- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344031005
感想・レビュー・書評
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1人のライターが6人の人物を訪ね、そこにまつわる人生と経歴と気付かない視点を掘り起こしていく、短編連作集。
ありえない世界を、極めて冷静にリアルに描き切る中で、事実の奥に潜む本質のようなものに肉薄していく手法が凄まじい。
「正義の味方」
ある日突然出現した未確認巨大生物、いわゆる「敵」。
その存在に悩まされる中出現した、いわゆる「正義の味方」が、「敵」の侵略を阻む。
「正義の味方」は、救世主と持ち上げられるが、やがてその存在を巡って、社会は勝手に混乱しだす。
「似叙伝」(じじょでん)
人生がもう一度あれば。
こんな人生を送ってみたかった。
ならば、あなたの歩みたかった人生の記録を書いてあげるよ。
全く空想の、自叙伝ならぬ「似叙伝」出版を手がける男。
傲慢で鼻持ちならないのだが......。
「チェーン・ピープル」
統一されたマニュアルで、平均的なサービスを提供するチェーン店。
それが、人間そのもので存在した。
「平田昌三」という人格を生きていく「チェーン・ピープル」。
その存在は決して明かされることはない。
彼らは年1回の総会で出会う以外は、家族にすら「チェーン・ピープル」であることをあかしはしない。
「ナナツコク」
地図にすら存在しない「ナナツコク」。
母から娘へ。そしてそのまた娘へ、引き継がれていく国。
架空であるはずの住人が目の前に現れることによって、彼女の人生が大きく変わってしまう。
「ぬまっチ」
とある地方都市の非公認ゆるキャラ、「ぬまっチ」。
可愛いキャラでもなんでもない、どこにでもいそうな中年男性がそのまま舞台に登場し、声だけは愛らしく叫ぶ。
「こんにちは~っチ。ぬまっチで~すっチ!」
だが、態度はおざなりで、やる気のなさを隠そうともしない。
そんな「ぬまっチ」は人気沸騰。
市は公認ゆるキャラを作って対抗するのだが…...。
「応援」
ライターは、「応援」の中心人物に問いかける。
「自らの信じている『事実』というものが、もしかすると自分の思い込みに過ぎないかもしれない、という可能性を考えたことはありませんか」
だが、彼女は耳を傾けることはない。
良かれと思って投げかけている言葉。
自分たちが正義と思い込んで起こす行動。
相手を慮ることのない「応援」。
誰もが加害者にも被害者にもなる。
ただ、加害者は自分が加害者であることに気付かない。気付こうとしない。
三崎亜記の世界が、また深化した。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
短編。ちょっと現実とずれた時空にある世界観は変わらず。
読んでいる間特にその不思議な世界に浸るというか、現実逃避できるというか、何年経ってもその感覚が好きなのかもしれない。 -
三崎亜記さんの著書は初めて読みました。
正直、始めは面白いとは思えませんでした。何を言いたいのかが……。読み進めていくと表題作にもなっている「チェーン・ピープル」で違和感がでてきました。そこからは一気に読んでしまいました。
この作品は「社会風刺」と言い切ってしまうのではなく、何か別の言葉があるのではないのかと思います。ですが、私の語彙力では表しきれないです。
知りたくもない事を無理矢理聞かされたときのような不快感や、声を大にして言えないけれども同じ考えを持つ人と出会えたときの喜びを感じさせてくれました。
出版年である2017年より数年間しか共感することが出来ない可能性があるのが残念であり、素晴らしいことだと思います。きっと作中の出来事を5年、10年後に思い返すと懐かしくなってしまうのでしょうか。 -
誰かに助言するとか、励ますとか、応援するとか、
「助ける」という悪意のない正義感ほど相手のためじゃなく自分のためのような気がしてならない。 -
となり町戦争のテイストがまったく衰えていない。
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人が伝えたいことは、真実ばかりとは限らない。嘘であるからと言って、それが頭から否定されるべきではないだろう。
(P.88) -
ライターの私が6人の人物を訪ねる短編連作集。
1)「正義の味方」――塗り替えられた「像」
2)「似叙伝」――人の願いの境界線
3)「チェーン・ピープル」――画一化された「個性」
4)「ナナツコク」――記憶の地図の行方
5)「ぬまっチ」――裸の道化師
6)「応援」――「頑張れ!」の呪縛
例によって不思議な設定です。1)ではウルトラマンが実在する世界を、3)は平田昌三という人格を演じる結社を、5)では着ぐるみを被らない”ゆるキャラ”が描かれます。その当たりは如何にも三崎さんらしく、皆さんの評価も結構高いようです。
でも、私が期待する三崎さんではありませんでした。
三崎さんお得意のとんでもない背景設定は、よく風刺小説に使われるようなものです。しかし、そこに描かれるのは風刺では無く、「滅亡」の寂寥感・寂寞感や独特の「滅びの美学」なのです(コロヨシのようなスポ根ものもありますが)。でもこの作品は、なんだかいつもよりかなり風刺的、教訓的なのです。特に最後の「応援」などは現実的設定でネット世界の怖さを描いており、三崎さんらしくないな、と。
まあ、その方が一般受けするだろうとは思うのですが。。。