- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784338287227
作品紹介・あらすじ
〽緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴ります キンコンカン メイメイ仔山羊も 鳴いてます…… 。
元気な子供たちの歌声と共に、一斉を風靡した伝説のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」。戦後日本を象徴する大ヒットドラマ「鐘の鳴る丘」をモチーフに、突如ラジオドラマに出演することになった子供たちと、自分たちが起こした戦争への後悔に苛まれた大人たちが、力を合わせ生きていく姿を描く感動の物語。
感想・レビュー・書評
-
♪鐘が鳴りますキンコンカン♪
これ、知ってるー(((o(*゚▽゚*)o)))
全部歌えるー( ˘o˘ )♪
って、皆さんのレビューを読んでまず思いました。
子どもの頃、母に教えてもらった歌です。
ラジオドラマだったとか、戦争孤児のお話だったとか全く知りませんでした。
こんな風に、父や母が何気なく口ずさんでいた歌って記憶の中にずーっと残っているものだなぁと思います。…私も変な歌、口ずさまないようにしなきゃな(^^;
昭和二十二年、戦争孤児、闇市…そんな時代の物語です。大人も子供も夢中になったラジオドラマ。戦争孤児が辛いことを乗り越え強く生きていく、そんなラジオドラマに出演した子供たちのお話。
戦後の混乱期に日本中を一つにした大人気ラジオドラマだけれど、それを聴いた本当の戦争孤児たちはどう思ったのか。ましてや、このラジオドラマを聴く機会はあったのか。
ラジオドラマに出演した子供たちも、様々な環境で育つ子供の胸に秘めた思いを知るようになる。
そして、大人たちの表には出さない思いにも目を向けるようになる。
そういった子供たちの成長の描写が素晴らしい。
母との思い出でもある作品、読めて良かったです詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『鐘の鳴る丘』(かねのなるおか)は、1947年(昭和22年)7月5日から1950年(昭和25年)12月29日までNHKラジオで放送されたラジオドラマ、またそれを原作とした映画。菊田一夫作。ラジオドラマの放送回数は790回に及ぶ。1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)には松竹で映画化もされている。
Wikipediaから抜粋です♪
わたしの父親がちょうどドラマで演じていた子供達と同じ年代でしょうか。
ラジオドラマを田舎の小学校の普通の子供達がやる事になり、戦後すぐのGHQ、学校教育の激変、戦争孤児、闇市などを背景に『鐘の鳴る丘』がどのようにして作られたか、貧しいけど逞しく生きる子供達が生き生きと綴られてました。
脚本の菊田一夫、テーマ曲の作曲は朝ドラでお馴染みの古関 裕而も出てきます♪
菊田先生の訃報が彼らに届くところから物語は始まりまり、ラストは大人になった彼らが銀座のビアホールで再会します。
古内さん上手いなあ…読みやすいし、引き込まれるし、情景が目に浮かぶ…好きだわ(⑉︎• •⑉︎)
今度爺ちゃんにラジオドラマの事聞いてみよ♪
-
2023/09/17
-
2023/09/17
-
2023/09/17
-
-
朝ドラ「エール」で主人公・裕一を再生させる契機となったラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の制作エピソードをモチーフとしたフィクション。
朝ドラ同様、実在の人物は微妙に名前を変えて書かれている。残念ながら古関裕而先生(作中では古坂)は脇役で薄い存在だったが、脚本を書いた菊田一夫氏(作中は菊井)は重要人物として子供たちに影響を与えていく。
主人公は「鐘の鳴る丘」に出演した子供たち。『クラブ活動』で演劇の指導を受けている小学生たちに「鐘の鳴る丘」の出演オファーが来るところから始まり、出演前のテスト、演技指導に配役決定、いよいよドラマ出演、そしてドラマ人気が高まっていく中での変化などが描かれていく。
終戦直後の当時はまだ児童劇団などなく、実際に関係者の伝で演劇活動が盛んだった小学校にオファーしたそうだ。
