てるてるあした

著者 :
  • 幻冬舎
3.78
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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344007840

感想・レビュー・書評

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  • 『私には特別なことなんて絶対に起こらないと思っていた。特別なことは、特別な人だけに起こるんだと思っていた』。

    “人間の力や自然法則を超え、神など超自然のものとされるできごと”、それを”奇跡”と呼びます。そんな奇跡が起きた!といった話を、私たちは本やテレビの中に見たり聞いたりすることがあります。”眉唾もの”と思われるものから、”もしかして”と思われるようなものまで、それらは多岐にわたっています。でも、このレビューを読んでくださっているあなたは、自分自身はそんな”奇跡”に遭遇したことはない、自分自身には無関係と思われているのではないでしょうか?そう言う私だってそんなものとは無縁の日々を今日まで生きてきましたし、この先も自分とは関係のないことと思っています。”奇跡”というような『特別』な事ごとは、『特別』な人に、ある意味何か選ばれた人の前に起こることである、そんな風にも感じます。

    では、そもそも『特別』なこと、”奇跡”というのは何を指すのでしょうか?歩けるはずなのに実際には立ち上がることさえできなかった少女が立ち上がる瞬間を見るのも”奇跡”と言えるかもしれません。”僕にはまだ帰れるところがあるんだ”と、漆黒の宇宙の中に自身を迎えてくれる人たちの姿を見つけた少年の姿を見る瞬間も”奇跡”と言えるかもしれません。そして、『私があんまり弱くて頼りなくて馬鹿だったから。きっと見ていられなかったのよ』と、亡くなったはずの夫が妻の危機を助けに来てくれた事実を結果論で知る瞬間、これも紛れもなく”奇跡”が起こった瞬間でしょう。

    『あの子も含めた色んな人に出会えたってことは、なんだかすごく特別なことだって気がしてならない』。

    そう、人が人である限り、人と人が出会い、人が人に惹かれあっていく、そして人と人とが繋がっていくその先に『特別』なこと、”奇跡”が待っている。それは、『特別』な人でなくても、人と繋がることのできるあなたや私にだって起こりうることなのだと思います。

    この作品は、『だけどやっぱり、それは起こったのだ』と、人と人との出会いの中に『特別』な瞬間を感じ、『あの、春の嵐の日を境にして、私の世界はくっきりと色を変えた』という”奇跡”の瞬間をきっかけに、人生のどん底にいた主人公が再び顔を上げ前を向いて力強く歩き出す様を見る物語です。

    『その不思議な赤ん坊に出会ったのは、私の人生最悪の頃のことだった』と過去を振り返るのは主人公の雨宮照代。『あの、春の嵐の日を境にして、私の世界はくっきりと色を変えた』という過去の春のある日、照代は『なんにもない、田舎の駅…大きく「佐々良」と書かれ、その下にひらがなで「ささら」とある』駅に一人降り立ちました。『大きくため息をつくと、重たい荷物を持ち上げた』ものの、『手のひらに食い込んでくる荷物の重みはどうしようもなく現実そのもので、私はまた泣きそうになってしまった』という照代。『お父さんのバカ。お母さんのバカ。二人っとも大っ嫌い。バカ、バカ、バカ』と『罵り声に恨みと力を込めて、一歩一歩階段を上』り、駅を出て歩きだした照代。『田舎臭いだけの、中途半端な観光地。そりゃ寂れもするよ、こんなところじゃ』と毒づいていると『頭のてっぺんに最初の雨粒が落ち』、やがて『どんどん強くなる一方の雨と風に傘は翻弄され、ひっくり返り、やがて骨が一本折れてしまった』という状況。そして『目当ての路地に行き当たり、ほっとした』照代は表札を確認していきます。しかし『目指す〈鈴木〉と書かれた表札が』、『どうしてないのよ。どうしてどうしてどうして…』と焦っていると『ふいに傍らの家の扉が開き、中から若い女の人が出てき』ました。『表札には別な名前がかかっている』ものの『鈴木久代さんって人はここにいないんですか』と訊く照代に『やっぱり久代さんのお知り合いなの。もっと早く声をかければ良かった』とにこりと笑う女の人。家に入れてもらうと『サヤさん、誰なの、この子?お知り合い?』と『小柄なおばあさん』が矢継ぎ早に質問します。『あなたが鈴木久代さんですか?』と訊く照代に『私はお隣の者よ。みんなには珠ちゃんって呼ばれてるわ』と答えるおばあさん。『おや、お客さんかい?』と『奥からもう一人、赤ん坊を抱いたおばあさんが出てきた』のを見て『あの、私、雨宮照代って言います…あの、遠い、親戚の』と続ける照代。そして『突然でびっくりされたかと思いますけど、どうか私をここに置いて下さい、私、帰るところがないんです』と必死な照代。そんな照代に『帰るところがないって…家出でもしたのかい?』と返すおばあさん。そんなおばあさんに向かって『家出じゃありません。私…夜逃げしてきたんです』と『首を振り、うつむきながら言った』照代。そんな訳ありの照代が『他の場所では絶対起きないことが、ここでなら起きる』という佐々良の街で新しい人生をスタートさせていく物語が始まりました。

