時代が懐かしい。再来を望む」という人がいます。
    なんと愚かな考えでしょう。
    私は怒りさえ覚えます。
    日本経済は、その後のバブル崩壊によって、大きな損害を被りました。
    神の鉄槌が振り下ろされたのは、当然のことです。

    1980年代後半にOLの間で流行していた生活スタイルは、「暫く働いてから退職し、退職金と失業手当で海外旅行をする。そして、帰国して新しい仕事に就く」というものでした。
    これが1990年代になっても続いていました。
    1990年代になってからは、海外旅行から帰ってくると仕事が見つからなくなる人が増え始めました。
    しかし、多くの人が「なんで?」と不思議がったのです。

    (中略)中国の工業化が進展しつつあり、製造業は根本的に重大な問題に直面しつつありました。
    それに対応して、日本は企業のビジネスモデルを根本から変えることが急務だったのです。
    しかし、会社を改革するのではなく、逆にしゃぶりつくそうとする人々が残っていたのです。
    全員ではないにしても、そうした人たちが大勢いたことは間違いありません。
    なぜこのようなことが生じたのでしょうか?
    人々は、組織は永遠に続くと思っていたからです。
    そして、いくらでも依存できると考えていたからです。
    百貨店業界の厳しい実態が明らかになり、業界再編がなされたのはバブル崩壊後10年以上も経った2000年代になってからのことです。

    私は1990年代は50歳代でした。
    一橋大学教授になってからほぼ10年が経ち、ゼミの卒業生もずいぶん増えました。
    1980年代には、日本経済のバブルの中で、彼らの多くが海外留学をしました。
    その推薦状書きに大忙しだったときもあったのですが、1990年代にはそうしたことがなくなってしまいました。
    そして、彼らは、バブル崩壊の中でさまざまな運命に遭遇していきました。
    卒業して就職したときと同じ名前の組織に在籍し続けた人はほとんどいません。
    転職するか、あるいは組織の合併などで社名が変わったからです。
    一橋大学のある卒業生から聞かされたことですが、
    1980年代の初め頃に、私が「君たちは組織に裏切られることになる」と話していたということです。
    私自身はそう言ったことをまったく忘れていたのですが、彼らの多くは、平成の時代に、実際にそのとおりの運命を経験することになったのです。

    私は1996年に一橋大学から東京大学に移り、
    先端科学技術研究センター(先端研)に勤務しました。
    (中略)予算要求をして「先端経済工学研究センター」という新組織を作りました。定員がわずか3名の小さな組織ですが、これを出発点に、新しいことをしたいと思ったのです。
    さらに、ビジネススクールを創設したいと考え、工学部の協力を得て、東大としての予算要求に乗せるところまではいったのですが、学内の抵抗に阻まれ、最終的には実現できませんでした。

    ゴルバチョフは、1990年にはノーベル平和賞を受賞しました。
    ソ連大統領を辞任してから後も、さまざまな活動を行っています。
    来日も頻繁でした。
    2007年11月の来日の際、私は、彼が講演したときの公開パネルディスカッションで相手役を務めました。
    大手術をしてから日が経っていないということだったので、「お元気ですね」と挨拶したところ「日本のテンプラを食べて100歳まで生きる」という答えが返ってきました。
    彼は1931年生まれですが、今も健在です。
    是非100歳まで生きてほしいものです。

    1995年3月20日に東京で地下鉄サリン事件が起きました。
    その日、私は北京にいました。
    このときに北京駅で見た光景は、いまでも忘れられません。
    薄暗い駅舎のいたるところに、人の塊ができているのです。
    なんと彼らは床に布を敷いて寝泊まりし、生活していました。
    文字どおり足の踏み場もないほどの膨大な数の人々でした。
    近代的な建物が廃墟になってしまって、そこに人が不法占拠して住み着くというのは、終戦直後の東京でも生じたことです。
    私は、幼い頃に見たその光景を思い出して、強いショックを受けました。
    この人たちは、農村から出てきた「農民工」と呼ばれる一群です。

    社会主義時代の痕跡もいくつか見られました。
    特に痛感したのはレストランです。
    夜の8時頃になると、客が食事をしているのに、勝手に席を整理して掃除を始めたのには驚きました。
    旧東ドイツでもそうだったのですが、「客」という感覚はなく、与えられた仕事を片付けているだけなのです。

    新興国が工業化し、安価な工業製品が大量に生産されるようになった時代に先進国で生き残る製造業は、2000年代になってからアップルが始めたように「国内で生産しない」「工場を持たない」製造業なのです。日本の製造業もそのような変身を図るべきでした。

    第3に必要だったのは、脱工業化を図り、産業構造を全体として大転換させることです。高度成長期から連綿と続いてきた
    「モノづくり経済」が、それまでのように機能しなくなったことを認識し、金融業などの高度サービス産業の比重を高めてゆくことが必要でした。

    「有力な政治家さえ押さえておけば、政策は実行できる。
     その他はどうでもよい」という考えです。
    「善人でも悪人でも、強い人を味方につければよい」というマキャベリズムは、昔から大蔵省にあったものです。
    しかし、社会全体の暗黙のサポートがあったからこそ、それでよかったのです。
    社会的信任が崩壊すれば、いかに強力な政治家がバックアップしてくれたところで、どうにもなりません。