とはいえこの作品では『クラブ活動』に所属していない良仁のような児童も出演する。
朝ドラ「エール」でのラジオドラマシーンに映っていたのは身なりのきれいな子供ばかりだったが、この作品では違う。
祐介や世津子や勝のように家が裕福な児童もいるが、良仁のように貧しい児童や乞音症の孝もいる。極めつけは小学生なのに堂々煙草を吹かし、学校をサボって拾い集めた煙草の吸いさしを売り捌く将太のような児童もいる。
だが彼らが初めてプロのお芝居に触れて、「鐘の鳴る丘」の中で菊井の書いた物語を生きていく。ドラマの中では家庭事情など関係なくもう一つの人生を生きられる。
ところがお芝居が上手な実秋の提案で良仁らが実際の戦災孤児を見に行くと衝撃を受ける。将太が可愛く見えるほど、彼らは恐ろしい野獣のようだった。良仁は食卓が貧しくとも帰る家があること迎えてくれる家族がいることのありがたみを知る。
一番印象的だったのは「鐘の鳴る丘」の出演者たちや菊井などのスタッフ一同で戦災孤児たちを保護している施設に慰問に行くシーン。
「鐘の鳴る丘」で主人公が作ろうとしている「少年の家」そのものだとワクワクする良仁たちだったが、施設で暮らす少年・光彦は菊井に強烈な言葉を突きつける。
『なにが、戦災孤児救済のドラマなものか。それが証拠に、本物の浮浪児にラジオを聞く余裕があるか。ここにいる僕らだって、あんなきれいごと、聞きたいとも思わないんだ』
『「鐘の鳴る丘」は嘘ばっかりだ。お前も、お前も! お前たちの演技は、全部、全部、嘘っぱちだ!』
魂の叫びのような言葉に対する菊井の言葉が心に残る。彼は自分の万年筆を光彦に渡し『それで、君は自分の物語を書きなさい』と言うのだ。
菊井のモデルである菊田一夫も孤児だ。生まれて直ぐに養子に出され、その後も捨てられて様々な他人の手で養育された末に奉公に出される。
そんな彼が誰にも顧みられない子供たちにスポットを当てようと書いたドラマが、その当人たちを傷付けることになるとは。
この出来事は良仁始め様々な子供たちに動揺を与える。特に悪役を見事に演じていた実秋は演技が出来なくなってしまう。
ラジオドラマは『嘘っぱち』の作り事でしかないのか、喜んで聞いているのは恵まれた人々だけなのか?
目まぐるしく変わる時代と大人たちの事情に翻弄されながらも、子供たちが懸命に頑張っている様子が良かった。またそんな子供たちに寄り添う演技指導の重子先生が素敵だった。
終盤の公開録音シーンはその集大成。『嘘っぱち』のドラマであっても、そこに生きそこに何かを感じ影響を受けた人たちが沢山いるのも事実。
将太に並んで良い味を出していたのが孝。おっとりしているが馬の世話をしている時は大人のように上手で馬をとても大切にしている。その飼い馬アオもまた親馬を戦地に取られ失った孤児だった。
それから二十五年後、その後の彼らが描かれる。戦後の価値観がまた変わる中で、良仁は何を思うのか。 -
力強く響く一冊。
敗戦の瓦礫が残る時代、放送劇、戦争孤児を知ることができた良作。
身勝手な戦争に誰もが人生を狂わせられ、どれだけの苦しみを仕方なしに受け入れなければならなかったか…さまざまな境遇の子供達の心情描写が逐一、涙と共に心に響く。
中でも良仁が放送劇を通じて世の中を大人を悟っていく姿は秀逸。
誰もの心情が、良仁の目と心を通してしっかり伝わってくる。
金平糖の涙。
涙を流すしかない自分の申し訳なさ。
この時代があっての今を受け止める。
あしたはもっとしあわせに…いつの時代にも通ずる平和への願いが鐘が心に力強く響く。 -
戦後、大人気となったラジオドラマに集められた子供たちの物語。
その、ドラマが今度は気になってきた。
主人公が、先生に演技の力を見出され突然演技の勉強。
家の手伝いが嫌なので、それを口実にお手伝いをしないとか子供らしい。
主人公の兄の担任の先生、絵を描くのが好きで星が好きな先生。
ん?こないた読んだ本に出てきた先生では?と思えて仕方なかった。
戦争孤児のことをドラマにしたが、本当の戦争孤児はそんなラジオだって聴けない…
そーだよね…って思ってしまった。 -
「歌いながら、良仁は心から悟る。放送劇は、物語は、きっと祈りなのだ。昨日よりも、今日よりも、明日はもっと幸せに。」
放送劇と聴いたら、みなさんはどんな媒体を思い浮かべますか?