    前作「ささら さや」に続く加納朋子さんの代表シリーズの第二段として『佐々良』の街を舞台に主人公・照代の人生復活劇が繰り広げられるこの作品。『佐々良は不思議な街よ。他の場所では絶対起きないことが、ここでなら起きるの。あり得ないことが、当たり前みたいな顔をして、会いに来てくれるの』と説明されるその街は、一見、何の変哲もない『田舎臭いだけの、中途半端な観光地』です。しかし、前作「ささら さや」では、『「ささや さら…」という「すごく懐かしくて哀しくて、そしてとても大切な音」を合図に、交通事故で亡くなったはずの『俺』が、妻のサヤの危機を助けに色んな形で現れるファンタジー世界が描かれていました。その続編であるこの作品では、前作での主要な登場人物が贅沢にも勢揃いします。サヤと子供のユウスケ、そして前作で良い味を出してくれた久代さん、お夏さん、珠子さんの『三婆』がお互いに毒舌の限りを尽くしてやりあう様など、もう前作の雰囲気そのものです。続編ものと一口に言っても、前作の基本背景だけを引き継ぐものもあれば、主人公だけが共通という場合など様々です。この作品は、前作の延長線上そのまんまに物語が描かれていきます。物語世界にとても入りやすく、あたかも前作の最後のページの後に物語が続いていた、そんな感じさえ受けるのが、前作ファンとしては嬉しい限りです。

    しかし、そんな舞台背景を引き継ぐこの物語は、前作の何とも弱々しく頼りなさげな主人公だったサヤから、中学を卒業したばかりの15歳という雨宮照子に主人公が交代したことで随分と作品から受ける印象が変わるのを感じました。『私の人生最悪の頃』と振り返る照代が生きた15歳という時代。『家出じゃありません。私…夜逃げしてきたんです』という照代は『私は父と母が大嫌いだ』とこの佐々良に来る前の苦しい日々を語ります。それは『お金に関して極端にルーズで、金銭感覚が限りなくゼロ』という両親が『夜逃げ』し、照代は『母の遠い親戚だという、鈴木久代』という見知らぬ人物の名前だけを母親に告げられ、一人ぼっちになってしまったという激動の日々でした。この一連の展開の中での照代の語り口調、内面描写には戸惑いの日常の中に荒んでいく照代の心の内が絶妙に描写されていきます。そして、行き着いた佐々良の街における久代との暮らしの中で、照代が知り得なかった、家族の、そして自らの名前に隠されていた秘密が明らかになっていきます。中学卒業直後の15歳という年齢設定の絶妙さが、包容力のある佐々良の街、そして久代たちと交わす会話の中に上手く生かされているように感じました。