    暗黙のサポートを獲得するには、道徳的な潔癖性だけでなく理論的な正しさが不可欠であるにかかわらず、それが不十分だったことです。
    伝統的な大蔵省では「そこまでやる必要はないだろう」というほどの厳密な論理的ツメが行われました
    (私は、主計局で仕事をしていたとき、法規課の緻密すぎる議論にしばしば辟易させられました)
    しかし、不良債権処理時の大蔵省では、それが弱くなりました。
    このときからすでに20年以上が経っています。
    問題は、それに代わる新しいシステムが構築されていないことです。
    日本の統治機構は、明らかに劣化しています。
    2018年の3月には、国有地の森友学園への払い下げに関する決裁文書を財務省が改ざんするという事件が発生しました。
    「社会的信任こそ財務省の権限の拠り所である」ということを、財務省は結局のところ学習しえなかったのです。

    不良債権の無税償却は、もともと認められている措置ではなく、特例です。ですから、銀行に対する補助金が39兆円支出されたとみなすことができます。
    公的資金による損失分約10兆円と合わせれば、納税者の負担は約49兆円にのぼったことになります。
    国民一人当たりでは約38.5万円、5人家族なら192万円です。
    これは平均値ですから、納税額が多い人なら、間違いなく1000万円のオーダーになっています。
    これだけの額を、銀行の放漫融資の尻拭いのために納税者が負担させられたのです。
    しかも、それが、きわめて分かりにくい形で生じたため、多くの人は、負担を課されたこと自体を認識していません。
    そして、他方では得をした人がいます。
    銀行から融資を受けて返済しなかった企業です。
    しかし、それが誰なのか、分かりません。
    これほど不合理なことがまかり通る国は、世界広しといえでも、日本だけでしょう。

    (中略)しかし、われわれは、このことを決して忘れてはならないのです。
    なぜなら、われわれは、バブルの教訓を汲み取っておらず、日本の金融機関の基本的な体質は変わっていないからです。
    経済条件が整えば、バブルは再発します。
    そして、国民は再び同じような負担を押し付けられるでしょう。

    求められるのは「世界の分業体制の中で、日本の位置がどこにあるか」についての冷静な判断なのです。
    「各国は、与えられた自然条件や生産要素の賦存状況を勘案した比較優位分野に特化するのがよい」とは、
    イギリスの経済学者、デイビット・リカード(1772~1823年)
    が見出した経済学の最も重要な命題です。
    ただし、比較優位は時代とともに変わります。
    中国が工業化し、通信技術が飛躍的に進歩した世界で、先進国における比較優位の条件は大きく変化しました。
    問題はそれに対応することであって、理由をつけて現状維持を正当化することではありません。
    それは、過去への執着と変化への抵抗以外の何物でもないのです。
    農業の場合にも、本当に重要なのは、日本の国土条件や需要に見合った生産性の高い高収益の農業を建設することです。
    保護と補助に依存して、片手間兼業米作農業になってしまったことが問題なのです。
    製造業についても、まったく同じことが言えます。
    問題は、日本の製造業に創造的な側面が失せて
    「コモディティ」(誰にでも作れるため、価格しか差別化要因がないような製品)しか作れなくなったことです。

    リーマン・ショック後に、日本では「アメリカ経済が破綻した」という議論が大流行しました。
    「資本主義がもう機能しない」という類の議論も大いに人気を博しました。
    しかし、実際はそうではなかったのです。
    金融危機は驚くほど速くに収束し、アメリカ経済は急回復しました。
    それは、古いタイプの製造業に依存していなかったからです。
    深い傷を負ったのは、古い産業構造を温存した日本でした。
    これまで述べてきたように、2003年頃からの景気回復は、アメリカの住宅価格バブルに乗ったものに過ぎませんでした。
    ですから、親のバブルが崩壊すれば、子のバブルも崩壊するのは当然のことでした。
    それは「偽りの回復」と呼ぶべきものだったのです。

    「日本の出番だ」などと言うのは世迷いごとです。
    日本が「金融危機の処理にはスピードが必要」と言ってもなんの参考にもならず、失笑を買っただけでしょう。
    (日本で最初の資本注入が行われたのは、株価バブル崩壊のほぼ8年後です。しかし、アメリカは、リーマン・ブラザーズが破綻してから1ヶ月程度で問題を処理したのです)

    組織のリーダーに求められる資質とは何でしょう?
    判断が正しいことや、先を見通す力があることは、もちろん必要です。
    しかし、スタッフとしての参謀ならそれでよいでしょうが、ラインのトップは、それだけでは不十分です。それに加えて何かが必要です。
    それは部下の信頼を獲得することです。
    「この人についていけば間違いない」という信頼。
    「その人に評価してもらいたい」という願望。
    「そのためには何を犠牲にしてもよい」というほどの信頼です。

  • 失敗の検証ばっか so what がペラい 答えあればとっくに改善されてるわな

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著者プロフィール

1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業。64年大蔵省入省。72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て2017年9月より早稲田大学ビジネスファイナンス研究センター顧問。専攻はファイナンス理論、日本経済論。ベストセラー多数。Twitterアカウント:@yukionoguchi10

「2023年 『「超」整理手帳 スケジュール・シート スタンダード2024』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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