この現代、ネット配信(不思議とネット放送とはあまり聞かない気がします)が増えテレビ離れが進んだものの、やっぱりまずはテレビを思い浮かべるのではないでしょうか。あとは私は、学校の校内放送も思い浮かべました。
本作における放送劇とは、ラジオの放送劇です。
しかも戦後間もない昭和二十二年の。
前書きにあるように、実際に1947年からNHKで制作・放送された連続ラジオ放送劇「鐘の鳴る丘」をモチーフとして描かれた、ラジオ放送劇に出演する少年少女たちの物語なのです。
「鐘の鳴る丘」は戦災孤児たちの生き様を描いた物語。
かわいらしい表紙は、「鐘の鳴る丘」の舞台設定や内容をよく表しています。
しかしかわいい表紙と、「少年少女たちの放送劇を通した物語」という説明だけでは収まらない、非常に濃いエピソードとメッセージが、この三百数十ページにギュギュッと詰められているのです。
参考文献も多く、この物語に作者の古内さんが真剣に向き合い、この作品を書き上げたことがひしひしと伝わってきます。
…ちなみに私はいくつかのシーンで泣きました。
以下、内容・人物紹介と印象に残った場面のあらすじ・引用と感想。
ネタバレ回避したい方は、この先の感想を本作を読んでからチラ見していただければと。
物語は昭和四十八年に、主人公・良仁(よしひと)が「鐘の鳴る丘」の脚本を書いた菊井一夫先生(作中で唯一実在するだろう人物)の訃報を受けて、ラジオ放送劇に出演していた小学六年生の頃の思い出を振り返るところから始まります。
そして舞台は、本編の昭和二十二年へ。
良仁は普通の農家の次男坊。家の手伝いをするのが嫌で、よく手伝いをサボって遊びに行ったり、危ないから入ることを禁止されている川で食糧として鮒を取ろうとするようなわんぱく坊主。
そんな彼に、担任の菅原先生がラジオ放送劇に出てみないかと声をかけられる。
校内にある演劇クラブ「小鳩会」のメンバーを差し置いて、なんで自分に声がかかったのだろう?できるかな?
出ようか悩む良仁に、兄が珍しく出たらいいと後押しをし、親友の祐介が出るなら一緒に出たいという思いも手伝って、ラジオ放送劇に出る決意をする。
滑舌を鍛える厳しい発声練習を経て、このラジオ放送劇への出演メンバーとなった子どもたちが、また個性豊かで面白い。
まず主人公の良仁、村唯一の医者の息子で優等生で大人びている祐介、優しげで演技に一番力を入れている実秋、吃音があるが馬の世話にかけては大人顔負けの大柄な孝、1人だけ坊ちゃん刈りに瓶ぞこ眼鏡の村の中では裕福で小生意気な勝、美容院の娘で常にめかし込んで勝と一緒に同級生を見下した発言をする世津子、だぶだぶの学生服を着て普段は闇市で仕事をして学校にはこない小柄な将太、おかっぱ頭で最年少で発声がよく肝の座った都。
そして厳しい演技特訓を施し子どもたちから鬼ばばと呼ばれるうら若い重子(実際鬼ばばではないですよ)、ラジオ放送劇の演出や音効、音楽を担当する大人たち…そして、常に目の下に真っ黒な隈を作っている脚本担当の菊井先生。
そんな子どもたちと大人たちが、さまざまな想いを抱えながらラジオ放送劇の成功のために奮闘していく。
ちなみに登場人物の中だと、私は将太が一番好きだ。
まだ戦後2年。
学校では教科書のほとんどを黒塗りにさせられたり、なんで日本が負けたのか誰も説明してくれなかったり、戦争は終わったのになんで闇市に行かないと飢えてしまうほど食糧がないのか疑問に思ったり、良仁はいろいろ考える。
大事なことを、大人たちはいつも教えてくれない。
ラジオ放送局に出入りするうちに進駐軍の人や米軍将校と接触する機会が生まれ、徐々になぜ日本が戦争に負けたのか察していく。
いまだ日本人は自由に使えない放送局のトイレ。
かつて日比谷公園だった、今はドーリットル・フィールドと呼ばれる日本人の使用を禁止されている公園。
敗戦による理不尽はすぐそこにあった。
いつも斜に構えて学校には来ない将太が放送劇に出ることにしたのは出演報酬と、放送局で米国人が吸い残した洋モクの吸い殻を集めて金にするため。
将校は放送劇の演習現場にたびたびやってきてはお菓子を差し入れ、ある日ショートケイクを差し入れる。
将太は将校にショートケイクを勧められ、本当は握りつぶしてしまいたかった。
でも食べて、思わず泣いてしまった。
彼の父親は空襲で黒焦げになって死んだ。
「米軍将校なんて、全員ここから出て行け!返せ、返せ!父ちゃんを返せーっ!」