    そんな中、

    『てるてる あした。きょうはないても あしたはわらう』。

    と不思議なメールを受け取る照代。『不思議なことは、本当に起こるんだろうか?』という命題に対して、『もしそれを必要とし、信じていれば』というその答えが暗示する物語。人は自身がどうしようもなく辛い境遇に陥ると周囲がどんどん見えなくなっていきます。周囲を見渡すことができるのは、ある意味心の余裕の現れとも言えます。この作品の主人公である照代も『この街に来てからずっと、私は怒ってばかりいる。あらゆる人に、腹を立てている』という自覚がありました。しかし、そんな風な見方ばかりしているのは、自分自身にだって辛いものです。『いい加減もう、疲れてしまった』と照代が感じるのは当然のことなのだと思います。そんな照代のことを温かく見守ってくれる『三婆』、サヤ、そして『てるてる あした。きょうはないても あしたはわらう』というメールを照代に送ったまさかの存在。人は反発ばかりしていると他者の言葉をなかなか素直には聞けなくなります。そんな照代に気づきの言葉を与えてくれる彼女たち。『人の気持ちって、相手にぶつかって返ってくると思うのよ。一生懸命相手のいいところを探して、〈好き〉っていう気持ちをほんの少しでも持てば、同じ気持ちが返ってくるんじゃないかしら』、と時に厳しく、それでいて優しく照代に気づきを与えてくれる彼女たち。『あの子も含めた色んな人に出会えたってことは、なんだかすごく特別なことだって気がしてならない』と冒頭に当時を振り返る照代がそんな15歳を一生懸命に駆け抜ける物語は、ゆったりとした空気感の中に人の優しさを感じられる佐々良の街の”奇跡”を見る物語だったのだと思いました。

    『私の時計だけが、止まってしまった。みんなの時計はちゃんと動いていて、みんな確実に前に進んでいるのに。私だけが立ち止まったまま、どこへも行けずにいる』と激しい焦燥感の中で苦悩する15歳の照代。見えるもの、聞こえるもの、そして接するもの全てに当たり散らし、マイナス思考の中に生きていた照代。15歳という時代に、この物語のような境遇に陥った照代の心境がボロボロになるのは仕方のないことだったのだと思います。大人という存在自体が信じられなくなっても大人はそれを諭す資格はないのかもしれません。しかし、それでも照代の人生は照代が腐ってしまっては終わりです。照代の人生は照代のものだからです。そんな照代をあたたかく見守ってくれた佐々良の街、そして佐々良の人々。そんな中で『私の時は止まってなんかいない』と再び前を向く照代。『不思議が起こる』その街で、不思議を現実のものとする意思、再び歩き出そうとする意思、そして自分の人生を生きるんだという力強い意思。そんな照代の意思の力を支えてくれる人のあたたかさを見る物語。

    『人生曇る日がありゃあ、照る日もある。そういうもんさ』。

    …と語る久子の眼差しの先に、『特別』なことは誰にでも起こり、人と人が繋がっていくのを見る物語。そして、『遠く遥かな空間も、そして時間も超える』ことができる、そんな人の想いを感じる物語。それは、佐々良の街に展開するファンタジー世界の中に人のあたたかさを感じる、そんな作品でした。

  • 子供じみて狂った金銭感覚の両親から放り出され、身寄りの居ない佐々良という土地の久代さんの家に辿り着いた照代。
    他の子が当たり前に持つ衣食住がなく、親のせいで通えなくなった高校、連絡の取れない両親…突然の理不尽に15歳の女の子にとっては辛くて悔しくて心が割れるような想いだったろう。
    前を向けたかと思えば、途端に泣き崩れてしまう心の不安定。
    そんな照代に久代さんは決して優しい言葉をかけなかった。
    正しくは掛けられなかったのかもしれない。
    厳しく、その時の照代に必要な事をピシャリと言ってのける。照代が強くしっかり生きていけるように。
    分かりづらい優しさだけど、確かに照代には伝わっていて、彼女はきっと笑顔でこれからの人生を強く生きていけると思う。大丈夫、自分が変われば周りも世界も変えていける。

  • 『ささらさや』の姉妹本

    中学を卒業したばかりの雨宮照代15歳
    彼女の両親には明らかな欠点があった。
    お金に関して極端にルーズで金銭感覚が限りなくゼロに近い。
    親の夜逃げの為に、高校進学をする事も出来ず、
    遠い遠い親戚という鈴木久代さんを頼って
    ひとり佐々良にやってきた…。


    照代が頼って来たのは三婆の一人の久代さん
    サヤさん・ユウ坊・三婆の久代さんお夏さん珠子さん
    エリカとダイヤ親子も変わらず楽しそうに過ごしていた。

    佐々良に来た当時の照代は、
    心が狭くて、利己的でコンプレックスの塊で感情的…。
    そんな不幸を全て人のせいにして、自分の殻に閉じこもっていた。
    両親に捨てられ、高校も行けず、知らない街で
    知らない人の家にお世話になり、お金にも困っている。
    とても、厳しい現実だった。
    とっても、もどかしい気持ちで読んでいたけど、
    でも、自分の15歳の頃を思うと、照代の態度や気持ちも理解出来たな。

