世界文学とは何か?

  • 国書刊行会
4.12
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336053626

作品紹介・あらすじ

ギルガメシュ叙事詩、源氏物語、千夜一夜物語といった「古典」から、カフカ、ウッドハウス、ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』まで、翻訳をつうじて時空間を超え、新たな形で流通しつづける「世界文学」可能性を問う両期的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 膨大なページ数で長いこと躊躇していたが、読んでみると面白いことまぁ。
    どのくらい面白いかと言うと、今年一番面白い本の二番目。
    と言うのは、ひと月ほど前に「物語創生」という今年一番の本を読んでしまったから。
    舌の根が生渇きなのでこう言っているが、乾いたら変わるかもしれない。。

    世界文学という言葉・考え方はいつ頃誕生したのか。
    定義は何か。問題は何か。どのように捉えていけばよいのか。
    よく耳にする「世界文学」をいうものを、ここまで考察した本は初めて読む。
    専門家の間でも未だにその定義さえ定まらないらしいが、著者はあくまでも前向きだ。
    4000年前に書かれたテキストから1990年後半に書かれたテキストまでを扱い、翻訳で何が与えられ何が失われるかまでを論じる。

    ダムロッシュの解答を先に言うと
    1.世界文学とは、諸国民文学を楕円状に屈折させたものである。
    2.世界文学とは、翻訳を通して豊かになる作品である。
    3.世界文学とは、一つの読みのモード、つまり自分がいまいる場所と時間を越えた世界に、一定の距離をとりつつ対峙するとうい方法である。
    ・・ということで、こうあって欲しいという期待を裏切らない。

    文学作品は、それを生み出した文化圏から外に出て別の文化圏に受容される。
    楕円のような屈折を経て旅をする中で作品の意味は変わり、新たな価値が生まれる場合に世界文学になるというのだ。
    また、読まれる作品に差異と多様性をあらかじめ認めている。
    原文絶対主義に異論を唱えながらも、様々な外国語を学ぶようにと私たちを励ましてくれる。翻訳を通して、多様さを楽しめと。新たに得られるものを積極的に認めようとする。

    3の「読みのモード」とは「読み方」のこと。
    世界文学とは1で言うように生成していくもの。
    それをどう読むかということが大切で、ダムロッシュの表現では「精読と遠読を調停する」ということらしい。
    私たちが当たり前のようにやっている「自分からは遠い世界を、自分に近づけるための読書」ということだろうか。

    それにしても、である。
    これほど読みたいものが膨大にあるのに、なぜ世界文学なのか。
    本書の中でも繰り返し語られる部分だ。
    後書きで沼野充義さんがいみじくもこう語っている。
    この世界のどこかで、私たちの読めない言語で、私たちの知らない作家たちが素晴らしい作品を今この瞬間にも書いているかもしれない。
    それを知らないまま人生を過ごしてしまって良いものだろうか。

    有体に言えば、私はそこまでの大それた思いはない。
    どこの国の作品であろうと翻訳で出ていれば愉しんで読みそれが良い作品だと嬉しい。
    柴田元幸さん翻訳によるポール・オースターの作品について、都甲さんの本に書いてあった。
    原書はぶっきらぼうで生きることの困難や寂しさをダイレクトに伝えるものだと。
    それを流麗な文体で心に沁みる作品にした柴田さんの仕事ぶりを称えていた。

    どちらが優れているなどという問題ではない。
    本国ではオースターの原書の表現がより好まれるのだろう。
    国境を越え、楕円的に旅をする中で柴田さんという名翻訳家に出会い、日本語で新たな意味が与えられたということなのだ。

    本書にも6人の訳者が名前を連ねている。月二回の読書会を一年半続けたらしい。
    原著は「What the Hell Is World Literature?(世界文学っていったい何だよ?)」だったが、編集であえなく却下。問い続けることの大切さがよく表れている。

    ギルガメシュ叙事詩の発見にまつわる部分では、ワクワクする考古学の冒険談。
    アステカ王国では、スペイン人の宣教師がキリスト教普及のために彼らの詩を研究する。
    世界文学と呼ばれたものがいかに西洋文学に偏っていたかを数々の作品から読み解く。
    「難解」「不条理」の代名詞のようなカフカも、ローカル色の濃い楽し気な作品に変化する。
    時空を超えた旅のなかで、様々な実例をあげながらダムロッシュは解説する。
    私たちはこれからも、出会った作品を翻訳を通して愉しめば良いのだ。
    さて、今年一番面白い本の三番目には、いつ会えるのだろう。

    • りまのさん
      くすっ(笑)
      くすっ(笑)
      2021/02/24
    • 夜型さん
      Don子さん りまのさん
      よい思い出に残ればこれにまさるものはありません。ではでは。
      Don子さん りまのさん
      よい思い出に残ればこれにまさるものはありません。ではでは。
      2021/02/24
    • りまのさん
      ありがとうございます (*^_^*)
      ありがとうございます (*^_^*)
      2021/02/24
  • 「世界文学とは何か?」書評 正典でなく結節点、翻訳通して豊かに|好書好日
    https://book.asahi.com/article/11644831