「あんな連中が作った菓子なんて、その場で握りつぶしてやりたかったのに、俺はバカだ」
「どうして…あんなに美味いんだよ…」
……泣いてしまった。彼の押さえつけていた子どもらしさと、辛い気持ちと悔しさと。
全てが押し寄せてきて泣いてしまった。
彼の辛さと苦労なんて私には理解できない。
そんな将太に、実秋は「将太くんはバカじゃない!」と大声をあげる。
「あんな菓子、初めて食べたから、ちょっとびっくりしただけだ。涙腺につながる神経が刺激されただけだ」
私には彼のようにはきっと切り返せない。
彼らのやり取りにまた涙が出る。
戦争孤児の役をするということで、人一倍演技に熱心な実秋は、良仁と祐介とともに本物の戦争孤児を見にいこうとする。
途中ブクロの闇市で出会った将太に案内され、上野(ノガミ)で本物の戦争孤児を見る。
また、放送劇が盛況になったことで実際に戦争孤児だった子どもたちを保護する「明日の家」に慰問をすることになった。
そこで菊井先生は「私は、皆さんを、決して不幸な子供だとは思いません」「親を早くに失うことは、ある意味幸福なのです」「実は私も孤児です。…私はうまれてすぐに親に捨てられたのです。…」「…だけど親が早くに死ねば、自ずと子供には独立の気持ちが芽生える。早くから独り立ちの訓練ができる」「だって皆さん、そうでしょう。一度親を失ってしまえば、もうこれ以上失うことはない。皆さんはすでに、一番悲しいことを乗り越えてここにきているんです。」
…そういった挨拶をした。
一応拍手は起こったが、実際の菊井先生の境遇はちょっとまだ知らないが、読みながらどうしようと思った。たしかに親がいないという意味では彼らと菊井先生は同じかもしれない。けれど、戦後まもない、子どもも大人も等しく生きるのに必死で思いやりも余裕も誰も持っていない、挙げ句の果てには彼らを人間扱いしない戦勝国の人間がいる。この話の中で菊井先生は戦争孤児に更生してほしいというメッセージをこめて「鐘の鳴る丘」を書いていると言っていたが、更生以前の問題ではないか?と思ってしまった。そんな時代で戦争孤児たちの境遇と、菊井先生の境遇は、あまりにも違いすぎるのではないかと思ってしまった。
そんな中で、良仁はこの「明日の家」の子達は誰も笑わないことに気づく。
「ノガミを駆け回っていた戦災孤児が野犬の群れのようなら、彼らや彼女たちは街中の猫のようだ。…こちらへの距離を縮めようともしない。」
距離感。どうしても相容れないと感じさせる、互いの間にある壁。
それは進駐軍と日本人との間であったり、親のある良仁たちと親のない戦争孤児たちとであったり。
戦争孤児のことを理解しきれていなかった製作陣である大人たちとも壁はあった。
この見えない壁についても、本作で考えさせられるところだ。
このあと、明日の家の少年の1人・光彦が打ち明ける。
「僕たちは、『鐘の鳴る丘』を聞いていません」
「あんまり真実と違うから」
そして、「お前たちの演技は、全部、全部、嘘っぱちだ!」と思いの丈をぶちまける。
…放送劇メンバーはみなショックを受け、沈黙してしまった。
無理のないことだと思う。
そしてこれは、何も戦中戦後の悲劇に限らない。
理解が足りずに、見えない壁を互いに作ってしまう点では、全く現代においても人ごとではないだろうと思う。
少し飛躍してしまうところがあるだろうけど、
暴力を振るわなくてすむ環境にいる人は暴力を振るってはいけないと言える。
飢えのために盗みをしないですむ人は、盗みは悪いことだと断じることができる。
家にいて不自由ない子どもは、家出をする子どもの気持ちはなかなか理解できない。
死にたいと思ったことのない人は、死にたいと思いその気持ちを口に出した人に、生きたいのに死んじゃった人たちに失礼だよと簡単に言うことができる。
5体満足健康体で働くことのできる人は、やむをえず働けない人に働けと気楽に叱責できる。
…別に暴力や盗みその他を推奨しているわけじゃない。
でも、果たして戦争孤児や、現代でいうところの非行少年他の立場になった時、そのような立場にならずにすんで「真っ当」な人生を描けている人たちが、それまで彼らに叱責していたことを有言実行して、真っ当に生きていけるだろうか。
中にはできる人もいるだろう。
けれどできたとしても、その心は深く傷ついているはずだ。
どうしても、見えない壁を完全に消すことはできないだろう。
ただ、壁の問題はひとまず置いとくとして、本当に「鐘の鳴る丘」は「嘘っぱち」なのか?