    照代の元に差出人不明のメールが届いたり
    女の子の幽霊が現れたり…。やはり佐々良は不思議な街。
    照代は、彼女を取り巻く人々との触れ合いで
    どんどん変わっていく。成長していく。

    頼って来られた久代さん
    同情する訳でもなく、さも疎ましそうに接する。つけつけ話す。
    あれっ?『ささらさや』の久代さんのイメージと違ってる…。
    でも、それは久代さんの不器用なとっても大きな優しさだった。
    照代が一人で生きていく為に心を鬼にしていたんだね。
    昔の様に後悔をしたくなかったんだね。
    それがわかった時、心の真ん中が温かくなった。
    久代さんの教訓も、心に響きました。
    久代さんの包容力と優しさ、恰好良さ…本当に素敵な人だなぁ。

    やはり、最後には涙が溢れました。
    じんわりと心が温かくなる本でした。

    『てるてる あした。きょうはないても あしたはわらう。』

  • 幽霊の正体とかは途中でぼんやりわかってくるが、全体の話の流れがとても良い。実際照代のような人が賢く産まれる確率は凄く少なくて、そこが連鎖になっていく原因なんだろうけど。
    一人でも多く、本を読まない子を減らして行きたいと思います。少なくとも本が好きなら何とかなるかもしれないから。

  • この話大好きです。
    とても感動しました。
    不幸で文句が多い主人公に、ほんのり怖く不思議で、悲しいけどとても良い話でした。

  • 「ささら さや」の続編。久々の再読です。

    僕は「続編」モノに関しては、その完結時点で登場人物が第1作終了時より不幸であってはならない、と思っています。続けた結果より不幸になった、なんて報われない作品は頂けません。その意味で最低の続編は「続・星の金貨」ですが(汗)。

    で、このくくりで本作を捉えると、あれれ、うーん、微妙かもしれません。

    にもかかわらず、にもかかわらずです。

    泣いてしまいました。
    ええ、涙ぐんだ、ではなく泣きましたとも。

    「鉄道員」でも「AIR」でも「秋の花」でも、本書の初読の時でさえ泣かなかったのに、見事にツボにはまってしまいました。なんか本当にもう、胸が一杯です。

    登場人物に惜しみない愛を降り注ぐ、加納朋子さんの優しさにほろり、またほろり。読了後に表紙を見返して、またほろり。もう語るだけ無駄です(レビューの意味が無い!)。兎にも角にも、じっくり浸って下さい。無論、「ささら さや」から。

  • すごく懐かしい。
    高校入学したての頃に放送されていたドラマが大好きだった。
    学校から離れてるのが共通点で、今までとは違った生活になるかもと希望も持っていたしで、すごく胸に響いた。
    人とのつながりにも飢えていたしで、憧れてた。

    今日これを読み終えて、あの頃の自分からすれば、自分が今ここまで来たのは本当に夢のようだなと思った。

  • 照代はサヤとは180度性格が違うのに、『ささらさや』と同じあたたかい雰囲気なのが不思議です。やはり佐々良の人々のよさがあるから? あたたかい涙を流しました。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 一番最初の話を前に見たが、よくわからない話だった。けれど続きをよんでみると主人公が、少しずつ成長していき、謎のメール、幽霊など、最後に謎がきっちりと、納得する解き方をしたので、おもしろかった。

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著者プロフィール

1966年福岡県生まれ。’92年『ななつのこ』で第3回鮎川哲也賞を受賞して作家デビュー。’95年に『ガラスの麒麟』で第48回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)、2008年『レインレイン・ボウ』で第1回京都水無月大賞を受賞。著書に『掌の中の小鳥』『ささら さや』『モノレールねこ』『ぐるぐる猿と歌う鳥』『少年少女飛行倶楽部』『七人の敵がいる』『トオリヌケ キンシ』『カーテンコール!』『いつかの岸辺に跳ねていく』『二百十番館にようこそ』などがある。

「2021年 『ガラスの麒麟 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

加納朋子の作品

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