    『世界文学とは何か?』(国書刊行会) - 著者:デイヴィッド・ダムロッシュ 翻訳:奥 彩子,桐山 大介,秋草 俊一郎 - 鴻巣 友季子による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
    https://allreviews.jp/review/2264

    世界文学とは何か?|国書刊行会
    https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336053626/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      nejidonさん
      奇遇ですね!(そうでもないか)
      ダムロッシュ教授の新刊が出ると聞いて、思い出したのがコノ本。猫はいつ読めるか見当もつ...
      nejidonさん
      奇遇ですね!(そうでもないか)
      ダムロッシュ教授の新刊が出ると聞いて、思い出したのがコノ本。猫はいつ読めるか見当もつきませんが、、、
      2020/09/01
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      nejidonさん
      「似ていることば」のところで夜型さんが挙げていた本だ、、、
      今、読み返していて気付きました。。。
      nejidonさん
      「似ていることば」のところで夜型さんが挙げていた本だ、、、
      今、読み返していて気付きました。。。
      2020/09/02
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      この地だからこそ生まれた「名作」を読んで、空想の「世界一周」の旅を|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
      https://www.ne...
      この地だからこそ生まれた「名作」を読んで、空想の「世界一周」の旅を|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
      https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/12/post-97671_1.php
      2021/12/17
  • 序章:ゲーテ、新語を語る
    1:流通
    -1ギルガメシュの探究
    -2法王の吹き矢
    -3旧世界から全世界へ
    2:翻訳
    -4死者の都で恋して
    -5マクデブルクのメヒティルト、その死後の生
    -6カフカ、故郷へ帰る
    3:生産
    -7世界のなかの英語
    -8活字になったリゴベルタ・メンチュウ
    -9毒の書物
    終章:ありあまるほどの世界と時間

    1〜3章を通して、文学研究が古代メソポタミアやマヤの文献へと及んだ状況(1・2)や世界文学の範疇をめぐっての葛藤など(3)が書かれていた。
    どれほど理解できてるか不安だが、現時点での理解を備忘録として記載する。甚だ読みづらくて、自分でも気を削がれるけど、気にせずメモしていく。

    序・1・2
    ギルガメシュ神話の発掘当時の評価は、当時自分たちの西洋文化で大事にされている聖書の記述の正当性を史実として強化することを期待して研究されていた。また、開拓者たちがキリスト教を布教する時には、マヤやアステカでの異文化にどう浸透させるかを宣教師たちは多いに悩み、現地の言葉への翻訳を通して布教は成功したかのように思えたが、現地人は自分たちの文化とうまく融合させていたことが判明する。
    ここまでの文章で主張されることは、ある文化から他の文化を理解することはとても難しいということ。文化同士の交流を行う場合、どこの文化にも根差さない観察者は存在しない。必ず、何らかの文化という起点から理解を試みることになる。このことを、実例を伴って記載していたのではないだろうか。


    世界文学とは、長年、ギリシャやアテネの古典を中心とした西洋文学で構成されいた。それが打開され、非西洋文学や近代文学を含むよう、その領域を広めはじめたのは20世紀初めから中盤であり、以前と比べて大きな広がりを見せたのは1990年代である。また、女性作家の名前もかつては上がらなかったし、詩や演劇といった伝統的な「文学」に固執していた世界文学が文学の領域を広げていいたのも同じ頃だという。このことを意味して、章題が「旧世界から全世界へ」なのだと思う。
    また、翻訳の課題や限界についてもこの章で触れられている。2章の部分で視点について書いた。この問題から、翻訳が原作を超えうるのかという議論が紹介され、楕円のアプローチが論じられる。
    文学は、それが発生したコンテキストを理解すると豊かになる。しかし、それを変に歪めて自分の理解の範疇に収めることは危険だし、まったく理解できない異質のものとして切り捨てのはもったいない。そこで楕円のアプローチが出てくる。発祥の地点から鑑賞する必要は必ずしもない。発祥の地点と読者の視点の2点から鑑賞することを許容することで文学は豊かになるのではないか、ということだと思う。
    というか、本来、その方法しか鑑賞方法はない。(?)
    作品は普遍的ではなく、私たちの視点(文化的変化など)によって変化し続けるからだ。

    4
    この章ではエジプトの詩の翻訳を具体例に翻訳とは何か、「いい翻訳」「悪い翻訳」とはということに触れている。
    前章でも述べていたように、翻訳は原作の複製にはなり得ない。そこには屈折がある。その屈折を踏まえて、原作を公正に扱っているものが「いい翻訳」になるのではないだろうか。しかし、文学の定義同様、「いい翻訳」の定義が絶対的に定まることはないだろう。とのこと。

  • 文学
    本の本

  • 2012/10/12
    買ってから一年かけて読んだ。本をこんなにじっくり読むのは生まれて初めてかもしれない。

  • 言葉を綴ることによって作られる芸術である文学作品が、言語やその文化の壁を超えて「世界文学」になるのは、どのような時なのか?そもそも「世界文学」とは何なのか?