それは放送劇のメンバーが、子どもたちが、みんなが答えを出してくれる。
公開放送劇の場で、彼らは、自分たちの力でその問題に立ち向かう。
とても圧巻なのでぜひ読んでほしい。
この鐘の鳴る丘に限らず、すべての物語はどれだけ綿密な取材を重ねようと、構想を練り込もうと、想いをいくら注ぎ込もうと、実話でない限りフィクションに変わりないのだ。
光彦の言葉を借りて乱暴に言えば、まあ嘘っぱちだ。
けれど、フィクションだからこそ伝えられるものもある。現実と乖離しているところがあっても、それが救いになることもある。問題提起に一役買うこともある。
最後にまた昭和四十八年になり、大人になったかつての子どもたちが集結し、重子先生をはじめとしたさまざまな人たちのその後を知り、少し寂しい気持ちにもなった。
大人になると、現実がよく見えて、自由があるようでないようで、より複雑になってしまう。
だから仕方のないところもある。けどー…
散々長々と書いてきたが、この物語で一番響いたのは
「これは俺たちの問題だ」
自分で自分の問題を引き受けること。
自分の問題を他人に好き勝手させないこと。
もうすぐ8月。原爆投下や終戦の日が迫っている。
先日、日本国内では珍しくテロが起きた。
民主的。
民主的ってなんだろう。
私たちは、私たちの国は今、民主的であると心から言えるだろうか?
良仁たち彼らが過ごした子ども時代、終戦間際から、日本はどれほど民主的になれただろう。
選挙に行ったところでどうもならない何も変わらない。
そう悲観して、悲観しながらも何も行動を起こさないのなら、諦めてしまっているのなら、私たちはそれでいいのだろうか。
沖縄には未だたくさんの基地があり、日本と米国の関係性も変わったようには見えない。
「負けてたまるか。
あの鐘の音を、もう一度高らかに鳴らしたい。
去っていってしまった人たちの耳にも、この先を生きていく子供たちの耳にも届くように。
くじけてたまるか。」
高度経済成長期の荒波の中で生きる、中年の良仁の決意に、鼓動が重なる。
良仁がそのように気持ちを固める昭和四十八年から、半世紀近く経つ。
その気持ちは、今でも私たちが持ち続けなければならないものだ。
諦めてはならないものだ。
つらいことばかりで挫けそうにもなるけど…そう思う。そう思えるように生きていきたい。
かつて良仁たちの放送劇が全国の人々に希望を与えたように。数多の悲しみを受け止めたように。
希望の鐘を、鳴らしていきたい。 -
戦後間もない東京で、こども達がNHKのラジオ放送劇に出演することになり、主人公の良仁をはじめとする子供達が、そこに向かって取り組んでいく姿と変化が面白く、読んでいる自分の顔がほころんでいき、先々が気になって一気に読んでしまいました。
また、戦時中と戦争後で、いきなり教育の内容が変わった事により戸惑う姿に、当時の子供達の心境を慮り、いつの時代も、純粋な子供達が、一部の大人の勝手な都合によって振り回されるんだと、胸が痛くなりました。
そしてこの作品を通じ、『戦争孤児』について考える事ができました。戦争が終わっても、上野駅の地下で暮らす孤児達にとって戦争は続いており、たくさんの孤児をうんでしまった戦争は、一体なんだったんだろう?と改めて思います。
そんな思いを抱きつつも、色んな思いを胸に成長していく子供達の姿に、爽やかさを覚える物語でした。 -
戦争孤児の方がどんな生活を送っていたのか…改めて考えさせられた。
勝手な一部の大人が始めた戦争の最大の被害者だと思う。
沢山の事を学んだ。
アオの涙と将太の叫び。めちゃくちゃ心に響いた。
色んな角度から戦争について考えさせられた。
併せて、民主主義や人権について。
やっぱりみんながきちんと色んな事を学んで政治に参加して自分たちで自分たちを守らないといけない。 -
図書館で借りたもの。
放送劇は、物語は、きっと祈りなのだ――。敗戦後の混乱期。突然、ラジオドラマに出演することになった小学生たちの、戸惑いと奮闘を描く。NHKの連続放送劇「鐘の鳴る丘」をモチーフとした物語。
あの菊田一夫さんが手がけたラジオドラマと、そのラジオに出演した子供たちがモデル。
「鐘の鳴る丘」は昭和22~25年の3年間で790回も放送された人気のラジオドラマ。
(放送番組世論調査では90%の人が聞いたことがあると回答している)
まだテレビがない頃の娯楽だったみたい。
一気読みでした!
戦災孤児の描写が衝撃的だった。