    世界文学というと古今東西の名作を集めた「世界文学全集」のようなものをイメージするが、本書で述べられている世界文学の定義はそのようなものとはまったく異なる。筆者によると、世界文学とは「流通や読みのモード」であるという。

    それは、作品が世界文学になるプロセスを考えるためには、作品自体の内容だけではなく、その作品がどのように作られ、流通し、読み手に受容されるかという一連のプロセスにも着目する必要があるということを意味している。


    筆者は、世界文学の定義を以下の3点に集約している。
    1. 世界文学とは、諸国民文学を楕円状に屈折させたものである。
    2. 世界文学とは、翻訳を通して豊かになる作品である。
    3. 世界文学とは、正典のテクスト一式ではなく、一つの読みのモード、すなわち、自分がいまいる場所と時間を超えた世界に、一定の距離を取りつつ対峙するという方法である。


    まず筆者は、楕円のような二つの焦点を持った読みのモードが、世界文学を捉える上で重要であるという。それは、作品自身が生まれ育った文化圏と、読み手自身の文化圏という二つの焦点のあいだで揺れ動くことによって生まれる豊かな解釈空間のことである。このような揺らぎの存在が、国民文学と世界文学とが大きく異なる第一の点である。

    ゲーテやダンテといった西洋文学のなかで確固たる地位を占めていると思われる作家においても、その受容のされ方は歴史のなかで変容している。さらに筆者は『ギルガメッシュ叙事詩』やメキシコ先住民の詩など、より幅広い対象も取り上げながら、これらの作品の読まれ方が時代とともにどのように変化していったのかを語っている。


    また世界文学には、「翻訳」という需要な要素も関連している。筆者は、翻訳を単に言語を置き換える作業としてではないのみならず、より積極的に作品を豊かにする可能性を持った作業として捉えている。それは、翻訳をするということはその作品をどのような読みのモードを想定するかということと密接に関わっているからであり、さらには翻訳後の言語の読み手の文化との交感を生む契機になるからである。

    例えば、本書ではカフカの小説のさまざまな訳の比較を通じて、翻訳をすること自体が読み手のモードとどのように関わっているかを明らかにしている。カフカを、文化を超越したグローバルな作品を書いた芸術家と捉えるか、プラハのユダヤ人芸術家と捉えるかによって、彼の作品の訳し方は変わってくる。また彼の作品は標準的なドイツ語ではないプラハで使われたドイツ語で書かれているが、それをアメリカ英語に訳すときにアメリカの文化圏においてチェコのユダヤ人と同じような環境に置かれている黒人の英語に訳すといった試みも行われている。

    これらは、作品をどのようなコンテクストにおいて読んでいくかということが、翻訳の作業と切り離せないということを物語っている。そして、正しい翻訳がひとつに限られているわけではなく、むしろ様々な翻訳を通じて豊かになる作品こそが、世界文学にふさわしいというのが、筆者の見解である。


    このことは、文学の書き手や翻訳者だけではなく、読み手である我々自身も、世界文学の創造に重要な役割を果たすということを意味している。筆者による世界文学の定義の3番目にあるように、読み手自身が今いる場所と時間を超えた世界と、作品を通じてどのように向き合うかということが、世界文学を味わううえで大切なのである。

    楕円状の読みのモードがもたらす揺らぎや、翻訳によってつくりだされる多面的な読みの世界を前提にすると、翻訳された世界文学を、すでに確定した作品として捉えることは適切ではない。むしろ、多様な背景を抱え、読み手のモードによって意味が変わりうる可変的な作品として捉えていくことこそが、世界文学からもっとも豊かな世界を引き出すために重要なことである。


    筆者は、世界文学という言葉を通じて、これまでの文学作品の受容のされ方とは異なる、多面的で揺れ動く解釈空間の存在を、本書で引き出していると感じた。それは、多様な読みのモードや翻訳作業、さらには文学作品が作り出される過程での様々な文化との交感といったものに起因しており、文学というものが決して作家一人の頭のなかだけで作り出されるものではないということを感じさせてくれる。

    このような捉え方を通じて、これまでに名作とされてきた作品にも新たな光が当たり、またローカルな国民文学や伝承として捉えられてきたものをその文化圏の外の人が味わう際の、手がかりともなるであろう。

    本書のような文学作品の捉え方が広がることで、文学の世界がより広く豊かになると感じさせてくれる本であった。

  • 世界文学を「実践」したという。つまり、文学について文学しているのだ。一つの創作を成したということは読んでみるとよく分かる。ソレが面白いかどうかは別としてだ。

    リゴベルタメンチュウの証言文学についての章は面白かった。他はうーん。。

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